第二話「記憶喪失の少年」
「……うまい」
「よかった。少しは、落ち着いたみたいだね」
「そうだな。でも、やっぱり記憶が欠落しているのは、少し気持ち悪いかな」
ナナが造ってくれたスープはとても体が温まり、気持ちが落ちつくものだった。
シンプルに野菜や肉などが入ったもので、晃も相当腹を空かせていたのか。もう二杯もおかわりをしてしまっている。
「それにしても、ナナはここで一人暮らしなのか?」
「ううん。お父さんと二人暮しだよ。今は、ちょっと出ているだけ。それよりも、食べずらくない?」
そう言って、晃が持っていたスプーンを手に取り、ナナはスープを掬う。晃は利き手である右手を怪我し、包帯を巻いている。
なので、使い慣れていない左手でスプーンを使っている。怪我も完全に治っていないということもあって、若干手が振るえ、食べずらかったが。
「はい、あーん」
「は、恥ずかしいって……! それに、もう二杯も自分で食べてるんだから」
「えー? 大丈夫だよー。それに、怪我をしているから無理しちゃだめだよ。ほーら」
「随分と仲良くなったみたいだね、ナナ」
「あ、お父さん」
ぐいぐいと笑顔で、スープを掬ったスプーンを押し付けてくるナナに押され、仕方なく口に含んだところで、姿を現す初老の男性。
どうやら、ナナの父親のようだ。
ナナと同じく栗色の髪の毛、筋肉質な体つきで、その手には色んな野菜が入った籠が。
「は、初めまして。晃って言います。助けていただき、ありがとうございました」
「いやいや。見つけたのは、ナナ。助けたのは、私ではなく。村の者達だよ。あ、私はナナの父親でダナーと言うんだ。よろしく」
「村の?」
と言われても、この家の近くには他に建物は見えなかった。
「ああ。ここは、ちょっと特殊な家なんだ。とある場所を護るための監視場として建てられたところなんだよ。まあでも、私達の家でもあるんだが」
「そうだ! 晃くんにも、見せてあげようよ! ね? いいでしょ、お父さん」
「ああ、良いとも」
「よし。じゃあ、行こうか晃くん。あっ、歩くのが辛かったら、私が背負っていくよ?」
「い、いや大丈夫だから」
女子に背負われるのは、抱きつくと同じぐらい恥ずかしい。特に男子にとっては。いや、正直抱きつくよりも恥ずかしいと晃個人は思っている。
抱きつくことは、よく考えれば普通だ。
が、背負われるのは子供ならともかくこの歳になっては……。
「じゃあ、私は夕食の準備でも」
三人とも同時に立ち上がった時だった。
「ダナーさーん。いますかー!!」
「……お父さん」
男の声だ。
知り合い、なのか。いや、わからない。だが、明らかにダナーとナナの顔つきが変わった。明らかに、敵意がある雰囲気だ。
「すまないな、晃くん。ちょっとナナと一緒に二階で待っていてくれるかな?」
「は、はい」
「行こ、晃くん」
ナナに連れられ、晃は二階へと上っていく。そして、二階の廊下の窓。そこから気になったので、玄関先を覗いて見ると……そこには、スーツ姿の男達と太った男が立っていた。
先頭の太った男は、ダナーに連れられ中へと入っていく。
「ナナ。あの人達は?」
「……これから、晃くんを連れて行こうと思っていたところ。私達にとっては聖域と呼んでいる場所なんだけど。そこを、あいつらは買い取りたいって何度も何度も来てるの。私達は、いくら金を積まれようとも売る気はないって言っているんだけど」
理解した。つまり、この家はその聖域を監視し管理するための場所ということか。
振り返ると、ナナは下の様子が気になっているようで手すりの近くで耳を傾けていた。晃も、気になってしまっているのでナナの隣へ歩んでいく。
「ダナーさん。これで何度目かは私自身も、数えておりませんが。どうでしょうか? 気が変わりましたか? 私は、前回提示した三倍、いや五倍は出すつもりなのですが」
この声は、おそらくあの太った男の声だろう。
「何度言われようとも私達の気は変わりません。いくらお金を積まれようとも、あの聖域を売ることなど。今回もお引取りください、ヴァジスさん」
ダナーの決意は固い。
何度も訪れて、前よりも高額な金を提示されているようだが、それでも折れない。男が、ダナーの断固としての言葉に、アタッシュケースを閉じ、金を下げる。
「そうですか……わかりました。では、交渉はもうこれで終わりにさせていただきます」
「と、言いますと?」
「もう、聖域を買うということを諦めた、ということですよ」
「そうですか。ご理解いただきありがとうございます」
「いえいえ。こちらこそ、何度も何度も訪問し、申し訳ありません。では、私達はこれにて」
その後、玄関のドアが閉まる音がし、ナナは晃を連れて階段を下りていく。残っていたのは、少し疲れた様子で椅子に背を預けているダナーだけだった。
「お父さん! やったね! 五回目にして、ようやくあいつらも諦めてくれたみたいで!」
「五回も来ていたんですか?」
「ああ。何度も、私達が一生働いても稼げそうにない金額を提示されたが、それでも先祖代々聖域を護る者として、決して折れなかったよ。さあ、もういいぞ。晃くんを連れて聖域にいってらっしゃい。もうちょっとで夕暮れ時だから、早めに帰ってくるように」
「はーい!! それじゃ、改めて! 行こう! 晃くん!!」
「あ、ああ」
まるで、こびり付いていた汚れが一気に落ち時のように晴れ晴れとした笑顔だ。ずっと、あの男達と戦ってきた。
それが、もう戦わずに済む。
この笑顔も頷ける。
「それで、行く前に聞きたいんだけど。その聖域って、どんなところなんだ?」
「それは……到着してからのお楽しみ!」
やっぱりか。こういうのは、何も知らずに実際にその目で見たほうが感動する。
「あっ」
「どうしたの?」
森の中を移動していると、晃はあることを思い出した。
「そういえば、俺を助けた時なんだけど。その場所、わかるか?」
「わかるよ。丁度、聖域の近くだから」
もしかしたら、そこに行けば何かを思い出せるかもしれない。ナナは、わかったと首を縦に振り車のところまで案内してくれた。
「……」
移動すること数分。
到着した。そこは、移動してきた景色とほとんど変わらない。草木が生い茂っている森景色。あそこだよ、とナナが指差す場所。
確かに、そこの草に赤いものが付着している。おそらく、自分の手に付着していた血が草にも付着し固まったんだろう。
「どう? 何か思い出せそう?」
「……いや、やっぱり思い出せない。なにか、周りにないかな」
「お? なんだ坊主。もう起きても大丈夫なのか?」
何か思い出せそうなものがないかと探そうとしたところで、斧を担いだ大男が現れる。しかも、頭を見れば犬のような耳が生えているではないか。
コスプレ? いや、耳つきのカチューシャをしているようには見えない。明らかに、頭から生えている。
曖昧な記憶通りならば、日本ではあのような獣耳を生やしたものは現実にはいないはずだ。大体は、コスプレなどをしている者達。
「え、えっと」
「晃くん。この人は、この近くの村に住んでいるウーガおじさん。君を運んでくれた人だよ」
「そう、だったんですか。晃です。助けていただいてありがとうございました」
「いやいや、気にすることはねぇよ。人助けは、当たり前のことだからな。何かあったら、頼ってくれよ! まだ怪我が治ってねぇみてぇだし。力仕事なら、俺に任せろ!!」
そう言って、ウーガさんは立ち去っていく。
見ず知らずの自分を助けてくれただけじゃなく、心配までしてくれる。晃は、いい人達に助けてもらって本当によかったと心の底から喜んだ。
「それじゃあ、聖域に行こっか」
「そうだな。寄り道してごめん」
「ううん、別に大丈夫だよ。それに、晃くんの笑顔が見れてほっとしてるから」
今まで、笑っていなかった晃をずっと心配していたようだ。
そう思うと、晃も申し訳なくなる。
聖域は、ここから本当に近かった。そして……聖域というだけあって、そこはとても美しい場所だった。
「すげぇ……」
一面に広がる花畑。
奥に見えるのは、湖? 花畑の中央には、何か不思議な光を放つ植物が十数本ほど生えている。まさか、あれがあのスーツの男達が狙っているものなのか?
「いいところでしょ?」
「ああ。なんだか、心が落ち着く場所だ……なあ、ナナ。もしかしてだけど。花畑の中央に生えているのが」
「うん。あいつらが狙っていたものだよ。あの薬草は【アメラー草】って言って。簡単に言えば、万能草。どんな傷でも、病でも一瞬にして治してしまう薬草なんだ。ただ、数が少なくて、こんなにも生えているところは、そうはないって。あいつらが商売のために狙ってきたの」
なるほど、そういうことだったのか。確かに、どんな傷や病をも一瞬にして治すものがこんなにもあれば……。
だが、ナナ達は護りきった。
金などいらないと。
何回も来た奴らと戦って。
「晃くん」
「なんだ?」
「へい!」
花畑に腰を下ろし、ナナは自分の膝を叩きジェスチャーする。なんだろう? と晃は首を傾げる。
「ひ、ざ、ま、く、らだよ。まだ回復しきってないでしょ? ここは、居るだけでちょっと回復効果がある場所だから」
「い、いや。それだったら、帰ってベッドの中でゆっくり」
「え? も、もしかして私と?」
何を勘違いしているのか。ナナは、顔を赤く染めて恥ずかしそうに視線を逸らす。
晃は、誤解だ! と叫ぶと。
「なーんてね! さすがに、私もそこまで進展させようなんて思ってないよ。私は、まだまだ清らかでいないと!!」
完全に弄ばれている。
晃は、ため息を漏らし、ナナの膝の上に頭を預けた。
「お? 素直だね」
「本当に、体が回復しきってないからな。ここが、そういう効果があるなら。利用させてもらう」
「うんうん。お姉さんの言うことは、素直に聞かないとね」
「俺が、年上かもしれないだろ? ナナは、何歳なんだ」
「十六歳!」
年齢を聞いてみたが、自分の年齢を思い出せない晃は何も言えなかった。なので、そのまま目を瞑ることに。
気持ちいい。
自然と眠気が襲ってくる。これが、聖域の効果、というやつなのか。
「おやすみ、晃くん」
眠る直前。ナナに撫でられた感触があった。
(本当に……世話好きな奴だな)
安心するかのように、晃は眠りについていった。
ちなみに、後二、三話ぐらい過去話が続きます。