アンタレス
大河以外の全員が凍りついたように固まっていた。
七瀬瑞穂のいう「赤い星」とは、ラージニードルの頭頂にある赤い球体。
「あ、あの……それって、まさか……」
「――まさか、『アンタレス』!」
ミユキは思わず立ち上がり、険しい表情で叫んだ。その時周囲の空気は暗く沈んだ。そしてみんなどう口を開けばいいか思案しているようでもあった。
しかし大河はそんな空気はわからない。
「なんだよ、そのアンタレスってのは?」
「……アンタレスっていうのは、ラージニードルの『特別なヤツ』なんだ――」
イツキは一呼吸おいて、表情を強張らせながら話し始めた。
「特別?」
「うん。これはラージニードルが出てきやすい、アメリカのワールドでの話なんだ。……ラージニードルって結構大きなウイルスだけど、このくらい大きなウイルスだと、個体によって若干の違いがある場合があるんだ。それに動きや攻撃性だとか、そういった気質のようなものも変わってくる。それで『こいつは特に危険だ』とか言われるような特徴を持ったやつが何種類かいるんだ。……中でも特に危険なのが、頭頂部に赤い光球がついたものなんだ」
「そ、そんな……ヤバいやつだったのか?」
大河もイツキの迫力に少し気圧されている。
「そうだ。あの『赤い星』は最強の証ともいえる。気質も荒く攻撃的だ。危険極まりない。我々の装備では、出会ったらすぐに逃げるべき危険なウイルスだ」
川島が言った。
「ラージニードルがサソリに似たウイルスであることから、その赤い球を、さそり座のもっとも明るい星にちなんで『アンタレス』と呼ばれるようになったのよ」
「そ、そんなにヤバいのかよ……」
「そうよ。もはや民間や学生の手に負えるレベルではないわ」
そう言う藤堂は、少し項垂れているようにも見えた。それを感じたミユキは、藤堂は何を考えているのか、なんとなく想像できた。
「藤堂先生はどうするつもりなんですか?」
「――自衛隊に駆除通報したわ。もはや私たちの手に負える相手ではないの。あまりにも手強すぎる」
そう藤堂が話すのも無理はなかった。そもそも北米では、米軍のABS十機以上に戦車を繰り出して、ようやく倒せたとも噂がある。米軍は百戦錬磨の精鋭だ。それも民間ではとても配備できそうにないような最新のABS部隊だ。それを、そこまで手こずらせるほどに強力なウイルスだった。
「でもなあ、あのアンタレスってそこまでなのか? この前のチーム・トーマスみたいな連中をたくさん集めて攻撃したらいけるんじゃねえか?」
「無理だよ。そもそもラージニードルの装甲はアサルトライフル程度じゃ無理だし、対戦車ライフルくらいないと壊せないと思う」
イツキは言った。普段使っている武器では通用しないらしい。
「はっきり言って、自衛隊でも本当に対抗できるか怪しいかもしれないのよ。米軍と違って、規模も経験も乏しいし」
ミユキは厳しい現実を語る。当初から激戦区のアメリカと違って、日本は元々、それほどウイルスの侵攻が激しいエリアではなかった。その分、配備の経験も遅れていた。
「マジかよ……」
それから一週間、真夜中峠はこれまでとかわりはなかった。なぜなら、自衛隊は未だにアンタレスの駆除を行なっていなかったからである。
岡山県の自衛隊ABS部隊は、アンタレス遭遇の通報に頭を抱えていた。
彼らは先月から、岡山県西部の水島コンビナートからアクセスできるワールドで、工場側が大規模なウイルスの攻撃を断続的に受けていたため、それに対応するべくほぼ全戦力を投入していた。岡山方面部隊だけではとても防ぎきれず、鳥取県や兵庫県、広島県など近県からも部隊の増援を頼まねばならないほどの状態だった。
なので、特に解放済みのAPが脅かされている訳ではない真夜中峠のアンタレスは、当然のように二の次にされていた。
しかし、もしアンタレスが他のウイルスとともに峠を出て攻勢に出ると、周辺のAPが危険にさらされるため、なるべく早く部隊を送り込んで駆除したいところでもあった。
――まだ大丈夫だろう。
それは計算に基づく予測ではない、ただの願望だった。
しかし、それも最悪の方に向かって動き始めている。
とうとう恐れていたことが起こった。
ここ数日、県下最大の民間チーム「ホライゾン」が独自に監視装置を設置し、アンタレス及びウイルスの動向を監視していた。
が、この日の午前中、監視していたホライゾンのメンバーが「かなり活発化している」と報告してきた。
それで複数のメンバーがさらに監視を続けていると、おびただしい数のウイルスが、通路を通って次第に外へ外へと進んでいることに気がついた。
「これはまずい事態だ」
ホライゾンのリーダー、岩佐は険しい表情で、呻くように言った。
一緒にいたメンバーの一人が、「これはやっぱり、攻勢に出るつもりですかね?」と言った。
その声には不安の色が現れていた。
「これまでそういう行動はなかったし、まさかとは思うものの……しかし、いよいよという気がしてならない」
「自衛隊が当てにできない場合は、僕たちだけで戦わなきゃなりませんね」
「ああ、とにかく他のチームにも呼びかけて、決戦の準備をしておかないといけないぞ。我々だけじゃ難しい。学生にもなるべく戦いに参加してもらわねば」
この情報は、瞬く間に周辺地域の民間チームに伝わった。どこも、いよいよという緊張感に包まれている。
街の平穏な日常とは裏腹に、ワールドでは嵐の前の前触れとでもいうような不穏な空気を漂わせていた。
「おいっ! 真夜中峠がヤバいことになってるって本当かよ!」
大河は、ノックもせずに部室のドアを開け放ち、部室内を見た。しかし無人だ。キョロキョロと部室内を見回して言った。
「あれ? 先輩が先に来てると思ったのに」
「――本当よ」
背後から声がして、びっくりして振り向くとミユキがいた。何か用があって出ていたようだ。
ミユキはそのまま自分の机まで行き、席に座るとパソコンのスリープを解除させた。そこに大河が駆け寄ってきた。
「なあ先輩! マジなのか? ウイルスが動き出したって」
「ええ、昼に連絡があったわ。さっきも最新の動向を聞いたけど、もうホテルの一階まで出てきたらしいわね。もしかしたら、今日晩にはホテルの外に集結して、一気に峠を降って来る……なんていう可能性もあるわね」
ミユキの顔には緊張の色が滲んでいた。
とうとう起こるべき緊急事態がいよいよ動き出したという、とてつもない危機感に思考を支配されているようにも見えた。
「大河くん! ――あっ先輩」
少し遅れてイツキもやって来た。同じように、顔に緊張感をみなぎらせていた。
「イツキ、どうやら相当ヤバイことになりそうだぜ。こりゃ戦争だ」
「う、うん。来るべき時がとうとう来たって感じだね」
「とりあえず、他のチームとは連携しなきゃ戦うのは無理だわ。今日は練習どころじゃないわ。イツキ、大河、情報収集よ」
「でもなんで、いきなり攻撃を開始したんですかね?」
イツキは、ワールド内に設置された監視カメラの映像を確認しながらつぶやいた。
「水島コンビナートの攻撃に連動しているって話も聞くし、私たちがとうとうあの地下ホールまで侵入してきたからということも考えられるわ。どちらにせよ、もう待ってはくれない。腹をくくらなきゃ」
ミユキもパソコンのディスプレイに向かって真剣な顔をして何かをやっている。見れば、よそのチームとチャットで情報交換をしているようだった。とにかく情報を集め、共有する。敵は強大なのだ。
「水島の攻防は厳しいようね。自衛隊は完全にそっちへ釘付けだわ。……厳しいわね」
水島コンビナートにおけるウイルスと自衛隊の攻防は、どうやら自衛隊に不利な戦況になっているようだった。
自衛隊は日本国内では最強のABS部隊だ。
この岡山支隊も最新鋭のABSを揃えており、県内の民間チームをはるかに上回る戦力である。にも関わらず苦戦しているということは、もはやこの事態にあっても自衛隊は当てにできないということだった。
「俺たちじゃ無理なのか? チームが揃ったら、相当デカい軍団になりそうだけど」
大河が言った。
県内にも結構な数のチームがあり、ほとんどのABSが揃えば、相当な規模になりそうなのは簡単に想像はつく。
「全員が参戦してくれるわけじゃないし、民間ではABSの性能がバラバラよ。最新のABSは第四世代になるけど――例えば私のシュトラールは前世代の第三世代ABSだし、イツキのイェーガー2に至っては、さらに前の第二世代だわ。ABSの性能が、必ずしも戦力に大きく影響するわけではないけど、私たち民間のABSはそもそも不利なのよ」
「そんなことって……」
大河は絶句した。こうもはっきりと、不利であることの理由を言われてしまうと、もう大河には返す言葉もない。
「でもABSオペレーターである以上は、不利でも何でも戦わなきゃならないの。ネットワークを守るのは私たちの目的でもあるのだから」




