もう、何も要りません。6
第六話
この声……。
「ハナ。どうしたの?」
返事をしない私に彼はまた話しかけた。
なんで。どうして。
どうして私の名前を。
この人は。
この声も。
ユウ?
どうして。
違う。
ユウの顔は、こんな顔じゃなかった。
私は確かに彼の顔を『醜い』と思っていた。今まで、ずっと。
でも、よく見ればパーツの一つ一つは確かにユウの顔。
なのに、どうして今までと感じ方が違うの?
何で、どうして。
どうしてどうして。
どうして。
二の句がつげない私を見て、不思議そうにしながらも、とりあえず彼は私の隣に座った。
あ。
もしかして。
そうだったのか。
私は。
全てに気づいた私は思わず大笑いしてしまった。
なるほどね。
ユウはもとから綺麗な子だったんだ。類い稀な程綺麗な顔をしていたんだ。
でも私と彼は友達になるべきだった。友達にならなければならなかった。
だって私達はクッキーの欠片同士だったから。二人で一つの、クッキーなんだから。
でも、私が彼を異性として好きになってしまったら全ては終わりだった。
欠片は永遠に一つになれなかった。
欠片が一つになる為に、私がユウを好きにならない為に、出会った瞬間に、私の脳は彼を醜いと認識したのだ。
でも、彼がゲイだと知った今、その必要はなくなった。私が彼を好きになる事はない。
そして、私も諦観の境地を知った。
彼の、あの美しい微笑みの場所を。
そしたら彼を正しく認識出来るようになった。
私ってすごい。どうしてそんな事が出来たんだろう。
まあいい。そんな『どうして』はどこかの馬鹿な心理学者が考えればいい事だ。
とにかく、脳がそんな邪魔をするくらい、私と彼は直観的に一緒だったんだ。
私はそれが嬉しくて嬉しくて、涙を流しながら大笑いを続けた。
ユウはきょとんとしながら笑う私を見つめていた。
ひとしきり笑って泣いた後、涙をぬぐってユウに話しかけた。
「ごめんね、意味わかんないよね」
ユウはいつも通り、微笑む。
「ただね、ただ嬉しいんだ。ユウと出会えて友達になれて、嬉しいの」
「僕も嬉しいよ。ハナがいてくれて本当に嬉しい。本当に、本当に」
朝、まだ9時半。早朝の清々しさはなくなっているけど、朝の空気は十分残っている。
冷気が気持ちいい。少し、傷にしみるけど。
「ところで、どうしたの、それ?」
ユウは私の頭と右腕を指して、最初の質問を繰り返した。
「ああ…。あのね、昨日またママに罵られたの。『お前なんか堕ろせばよかった』って。『目の前から消えて』って。何で何度言われても慣れないんだろうね。何で毎回悲しいんだろうね」
ユウは真面目な顔で私の話を聞いている。
「それでね、部屋に戻って泣きながら、ふと髪を切ってみたの。そしたらちょっとだけすっきりした。髪を切り終わって、腕も切ってみたの。なかなか切れなかったけど、最初の傷が出来て血が滲むのを見たら、ふって楽になったの。それから、滅茶苦茶に腕を切っちゃった。少し痛かったけど、傷が出来て血が出て、それを見ると何故か気持ちが楽になったから」
傷をゆっくりと撫でながら、言った。
風が吹く。
冷たい。
痛い。
気持ちいい。
ああ、またなんだか泣きそうだ。
その時、ユウが私を抱き締めた。
「どうして、ハナのお母さんは、ハナを傷つけるんだろう。どうしてハナは傷つけられなきゃいけないんだろう。ハナを傷つける権利は、誰にもないのに。ハナは大切な大切な僕の友達なのに。誰にも傷つけて欲しくないのに。辛い思いをしないで欲しいのに」
「ハナには生きてる価値があるよ、すごくすごくあるよ。僕はハナがいるから生きるのにギリギリ耐えられてるんだ。それはすごい事だと思う。人一人の存在を支えてるんだから」
何の前触れもなく、突如として。
涙が溢れた。
すごい勢いで。
嗚咽が漏れる。
涙はますます溢れ出す。
私は久しぶりに、ものすごく久しぶりに、声を出して泣いた。
抱き締められながら、私はただユウの肩を涙で濡らし続けた。
真っ正面から、人から優しくされる事。
それはこんなに嬉しい事だったんだ。
真っすぐに、人から大切に思われる事。
それはこんなに幸せな事だったんだ。
「…どうして、親から否定される辛さを親は知らないんだろう」
ユウは、思い出すように言った。
「あの、事件?」
「…うん」
「…その時、誰も、手を差し伸べてくれなかったの?」
「警察の人が、精神科に行ってみたらどうかって言ってくれた。精神科では薬をもらった。薬は、確かに効いたけど…」
静かに突然、存在を全否定されたユウ。静かに突然、致命傷を負わされたユウ。
「私ね、自分の命よりユウが大切だよ。死ぬ程大事な友達だよ。ユウを傷つける奴がいたら殺してやりたい。ユウが、ほんとに大好き。大好き。大好き。」
私も、強く強くユウを抱き締めながら言った。
「ありがとう…。僕も、ハナが死ぬ程大事だよ。命よりも、何よりも」
少し震えた声で彼が言った。
これほど大切な友達がいる私は、何て幸せなんだろう。
これほど大切な友達が出来た私は、一生分の幸福を使い果たしたのかもしれない。
仮にそうだとしても、上等だ。
これからの人生、どれだけ凄惨な事があったとしても。
ユウに代えられるものなんてない。
「もしかして、ハナが男だったら…或いは、僕がゲイじゃなかったら…二人の関係は違ってたのかな」
「どうなんだろうね。想像もつかない。…でも多分…友達になった、と思う。…そう、思いたい」
もしかして、私達の友情はすごく悲しいものかもしれない。
似た者同士が傷を舐め合う、すごく非生産的な、無惨なものかもしれない。
でも私達は、幸せだ。
そして多分、それが全てなんだ。
私達は、決して交わらない代わりに、永遠に側に居続ける、グラフ上の平行線。
例えば、y=3とy=−3とかね。
2月に入り、私とユウはウリの回数を大分少なくした。
前はヘタしたら毎日のようにしてたのに。
アタマがオカシクなるように、なるように。
なるべくいっぱい売らなきゃ。
なるべくいっぱい自分を痛めつけなきゃ。
そんな、義務にすら似た思いで売り続けていた。
1日に何人も客をとったり。
でも、今は週に1〜2回売るくらいだ。
それは、アタマがオカシクなるように、と願ってではなく、ただの惰性で売っていただけだろう。
相変わらず私の人生には意味はなく、ユウの人生にも意味はない。
ママは相変わらず私を罵り、ユウは過去に苦しむ。
でも、私にユウがいる事、ユウに私がいる事。
それは、大きな大きな安らぎ。
私たちは屋上で出会い、屋上で語り合った。
私達は絶望を超えたところで、お互いの傷を舐め合った。
そこは薄汚い、雨晒しにされた、コンクリートの屋上だった。
第七話に続く。




