フェンリル
イツキはふと思い付き、興奮した様子で言った。
「これ大河くんのABSってことだよね? だったらこれを使って対戦してみたら!」
「そういやそうだ。真奈美、これ使えるのか?」
「うん、そうなんだけど……まだよくわからないの。一応使えそうだけど」
「何かあるの?」ミユキが言った。
真奈美がずっとディスプレイに向き合って調べているが、ふとこのABSには何かがあることに気がついた。
「あら? かなり強固なプロテクトがかけられてる……何だろう?」
「何? そんなものまであるの?」
ミユキは興味深そうに、真奈美の横から顔を出して画面を覗いて言った。
「ふふふ——まるで、その力を封印するが如く………グレイプニルで縛り付けられたフェンリルの如く……なんちゃって」
イツキは舌を出して笑った。
「グレイプニル……ってなんだ?」大河が言った。
イツキは得意な顔になって、大河に説明を始めた。
「北欧神話に出てくる狼の怪物、フェンリルを縛り付けておいた魔法の紐だよ。このグレイプニルはね、猫の足音と女の髭と魚の息と……そうだ、だったらこのABSって、『フェンリル』って呼んでもいいんじゃないかな」
「なにそれ? パスワードがラグナロクだったから、プロテクトがグレイプニルで、ABSがフェンリルなわけ?」
ミユキは少し呆れているようだ。イツキがそういうのを好きそうなのは知っているが、よくもまあ色々と考えるものだ。
「ええ、まあ。それにこのABSって、名前がないじゃないですか。どうせだから『フェンリル』って呼んでもいいかなって」
実際に、このABSには機体名の設定がない。今のところ、名称不明のオリジナルABSでしかない。
「フェンリルか、結構かっこいいじゃん」
大河は気に入ったようで、とりあえずフェンリルと呼ぶことになった。
「じゃあ、今度はこのフェンリルで戦うぜ」
「ま、何でやっても結果は変わらないでしょ。特にそんな正体不明なABSじゃ。そもそも使えるの?」
「多分、大丈夫……うん、いけますよ。シミュレーターにアップしますね」
真奈美は早速、シミュレーターで使えるようにセットアップしている。
「へっ、言ってろよ。ギャフンと言わせてやるからな!」
そしてふたたび対戦を始めた。今回も前と同じルールで行う。
ミユキのエトワールは、素早く側にあった壊れた壁の影に隠れた。そこで素早くハンドガンのセーフティを解除すると、スライドを引いた。シミュレーションとはいえ、弾丸はちゃんと本来の動作をしないと機能しない。もちろんこれらの動作はキーボードのショートカットでAIに命令すれば、すべて自動でできる。
ハンドガンを両手で持つと、そっと壁から顔を覗かせて、大河のフェンリルの居場所を確認しようとした。しかし、ミユキが唖然とするような様子が、眼前のディスプレイに映し出された。
「ええっと――なんだこれ? どうして引き金が動かないんだよ!」
大河は焦ってキーボードをあちこち叩いたり、クラムをグリグリ動かしたりしている。もちろんファンリルも突っ立ったまま、ハンドガンを手に持ってガチャガチャやっているだけだった。
「た、大河くん――セーフティを外さないとだめだよ……」
慌てる大河の側で、アドバイスをするイツキ。
「セーフティ? なんだそりゃ!」
「安全装置だよ。暴発しないようにロックするための装置。さっきのサジタリウスのハンドガンは、ダブルアクションのセーフティの付いていないやつだったんだ」
メモリーカードには武器類もあったため、フェンリルの武器はそこから用意したのだ。だから、使用するハンドガンもサジタリウスとは違う。
「そんなん、早く言えよ!」
そう言って、大河は「どこをどうすりゃいいんだ!」と喚いている。
「コマンドメニューを出して。それからハンドガンを選んで、セーフティ解除を選ぶのよ。多分、このフェンリルはAIの学習が足らないから、これから覚えさせていかないと」
真奈美が大河の隣でアドバイスしている。通常はショートカットを設定しているが、このフェンリルはどう設定しているのかまだ不明だ。なので、とりあえずセーフティ解除はコマンドキーからの選択式で選んで解除する方法を使った。
「こ、こうか? ――ようし、やったるぜっ!」
何とかフェンリルにハンドガンを構えさせた。
「出てこい! 蜂の巣にしてやるぜ!」
大河は、意気揚々とミユキを挑発し、二発ほど明後日の方向に向かって撃った。
その様子を見たミユキは、頭を抱えた。
――な、何やってんだか……。
これだから初心者は、と言う言葉が浮かんできた。
「隙だらけよ。とりあえず、私の勝ちね」
隣の席で得意になっている大河に向かって横目で言った。そして次の瞬間、ミユキのエトワールが壁に半分体を隠した状態で、引き金を引いた。渇いた銃声がパソコンのスピーカーから響いた。
「お、おい! これはどうなってんだ?」
目の前のディスプレイが赤くなり、真ん中に「敗北」と漢字で表示された。堂々と、一目でわかりやすい言葉を目の前に突きつけられる。先ほどサジタリウスでも同じことがあったが、大河にはその現実が信じられないようだ。
「大河くんの負けだよ。先輩の射撃が頭に命中したんだ」
「いつの間に……も、もう一回! 先輩! もう一回!」
「……しょうがないわね」
鬱陶しかったが、少し優越感を感じたのかミユキは面倒臭そうに答えた。