もう、何も要りません。11
第十一話
1ヶ月ぶりの学校は、新入生も入って様子がちょっとだけ違っていた。
でも、1ヶ月ぶりの屋上は、そのまま。
私達の楽園は、そのまま。
相変わらず、雨ざらしで薄汚い。
私とユウは屋上の床に寝転がる。
空がとても綺麗。
心はとても穏やか。
これから死ぬなんて嘘みたい。
私達の前から世界が消えるなんて嘘みたい。
ユウと他愛のない話をたくさんした。
あのTVはどうとか、あの音楽はどうとか、あの本はどうとか。
とてもこれから消える二人とは思えない。
でも、確実にそれは近づいてきていて。
だから、私はあのカノンを聴きたくなった。
「ユウ、ウォークマン貸して」
「いいよ」
ウォークマンを手渡され、音量を最大に設定して、プレイボタンを押す。
「ユウも聴く?」
多分、『うん』と答えたんだろう。彼が頷いたので、イヤホンを片方差し出した。
流れるカノン。
空が綺麗。
風が少し吹いている。
私は最後の幸福を目一杯吸い込む。
春の暖かさと、風の冷たさの入り交じった空気。
その中で聴くカノンは切なくて、今までで一番、綺麗だった。
4分弱の再生が終わった。
二人とも、イヤホンを耳から外す。
そして、その時は来た。
「そろそろ、行こうか」
まるで家に帰るみたいに自然に、ユウが言った。
「うん」
私も自然にそう応えた。
屋上の鉄柵を乗り越え、僅かな立場に立つ。
「ねえ」
「ん?」
「そう言えばさ、ユウって何年何組だったの?」
「今は進級したから分かんないけど、1年6組だよ」
「マジで!後輩だったんだ。私は2年7組」
「先輩だったんだ」
「そうそう。今年は受験生だね」
風が少し吹いて、私のジグザグに切った前髪をなびかせる。
気持ちいい。
「ねえ」
「ん?」
「もしも、生き残ったらどうする?」
「うーん…」
しばらく考えるユウ。そして、少し笑いながら言った。
「二人とも生き残ったら結婚しようか」
「ゲイなのに?」
私も少し笑いながら問い返す。
「愛情で結ばれる結婚じゃなくて、友情で結ばれる結婚に挑戦してみよう」
「それが実現したら、世界で初めてかもね。偽装結婚を除いて」
少し考えて、また私はユウに問いかけた。
「じゃあ、どちらかだけが生き残ったら?」
「その時は…砂を噛みしめながら生きられるものか、試してみようか」
「結構辛い罰ゲームだね」
「あはは」
私達は、最後の話をしながらも、まるで普通だった。
全く、いつも通り。
何の緊張も、恐怖も、なかった。
あるのは、安らぎだけ。
穏やかさだけ。
ふと、ある本に書いてあった事を思い出してユウに言ってみた。
「ねえ、飛び降りの時間って長く感じるって言うよね。どうなんだろう」
「この高さだったら、実際落ちてる時間は2秒くらいのはずだけど」
「でも異常に長く感じるらしいよ」
「会話とか出来るのかな」
「出来たらいいね。それで、ゆっくりゆっくり、最後の景色を目に焼き付けるの」
出来るなら、最期の瞬間をなるべく長く味わいたい。
叶う事なら、顔が地面に叩き付けられるその瞬間まで。
「今日がいい天気で良かった」
空を仰ぎながらユウが言う。
「ハナがいてくれて良かった」
「ユウがいてくれて良かった」
私も空を仰ぎながら言う。
「聴きながら行く?」
ユウがウォークマンを指して言った。
「ううん、二人で、手をつないで行こう」
「そうだね」
手を握り合う。温かい。
最後に感じるのは、ユウの温かさ。
これに勝る幸せがあるだろうか?
「じゃあ、行こうか」
「うん」
私達は、握る手に力をこめる。
強く、強く。
そして、二人でかけ声をかける。
「イチ」
手をさらに強く強く握る。
「ニイ」
二人で顔を見合わせ、微笑む。
「サン」
足が、宙に浮く。
4月8日。金曜日。
空。
風。
終わり。




