錝将軍ファーリム
バスナ隊と交戦した輙軍は殆どが負傷者であるにも拘らず、目を見張る戦いぶりを示す。彼等には後がない事もあるが、その奮戦の一番の理由は輙之文より話された覇梁の慈悲であった。
戦に敗れ、丘を奪われた時点で彼等は死を覚悟していた。しかし、弱者に情け容赦のない覇梁が意味のある戦死を約束したとあっては勇んで死地に飛び込む他なかった。
「怯むな! 何としても敵将バスナを討つ!」
自らも剣を振るい、兵達を鼓舞しながら一点突破を図る輙之文。騎兵が主体である彼等は地の利を有するバスナ隊中央を猛然と切り進んでいるように見えた。
その様を優勢と判断したのか、サキヤカナイも前進を始め、第二陣としてバスナ隊前衛を隅々まで攻める構えを見せた。
剣合国軍の兵達が敵の総攻めに対して気を引き締める中、バスナとナイツの二人はサキヤカナイの動きに違和感を覚える。
(……残軍の突撃に対して俺が力を抜いている事ぐらいあの畜生男は気付いている筈。気付いても教えず平気で味方を見殺しにするのは、輙軍を捨て駒として俺達に当たらせ、自分達は退却する為だと思っていたが……奴等は攻めてきた。一体何を狙っている)
(大軍に奇策は必要ない。今、覇攻軍が総攻撃に転じた理由は正にそれだろうな。然し、大胆不敵な父上と違って覇梁は慎重に兵を動かすと聞く。噂に反するこの雑な戦い方は単純に急いでいるだけなのか)
早くも二人は覇攻軍の真意に探りを入れる。
バスナは輙之文を本腰入れて迎撃し、ナイツもわざと少数の兵を率いて敵の側面を攻めた。
だが、覇攻軍の様子に変化は見られず、輙軍の虚しい奮戦が目立つばかり。
輙軍が十の力を出しているとすればサキヤカナイの出力は五分。明らかに手を抜いている攻勢に二人の疑心は更に膨らんだ。
「バスナ将軍、敵の先陣部隊は三割ほど討ち取りましたが、依然として後退する気配がありません」
「あの者達には最初から退路がない。出来る事なら助けてやりたいが、十中八九拒絶するだろう。敵に降伏すれば人質となっている家族が殺され、後ろに下がればサキヤカナイによって粛清される身だからな。……彼等に残された道は唯一つ、敵に挑んで名誉の戦死を遂げる事だ」
「従属者の苦しみ……ですか。全く酷いものです」
「あぁ、反吐が出る程にな」
義に厚く、弱きを助ける剣豪将軍バスナは「剣義将」の異名を持つ。
彼は強き者が正、弱者は悪とほざき散らすサキヤカナイを毛嫌いしており、剣合国軍領の南部国境地帯で行われる覇攻軍との戦いには必ず参戦しているほどだ。
「ではバスナ将軍、先に降伏した輙軍の兵達の家族もやはり……」
近習の将校がふと思った事を尋ねる。全ては言わなかったものの、先のバスナの言葉から想像するのは難くない。
然しバスナは渋面を崩し、軽く息を吐くと将校達の予想に反する答えを返す。
「我等の大将がそうはさせん。箝口令(他人に話すことを禁止する指令)を敷いて自軍の口を封じ、サキヤカナイに彼等の姿を見られなければ、どうとでもできる。あまり好ましくはないが帰りたい者は返すといった手段もある。何であれ捕虜を捕虜と見ないのがナイト殿だ」
腕を組みながらナイトがとるであろう対応を語る。
逆にナイトが対応に困る様であれば、本人にこの考えを提案する。彼がその考えを受け入れる事は分かっており、バスナの中には最終的な結果が見えていた。
「となれば是が非でも敵を丘の反対側へ行かせられんな」
背後から聞こえた覚えのある声に将校達は驚いて振り返る。彼等の視線先には単身のファーリムの姿があった。
部下を一人も連れていない事からこの男が何をしに現れたか、大方の想像はついた。
とりわけ長年の相棒として共に戦ってきたバスナは流石と言うべきか、ファーリムの気配と出現のタイミングだけで全てを察する。
「いくら腕に自信があっても護衛を付けずに動き回るな。抑々にして錝将軍がお忍びで戦場を散歩するな」
戦場にのみ目を向けるバスナの厳しい一言。
対するファーリムは苦言を気にする気配すら感じさせず、いつも通りの豪放さで相棒を呆れさせる。
「大丈夫だ、全部 遼遠(ファーリム騎馬隊副将)に任せてある」
「……平常通り過ぎて掛ける言葉が無くなったわ」
豪放、大胆とアホは紙一重であると復習させられるバスナ。
ファーリムの言は全く回答になっていない上、大丈夫ではない。戦の指揮を執る手前、小さな溜息のみで済ますが、心に伸し掛かったどうでもいい倦怠感は小さくなかった。
その一方で苦言を呈され続けたファーリムは、寧ろそれが快感に変わったのではないかと噂されるほどの清々しい笑顔を見せる。
ファーリムの特技の一つ「俺のスマイルか? 無料サービスだ」である。当然ながら親指は立てる。それが人界中に名を轟かす大剣豪として、剣合国軍の錝将軍としての責務だと彼は語り、それを直に聞いたナイトは大きく二回頷いて理解を示す。兵達の中には感激のあまり自分の名前を忘れてしまう者がいるほどに、ファーリムの言葉が彼等の心を支配した。
(……何故この軍にはこんなにアホが多い。……大将も同種だからか)
部隊を指揮しながら彼は自問自答した。そして考えるまでもなく導く手間もなく出た答えに、彼は再び溜息を吐く。
「奴等、単調な攻めしかしないな。根比べしたい訳でもないだろうに」
そんなバスナを知ってか知らずか、ファーリムは相棒と肩を並べて眼下の戦況を一睨みすると誰に言うでもなくそう呟いた。
その一言と急に変わった雰囲気に将校達は息を呑む。バスナ以外の皆が思った事だ。
ファーリムは今しがた丘頂上に着いたばかりの筈、お忍びで現れた彼が何故見聞のない戦の流れを知っているのかと。
彼はそれに関しては明言しない。だが、明確な答えがなくとも将校達には理解ができた。錝将軍たるは伊達ではないと。
「俺も奴等の攻勢に疑問を抱いていた。俺はてっきり丘の奪取は諦め、ナイト殿の準備が整う前に早々と撤退するだろうと見ていたのでな」
「地の利も士気も完全に俺達が上だ。それを承知で攻めて来たと言う事は、奴等が長期戦を……」
「有り得ん」
語気強く言い放つバスナ。眉一つ動かさない確固たる自信には相応の根拠があった。
「楚丁州南部の輙軍と、アレス軍に備えて南西部に駐屯していたサキヤカナイの大半がここにいる今、奴等に有力な後軍は無い。覇攻軍と同盟関係にある雑賀衆に至っては李醒と黄文性殿の軍が牽制している。……数、錬度、士気、全てに劣る敵を相手に戦っていた先程までの俺達とは違う状況に奴等はいる。一歩間違えれば己の命を落としかねない場にな」
「はっは! そう言う俺達もナイツの若君が来なければ丘は攻略できていなかったぞ」
「お前とナイト殿が遊び過ぎたのだ。まあ、二次戦に備えて最強部隊を温存したい気持ちは分かるが」
敵の真意が読めない二人は微笑を浮かべながら影に懐疑心を募らせる。
常人には今の戦況を含め、余裕を示す錝将軍と参謀に映るが、当の本人達は霞がかった様な敵の戦略に不安と焦燥を抱いていた。
必ず敵は何か策を仕掛けてくる。強敵と戦い続け、磨き上げられた将軍としての感覚が理屈や戦術脳を一蹴するほどにそう思わせるのだ。
「動いたか畜生男」
開戦から三十分ほど経った頃、戦の流れを誰よりも機敏につかむバスナが敵軍中の一点を睨んで呟く。
敵右翼の主将である黒染が、輙軍に加勢するべく中央まで切り進んでいたのだ。
「死鳴の黒染か。兵達だけでは厳しい敵だ。俺が行こう」
バスナの視線を追うファーリムは、その先に相棒が最も忌み嫌う存在を見付ける。
義を重んじるバスナにとって黒染は許し難い輩。己の力を悪用する事しか頭になく、弱者を圧するという非人道的な行いでしか己が存在を示せない害悪者。奴の一刃の本質は奴本人の欲求解消であり、何ら世の為、人の為にはならない。
「待て、後方に居る筈のお前が単身で参戦すれば余計な動揺が広がる。心配しなくとも俺の直下兵は……」
視線を遮るように前に立ったファーリムを制止するバスナ。
彼の声には士道に反する黒染を討つのは自分であるとの強い思いが込もっていた。
然し、その感情こそが大いなる危険に繋がると察するファーリムは、相棒の言葉まで遮る。
「兵だけでは厳しいと言っただろ? それにお前では個人の戦い方に於いても用兵術に於いても黒染とは相性が悪い」
基本から応用まで極めたバスナの剣術、軍略には隙がない。
だがファーリムから見ればそれが通用する相手は常識を持った敵のみなのだ。奇策を得意とする名将には対応できても、常時箍の外れている狂将の正攻法には分が悪い。特に人一倍の正義感を持つバスナはその思いこそが足枷になってしまう。
「お前こそ心配するな。俺が出て動揺が生じようが、直ぐに歓声に変えてやる」
本陣待機の馬を借りるファーリム。普段騎乗する駿馬と違う伝令用の駄馬であっても何一つ文句は言わず、寧ろ手配してくれた将校に礼を述べている。
彼の気さくな言動は良い意味でバスナの義憤を萎えさせた。
知らず知らずのうちに依怙地になっていた事に気付いたバスナは言葉にこそ出さないが、感謝の念を抱く。
「ん? あの騎馬隊は若君か。黒染の側面を突く気だな」
「ナイツ殿が……いかん⁉」
バスナが改めて全体に視野を広げ、ファーリムが駆け出そうとした時、二人はほぼ同時にその姿を認識する。それは黒染隊の猛攻を阻まんと出撃したナイツの騎馬隊二百であった。
数秒考えを巡らしたバスナは遂に敵の狙いを察知し、傍で待機していた愛馬に飛び乗るや一迅の風となって駆け出した。
「すまんファーリム、やはり黒染は俺が止める。お前は次に現れる覇梁に備えてくれ!」
口早に話しながら丘を下り始めたバスナに、彼直属の将校達は動揺する。如何なる時でも冷静さを欠くことのない、毅然とした将軍の姿しか知らない彼等には無理もなかった。
「留易、郭滔の二名は本陣守備の騎兵全てを連れてバスナを追え。テリクは左翼の予備隊を率いて中央守備隊の後詰に向かえ。諸奉は本陣を守れ。フェルノは指揮系統の伝達を担い、まずは韓任の騎馬隊をウォンデ軍に突っ込ませろ。賀憲は全体を指揮し、馬零はその補佐に回れ。散開!」
「は……ははっ」
ファーリムはバスナに劣らぬ早口で一人一人に指示を出す。
突然の指揮官変更に戸惑う姿は見られたものの、即座に面持ちを切り替えて迅速に動く様は、流石はバスナ近習の将校達と思わせられる。
いきなり指揮を丸投げされたファーリムにとっての救いは、彼等の技量が確かなものであった事だろう。
だがバスナ直属の将校達が、これ程スムーズに行動できた理由はファーリムにもあった。
彼はバスナに次いでバスナと敵の考えを理解し、相違点を踏まえた上で他部隊の将校一人ずつに各々が得意とする役割を振り当てたのだ。
将校達はバスナの慌ただしい出撃に驚く一方で、上官の無類の友とはいえ自分達の様な若手(バスナは熟練の将校を前衛、中衛に配し、経験の浅い者を傍に置いて学ばせている為、本陣には若手の将が多い)と会話した事が殆どないファーリムが彼等の特性を全て把握していた事に驚いていた。ますますもって錝将軍たるは伊達ではないと皆が思う。
(さて、面倒な事になってきたぞ。バスナ、お前の言葉をそのままに返したいところだが、俺が着くまで口が利ける状態でいろよ。勿論若君の事も頼む)
バスナ隊副将・賀憲に今後起こりうる事態を説明したファーリムは、本陣が機能している姿を見届けた後、用意してもらった駿馬に乗り換えて自身も丘を駆け下る。
バスナ達が兵の中を通って作ったであろう最短経路は既に消えてしまい、同じ様にファーリムが押し通ればそれこそ敵に付け入る隙を与えてしまう。かと言ってお忍びでコソコソと行動していれば時間がかかり過ぎる。
「……多少は仕方ないか」
敵に悟られない程度の動揺は妥協して馬を走らせる。出遅れた上、脇目を振る暇もある馬速にファーリムの表情は険しさを増した。
何しろ敵は常識の通用しないサキヤカナイ。バスナであれば最悪の事態だけは防いでくれるだろうと希望的観測をするだけで精一杯だった。




