天敵の出現
ばあちゃんには内緒だが、俺は敵ではなく味方を期待した。
スーツが帰ったから敵が現れる。ならばその敵にとってスーツが天敵だということになる。俺は親近感を抱いた。
「どういう敵なの?」
「もうじき分かる」
ばあちゃんは周りを見回す。つられて周りを見るが、誰もいない。
誰も来ないならば、俺は早く帰りたい。ただでさえ、川の近くである。それも清流ではなく、どちらかといえば濁っている。水辺で変な虫も飛んでいるし、歩けば歩道にはみ出してくる叢に擦れ、脚も痒くなる。
今も俺の右腕に、ガラスをこするような音を立てて、一匹の羽虫が止まった。蚊である。容赦なく、自由な方の左の掌を叩きつける。俺は、虫愛好家ではない。
しかし、俺は叩き潰すことに失敗した。
逃げられたのでも、叩く位置を見誤ったのでもない。叩けなかったのだ。まるで、蚊の周りの空気が固まったかのように、俺の手は蚊に近寄れない。
よく見てみても、形は見慣れた蚊そのものである。色が青いところは少し変わっているとは思うが、それだけだ。
俺は何かの間違いだと思って、何度も手を叩きつけようとする。
しかし叩けない。
蚊は悠々と数秒間血を吸うと、腕を離れて、挑発するように俺の目の前に飛んでくる。
俺は対飛行形態用の攻撃戦法を、両腕を左右に広げ準備する。
「敵が現れたな」
ばあちゃんが突然声をかけた。俺は慌てて周りを見渡す。蚊に集中しすぎて、ほかへは全く目を向けていなかった。
しかし、相変らず、誰もいない。
「誰もいないけど」
ばあちゃんを見やると、ばあちゃんは虚空を見つめていた。虚空に漂う蚊を見つめていた。
「え?」
俺はあっけにとられた。
「自分で最初に見つけたくせに、何をとんちんかんなことをいっとる。はよ攻撃しろ」
ばあちゃんは至って真面目である。
要するに
「敵って蚊のこと??」
「それ以外にここにはおらん!」
蚊は今度は俺の顔の方へに飛んでくる。左の手の甲で払おうとするが、またもや変な壁に当たって、蚊に当たらない。
そのまま蚊は左の首元あたりにくっつき、数秒血を吸うと、また離れた。
俺は何もできない。
蚊はまた俺の目の前に移動する。酷い嫌がらせである。
「さあ、早く攻撃せんか」
蚊に対して攻撃なんて言葉を使うのも変な気がするが、実際俺は簡単に退治できていない。でも、そんなのは大したことではない。
はるかに大きな問題は、退治できない理由が、自分でも理解できなさすぎるということだ。他人に分かってもらえるとは思えない。といっても、ばあちゃんに見栄をはる必要もない。俺は駄目もとで説明してみた。
「いや、ばあちゃん。さっきから叩こうとしてるけど、変な空気が邪魔して叩けないんだよ」
駄目だ。
言っている俺ですら、意味が分からない。逆の立場なら、絶対に俺は信じないだろう。
「トモヤは何をいっとる!」
だろうな。
「敵はグーで殴るに決まっとる!」