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第五話「天乱八手」



「で、でけえ……」


 一平とリュリュは、ようやく古代龍の下に辿りついた。

 その距離、歩幅にして約十歩。

 至近距離で相対してみて初めて分かる。それが怪物どころか怪獣だという事に。

 怪獣が巨大な岩を枕にしていた為に側面から見上げているのだが、あまりに巨大過ぎて頭部が見えないとはどういう事だ。

 もはやそれは山。

 目標に最接近した一平は、自身の目測を遥かに超える巨体に面食らっていた。


「え? なにコレ? うちの近くのYAMADA電機よりでかくない……?」


 自宅の近所に数年前に出来た日本の家電販売最大手の建物を思い出し、まさかな、と呟く一平。


「……いやいやいや、やっぱでかいよ! 近所のYAMADAよりもでかいってコレ!」


 記憶にある駐車台数300台を誇る三階建ての巨大建造物は、目の前の犬より二回り程小さかった。

 あまりにも常軌を逸したモンスターに、一平は悲鳴を上げる事しか出来ない。


「そのヤマダとやらが何かは分からんが、相手は数万年を生きた存在じゃ。身じろぎ一つで潰される事を忘れるな」


 そう忠告を飛ばすリュリュは、恐怖で体が小刻みに震えていた。

 全身が冷や汗まみれ。

 命を捨てる覚悟を決めたのに、眼前の存在相手には人間の覚悟なんぞ無意味に思えて仕方がない。

 このぐーすか寝ている獣がこちらに気付いた瞬間、間違いなく消し飛ばされる。そんなイメージが頭から離れないのだ。


「ハッ、上等。ちょうど寝てるし、先制ダメージでピヨらせてやるぜ」


 軽い口調を返す一平だったが、拳を握った瞬間その全身がブルリと震えた。

 緊張、恐怖、期待や興奮等がない交ぜになり、高揚していたのだ。

 遂に力を解き放つ時が来た。相手は伝説の古代龍、相手にとって不足なし。

 寝ている古代龍にとっては不足がありまくるであろうが、少年のその意気やよしだ。

 一平はゆっくりと構えをとる。


「待て、イッペー」


 が、しかし、それを遮る声。


「初手は私に譲ってくれんか?」


 リュリュ・シェンデルフェール。自称天才魔法使い。


「え~~?」


 気勢を殺がれた少年は不満の声を上げるが、せっかく獲物が寝ている大チャンスなのだ。

 魔法使いにとっては最大威力を叩き込む絶好の機会。

 リュリュは、よく見ろと一平を促す。


「やはり元はアーマーウルフのようじゃ。全身のいたる所が甲殻に覆われておる」

「んん? あ、ホントだ」


 一平が目を凝らして見ると、なるほど、白いその巨体は同色の鎧に包まれていた。


「もはや硬いという言葉が馬鹿馬鹿しくなるほどの防御力じゃろうよ」

「……だから?」

「私の切り札なんじゃが、防御力を無視できる魔法がある。うまくいけば一撃じゃ」


 と言っているが、さすがに一撃で倒せるなどと本気で思ってはいなかった。

 しかし、先制である程度の傷を負わせる事が出来ればその後が楽になる。自明の理。

 魔法使いの火力を最大限利用するなら今しかないだろう。

 大魔法を使う場合どうしてもタイムラグが生まれてしまう以上、戦術としてはリュリュの提案は正しかった。

 下級魔法ならば即時発動も可能だが、そんな物は普通の野良竜にだって効きはしないのだから。


「ああ、なるほど。大技だからタメがいるのね。リミットゲージMAXで戦闘を開始したいと」

「う、む? そ、そう……じゃ? と、とにかく、古代龍に通用しそうな魔法を撃つ機会なんぞ初っ端だけじゃろう」


 一平が何を言っているのかよく分からなかったが、言いたい事は何となく分かったリュリュ。

 たった一日でだんだんと一平の言葉を理解し出したあたり、本当に天才なのかもしれない。


「ん~~、まあいいぜ。攻撃魔法も見てみたいし」


 ニュアンス的には間違っていないだろうと生返事を返すリュリュに、一平はGOサインを出した。

 ここで使う以上、今から繰り出されるのはリュリュの最強魔法に違いない。

 もしかしたら全き虚無でも呼び出して、ギガがスレイブしちゃったりするのかもしれない。

 異世界最初の戦闘だ。開始のゴングはド派手な方がいい思い出になる。


「よし、いけリュリュ! 人は人のまま古代龍を超えられると証明してやれ!」


 せっかくだから、ついでにカッコいいセリフを混ぜてみた。

 何の脈絡も無く使われた言葉にウンコ程の価値も無かったが、それでも命を賭した一撃を放つリュリュには効果があった。


「人は人のまま古代龍を超えられるか……、いいじゃろう! この天才が証明するとしよう!」


 ちょろいリュリュは一気にテンションMAXへ。

 全身から白銀の魔力を迸らせ、杖を構える。


「おお!?」


 限界まで練り上げられた魔力が螺旋を描きながら黒杖へと収束していく様を見て、一平は感嘆の声を上げた。

 エフェクトがそれっぽくて、なんか格好良かったのだ。

 分かりやすい演出に、一平のテンションもグングン上昇していった。


「ぬぅぅぅ……ッ」


 リュリュの額には玉の汗。

 いくつもの術式を起動させながら膨大な魔力を制御する。

 リュリュは確信していた。今、この瞬間、リュリュ・シェンデルフェールは魔法使いの頂点に到達していると。

 リュリュが固定させた空間、それは古代龍の首。

 巨大な白犬の首周りを、光の魔法陣が取り囲んだ。


「うっは!! すげえ!! リュリュすっげえ!!」


 それは首輪だった。いや、ギロチンと言うべきか。

 位相をずらし、空間を離剥させる魔法は、少年の心を鷲掴みにしていく。

 動く標的には使えず、加減も効かず、恐ろしく使い勝手の悪い魔法だったが、決まれば必殺。

 もはや命などいらぬとばかりに全魔力をつぎ込み、リュリュは杖を振り抜いた。

 同時に力ある言葉を叫ぶ。


断裂エスパスクーパー!!」


 パキン、と甲高い音を立て、魔法陣は砕け散った。


「……………………」

「……………………」


 戦場が静寂に包まれる。


「……………………」

「……………………」


 世界に響くのは、ぶはあぶはあと息の上がった老婆の吐息だけ。

 犬はまだ、寝ていた。







 第五話「天乱八手」



 



「あー、リュリュさん?」

「ん? なんじゃ?」


 リュリュの息が整い、汗を拭うのを待ってから、一平は疑問を口にした。


「リュリュさんの魔法であの犬どうなったんスか?」

「死んだ」

「ええ!? 死んだんスか!?」

「見とったじゃろ?」

「いや、見てましたけど……」

「ヤツの首の空間を切り離してやったんじゃぞ? 首を刎ねられたら生物は死ぬ、あたりまえの事じゃ」


 その時、死んだ筈の古代龍が大きく身じろぎした。

 そしてブシッと鼻を鳴らす。

 ブシッブシッと鼻を鳴らすたびに大気が揺れるのだが、どうやらクシャミの様である。

 リュリュと一平はいきなりの突風に驚き岩の陰に隠れるも、巨大な犬は何事も無かった様に再び惰眠を貪りだした。


「リュリュさん、今動きましたよ?」

「……………………」

「アレ生きてますよね?」

「……あれ~? ちと制御が甘かったかの?」

「……………………」

「無意識に手加減したんじゃろうか?」

「…………ダメ魔法使いが」

「ッ!?」


 あ~あ、ガッカリ。そんな言葉を吐きながら、一平は準備体操をし始めた。


「なにが天才が証明するだよ、気づいてすらもらえねえじゃねえか……」

「……………………」


 腰を左右に捻りつつ手をブラブラと、激しい運動の前に体をほぐすのはアスリートの基本である。


「空間切り離すって、そんなの効くわけないじゃん。犬の魔力が空間に干渉してる事にさえ気づかなかったくせに」

「……………………」

「切り札っていうくらいだから極大消滅呪文でも使うのかと思ったよ」


 ヤレヤレと肩を竦めながら屈伸。

 怪我をしない様に柔軟性を高める事はいい事だ。


「虚無の端末を喚びだすとか、せめて空間内の物質崩壊くらい出来ないもんかね。自称ぉッ、天才なんだからさ」


 自称に力を込める一平は、間違いなく酷い。


「…………うるさい」

「もうリュリュは下がってて。お年寄りはムリしちゃダメって言ったでしょ?」

「うるさいわ!!」


 やっぱりキレた。


「なんなんじゃよその言い草!? こっちは命を賭けたんじゃぞ!!」


 心どころか魔法使いとしてのプライドまでへし折ろうとする一平に、リュリュは涙を浮かべて激怒した。


「命賭けるだけで偉いなら、道路を横切る猫はみんな偉大だっつーの」


 なぜ彼等は命懸けで道を横切ろうとするのか。

 車が近付くのを待ってから飛び出す彼等は、きっと生来のギャンブラーに違いない。


「畜生共の行動と、古代龍に挑んだ私の姿が同じじゃと言いたいのか!?」

「じゃあ今の魔法になんか意味あったの?」

「……………………」


 酷過ぎる。

 しかし、一平にも情状酌量の余地はあった。

 魔法。それも攻撃魔法だ。

 異世界の天才魔法使いが、思わせぶりな前振りで、ド派手な演出と共に、最強魔法を放つ。

 アニメの描写ならば天地が爆裂しててもおかしくない。

 にも拘らず、現実は静かな物だ。

 つまり、大事な思い出の一ページ目でいきなり肩すかしをくらった状況。

 たとえ魔法が効かなかったとしても、もっとこう……他にやりようはなかったのか。

 初めての戦闘のオープニングがあまりにもショボい結果に終わり、一平はひどく落胆していたのだ。


「ほら、あとは俺がやるからさ。お婆ちゃんは端っこの方に行ってて?」

「……ぶえっ……ぶええっ……」

「もうカバのモノマネはいいから、ね? ほら、あっちの方で、ね?」


 優しく肩を抱き、隅っこの岩陰を指さす一平。

 ぶえぇぇぇと泣く老婆を先導する姿は、まさしく正しい介護の形と言えるだろう。


「……ちょっと制御をミスれば死んどった……命賭けたんじゃ……クソ……世界はクソ……クソじゃッ……」

「さて、次は俺の番だな!」


 ブツブツと呟くお婆ちゃんを岩陰に隠し、一平は気持ちを切り替えた。

 ダメ魔法使いが犯罪以外で役に立たない事など、最初から分かりきっていたではないか。


「すうぅぅぅぅぅ……、はあぁぁぁぁぁぁ……」


 一平は深く息を吸い、そして同じように吐く。

 この瞬間、隣でイジケている老婆の姿は意識から消えた。

 異世界召喚物の初戦闘。

 しかも敵は伝説の古代龍。

 おまけにこちらは素手。主人公が持つべき聖剣はまだ手に入れていない。


 ──だからどうした──


 口の端を吊り上げた一平は、ゆっくりと無敵を形作っていく。


「いくぜ……ッ」


 膝を曲げた左足を一歩、体を巻き込むように右前方に出す一平。

 伸ばした右足を軸に、胸を反って腰を突き出した。

 顎を引いた視線の先は、捩じれたくの字の体勢を支える左腰と平行に。

 角度。全ては角度だ。


「天乱──」


 指先までピシリと伸ばされた左手のひらを頭頂に向け、その指先を垂直に受け止める右手のひらもまた美しく伸びている。

 角度こそが美なのだと言わんばかりに、両肘は外側に大きく張っていた。

 かっこよく、美しく、天を乱す程に最強の己。

 それを一平は形作った。


「──八手!!」

「ちょっとまてえええええええええええええええええ!!」


 じっと一平に目を向けていたリュリュが、たまらず待ったを掛けた。


「違うじゃろ!? それさっきと全然ポーズ違う!!」


 そう、一平の構えは、リュリュに見せた物とはまったく違っていた。


「やっぱり嘘だったんじゃな!? 純情な乙女を騙し──」

「リュリュ」


 騙された。また男に騙された。格好良いと思えた自分はアホだった。と騒ぐ老婆に見向きもしない一平。


「無敵の己は心が決める。故に構えは天衣無縫」


 無敵、最強、最高、理想。

 どれも言葉としては存在しているが、そんな物この世にありはしない。

 存在しない無敵を描けるのは、やはり目に見えない心のみ。

 千変万化の心もて、最強無敵の型となす。

 されば、それは天衣無縫。


「……ぇ?」

「だからリュリュはババアなんだ──よ!!」


 リュリュの視界から一平が消えた。


「ッ!?」


 なんと信じられない事に、チート発動。

 慌てて視線を古代龍に向けると、風を切り裂く一平が犬の左前足に拳を繰り出す瞬間だった。


「天・撃!!」


 ゴガンと鳴り響く轟音。

 リュリュは目を見開いた。

 天乱八手・撃。略して天・撃。

 殴打技や蹴撃技をふくめた打撃を司る、天乱八手の基本技である。


「おおおおおおおおおおおおおおお!!」


 殴る殴る殴る。そしてたまに蹴る。

 一平は雄叫びを上げて攻撃し続けた。

 だが、残念ながら、現実にはサンドバック一つ叩いた事のない少年に、技巧などという物は無かった。


「とりゃああああああああああああ!!」


 蹴る蹴る蹴る。そしてたまに殴る。

 が、駄目。

 犬は微動だにしない。


「キョエエエエエエエエエエエエエ!!」


 とっておきのグルグルパンチ。

 奥の手の連続地獄突き。

 破れかぶれのハイテツ、ローテツ、ミドルテツ。(※テツ=蹴り)

 しかし、やはり駄目。

 怪鳥のような奇声を上げ攻撃するも、まったくダメージが通らない。


「ちぃっ!」


 一平は大きく後ろに跳んだ。

 攻撃が効かないどころか、攻撃した手足の方が痛い。


「くっそー、生半可な攻撃じゃ通らねえ……」


 さすがは古代龍。

 その硬さは半端ではなかった。

 一平が痛む手足を摩りながら愚痴を垂れるも、巨大な犬はまったく気付かずぐーぐー寝ている。


「まさかチートじゃないなんて事……」


 あまりに届かない現実に、一瞬一平の心に不安がよぎった。

 しかしすぐに頭を振って否定する。

 天涯孤独を選んだのは己自身。

 誰よりも自分を信じてくれた、愛する両親はもういない。


”いいか、一平。もし異世界に行ったら絶対に迷うな。己を信じて真っ直ぐ進め。父さんもそうする”

”そうよ、一平。母さんも迷わず逆ショタハーレム作るわ”


 ならば、己を信じて信じて信じ抜く。

 愛する両親の教えを胸に、誇り高く生きるのだ。


「イッペー! もういいじゃろ!」


 迷いを振り切った一平に、リュリュの制止の声が飛んだ。

 リュリュは、ここが限界だと判断したのだ。

 一平の力は見た。


「相手が悪すぎる! やはり人の力でどうにかなる相手ではないんじゃ!」


 いや、速過ぎてよく見えなかった。

 しかし古代龍までの距離を一瞬で潰す速度、そして攻撃時の轟音は、少年の凄まじい実力を連想させた。


「第一、イッペーには武器がないではないか! 本来の戦い方は剣なんじゃろ!?」


 おそらくそこらの冒険者では太刀打ちできまい。


「装備を整えねば話にならん! ここは出直すんじゃ!」


 一平の傍まで駆け寄って来たリュリュは捲し立てた。

 賭けには負けた。でも命は助かりそうだ。

 こうなると、半端に叩き起こすだけの力が無かった事は僥倖以外の何物でもない。

 しかし、いつ目を覚ますか分かったものではなかった。

 ならば幸運が続いているうちに逃げる。

 もうそれしかない。

 これ以上はただの自殺だ。

 リュリュの焦りは懇願に近かった。


「へっ」


 そんなリュリュを、一平は笑い飛ばした。

 攻撃が通らない。

 毛ほども傷つけられない。

 まるで気づくそぶりも無い。

 おまけに黒聖魔光剣も使えない。

 ──だから?


「閃と覇を使う!! リュリュは下がってろ!!」

「な!? イッペー!!」


 リュリュの悲鳴を無視し、一平はクラウチングスタートの体勢をとった。


”閃は脳のリミッターを外す。しかし多用は禁物だぞ、一平。限界を超えた速力は多大な負荷をその身に掛ける”


「天・閃──」


”全身を一個の弾丸とする覇は、決して人に撃つな。交通事故と変わらない衝撃力はたやすく人を殺してしまう”


「──天・覇!!」


 そして爆音。

 一平の全速は空気を切り裂いた。

 もしもう少しリュリュが一平に近かったら、その身は発生した衝撃波に巻き込まれていたに違いない。

 あまりの轟音に耳を塞いだリュリュが見た物。

 それは古代龍の甲殻に尻を突き刺す、両足を抱え込んだ一平の姿。

 音を置き去りにした一平渾身のヒップアタックは、信じられない事に、破壊不能の甲殻を砕いていた。


「く、砕きおった……ッ!」


 リュリュは今起きている現実が信じられなかった。

 文献通りならば、古代龍とはその身が世界の魔力を循環させる機関に等しい筈。

 だからこそ神にも匹敵する魔力を行使できるのだ。

 にも拘らず、一平は砕いてみせた。

 つまり、一平は世界を砕けるという事。


「天を、乱す……ッ!」


 天乱八手。野々宮太平が生み出した”さいきょーのぶじゅつ”。

 その威力を目の当たりにしたリュリュは、あたりに散らばる甲殻の破片を呆然と見詰めていた。


「ふへ……ふひ……」


 とそこに、顔面をエヘッヘエヘッヘと歪ませる一平が。


「イ、イッペー!」

「あへ……へは……」


 半開きの口とハの字になった眉を張りつけ、内股になりながらヨロヨロとこちらに向かってくるではないか。


「イ、イッペー?」

「ケ、ケツ……」


 一平は、泣いてるんだか笑ってるんだか分からない複雑な表情を浮かべたまま、その場で四つん這いになった。


「イッペー!!」

「ケツがあああああああああああああ!! ケツ割れたあああああああああああああ!!」


 あ゛ーーーーーーー!! とのたうち回る。

 いや、実際には痛すぎて身動き一つ出来ないのだが、その悲鳴はまさしくのたうっていた。


「なんじゃと!? 早く見せるんじゃ!」


 魔法で空間から塗り薬を取りだしたリュリュは、電光石火で一平の傍にいく。

 それが一平の身を案じているからなのか、それとも合法的セクハラからなのかの判断はつかない。


「触わんなボケエエエエエエエ!!」


 一平もまた、痛みからなのか貞操の危機からなのかは分からなかったが、リュリュの手当てを拒否した。

 しかし今は戦闘中。

 リュリュは元冒険者として、無理やり一平のズボンを脱がす事を決意。

 だがその時、不意に周りが影に覆われる。


「ぁ……」


 リュリュが視線を上げた先には、真紅の瞳を持つ巨大な獣の顔があった。


「ぁ……ぁ……」


 終わった。

 リュリュは諦めた。

 自身の魔力は空。

 一平は動けない。

 ゆっくりと近づいてくる古代龍の紅眼は、リュリュの全身から力を奪いさってしまった。

 ペタリと腰を地面に落とした老婆にとって、口を開けて迫ってくる古代龍は死神以外の何物でもない。


「せめて、イッペーだけでも……」


 ケツがぁケツがぁと喚いている一平だけでも救えないかと頭を巡らせるが、何も思いつかなかった。

 死の恐怖で思考する事が出来ない。

 リュリュの呟きは、神に慈悲を乞うているだけの弱者の妄言に過ぎなかった。

 ベロリ。


「痛っだああああああああああ!!」


 一平は悲鳴を上げた。

 ベロリベロリ。

 古代龍が一平の尻を舐めまくっている。


「ちょっやめっ……、今は触っちゃダメェェェェェェ!!」


 でかい犬に尻を舐められる一平は、痛みから逃れようと尻を激しくふった。

 なんという獣姦プレイ。

 できる事なら、らめぇぇぇぇと叫ぶくらいの遊びは欲しかった。


「うううううう……うん?」


 痛みを堪えていた一平はハッと気付く。


「あれ? 痛くない」


 這いつくばっていた一平は、恐る恐る己の尻に手を伸ばした。

 なんと、犬の唾液でベチャベチャになってはいたが、尻の痛みはきれいさっぱり消えていたのだ。


「……………………」


 リュリュは、その光景を呆然と眺めていた。

 喰われると思っていたら、なぜか一平が尻を舐めまわされていた。

 一平の怪我を古代龍が癒したのは見ていたのだが、働かない頭ではそれが理解出来ない。


「……………………」

「……………………」


 古代龍が自身の左前足をペロペロと舐めている様を、一平と無言で見続けるしかなかった。


「……………………」

「……………………」


 古代龍の前足を舐める行為。それはとても毛繕いに似ている。

 いや、実際そうだったのだろう。

 一平が砕いた甲殻がみるみる復元していくのだから。


「……………………」

「……………………」


 舐め終えたでかい犬は、一つ大きく欠伸をすると、また寝に入ってしまった。


「……古代龍って温厚なんだな」

「……………………」

「あんなに攻撃しても怒らないなんて……」

「多分、攻撃されたと感じていないんじゃろう……」

「……そっか。超強いな」

「……うむ。古代龍は超強い」


 こうして、一平とリュリュの最強タッグは、初戦を惨敗で終えた。

 もっとも一平は、怪我治してくれたし今日は引き分けにしてやる、などと嘯いていたのだが。

 やはり伝説の古代龍は強かった。

 手も足も出なかった二人は、砕け散ってばら撒かれていた古代龍の甲殻を拾い集める。

 それが高純度の魔力塊だった事は、何気なく手に取ったリュリュのあわ~~と慌てる姿が証明していた。

 回収した破片を空間魔法で粗方収納したリュリュは、欠片の一つから魔力を引き出し、転移魔法を発動させた。

 あとに残ったのは、当然グーグー寝続ける古代龍のみ。

 寒い季節に、地熱の高いラノワ高地で日向ぼっこしていた犬の眠りを妨げる者は、もうどこにもいなかった。







「う~。う~」


 古代龍との激戦から丸一日。

 一平はベッドの上でうめき声を上げていた。

 さすがに死闘を繰り広げた後の疲労は凄まじく、一平にはそのまま出て行くような体力は残っていなかった。

 汚れた服の洗濯もある。風呂にも入りたいし腹も減った。

 一平はもう一日だけリュリュの家に泊まる事にしたのだ。

 しかし明けて翌日。

 一平の体は、天乱八手・閃を使った反動で全身筋肉痛になっていた。


「ヤベエ、今ババアに襲われたら抵抗できねえ……」

「どんな痴女じゃ! 病人を襲うような外道じゃと思っとったんか!」


 現在、一平は昼食を摂っていた。

 リュリュの手ずからである。

 つまり、一平はリュリュにアーンをしてもらっていたのだ。

 勿論最初は断固拒否。

 しかし、痛みに震える一平の指では、スプーンを持つ事すら困難だった。

 まさか憧れのハイ、アーンをババアに奪われるとは。

 頬を染めながらスープを飲ませてくる老婆のあまりの気持ち悪さに、一平の心も体も悲鳴を上げっぱなしなのである。


「俺は忘れない……、動けない俺の全身に薬を塗りまくったババアの顔をな!」

「痛い痛い泣き喚いとったんじゃからしょうがないじゃろ!」


 遺憾な事に、既にソフトペッティングは済んでいた。

 激しく反論するも、真っ赤になったリュリュの顔には喜色が浮かんでいる。

 それを見た一平の背筋を怖気が貫いたのだが、動かない体では何も出来ない。

 パンツ一枚で包帯だらけの一平が警戒するのは当然だった。


「まあ、今日は一日休んどれ。高い薬じゃし、明日には回復するじゃろ」

「治ったらすぐ出ていくから!」


 ゆとりにも程がある。

 看病してくれている人物に対し、さすがにこの態度はない。

 しかし65才の痴漢に体の面倒を見てもらうというこの状況は、思春期の少年から優しさを尽く奪い去っていた。


「それで構わん」


 だが、リュリュの口から出たのは了承の返事。


「じゃが、勝手に出て行くなよ? イッペーに渡す物がある。餞別に凄い物をくれてやろう」


 ニッコリ笑う老婆には、もう過去を後悔して泣いていた面影など欠片も存在しなかった。


「リュリュ自身じゃねえだろうな?」

「……………………」


 リュリュは笑顔のまま固まった。


「あの犬の破片。スゲエ魔力が籠ってたんだろ? もしかして若返られそうなんじゃねえのか?」

「……………………」


 もはやチンピラだった。

 一平の声も視線も、これでもかという程にとんがっている。

 若返った所でババアはババア。しかも犯罪者。

 元の皺くちゃなババアの姿を知っているのに、若返ったから何だというのか。

 これからスタイル抜群の美女美少女が選り取り見取りなのだ。

 犯罪ババアが本当に美女に変身したとして、こんなダメ魔法使いと行動するなどデメリットがでかすぎる。


「ついてくんなよ?」

「……………………」


 一平は徹底していた。

 勇者とは誰にでも優しい存在ではあるが、甘やかす存在ではない。

 傷つき打ちひしがれた者に手を差し伸べた後は、一人で歩けるように見守る者の事なのだ。

 若返って人生やり直す。

 良い事だ。頑張って青春を取り戻してくれ。一人で。


「絶対ついてくんなよ?」

「さて、そろそろ術式の最終調整に戻らねば」


 皿の乗ったトレイを手に、リュリュはいそいそと部屋を後にした。


「絶対連れてかねえからな!! エロババア!!」


 そして、さらに明けて翌朝。

 ファンタジー印の魔法の薬が効いたのだろう。

 一平の筋肉痛はすっかり無くなっていた。

 目が覚めた一平はさっそく全身の動きを確認し、問題がない事に顔を綻ばせる。


「行くか」


 体中の包帯を外し、急いでパーカーと学生服を身に付けた一平は、ソロリソロリと部屋を滑り出た。

 昨日のリュリュとの会話から、どう考えても逃げ出すのが吉だ。

 このままだと絶対に碌な事にならない。

 空腹を抱えた一平は、痴漢ババアに取り憑かれるくらいなら飢えた方がマシだと判断したのだ。

 だが。


「ずいぶん早起きじゃな、イッペー」

「ヒィ!?」


 一平は忘れていた。

 お年寄りは朝が早いという事に。


「も~、イッペーはせっかちさんなんじゃから」

「なっ!? か、体が動かねえ!?」


 リュリュのテンションはおかしかった。

 右手に黒杖を持ったまま、クネクネと体を揺らしている。


「まあ私も? 楽しみすぎて? 全然寝とらんのじゃけど?」

「は、離せババア!!」


 徹夜明けでテンションがガン上げされていたリュリュは、既に拘束魔法を五重展開していた。


「ほれ、こっちじゃイッペー」

「チクショウ!! 離せえええええええええええ!!」


 拘束した一平を浮遊させ、老婆は悲痛な叫びを上げる少年を魔法の実験室へといざなう。

 もはや一平の貞操は風前の灯火だった。


「見よ、これぞ我が魔道の結晶」


 そこは一平が召喚された部屋だった。

 空間魔法で拡張されただだっ広いその部屋には、召喚魔法の時同様、巨大な光の魔法陣が設置されていた。


「ここから先は一滴の力も無駄にできん。そこで黙って見とれ、私の勇者」


 拘束魔法を解かれた一平は、その光景に圧倒された。

 それはまさしくファンタジー。

 浮遊したリュリュが、魔法陣の中心へ向けて滑って行く。


「魔力は十分。後は私が制御しきれるかだけじゃ……」


 一平は固唾を飲んで見守っていた。

 なぜなら、あの魔法装置の中心点で黒杖を構える老婆が、命を賭けているのが分かったからだ。

 邪魔してはならない。


「私はやり直す」


 魔法陣から、無数の光の玉が溢れ出す。

 光が乱舞するその光景は、信じられない程に幻想的だった。

 しかし、とても危険な美しさ。


「私の勇者と共にゆく」


 それは願い。


「釣り合うだけの体が欲しい」


 それは祈り。


「イッペーと一緒に、遊びたい」


 想いの全てを込めて。


回帰ルヴィエン


 無数の光の玉がリュリュを貫いていく。

 魔法陣が光の帯となり、老魔法使いの体を幾重にも縛り付けた瞬間、甲高い音を立てて光は全て吹き飛んだ。

 何もない静寂の中、大魔法を行使したリュリュの身がドサリと床に落ちた。


「リュリュ!!」


 一平は駆け出した。


「くっそ! やっぱテンプレ通りに死んじまった!」


 最後まで酷い一平。

 一平は慌ててリュリュを抱き起こす。


「うおおおおおおおお!?」


 そして驚愕した。


「ぅ……ぁ……イッペー……?」


 リュリュは生きていた。

 一瞬気絶していたようだが、さすがにここで死んでは死に切れないだろう。

 一平が予想したリュリュの死亡フラグ。

 遂にそれが折れた瞬間だった。


「リュリュ! アンタ若返ってるぞ!」

「なんじゃと!? 成功したのか!?」


 完全に覚醒したリュリュは、全力で跳び起きた。

 そして腕を捲りながら手を凝視する。


「ハハ……ハハハ……」


 皺ひとつ無い。

 ペタペタと顔を触れば、つるつるピチピチの肌触り。


「やった……やったぞイッペー!」


 リュリュは歓喜して一平に顔を向けた。

 それは輝くような笑み。

 一平は、ポカンとした顔をしてリュリュの顔を凝視していた。


「? なんじゃ、どうし──ッ!」


 リュリュは気が付いた。

 一平の表情。それに似た物を何度も見た事がある。

 十代、二十代の時、己を見てくる男の表情は大抵そんな感じだった。

 あまりの美しさに目を奪われてしまっている顔。


「ぁ……イ、イッペー?」


 リュリュは一気に鼓動が跳ねた。

 自身が赤くなっているのが分かる。顔が熱い。

 昨夜、何度も考えていた。そしたら眠れなくなった。

 若さを取り戻せたならきっとうまくいく。

 美しさには自信があった。

 男達からチヤホヤされて調子に乗った事もある。

 恋も結婚もいつでも出来ると、男そっちのけで、趣味と化していた魔法にのめり込んだのだから。


「リュリュ……」


 溜息のような一平の声。

 徐々に、そう徐々に一平の顔が輝きだす。


「……若返りすぎ」

「は?」


 瞬間、腹を抱えて馬鹿笑いする一平。


「リwアwルwバーローwww」

「へ? へ?」


 うひゃひゃひゃひゃと、草(w)を生やす程に一平の笑いは止まらない。

 リュリュは慌ててローブの胸元に顔を突っ込んだ。


「なんじゃコレェェェェェェェェェェ!!」


 そう、リュリュは己の理想に届かなかった。

 あと一歩、届かなかったのだ。


「無い!? 私のナイスバディがどこにも無いんじゃけど!?」


 リュリュは幼女にクラスチェンジしていた。

 パンパンと胸を叩くも、そこに膨らみは欠片も無い。

 代わりにお腹がぽっこりしている。

 完璧な幼児体型だった。


「ダメ魔法使いwww」

「誰がダメ魔法使いじゃ!!」

「オマエだオマエ」


 一平はツボに入ってしまったのか、爆笑がまったく止まらない。

 そりゃまあたしかに、あれだけ色々想いを込めた言葉を吐いたのに、結果がこれではあまりにも残念過ぎる。


「お前なんなの?」

「……………………」


 一平は笑いが止まらなかった。


「元冒険者で、元宮廷魔法師で、現在進行形のテロリストで、性犯罪者で、ひきこもりで、65才のババアで、今はロリ」

「……………………」


 リュリュはもう泣きそうだ。


「お前どんだけ設定増やすんだよ、ロリババア」

「……………………」


 今までずっとアンタと呼んでいた代名詞が、オマエに変わった。

 一平の中で、少しだけリュリュの立ち位置が変化したのかもしれない。


「そろそろ行こうぜ、リュリュ。次の冒険は冒険者ギルドで依頼を受ける事だ」


 笑顔で旅立つ。





第一部完

ようやく第一部終了しました。

第一部というかプロローグかな?

これからも頑張ります。

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