交橋守将・江芳
交橋西側の剣合国軍基地
ナイツが義仁城を出撃したのは日を跨いだ深夜一時頃。
同じ時、交橋西基地で夜を明かすことになったキャンディは、今しがた涼周を寝かし付けたばかりであった。
「……ぅ……ゅ……にぃ……に……」
(今日はもう戻らないって言ったから、翌日になった今まで待ってたのよね)
寝台の上で丸まりながら眠る涼周の幼体に、キャンディは布団を掛けて静かに微笑む。
先程まで兄の帰りを待つと言って頑なに起きていた弟が、最終的には睡魔に負けて夢心地となった様がとても愛らしかったのだ。
然し、彼女が窓に視線を向けた時、その顔にあった笑みが掠れてしまう。
(でも、よりによって……あの人と離れている時に降られるなんてね……)
雨水が窓ガラスの表面を滑り落ちる様を、色の薄れた瞳でひたすら見つめるキャンディ。
美しくも、どこか儚い憂い顔であった。
(何か……いつもみたいに嫌な予感がする)
彼女はそっと立ち上がり寝巻きを脱ぐと、荷物箱の中から愛用している黄色の戦闘用軽装着を取り出し、慣れた動作でそれに着替えた。
一方、キャンディと涼周の護衛を任されていたメスナは、西基地から四里(一里は約四キロメートル換算)ほど離れた先にある東基地に居た。
二つの基地は交橋東西の入口に設けられており、基地間の距離すなわち交橋の長さ。強いてはアーカイ州東を流れるシンシャク川の川幅を示している。
それでは敵領内の梓州側に築かれた東基地に、メスナが一体何の様なのかと聞かれれば、それは単純な夜警に他ならなかった。
性格に若干の不真面目さを併せ持つ彼女だが、ナイツや李洪が頑張っている中で一人だけ手抜きをする訳にはいかないと、その身を濡らして夜回りに当たっていたのだ。
「これはメスナ殿、巡回ご苦労様です」
物見台の兵を鼓舞して回った時だった。メスナは突然、右側後方から声を掛けられる。
彼女が振り向けば、そこには初老の将軍が四人の護衛兵を従えながら立っていた。
「江芳将軍こそ、お疲れ様です。将軍も夜警ですか?」
江芳と呼ばれた将軍は物腰柔らかに、全身を使って首肯する。
その表情はとても穏やかで、逆に眠くなる程だった。
「何時もこの時間帯に、あちこちを徘徊しておりますよって」
「ふふっ……何とまぁ御冗談を」
二人は僅かに肩を揺らして笑った。江芳の護衛兵達もつられて顔を綻ばせる。
「長年に亘ってこの橋の守将を任されておりますから、偏に癖の様なもの。……豪族連合がまた動きを見せ始めた今は、尚更です」
「……将軍は豪族軍と何度も戦った経験がおありだとか。将軍の勘からして、今回の彼等の動きをどう見ます?」
メスナの問いを受けた江芳は、戦に望む男の勇壮たる面構えを作った。
「……言うならば、今回の奴等は真の敵に非ず……といった所ですかな」
「その根拠もお聞かせ願えますか?」
「うむ……今でこそ梓州豪族連合は四つの勢力で成り立っておりますが、継承戦争以前はもっと多くの勢力がてんでばらばらに侵攻してきました。然し、ナイト様が剣合国を継承して以降その攻勢は緩まり、主に生横郡の張幹と心角郡のテンベイが嫌がらせに現れるぐらい。今回もそれに近いと思っておりましたが、調べる内に疑問が増し、若様の報告を受けて確信したのです。これは奴等の考えではない……誰かが裏で扇動し、梓州全土の兵を集めるに値する対価を払っているのでは……と」
「…………承土軍の衡裔でしょうか?」
「かもしれん。何故衡裔が遜康ではなくレトナ国を攻めたのかを考えたのだが……奴等の国土は元々、利益を生む資源に乏しい。故にレトナ国の鉱山資源を手中にし、長い目で見た戦略を立てたのではないか。そして、囮の筈の遜康戦で承咨が捕縛され、我が国と停戦関係になったのは、衡裔にとっての誤算だったのかもしれん」
「……だからこそ豪族連合を裏で操り、私達と戦わせようと企んでいる……ですか。だとしたら、やっぱりトーチュー騎軍も何かしらの弱味を握られた上で……」
「あくまで仮説の域を出ないが、疑いの余地は充分にあるだろう」
経験則を含んだ江芳の考えは中々に鋭いものだった。
メスナはこの事をナイトや安楽武、ナイツ達に話したいと思い、江芳に了承を求める。
「うむ、別に構いませんぞ。ただ軍師殿であれば、既に事の真髄に迫っているやもしれませんから、今更何をとばかりに、軽く馬鹿にされるかもしれません」
江芳は代々剣合国に仕える江家の現当主であり、ナイトの旅仲間ではない。
継承戦争の際も専ら交橋の守備に当たっていた為、ナイト率いる多国籍同盟軍とは交戦していない。義士城陥落に次いで槍宣(槍丁の兄。覇攻軍六華将の一人・ヴォンデとの戦いで戦死を遂げている為、既に故人)の守る義仁城が、先に帰順した槍丁の説得に従って降伏したのを機に江芳もナイトの軍門に降ったのだ。
そして継承戦争を第三者に近い位置で傍観していた事が、ナイトとその仲間衆を良く観察する事に繋がり、自ずから安楽武の才知を見抜いていた。
「ふふっ……馬鹿にされてしまったら、どうしましょう」
「はっはっは! 責任はぁ、とれませんぞぉ!」
二人は先程よりも大仰な素振りで笑い合う。
江芳という将軍、彼は中々の好好爺であった。
メスナの後日談だが、気軽を好む彼女にとっては方元や槍丁よりも、江芳の方が接しやすくて面白い存在に感じたという。




