酷い人
PM16:20
休憩室は、先ほどと打って変わって地獄の様な静けさに包まれています。
「どうして、こんな事に…」
床に倒れて動かなくなった紗倉さんの前に呆然と立ち尽くす店長。
(それは、こっちの台詞ですよ……)
先ほどの揉み合いで、勢い良く伸ばした手は紗倉さんの顎へと当たってしまい
はずみで倒れた頭の先に偶然机の角が……
そして今の、この惨状です
「死んで……ないよな?」
店長が紗倉さんの口元に手をやっていましたが、途端にほっとした表情をしたので呼吸はあるみたいですね。それでも最悪な状態に変わりは無いのですが。
「これから、どうしよう」
投げつけられた指輪を拾いながら、ぼーっと監視カメラのモニタを眺め独り言を呟いた店長は、何かを見つけたかのように、一点を注意深くじっと見つめると従業員扉に向かって走って外に出て行きました。
(店長?もしかして逃げたのでしょうか?…と、とりあえず私も外に出た方が)
若干パニックになって飛び出そうとしましたが、いきなりお店側の扉が開くと
水無月さんがひょこっと顔を出したので、あわてて息をひそめました。
「あのー、カウンターに財布落ちてたんですけど…」
と、次の言葉を言いかけて部屋の異常に気づきました。
「紗倉さん!?どうしたんですか?」
思わず駆け寄って抱き起こすも、ぐったりとした様子の彼女をみてみるみる顔を青くしました。
「きゅ…救急車。充さん救急車呼んで!」
水無月さんは佐倉さんを横たえさせると、来たドアから焦って出て行きました。
(チャンス!脱出です!)
音を立てない様に掃除用具入れからスルリと抜け出し、そのまま一目散に従業員扉から外に出ることに成功しました。
数分ぶりに広い所にでた開放感と、先ほどの恐ろしい出来事に
心臓は、どくどくと高鳴っています。
(……店長は逃走してしまったのでしょうか?とにかく一旦入り口からお店に戻りましょう)
大きく深呼吸してから私は、お店の入り口に向かって駆け出しました。
PM16:30
お店の中はいつも通りまばらにお客さんが立ち読みをしているだけで、一見なにも無かったような静けさを保っていましたが、カウンターで慌ただしく電話をかける遠野さんを見て先程までの異常事態が本当に起きた事だと実感させられました。
彼が受話器を置いたところを見計らって私は遠野さんに声をかけました。
「真婦留ちゃん?帰った筈じゃ…」
「あー、ちょっと忘れ物をして…それより何かありましたか?」
「いま紗倉さんが倒れて大変なんだよ!救急車は全部出動中で来れないって言われるし…」
「そうですか……店長には知らせましたか?」
「店長……そういえば少し前に万引き犯捕まえて金庫室で取り調べしてるんだった。」
「…は?店長何してるんですか……私、呼んで来ますね!」
驚いてる遠野さんを横目に、私はカウンターの奥の金庫室にむかって一目散に駆け出しました。
(店長いったいどういうつもりなんでしょうか?もしかして人質連れて立て籠り?…急がないと!)
PM16:50
コンコン!コンコン!
「店長!開けて下さい!一大事です」
金庫室は手前に両替機の部屋と、更に奥の金庫の2層の部屋になっているので立て篭もられると救出は大変困難です。
ゴンゴン!ゴンゴン!
手が痛くなる位とめどなく叩いていると、中から鍵を外す音がしてあっさりとドアが開きました。
「なに?今取り調べ中なんだけど…」
両替部屋を覗き込むと、キャップ帽を被った中学生位の男の子が肩を震わせて俯きながら座って居ました。
(本当に万引き犯捕まえてたん…ですかね?今、それどころじゃないでしょうに…)
「あの、紗倉さんが休憩室で倒れて意識が無いみたいです」
先ほどの恐ろしい出来事を思い出し、店長の顔が直視出来ずエプロンの胸の辺りをぼんやりとみていたのですが、ふと、謎の違和感を感じました。
(あれ?ネームプレート外したのでしょうか?)
「そう…どんな様子?」
「とりあえず、こちらに来て下さい!!」
私が思ったより大きな声を出したので、ちょっと驚ているのか言葉を詰まらせていましたが
「……分かったよ」と呟き
君も来なさい、と店長がキャップ帽の中学生を引っ張り出して来たので
三人で休憩室へ向かいました。
「店長を連れて来ました!」
休憩室のドアを開けながら声を掛けると水無月さんと、なんと目を開けた紗倉さんがこちらを見ていました。
「紗倉さん!大丈夫でしたか?」
ううんと唸りながら頭を抑えている紗倉さんに駆け寄ると大きい声出さないで…とグロッキーな声で呟かれたので、すみません。と小さく返しました
「具合はどうですか?驚きましたよ」
「死んでるのかと思った…」
「……」
水無月さんはまだ青い顔をしてましたが、店長は正に顔面蒼白という言葉に相応しい顔色をしていました。
幽霊の様にゆらりと上体を起こした紗倉さんは両手で顔を覆いながら
「それが…何故かよく覚えていなくて、誰かに殴られた気はするんだけど…」
そう言うと添えていた左手をおもむろに凝視し、あ!っと大きな声を上げました。
「無い!指輪が無い!!」
ほらっ!と勢い良く左手を突き出すと、気圧された様に店長がじりっと後ずさりしました。
*****
PM17:00
「強盗に殴られたんだわ!きっと!」
パイプ椅子に座った紗倉さんは腕を組みながら、そう思いますよね!と、何度も店長に同意を求めてましたが、はぁ…とか、うん…とか気の抜けた様な返事しか返って来ませんでした。
(頭をぶつけたせいで、記憶が曖昧になってるって…大丈夫なんでしょうか?)
「他に何か盗まれて無いかしら…皆は?何か盗られてないの?」
紗倉さんがきっ!と睨む様に見て来たので、私と水無月さんはおずおずと
「何も盗られてません」と返しました。
「店長は?」
「…俺?俺は…財布を盗られた」
PM17:10
一瞬静まり返った部屋に、紗倉さんが
「やっぱり!ね!そうでしょう」
と得意げに大声で叫びました。
「警察呼ばなきゃ!」
エプロンのポケットから携帯を取り出し110を押そうとした手を
横から店長が掴みました。
「な、なんですか?」
「け、警察はやめよう。事件になったら困るから」
「だって強盗なら事件じゃない?」
「……よく考えて、ここは従業員IDカードが無いと外からはドアが空かない、だから強盗なんて入って来れないんだ」
「じゃあ…指輪を盗んだのは…?」
紗倉さんが頭を傾げました。
「ここにいる、誰かって事だな」
店長!何故そうなる!?
PM17:20
「誰よ!?私の指輪盗んだの!!」
怒りを露わに紗倉さんが
ギロリと私と水無月さんを睨み付けて言い放ちました。
「いやいやいやいや!!なんで私達を疑うんですか!」
「つーか…指輪なんて興味ないから」
「何でもいいから早く返してよー!」
心なしか顔色を良くした店長が、机の上をトントンと叩きました。
「とりあえず、みんな今持ってるものココに出して」
(何でこんなに余裕があるんでしょう?)
仕方ないのでポケットの中をごそごそ出していると水無月さんが、なぜか先ほどより、もっと青い顔で完全に固まっていました。
「水無月くん。エプロンのポケットに何か入ってるよね?出して」
店長が机を叩く度に、体を強張らせる水無月さん
「あ。これ店長の財布だよね?」
横から掠め取るように、いつの間にかエプロンのポケットから紗倉さんが財布を抜き取って頭の横でひらひらさせました。
「ああ、俺のだ」
「ちょっと!指輪はどこやったのよ」
再度ポケットに手を入れようとする紗倉さんの手を跳ね除け、水無月さんが数歩後ろに下がり壁に背をつけました。
「盗んでない…その財布は、レジカウンターの横に置いてあって…」
「あー、それ置き引きって言うのよ」
「違っ…!」
おもむろに財布の中身を確認していた紗倉さんが
あ、あった。と呟くと小銭入れから、見慣れた指輪を取り出しました。
「やった~!じゃあ警察に電話しよっか」
「そうだな、どうせ万引き犯も引き渡さないといけないし…」
「だから!俺じゃないって…!」
ガチャリ
その時いきなりお店側のドアが開き、全員の視線が一気に集まりました。
その先に居たのは
「あの~…一旦お店閉めて来ました!救急車来れないみたいなので
とりあえずタクシーを…ん?」
状況が理解出来ない遠野さんが、キョロキョロと辺りを見回して首を傾げています。