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麻衣

完結したらデジタルノベル化予定です。

下書きの意味合いもありますので、乱雑な部分もあるかと思いますがご了承ください。

 小料理屋で2人、私たちはゆっくりと遅い夕食を楽しんでいた。心地よい温度と湿度、幻想的とさえ言える店内の雰囲気、ゆったりと流れるどこか懐かしげなBGM。これで向かいに座っているのが素敵な男性だったりしたら申し分ないシチュエーションのだけれど、残念ながら目の前におわしますのは恋人ではなく、意中の人でもなく、そもそも異性ですらない。

「今失礼なこと考えてたっしょ」

 心の内を見透かしたかのようにカズホは言った。

「いえいえ、滅相もない」

「まいまいがそんな変な言葉を使うときは大抵動揺してるときでしょうに」

「えー、いやー、滅相もないってフレーズは変じゃないっしょ。しょっちゅう使うわけでもないけど、ほら、『稀によくある』ってやつよ」

「言い訳の言い訳はやめましょう」

「はい」

 私は大人しく白旗を揚げることにした。食い下がったらそれはそれで面白くなるのだけれど、今日はそれよりもどうでもいいおしゃべりを楽しみたい気分だ。

 カズホが医師としての初期研修を終え、私の勤める産婦人科病棟にやってきたのが今年の4月。年はカズホのほうが1つ上だけれど、職場においては私のほうが一応先輩ということになる。看護師は4年でなれるのに対して、医者は8年かかるからだ。そんなどっちが敬語を使うべきなのかよく分からない関係だけど、カズホはあまり気にするそぶりはなかった。私も大雑把な性格なのであまり壁を感じずに接することができ、たまにこうして一緒に食事をしたりする。今日もたまたま帰宅時間が重なったのでどちらからともなく出歩くことになった。財布は少し寂しいのだけど、カズホと一緒に食べると不思議と安く済む。何より家で一人で食べるのは寂しいし、自分の手料理はどうも美味しくない。ううむ、次の彼氏ができたときのために料理教室に通うべきだろうか。それか料理男子を捕まえるか。

 前菜が運ばれてきた。皿の縁を枝豆や人参、レタスで飾っていて、黄色っぽいソースがかかっている。そしてその中心になにやら白い塊。食べてみるとどうもペースト状にした豆腐のようだ。舌触りは滑らかで、ソースの程良い酸味がその味を引き立てる。最初からこうとは、今日も期待が持てそうだ。

「ご機嫌はいかがかな?」

 カズホがのぞき込んできた。

「んー?」

「さっきまでしかめっ面だったからね」

「……ああ、あのハゲオヤジの件ね」

 私がそう言うと、カズホは人差し指を口の前に立ててみせる。

「しーっ。壁に耳あり障子に目あり、だよ」

 それもそうだ。私は大人しく口をつぐむ。口は災いの元とも言うし、沈黙は金とも言う。私がそれを守り続けるのは土台無理な話ではあるのだけど。

 チーム医療なんて言うけれど、まだ多くの医者は自分が一番偉いと思っている。私たちのことを命令通りに動く人形のように考えてたり、女としてみていたり。第一、医師と看護師は全然違う職業なのに、上司と部下の関係だと思っている人が多すぎる。や、勿論ちゃんとしている先生もたくさんいるんだけどさ。今日もそのことで言い争いになり、何ともやりきれない気持ちで職場を後にした。

 後にした、のだが。居合わせてもいないトラブルですら詳細を把握しているカズホである。いわんや、私と先生が大声でバトっていた内容を知らないはずがなく。

「駄目だなー。正面から衝突したらこっちもダメージ大きいじゃん。そういうのは誰がやったのか、いやそもそも誰かにやられたのかどうかすら分からないようにやらなくちゃ」

 こんな風にアドバイスをくれるのである。

 ……うわー、この人怖いわー。

「カズホって絶対敵に回したくないタイプだね」

「大丈夫大丈夫、敵になったことさえ気づかせないから」

「やめてくださいまじで」

 どうやら私が平穏な人生を送る上での一番のポイントは、カズホと同じ人を好きにならないことのようだ。


 どうも私は男運がないらしい。今まで何人もの人と付き合ってきたけど、どれも長続きしなかった。付き合ってみると、思ってた人と違ったなんてことはざらにあった。なんかなー、本性が現れるというか、化けの皮が剥がれるというか、馬脚を現すというか。まあ別に、それで深く傷ついたりしたわけじゃないし、焦っているわけでもなかったけど。でも綾乃から結婚報告が来たときにはさすがにビビった。あんにゃろ、この私を差し置いてどこの馬の骨ともわからん奴とくっつきやがって。しばらく会っていないとはいえ、そんな素振りは全く見せなかったから青天の霹靂で、不意打ちにはさすがの私も少々ダメージを受けた。

「あーあ、どこかにいい人いないかなー」

「病院一の恋多き乙女がなに言ってるのさ」

 私が思わず天を仰いで呟くと、カズホはそう茶化す。ちなみに私はカズホに自分の恋愛沙汰を逐一報告しているつもりはないのだが、いつのまにか全て彼女の預かり知るところとなっている。この子にはプライバシーという概念がないのだろうか。ま、もう慣れたから驚きも呆れもしないけど。隠し事があるわけでもなし。

 「そういうカズホはどうなのよ。もうすぐ三十路だよ三十路。将来を誓い合った人とかいないの?」

 それでもやっぱり癪なので、そう話題を振ってみる。そういえばカズホの浮いた噂なんて聞いたことがない。あ、いや、あるか、誰それがカズホに告って撃沈したという話がいくつか。とにかく、カズホが私のことを知っているのに私がカズホのことを知らないというのは不公平というものだろう。ていうか自分で言っといてアレだけど、カズホが三十路になった翌年には私も三十路なワケで。そう考えるとブルーになる。うおお若かりし青春の日々カムバーック!

 しかしカズホは曖昧に笑う。

「それがいないんだなー」

「嘘だー。カズホなら二股どころか三股かけてても驚かないね、わたしゃ」

「いないよ。それどころか、今まで付き合ったこともない」

 カズホは頭をかき、眉をひそめる。それでも口元の笑みは消さない。

「私はさ、馬鹿な奴が好きなんだよね。自分の芯を持ってる癖に簡単に流されて、感情で突っ走っちゃって、明後日の方向に行ってしまうような奴がさ。でもねえ、そういう人ってなかなか私を見てくれないんだ。もちろんキャラを作って策を巡らせれば男の十人や二十人落とすのなんて造作もないとは思うけど、やっぱりそれじゃあつまらないからねえ」

 そう言うカズホの顔はいつになく寂しそうで……って! さらりと恐ろしいことを言ったよ今! い、いや、きっと私の聞き違いだ。うん、そうに決まってる。私は考えるのをやめた。


 絹を裂くような悲鳴と食器の割れる音。そんな陳腐なドラマのような組み合わせは、しかし私たちの顔を強張らせた。

「なんだろう」

「さあ、ゴキブリか変質者でも出たかね」

そうカズホは茶化すが、目は笑っていない。ざわざわとした喧騒は未だやまない。

「行ってみようか。たまには私たちも野次馬の側に回るべきさ」

 カズホについていった先に広がっていたそれは、異様な光景だった。一人の女性が床で全身を痙攣させているのだ。体は海老のように反り返り、顔は歪な笑みを浮かべている。その不気味さに、私は1歩後ずさりした。逆に「お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんか」なんて言葉が発せられる前に、カズホは前に進み出る。

「入店時に応対した店員さんはいますか?」

「あの……あなたは」

「医師です。ひとまず救急車を」

「あ、今呼びに行きました……お客様を案内したのは私ですけど……」

「そのときのこの人の様子は?」

「いえ……あまり憶えてはいませんけど、普通だったかと」

「具合が悪そうではなかった、と?」

「はい」

「井上さん、私のカバンを取ってきてもらえますか」

「あ、うん」

 不意に声をかけられ、私は弾かれたように走り出す。突然呼び方が変わるもんだから、びっくりした。そりゃまあ、公衆の面前でまいまいなんて呼ばれるのにはちょっと抵抗があるけどさ。背後でカズホが場所の確保とAEDの用意を店員に指示しているのが聞こえた。あー、仕事モードに入ってるなあ、アレは。

 長く感じたけれど、戻ってくるのに1分もかからなかったはずだ。カバンを渡すと、カズホは中から1枚のビニールを取り出す。あ、救急の講習会で貰った人工呼吸用のやつだ。プラスチックの弁が付いている部分を患者の口に入れ、カズホの口を被せて息を吹き込む。患者の胸が上下する。よし、気道は確保されているようだ。

「カズホ、AEDが届いたけど」

「置いておいてください。まだ脈は触れてます。それに、この痙攣じゃ解析も厳しそう」

「人工呼吸代わろうか」

「お願いします。井上さんのは?」

「いいよ、私は気にしない」

 そう言ってカズホと場所を代わる。別に好き好んでカズホと間接キスするわけじゃないけど、自分のを取りに行く時間が勿体無かったし、そもそも私がカバンに常備していたかも疑わしい。それは医療従事者としてどうなんだというセルフツッコミを華麗にスルーしつつ、人工呼吸を繰り返す。おそらく全身の筋肉と同じように呼吸筋も痙攣しているのだろう。断続的な抵抗が多少あるものの、呼気はしっかりと肺に流れていく。向かい側でカズホは店員さんに多少の人払いをさせ、診察を始める。あ、聴診器も携帯してるんだ。流石だなぁ。

 ややあって救急隊が到着し、救急車内に運び入れる。いつの間に誰が呼んだんだか、警察車両も停まっているのが見えた。カズホは医師であることを告げ、ラリンゲアルマスクとバッグバルブマスク――手動の人工呼吸器みたいなものだ――を取り付けてそれを操作する。私も何とか点滴の針を留置し、生理食塩水を滴下する。この人血管は浮き出ないし手足は痙攣してるし車は揺れるしで、静脈路を確保できた私のテクも捨てたもんじゃないと思う。カズホは私たちの勤める病院の名を挙げ、搬送を依頼した。救急隊が電話をかけ、途中でカズホが代わる。

「もしもし、吉沢です。はい、すみません、たまたま居合わせたもので。はい、お願いします……もしかすると……ストリキニーネかもしれません」

 私の頭の中に疑問符が3つくらい浮かぶ。ストリキニーネ? 何かの病気だろうか? そんなの見たことも聞いたことも……

 ……いや、ある。授業とかではなくて、何かの本で。そう、有名な推理小説に出てきた気がする。

「もしかして、毒?」

「恐らく。破傷風のような症状ですが、それにしては経過が急過ぎます。循環動態は安定しているので心原性も否定的。てんかんの可能性もありますが、この激しい後弓反張と痙笑はストリキニーネ中毒を疑います。そう思って見ると、刺激によって痙攣が増強しているようにも見えます。もちろん、低血糖や頭蓋内病変も除外する必要はありますが、可能性は高くはないでしょう。いずれにせよ、痙攣が続くようであればそれを止めて人工呼吸器への移行が第一。縮瞳や特有の口臭も認めないことから他の毒物は考慮せず、となれば胃洗浄は不要。それから、もしストリキニーネ中毒だとすればこの方の意識はまだありますので、私語は慎んでくださいね」

 私が理解できたのは最初と最後の1文ずつくらいだった。お口にチャック。了解。


 病院に着いてからは思ったほどめまぐるしくはなかった。初期対応が既に行われていたからだ。採血その他の検査が行われ、鎮静剤が投与され、ちゃんとした人工呼吸器がセットされた。警察の人も来て話を聞いているようだった。漏れ聞くに、やはり色々な検査で明らかな異常は見つからず、神経毒が疑われるとのことだった。

 私は改めて驚いた。毒キノコや有機リン中毒ならまだしも、こんなの大病院でもなかなか無い事例だ。それをカズホは診断し、あまつさえ的確な対応までしてしまった。何でそんなことを知っているのか。医学科の授業で普通に出てきたりするんだろうか。いや、カズホが普通ではないことは重々承知のつもりなんだけど。ひと段落したところでそのことを聞いてみたが、「持つべきものは人脈だということです」と分かるような分からないような返答をされてしまった。

 ……まあいいか。一般的な職業精神を持つ私としては、現状のほうを先に解決させたいところだ。今は勤務時間外。しかし患者さんを連れてきてしまった。早く帰りたいし帰っても規定上問題はないと思うのだけど、倫理的にはどうなんだろう。口調が戻っていないところを見るに、カズホはまだ帰るつもりはないらしい。さて、私はどうしよう。いやはや、困った。まったくもって難しい問題だ。

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