淡咲の才
ナイツ一行が交橋に着いた頃、アーカイ州では既に雨が降っていた。
ナイツは警備隊に一層の警戒強化と戦力配備の必要性を説き、キャンディや涼周を休めさせると、自身は休む間もなく李洪を伴って梅朝の義仁城へ向かう。
義仁城は剣合国軍領北東部の要所であり、軍内随一の規模を誇る堅城だ。
東の交橋へ向いて築かれた大正門と、西の檬屯湾に設けられた軍港が入口であり、他方面は高く堅牢な城壁が連なっている。
ナイツと李洪は道中に点在する集落の軍基地で馬を代えつつ、全速力で駆け抜けた。
その結果、深夜十一時頃には義仁城の門を潜り、深夜零時に本城へ到着次第、義仁城々代を務める淡咲と面会する。
「若様、李洪殿、この様な夜更けにどうなさいました?」
幸い、淡咲はまだ起きており、彼女は真剣な面持ちを以てナイツと李洪を出迎えた。
元からナイツに対してのおふざけはない淡咲だが、若大将が真夜中に側近一人のみを連れて濡れ鼠で現れた事を聞き、よからぬ報せだと容易に理解したのだ。
「えぇっ⁉ 早……ごめんちょっと待って!」
「淡咲将軍、暫し! 暫しお待ちを!」
然し、兵士が淡咲を呼びに行って、ものの一分もかからずに彼女が現れた為、給仕から渡された服に着替えている最中だったナイツと李洪は大いに動転した。
李洪は顔や役目柄に似合わず、ゴツ過ぎない適度な筋肉体をしており、その引き締まった体は努力家の所以が分かるものだった。
一方でナイツの裸体も、それはそれは健全な少年らしい色と肉体美を誇っていた。彼の性格が表れた様な無駄のない整った筋肉が随所に見られ、それでいて純情な朱を帯びる所に可愛いげが感じられる。
「おっとっとっと! ……こういうのも、たまには良いですねぇ」
「凝視してないで早く後ろ向いてよっ!」
半ば叫ぶナイツに従い、結局おふざけを見せた淡咲は少ししてから背を向けた。
ナイツと李洪の二人は直ぐに体の水気を払い、そそくさと着替えた後に淡咲を振り向かせる。
「……えっと、お待たせ。実は梓州の事なんだけど………………」
ナイツは梓州生横郡で集めた情報を淡咲に話した。
一変して真剣な面持ちを作り直していた淡咲は、一切のおふざけなしに彼等の報告を受ける。
そして二人が話終えると即座に理解を示し、梅朝守備軍の将校達へ迅速な指示を飛ばす。
(これが……あの淡咲。各将の任務と配置、強いては兵の数まで完全に把握し、一度の報告だけで想定しうる事態の対処を悉く指示している。それ以上に……一切の余念も迷いもない)
とても涼周のおへそに御執心だった彼女とは思えない采配に、ナイツは淡咲が義仁城々代を務める所以と底知れない実力を垣間見た。
それは李洪も同じで、彼は淡咲の的確かつ迅速な判断に尊敬の念を抱き、彼女の言動を参考にしようと息を呑んで脳に刻んでいた。
「……一先ずの手は打ちました。若様達のお陰で、被害は最小に抑えられるでしょう。梅朝守備軍を代表しまして、この淡咲、深く感謝いたします」
そして極めつけに一切の無駄がない洗練された一礼だ。
ナイツは逆に恐れ多い気持ちを覚えてしまう。
「えっ……いや、俺は別に……。さっきも言ったけど、実際に情報を集めてくれたのはカイヨーの兵達だから……」
「ふふっ……謙虚です事。されど、若様が情報の命は速さと捉え、夜を徹して私を訪ねてくれた事は事実。その判断がお仲間の命を多く救う事に繋がるのも、事実かと存じます」
淡咲の瞳にも、嘘偽りの色が一切無かった。
彼女の言葉を聞いたナイツは純粋に嬉しく思う。
更には、そう感じれば俄然とやる気が出る程に、ナイツは良い意味で少年だった。
「李洪、不眠不休で悪いけど、今すぐに義士城へ戻り、韓任と交代して彼と俺とメスナの隊を梅朝へ向かわせてくれないか? 裏の軍港から船で出て、道中仮眠してくれて構わないからさ」
「分かりました。直ちに向かいます」
快く了解した李洪は義士城へ帰還するべく、本城裏側の軍港へと向かう。
淡咲も指示を出し、足の早い船を直ちに用意してくれた。
「それと淡咲、もう一つお願いがある。先程出撃を命じた騎馬隊の準備が整い次第、俺も部隊に加えてほしい。急ぎ交橋へ戻りたいんだ」
「……想いは分かりますが、急いては事を仕損じます。何より、若様は昼から休息を取られていない筈。ここは私の部下達に任せるか、心配であれば私も向かわせるか――」
「淡咲、頼む。もしお前の読み通りなら、俺はいても立ってもいられない」
真っ直ぐな瞳を向けられて、淡咲は困った様に微笑んだ。
ナイツの家族や仲間を想う気持ちが正に父親譲りであることを再認識し、ナイトを知るが故にその息子の無理も断りきれない気持ちがあったからだ。
結果、淡咲は自らの目を貫くほどの熱意にほだされ、極度の無理を強いない事を条件に出してナイツの出撃を認めた。
許可を得たナイツは淡咲に感謝し、ついでに彼女の判断の早さで気になった事を尋ねる。
「……所で、淡咲は何故豪族連合が今夜若しくは明け方に仕掛けてくると判断できたんだ?」
その問いに淡咲は微笑むでも、困るでもなく、至って真面目な表情を作って夜空を仰いだ。
「…………私は天を読み、個人の吉凶から世の動静までの広くを知り、時には天候や風を操る事も行える天文の才を持っています」
「……天文の……才」
ナイツには初めて聞く才能であった。
元々、淡咲自身が謎の多い人物でもあるが、それでなくとも天文の才は特殊この上ない。
故に彼女も、自らの才能を隠したいという心を持っていた。
「ただ、今夜の様に星が隠れていると、天を読む事自体が難しいのです。……ですが若様の仰った、奥姉様の様子で確信が持てました」
「母上の様子と言うと、曇り空を眺めて呆然と立っていたっていう……あれの事?」
淡咲はナイツに向き直ると、ゆっくりと微笑みながら頷いた。
ナイツは彼女への報告の最中、キャンディが空模様を気にしていた様子もあって早く馬を駆けた事を端的に話していた。
だが、たったそれだけである。
「確かに雨の中なら夜襲もしやすいだろうけど……」
「いえ、これは戦術的なものではないんです」
淡咲の言葉に、ナイツは耳を疑った。まさか要所を守る主将が直感で判断を下したとは思っても見なかったのだ。
一瞬目元を尖らせた外見と僅かに揺らいだ気配から、彼の思った内容を察する淡咲。
疑念を晴らす様に、それでいて戦術眼が全てではないと感じさせる様に、彼女は一段と優しい声音を発して言葉を届ける。
「過去に何度もあったのです。奥姉様のみが感じ得た……不穏な空気に伴って起きた凶事が。私もナイト様もそれを目の当たりにし、何度も危機を脱しました故、此度の判断に繋がりました」
淡咲や両親を信用しない訳ではないが、ナイツは半信半疑の感覚を崩し切れなかった。
余りにも現実離れした理由であれば、無理もない事だろう。




