勝利の余韻
敵は消えた。消えたと言ったが、俺の目の前に浮かぶのを止めたというのが正確なところだ。
地面に近づいて見回し、死体があるかどうかは一応確認した。そして、何もなかった。どこかへ飛び去ったとしたら、俺に分からない。
しかしばあちゃんには分かったようである。
「よう倒した、トモヤ。時間がかかったがすぐ慣れる」
ばあちゃんに言われると根拠もなく、俺は安心した。
ただ、俺はもうこんな経験はこりごりである。ばあちゃんは何でもないように言う。
「あと三匹倒せば、もっと強く殴れるようになる」
一匹につき、あれだけ沢山殴らねばならないなら、確かに身体も鍛えられるだろう。
しかし、俺はやりたくない。というよりもそもそも、
「ばあちゃん。さっきの蚊って、この辺りに何匹もでるの?」
「あの形の敵なら、ずっと川沿いを歩いとれば、何百匹も出るわ」
なんてことだ。考えるだけで恐ろしい。あんな怪物が何百も出たら、俺は家につく前に確実に死んでしまう。ふと疑問が浮かぶ。
「じゃあ、なんでさっきまで出なかったの?」
「王宮の子らがいるところには、さっきみたいな弱い敵はよりつきもしない」
要するに、蚊取り線香か虫除けスプレーを持っているのだろう。今まで一度もつけたことはなかったが、明日からは必須アイテムになるだろう。
それにしても、まずは俺とばあちゃんの安全を確保せねばならない。さっきはなぜか、ばあちゃんには襲ってこなかったから、ばあちゃんのことは気にせずともすんだ。だが、次もそんな幸運が訪れるとは期待できない。
俺には一つの案がある。しかし、一点心配がある。ばあちゃんはこの変な蚊をよく知っているようである。生態にも詳しいかもしれない。俺の案が通じるかどうか確認したい。
「ばあちゃん。さっきの蚊、いや、敵は川のそばだから出てくるんだよね? 街中にはあんまり出てこないよね?」
「ああ、そうだ」
それなら今からすべきことは一つ。
「じゃあ、さっさと大通りに逃げよう」
俺のマンションへ行く方向へは、川とその傍の歩道、そしてそれと平行して、少し離れたところを幹線道路や路面電車が走っている。
つまり、わざわざ来た道を川沿いに戻らなくても、川の方向と垂直に進めば大きな道路に出られる。街中の大通りに入れば、危ない蚊に怯える必要はない。
それに大通り沿いに進めば、いつかは路面電車の駅がある。ジェリコからさっき貰ったバスカードが使える電車の駅である。これでばあちゃんを歩かせないですむ。おかしな蚊のせいで、俺も少し疲れている。
「そうか。まあトモヤが早く家で休みたいなら、そんでいい」
ばあちゃんが同意したので、俺は少し軽い足取りで先導する。大通りへと向かう道と、川沿いの道の交差点が見えてくる。
スーツ達が消えてから、人も車も遠目にすら見ない。川沿いの道路は、かなり道幅が広く、四車線あって、普段はひっきりなしに車が通るのに、である。
おかしな点はもう一つある。一ヶ月ぐらい前にこの交差点に来たときにはあった、横断歩道の線が綺麗に消えている。歩行者用の信号機どころか、車用の信号機すら撤去されている。
まあ、これほどまでに車が通らなければ、信号機の必要もない。撤去した方が電気代の節約にもなろう。
そこまで世情にうとくはないと思っていたが、いつの間にか、車の私的使用が制限されたりでもしたのだろうか。どちらにせよ、車も免許も持っていない俺には関係のないことだ。
俺はもう一度車が来ないか左右を確認し、道路を渡りはじめた。
「おい! トモヤ!」
ばあちゃんのどなり声が聞こえた。見れば血相を変えて走ってくる。杖を突く音も激しい。
「一人で車道にでてはいかん!」
そんなことを言っても車なんて一台もいない。
いなかった。
グワン。
俺はむちゃくちゃな衝撃と共に、空を舞っていた。
今まで一台も見あたらなかった車が急に現われ、俺をはねたのだ。それもとんでもないスピードである。俺は今まで、ここまで速い物を地上で見たことはない。新幹線が通っているのを見たときよりも速い。
座席には、覆面をつけた、白衣の人間が座っていた気がする。だが一瞬だったので定かではない。
「トモヤ!!!」
俺は地面に辿りつく前に意識を失なった。
!!!