第一章 青い春は今しかない 第一話 風
第一章 青い春は今しかない
「なんだって男子校なんか選んだんだろうなぁ、最悪なのに」
大川西学園男子高等学校、入学式。
「そりゃあ部活とか、なんとか」
「ウチ、野球部以外そんな活躍してなくね?」
「彼女出来ないような奴が集まってるから、ムサくて嫌だよな。ま、俺は彼女いるけど」
「うわー」
「死ねー」
「くさー」
「くさーってなんだよ」
「美形揃いの男子校なんてありえねぇし」「夢見すぎ」
「でも、一昨年の“ミュー部”の三年はやばかったよな。俳優、アイドル、モデル……なんでも揃ってる感じ」
「そういやヴィジュアル系みたいのもいたね。なんつったっけ? マサミチ先輩?」
「おかげで、中学の女友達が騒いでたよ。あんたの学校美形揃い〜って。ミュー部にムサ男が入れないのはそのせいだな」
「んでもさぁ〜……顔はよくても結局は男なんだよなぁー。……で、今はなにやってんの? ミュー部は。――マスヨシ」
第一話 風
柔らかく暖かい陽気。
とっても眠くなる季節、春。
そんな中での入学式。広い体育館では全校生徒約五百人+その保護者で、密度は相当なものになっていた。保護者席は満員列車並。冷房が利いていない上に長ったらしい校長の挨拶。その後の新入生全員の呼名。退屈なことこの上ない。立ちっぱなしにされて足も疲れてきた。 だから、紛らわすために寝るか喋るかぼーっとする。それが良い。
マスヨシこと増山佳風の周りには、圧倒的に喋っている男子の方が多かった。佳風的には、ぼーっとしたいのだけど……
「なぁマスヨシ?」
「うるせー。……ミュー部はもう終わったの。少し黙れお前ら」
冗談っぽくあしらってみた。ここで瞼を閉じ、会話を強制終了させる。
「んだよつまんねーなぁ」
言いつつ彼は、他の男子と喋るのだが。
(……)
ただ、佳風は、立ったまま本当に寝るという技は持ち合わせていない。だからどうしても考えてしまう。
ミュー部のこと。
「……」
もう、終わりなんだよ……。
「――……うた。十三番、時田茂樹」
「はい!」
高い声だなぁ……。佳風は、そんなことを思いながら時間を潰していった。
「十四番、富沢瑛太。――十五番、………………
式が終わればすぐに帰れる。それが入学式の日の良いところ。
なのに、何故か今日は色々と邪魔されることが多い。
「マスヨシ、新一が呼んでる」
「はぁ?」
中学のころの後輩でも入ってきたのだろうか。
若干面倒だと思いつつも、やはり気になる。鞄を肩に引っ掛け、廊下にひょいと顔を出した。
「……」
だが、知らない顔だ。
「えっと……?」
頭一つ分小さい背、サラサラした黒い髪、大きい瞳は少しつり上がり、真っ直ぐにこちらを見上げている。
純粋というより、生意気そうな印象を受ける雰囲気だ。
「増山先輩ですよね」
ハキハキした高めの声。
「(どっかで聞いたことあるかも……?)うん」
目の前の少年は、元気で、とても生き生きしているように思える。眩しい。そしてその口角のあがった口から発せられる明るい希望。
「俺、ミュージカル部に入りたいです!」
「――……」
こいつ……
「この学校が第一志望じゃなかったですけど、もし落ちたら、ミュージカル部入ろうと思ってたんです。俺、先輩みたいになりたい!」
ミュージカルがやりたい。その熱意が、前の自分によく似ている。それにまた腹立つんだ。
しかし、喉元でぐっと堪えた。キレる場面ではないし、そんなに短気なわけじゃない。
「名前は?」
「時田茂樹」
「うん、時田。ミュージカル部なんてやめときなよ、みんなやる気ないから」
「なっ……」
突き放したつもりだったが、茂樹は向かってくる。
「去年の三年生の暴力事件ですか? そんなのどうだって良いじゃないですか」
どうだっていい。だが、
「――どうだって良いことだけど!」
佳風は声を荒げてしまった。
予期していなかったため驚く茂樹。
佳風ははっと溜め息をついて冷静になった。「……問題は、それだけじゃない」
「……は?」
茂樹は佳風の憂いを帯びた瞳にたじろいだ。恐る恐る顔を覗くと、キッと睨まれた。
「熱意は結構。でもそれだけじゃダメなんだって」
そう言い残してさっさと行ってしまう。
「待って先輩!」
茂樹はその背中を慌てて追いかけた。
「先輩とっても良い声してんのにぃ! 俺、ちょっと憧れてんだよ!」
「(ちょっとかよ)ありがと」
「んがっ」
急に立ち止まったので反応できずに、茂樹は彼の背中に激突してしまった。
「ふいまへん……」
地味に痛い鼻をさする。
肩にぽんと手が置かれた。
佳風は、まるで幼児をあやすように腰を屈め、目線を合わせる。
「少し生意気だな」軽くデコピンをかましてやった。
「茂樹クン」
なんだか、申し訳ない。
こんなに言ってくれるのに、裏切ってしまって。
「……」
佳風はそのまま歩き出した。茂樹はデコピンを食らった額をおさえつつ、じっと背中を見送った。
茂樹は当然、諦めてはいなかった。
この学校に来たのなら、ミュージカル部に入らなければ意味がない。
「俺、入部します!」
彼はあろうことか、あの部長に食ってかかっていた。
「うっせーなぁ」
スペシャルウルトラ短気の、野川タケルに。
今日から一週間は体験入部週間で、部として登録されている団体は放課後、最低四時まで残らなければならない。
サボる団体が数多い中、ミュージカル部の数人は律儀に顔を出している。
野川もその一人。だが勝手に苛立っている。サボれば良いものを、その不機嫌丸出しの形相に、茂樹も少したじろいだ。
「うちの部は今年で廃部。だから入っても意味ねぇよ」
最近短くした髪の毛をガリガリ掻く。彼はイライラするといつもこうだ。だから部員は、これを捉えたらとりあえず黙る。
だが最近入学した一年坊主には、彼の癖は当然分からない。
「どうして廃部なんですか?」
イライラ。
「野川先輩」
イライライライラ。
部室の空気が、徐々に緊張していく。
ふたりの視線がぶつかり合い、非科学的な火花まで散りそうである。
野川にしては、我慢している方だ。切れ長の目は鋭さを増す一方だが……。
「あぁ、ちょっと、し、茂樹……」
マヌケに介入した佳風。
「なんですか」
「お前の気持ちも分かるけど、俺も昨日言ったよな?」
「……」
「……?」
「そうでしたっけ?」
とぼけてみせる。
(野郎……!)
一発くらい殴ってやろうかと思ったその時。
「やりましょうよ」
一転して、明るい口調で茂樹が言った。
他の部員の視線が、一挙に彼に集まる。
「みんな、やりたいんでしょ? だから集まってるんでしょ?」
誰も答えない。自問自答の繰り返し。青臭い台詞を吐く茂樹を、誰も笑ったりはしない。
「十一月の文化祭までまだまだ時間はあります! 俺、先輩達とミュージカルやりたい!」
佳風は、なんだか、胸が苦しくなるような思いだった。首を縦に振りそうになる。だが――
「うるせぇよ一年!」
野川がブチ切れ、茂樹に掴みかかろうとする。それをすんでのところで、
「やめてよタケル君!」
副部長の川野光太郎が止めた。
タケルとは対照的に、ほっそりした柔そうな男。髪も長いし、肌も白い。かっこつけている訳ではなく、彼そのままを表している感じだ。
彼に止められ、タケルは急激にクールになる。光太郎に止められれば辞める。彼らはずっと一緒の幼なじみ。
「……光太郎のアホ。止めんな優男、俺にストレスが溜まんだよ」
だがタケルはそう言い放ち、光太郎を突き放す。光太郎がしゅんとしてしまう。部を支えていたふたりがこうだと、全体も気まずく、落ち着かなくなる。 そんな空気をぶち壊す男がひとり。
「んまままま、お二人さん、喧嘩は良くないなぁ」
「絃さん……」
三年の小椋絃。ボサボサに見えてしまう癖っ毛の持ち主。
「るせぇな絃爺!! 黙れブァーカ!!」
「最近の若者は切れやすいって、本当のようだねぇ……悲しい悲しい」
演技のような身振り手振り。
「だいたいなぁ――」
彼の一挙一動。淡々と、針のような言葉を紡ぐ。
「やりたくないなら、さっさとみんな退部届出しゃいいんだよ。ったく、グダグダしてるからみんなイライラすんだ」
それには皆、ピクリと反応する。絃がわざと言っているようにも思えた。
「じゃあ、絃さん先輩はどうしたいんです?」
生意気な口調で、茂樹は試すように彼を見据えた。彼も、それに答えるかのように、ニヤリと笑う。
「どうしたいも何したいも、顧問がいなきゃ無理だから、どうせダ・メ!」
「――」
「今年中に顧問が復活しなきゃ活動停止。誰も俺達の顧問になる奴いないし」
「そんな……」
「暴力事件あったでしょ? 先輩がよその学校の奴襲ったの。あん中に、教育委員会のお偉いさんの娘の彼氏がいたんだと。それ以来ウチを結構監視してるらしい。去年、文化祭で公演出来なかったのはそのせい。後輩はガバガバ辞めていくわ、形見は狭いわ、唯一庇ってくれた顧問も事故で休みとなりゃ、やる気なくなるだろ?」
「……」
顧問が付かないのは致命的だ。
「んーま、みんなが辞められないのは、顧問に後ろめたさを感じてるから、かねぇ」
「……」
茂樹は黙ってしまう。こんなに問題を抱えていたとは、知らなかった。胸の内の情熱が密かに冷めていくのがわかる。そうか。ここの先輩達の火は、もう消え……
「やっぱやる……」
皆、各々、
「え?」という反応をし目を丸くした。佳風は、自分でも何を言っているんだろうと思った。「ごめ……俺空気読めてませんね……けど、やろうぜ、やっぱ」
「先輩……」
「部活動としてじゃなく、有志で良いんですよ。それじゃ顧問もいらないし。……先生に後ろめたさを感じてるくらいならやりましょうよ! 先生に――」
見せたい、まで言わせてもらえない。野川が遮る。
「見せらんないだろ!? 意識ないんじゃ!」
意識がない?
「どういうことですか? 先輩」
茂樹が佳風に問う。佳風は次第に悔しくなり、その視線から逃げた。そっと光太郎が答える。
「大変な事故だったんだよ……そういうこと」
また部の空気が暗くなった。
光太郎の静かな声が鳴る。
「でも、きっと目は覚める。だから……僕もやりたい」光太郎は申し訳なさそうにタケルを見やる。
「タケル君……」
タケルの表情は厳しい。
「なんだよ、俺がどうするかって?」
「……うん……」
「……」「タケル君、もっかいやろうよ。お願い。僕はタケル君がいなきゃ嫌」
この恥ずかしい台詞にタケル以外の全員が密かにキュンときた。光太郎は部では完全に女扱いである。男所帯に咲くか弱き白い花。そのため、どうしても必要となる女性キャラは一挙に彼が担う。話を作るのは顧問なのだが、最近の作品ではわざと女性を登場させているのではないか、という疑惑が残ったまま。
「……お前なぁー!!」
野川は恥ずかしくなって顔を両手で覆った。これも野川の分かりやすい癖。そのまま机にガンと肘を付き、そのまま崩れる。
「ご、ごめんねタケル君!」
「うるせぇ!! いつまでも女々しくしてんなよ!」
「ごめん……」
「だからなんですぐ謝るんだ!」
「う、ごめんなさい……」
「あーもう!!」
野川は顔を上げた。興奮していて顔が真っ赤である。
「分かった! やるから、泣くなよ!」
「う、うん! やった、ありがとうタケル君! でも僕泣いてなんか……」
「やったな、先輩!」
茂樹が佳風の肩をポンと叩いた。
「生意気なんだよてめぇは!!」
グリグリとこめかみに拳骨をねじ込ませる。その時、
「あー……俺も参加するーよ?」
今までじっと黙っていた、三年の滝邑介。部で一番背が高く、唯一のメガネ。
「タキオン先輩いたんすか……」
佳風がサラリと吐いた暴言にも反論はしない。
「あの、絃さんは……?」
「マスヨシが久しぶりに熱いもんだから、仕方なしにやってやろうかなぁー」
これで六人。茂樹は足をバタバタさせて喜んだ。
「よっしゃー!! みんなサン、ありがとうございます!!」
「でも人数が……」
「光ちゃん、若人がそんなネガティブになっちゃあいけませんよー」
「よし。もう一回、みんなを集めよう」
佳風が言うと、みんなしっかりと頷いた。 佳風が言うと、みんなしっかりと頷いた。
「待って先輩!」
帰り道、後ろから茂樹の声がした。が、止まらずに歩く。むっとして、やっとこさ追いついた茂樹。
「なんだ一年坊主」
「一年坊主じゃねぇよ! みんな俺のことシゲって呼んでる」
「ほうかほうか、時田君」
「シゲ!」
「分かったシゲ」
茂樹は満面の笑みを見せた。
「ところで先輩、脚本と音楽出来るんですか?」
「なめんなアホ」
先生には及ばないかもしれないけど、と断って、佳風はそれを引き受けた。
「尊敬してますよぉ」疑いたくなるような言い方。
「だって、先輩があそこで言わなきゃさ――うん。……俺もちょっと諦めちゃってたし……ははは……」
佳風は思った。
「全部お前のおかげだよ」
「え?」
「だから、お前のおかげ」
そう。茂樹がいなければ、ミュージカル部は死んだままだった。彼が追い風となり、息を吹き返したのだ。
「なーんだ先輩、よく分かってんじゃん!」
言っといて恥ずかしくなり、顔を背けた。
「調子に乗るなよ? お前が一番下なんだから」
「へいへい」
「部長はキレやすいから要注意。まぁ、理不尽なこと言われたら光太郎先輩にチクれ」
「あの二人できてんスか?」
「バカか」
「へへっ」
生意気で、ふてぶてしくて、突進しか出来ない不器用さと勢い。佳風に、それはなかった。いつも内に秘めているだけ。それも、さっきまでしょぼくれていた。
「……お前さ、嵐みたいな奴ってよく言われるだろ?」
「さぁ……」
「自覚なしか。まぁそれがいいよ、怖いものなしで」
「……」
「?」
じっと見つめてくる。
「……は?」
「先輩笑った!」
「――」
「さ、雨が降る前に帰らないと♪」
スキップする茂樹。
「雨って……あ、コラ待て一年坊主!」
ふたりは人目も憚らず、ギャーギャーと騒ぎながら、駅へ向かった。