第四話「勇者」
「うおぉぉ……、これが転移かぁ……」
一平はとてつもなく感動していた。
日本では滅多にお目にかかれないゴツゴツとした岩場が目の前に広がっており、その風景に圧倒される。
初めての魔法体験。
いや、召喚魔法が最初の体験であり、違う場所に跳んだという結果も同じではある。
しかし、テレポートなんていう超常現象を行使できる存在と共に、跳ぼうと思って実際に跳んだのだ。
「リュリュ、スゲエ……」
現実に瞬間移動を経験した事は、ここが本当に魔法のある世界なのだと強く一平に実感させた。
「な、なんじゃいきなり。転移魔法の使い手なんぞ町に数人はおるぞ」
そんな心からの感嘆を受け取り、リュリュは照れる。
その右手は少年の左手と繋がっていた。
しかし、転移魔法は術者の体に接触した物しか一緒に移動できない、というわけではない。
直接触れていた方が魔力の節約になるのは確かなのだが、そんな負担は元宮廷魔法師の実力ならば無視しても構わない事。
だがまあ、戦闘の前に無駄な魔力を消費するなど、馬鹿げていると言えば馬鹿げてもいた。
故に、リュリュは断固として譲らなかったのだ。
危険な生き物である竜を見に行くというのは、ただ単に一平のわがまま。
しかも、竜が居そうな場所の心当たりがあるのも、そこに一瞬で連れて行けるのも老婆だけ。
だからリュリュはごねた。
魔力消費を盾にごねてごねてごねまくった。
最初は抱き合っていなければならないと言いだし、あわや喉笛を噛みちぎられそうになる程にごねた。
結果、折衷案として合法的に少年と手を繋ぐ権利を得たのである。
「で? いつまで握ってんだよ、早く離せ」
「……………………」
一平はジト目でリュリュを見たのだが、逆に手に力を籠める老婆に怖気が走る。
「離せよおおおおおおお!!」
「あ、あとちょっと! あと10数えるまでじゃから! はい、い~ち。に~~い。さ~~~ん……」
「もう誰か捕まえてよお!! 早く捕まえなきゃ駄目だよこの人お!!」
なんにせよ、一平は人生初の転移に満足し、リュリュは初めて異性の手を握れて幸せだった。
第四話「勇者」
「むう、おらんな」
リュリュの家から直接転移した後、二人でしばらく岩場を探索したのだが、竜どころか生き物の影がまるでない。
「え~~? 頑張って手まで触らせたのにいないのかよぉ……」
やたらと残念な声をだし、一平は落胆を隠しもしなかった。
「頑張らんと手を握る事もできんのか! 失礼すぎるじゃろ!」
当然憤慨するリュリュ。
いくら老いたとはいえ、乙女を汚物扱いするなど失礼にも程があるだろう。
一平は紳士という単語を覚えなおす必要があった。
「あたりまえだろ? リュリュが男と手を繋ぐなんて、ホントは大金が必要なんだぞ?」
「そんなわけあるかボケエエエエエエエエエ!!」
酷い。
あまりに酷い言い草に、リュリュの怒りは怒髪天を衝く。
「だから今まで手を繋ぐ事すら出来なかったんじゃねえか」
「ッ!?」
が、一平の言葉には説得力があった。
「もう二度とないかもしれないから、さっきの痴漢行為には目を瞑ってやったんだぞ」
「ッ!? ッ!? ッ!?」
説得力があり過ぎて、老婆の心を容赦なく抉る。
リュリュの目にはみるみる内に涙が溜まり、先ほどまでの幸福感が絶望へと塗り替えられていった。
結局、一平が酷い事に変わりはなかった。
「ほら、許してやったんだから探索魔法みたいなの使ってドラゴン探してよ」
「ぶえっ……、ぶえぇぇっ……」
死者に鞭打つとはこの事か。
リュリュは遂に泣きだした。
足に力が入らず、腰が砕けてガクガクになりながら魔法の杖にしがみ付いている様は、いくらなんでも憐れ過ぎだ。
「誰が死にかけたカバのモノマネしろっつったよ! 真面目にやれ! 痴漢で訴えるぞ!」
「ぶえぇぇぇぇぇぇ……」
初めての冒険を絶対成功させたい一平。
その頭の中はドラゴンの事でいっぱいで、さりげなく老婆の心を折った事になど気づいてはいない。
リュリュはぶえっぶえっと嗚咽を漏らしつつも、幾万と魔法を行使したその身はなめらかに術を発動させる。
「……も、もうずごじ、行っだ所に、大ぎな魔力体があ゛る、ようじゃ」
「なんでいきなり泣きだしてんだよ……」
気丈にも、リュリュの精神は崖っぷちで止まっていた。
原因は目の前の少年の存在。
世界の残酷さに気が付いたとしても、人は希望があればそう簡単に壊れたりはしないのだ。
己が喚びだしたのは、希望の塊である勇者。共にいればいつかきっと……。
こうして依存は酷くなり、リュリュのチョロイン化は加速していく。
「そんなにドラゴンに会いたくないわけ? なんなら俺一人で行くけど?」
「だ、大丈夫じゃ……私もいっじょに行ぐ……」
「そ、そう? 年なんだからあんま無理すんなよ?」
「……………………」
良い子である一平は、なんか辛そうな老婆を労わった。まあもっとも、確実に駄目な方向の労わりではあったが。
鈍感主人公に憧れを抱いていた一平は、当然自身の在り方もそうでなければならないと考えている。
強くて、鈍くて、頑張り屋で、そして優しい王道主人公。
それを意識して振る舞おうとする間違った少年は、やはり鈍感の方向自体が間違っていた。
「無理してぎっくり腰にでもなったら大変だぞ?」
「……………………」
リュリュの示した方向にテクテクと歩き出す二人。
歩きながら一平は、急に泣きだしたり無口になったりする情緒不安定なリュリュを気遣う。
おそらくドラゴンと戦闘になるというのに、こんな調子ではそこが老婆の死に場所になりかねない。
「疲れたらすぐに言えよ? 足腰だって衰えてるはずなんだし」
「……………………」
さすがに出会って二日目で死なれるなど、リュリュの人生は一平を召喚する為だけにあったとでも言うのか。
少年は老婆の死亡フラグを叩き折るべく、声を掛け続けているのだ。
「お年寄りは頑張っちゃダメ。心臓麻痺とか脳溢血とか──」
「やかましい!! さっきからなんなんじゃよもおおおおおお!!」
遂にキレた。
「いや、なんか危険っぽいから折っとこうかと……」
「折れとるから! もうこれ以上ないくらい叩き折られとるから!」
折れる所か、リュリュでなければ心が砕け散っていただろう。
「えぇ!? いつのまに死亡フラグ折れたの!?」
「なんの話じゃあああああああああああ!!」
死亡フラグは折れないが、リュリュの心をへし折りながら進んでいく。
そして、大小様々な岩で視界が悪くなっている先に、一平がモンスターを発見した。
「あそこなんかいるぞ!」
「む? どこじゃ?」
一平はリュリュの体を岩陰へと引き摺りこみ、そっと顔を出しながら指差す。
「ほら、あそこ! 白い犬? みたいなのが岩に頭乗せてる!」
目的のドラゴンではなかったが、初めてのモンスターエンカウントに興奮する一平。
まだ少し距離はあるが、たしかに岩に顎を乗せた犬らしきものがいた。
「で、でけえ! さすがモンスター! 象くらいあるんじゃねえのか!?」
岩陰に隠した体がブルリと震えた。
全体像は見えなかったが、周りとの目測で対象の大きさを想像した一平は戦慄する。
象並の巨体を持つ犬など、まさしくモンスターに違いあるまい。
かつて読んだヒグマと戦う犬達の、常軌を逸した戦闘能力を思い出し、死闘を覚悟したその身が武者ぶるいを起こす。
「ぉ……ッ!」
自然と雄叫びが漏れそうになった。が、一平は必死に飲みこんだ。
爆発させるのは今じゃない。
拳を叩き込むその瞬間にこそ、一気に爆発させるべきなのだ。
──チッ、俺の中で暴れてやがる。こりゃいつまでも抑えてられねえぞ──
一体何が暴れているのか?
それは誰にも分からない。
右手を左手で抑えながらニマニマと気持ち悪い笑みを浮かべている一平以外には、きっと誰にも分からない何かなのだろう。
だが、そんな一平とは対照的に、リュリュは怪訝な顔を浮かべていた。
「妙じゃな……」
「ん? なんか言った?」
現役ではないが、リュリュは元冒険者。
しかも宮廷魔法師として何度か大型モンスターの討伐を経験しているリュリュは、既に思考を戦闘用に切り替えている。
老いたりとはいえ逃亡者であるその身の感覚が、妙な違和感を捉えていたのだ。
「この辺一帯には何もいなかったはずなんじゃが……」
「あいつだろ? さっき魔法で調べたのがあれじゃないのか?」
「いや違う。目標はもっとずっと先に居たはずじゃ。まだ五分の一も歩いておらん」
「距離を量り間違えたんじゃね?」
「失礼な! そんな事あるわけないじゃろ!」
「実際いない所に居るじゃん。ならミスったって事だろ?」
リュリュが行使した探査魔法は一定以上の魔力に反応するというだけであり、個体の特定などが出来る様な物ではない。
しかし、元々魔物とは生物として強力な個体であり、人間などよりも多くの魔力を垂れ流している。
故に、探索・警戒の為には十分な空間魔法だった。
リュリュは冒険者時代、この魔法の範囲、精度、共に磨きに磨きぬいてきたのだ。
自身の命に直結する魔法をミスるなどある訳がなかった。
「35年以上国の追手達から逃げ続けてきたんじゃぞ? 探査魔法だけなら私が天下一じゃ」
「なにその説得力。ゴメン、全面的に俺が間違ってるわ」
凄まじい説得力に、一平は素直に謝罪した。
缶蹴り世界大会があれば容易く優勝できるであろう実力者が、こんな何もない所で失敗する方がおかしい。
だが、ではなぜあのモンスターは探査魔法に引っ掛からなかったのか?
「……イッペー、今日はもう家に戻らんか?」
「はあ!?」
リュリュの突然の撤退宣言に、一平は非難の声を上げた。
「一平は竜が見たかったんじゃろ? あの魔物をなんとかしても、その先に竜がいるとは限らん」
しかし、リュリュの中で警報がビービー鳴っているのだ。
あれヤベー。超ヤベー。鬼ヤベー。と、嫌な予感が止まらない。
「そりゃそうだけどさ……、あの犬そんなに強いのか?」
まあたしかに、ドラゴンを見る為の冒険なのに、まったく関係ないでかい犬なんぞと戦うのは違うかもと思わなくもない。
しかし既にやる気になっていた一平は、ここで諦めるのも何か違うと感じていた。
「わからん。見た目はアーマーウルフに似ておるが、少々でか過ぎる。感じる魔力も竜並じゃ」
「ん? 竜並の魔力感じるのに、魔法では捕捉出来なかったって事?」
おかしな事を言ってくるリュリュ。
それはつまり、魔法を無効化したという事ではないのか?
あの巨体で魔法が効かないとなると最悪のモンスターだと言わざるを得ない。
「そうじゃ。もしかしたら特殊な能力を持つ変種かもしれん」
「オイィィィ!! それってつまりレアって事じゃん!!」
「は?」
だがしかし、一平は歓喜した。
初めての冒険でドラゴンを探していたら、なんといきなりレアモンスターに遭遇。
もはや主人公街道を爆進しているとしか思えない。
「うっはあああああああああああああああああああ!!」
遂にキレた。
ロマン回路が全力で回った一平は、そのまま雄叫びを上げて飛び出した。いや突貫した。
「レアモンゲットだぜえええええええええええええ!!」
「なにしとんじゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
リュリュは驚愕した。
見た事も聞いた事も無い魔物。慎重な行動を取らねば死ぬのはこちらだ。
しかも魔物とは、強力な個体になればなるほど天井知らずに魔力が上がっていくのだ。
肌で感じた魔力など目安に過ぎないというのに、セオリーを全て無視して一平は飛び出してしまった。
一体何を考えているのか。
ベテランだろうが駆け出しだろうが関係無い。というか、冒険者とか一般人とかも関係無い。
頭の正常な人間ならば、正体不明の魔物に突撃するなんて事自体がありえない。
ゲーム脳という言葉を知らないリュリュは、驚愕の声を上げつつも、己の勇者の後を追った。
「絶対逃がさねええええええええええええ!!」
一平は走る。
走る走る走る。
「ちょっ、待たんかああああああああ!!」
背後からの声などまったく無視し、一平は力の限り走った。
手足が軽い。馬鹿みたいに軽い。
チートの予兆を感じ取った一平は、口の端を吊り上げながら爆走する。
「キてる! いやキタ! チートキタコレ!」
うひょーと叫びながらひた走る一平。
脳内麻薬がどっぱんどっぱん出まくっている少年は、疲労を感じさせない凄まじい体力を見せた。
が、しかし、しばらく走った一平はおかしな事に気が付いた。
「…………あれ?」
なぜか、モンスターに辿りつけない。
「は? え? え?」
しかも目標の犬がどんどん大きくなっていくではないか。
「ええええええええええええええ!?」
少年は混乱した。
その場で立ち止まり、空間識失調を起こしたようにクラリと体が傾く。
「よ、ようやく、止まっえええええええええええええ!?」
ぶはあぶはあ、と息を荒くして追いついた、意外と健脚な老婆もまた悲鳴を上げた。
でかい。
さっき発見したモンスターが、アホみたいにでかいのだ。
「な、な、な、なんじゃこの魔物は……」
大小様々な岩が転がる変わり映えしない風景。
大型モンスターである竜より大きな犬などいるわけがないという先入観。
「く、空間が屈折しとるのに気付かんかったじゃと……ッ!?」
そして、空間魔法使いたるリュリュが違和感を覚えない程、大気の魔力に溶け込む高魔力体だった事。
それらが視覚の錯覚を起こしていたのだ。
いまだ距離があるにも拘らず、その巨体は目算で成体竜の四、五倍はある。
リュリュの探査魔法は失敗していたわけでも、無効化されていたわけでもなかった。
ただ単に、距離感がおかしくなる程巨大だったというだけだ。
ファンタジーとはいえあまりといえばあまりの生き物に、一平はポカンと電池が切れていた。
リュリュは、長年の経験と知識から該当する存在を探す。
「まさか……」
そして一つだけ思い至った。
「古代龍……?」
「古代竜? 俺にはでっかい犬にしか見えないんだけど?」
呆然と呟やかれたラスボス臭漂う厨二単語。
一平は瞬時に反応した。
雨の日も風の日も叩き込まれてきたオタクの魂が、ここで立ち尽くす事を許さなかったのだ。
「そっちの竜ではない。龍じゃ」
「? どう違うわけ?」
「龍とは存在の限界を超えた生物の総称じゃよ」
「ああ、なるほど。つまりなんらかの条件をクリアすれば、犬だろうが猫だろうが超強力な個体にクラスチェンジすると」
「う、うむ……うん? そう、なのか? イッペーの理解は常人とはかけ離れ過ぎとって素直に頷けないんじゃけど……」
なんとなく不安になるリュリュ。
一平は理解は早いのだが、奇行が激し過ぎてとてもじゃないが安心出来ない。
しかし、奇行に関してはどっちもどっちなので、リュリュもまた一平に安心される事はないのだろう。
ちなみに、二人は巨大な白い犬に目を向けながら長々と話しているのだが、今の所危険はなさそうである。
まだ少し距離がある上に、白い犬はでかい岩に顎を乗せて目を瞑ったまま寝そべっている。
規則正しく体が揺れている事から、おそらくは寝ているのだと思われた。
「ちゃんと理解したっつの。存在の限界って事は、一番分かりやすいクリア条件は寿命じゃねえの?」
「なぁ!?」
「魔力は寿命に直結しないって言ってたけど、元々人間よりも強い魔力を内包してるモンスターには例外があるんだろ?」
「ななななな!?」
「種が持つ寿命の数十倍、数百倍生きた個体。それはもうそれ一個で完成した種だ。寿命自体が存在しないんだろうさ」
「じゃからなぜ分かるぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」
僅かな情報から答えを導き出す。
サブカルチャーに限っていえば、英才教育を施された一平に隙など無かった。
「古代龍ってのは、龍の中でもさらに長生きしてる個体の事じゃね? それこそ伝説の中にしか存在しない個体って感じ?」
「ぅぅぅ……、本当に別の世界から召喚されたのか? いくらなんでも洞察しすぎじゃろ……」
リュリュはガックリと肩を落とし、この世界の説明役にすらなれない現実に打ちひしがれた。
いきなり恋人は高望みだとしても保護者代わりにはなれると考えていたのに、どうも少年は一人でも生きていけそうだ。
優秀過ぎじゃろ、と勘違いを加速させていく始末だった。
「まあ、野々宮家の麒麟児と呼ばれてたしな」
フフンと口を吊り上げ、調子に乗る一平。
が、そう呼んでいたのは両親だけである。
「だから、リュリュの辛さも俺には分かる」
「……は?」
調子に乗った一平は、なんか無性にカッコイイ事が言いたくなった。
「これでも天才の孤独は知ってるつもりだぜ?」
「ぁ……イッペー……」
パチリと一つウインク。
勿論、度を越したオタクは孤立しやすいし、そんな安い言葉でときめくリュリュはちょろいというだけの話だ。
「にしても、なんでアレが古代龍だって分かるんだ? ただの龍かもしれないじゃん」
「あ、ああ。私も確信があるわけではないんじゃが、現在ギルドで確認されている龍は四体。しかもその四体全てが竜種じゃ」
ドギマギしているのを悟られない様に、リュリュは慌てて説明する。
「竜種以外で龍に到達した魔物なんぞ、古代の文献以外では見た事も聞いた事もない」
「あ、そっか。元々強力な種だから、竜は自然界でも特に生き残りやすい。つまり龍になりやすい種族って事か」
「そういう事じゃ。さらに、龍に到った個体はその種の3~10倍くらいの大きさになるんじゃと。しかしアレは……」
「そうだな。どう考えても10倍20倍どころの大きさじゃねえよ、アレ」
二人は改めて巨大な犬を観察した。
異様にでかい。
小山くらいありそうだ。
というか、生物学的におかしい。あんな巨体では自重で動ける筈がないのだから。
「きっと魔法的な何かで体重支えてるんだろうな……」
「……イッペー」
テンプレだなぁと物想いに耽っていた一平に、リュリュは躊躇いながらも考えを述べる。
「ウルフ種の龍など聞いた事がない。だから最初、龍という可能性に思い至らなかった」
「しかも古代龍だし? チュートリアルで裏ボス出てきたようなもんだよな」
「ちゅーと……? ま、まあとにかくじゃ、初めての冒険としてはもう十分じゃろ、帰るぞ」
「……はあ!? いやいや全然十分じゃねえよ!?」
有無を言わさぬ言い方に面食らう一平。
まさしく、リュリュは一平の意見など聞くつもりは無かったのだ。
「いいや、十分じゃ。歴史上でも古代龍を見た者など数名じゃよ」
「……………………」
「お主は最初の冒険でいきなり伝説に出会った。そこらの冒険者とは違う星の下に生まれているのは確実じゃ」
だから、ここで冒険は終了。
ドラゴンを見る事は出来なかったが、そんなものが霞む存在を見る事が出来た。
即物的な報酬は無いが、一平の異世界最初の冒険は大成功で幕を下ろしたと言っていいだろう。
「じゃから、今日はもう帰るぞ」
しかし、そんな当たり前の理屈で目の前の少年が納得するだろうか?
あり得ない。
出会ってまだ一日しか経っていないが、そんな事はあり得ないと分かってしまう。
だからリュリュは杖を構えた。一平に向けて。
元冒険者として、人生の先達として、何よりも女として、目の前の常識外れの少年を死地に行かせるわけにはいかない。
手荒な真似はしたくないが、なんとしても連れて帰る。
この頭がおかしいとしか思えない少年との楽しい掛け合いが、たった一日で終わりなど絶対に認められない。
「……………………」
一平には、リュリュの考えている事が手に取るように分かった。
クラスの女子の考えは分からずとも、ここは何千回何万回と夢想したファンタジー世界。
そこで仲良くなった魔法使いが何を考えるのかなど、既に数百パターンはシミュレート済みだ。
「龍って強いんだよな?」
故に、一平はムカついていた。
「数千年生きた存在じゃぞ? その辺の竜なんぞ木端と同じじゃ」
──このババア、俺が死ぬと思ってやがる──
「しかも古代龍となりゃ、今度は龍が木端と同じってか?」
──異世界に来てたった一日で死ぬんだと確信しやがった──
「その通りじゃな。文献通りなら人類総出でも戦闘にすらならんじゃろう」
──その人類総出には、『野々宮一平』が数に入ってねえよ──
「伝説のレアモンスターに遭遇して逃げだす? 地球の全ゲーマーに指さして笑われるんだけど?」
一平は縦に大きく足を開くと、つま先のみで大地に立った。
「ここはカリエール大陸のベラン王国、その外れのラノワ高地。チキュウもげーまーとやらも知らん」
少年が戦闘態勢に入るとみた女魔法使いは、体内の魔力を一気に練り上げ右手の黒杖に集めた。
「ババア。俺なんかじゃ古代龍に勝てないって決めつけたな?」
つま先立ちを維持できるギリギリまで膝を曲げた一平は、さらに上体を限界まで後ろに反らす。
大事なのは角度。
不自然な体勢でありながらも、それ故に優美さが洗練されていく。
「たとえ勇者が100人いても勝てん。古代龍とはそういう存在じゃ、小僧」
リュリュは、黒杖により増幅された魔力を拘束術式へと組み込んでいった。
しかしその顔に広がるのは怪訝。
一平の取る構えは、とても戦闘前の予備体勢には見えない。
「うっは、なんというテンプレなセリフ。勝利フラグが立ちますた」
指を広げた左手のひらで顔を覆い、右人差し指を前方に突き出す一平。
角度。大事なのは何よりも角度だ。
顎、首、肩、肘、手首、腰、膝、足首、それらを無意味に、大げさに角度をつける。
「勝利など不可能……ってなんじゃそのポーズ!? 真面目にやらんかああああああああ!!」
リュリュは遂に叫んでしまった。
ジョジョ立ちというものを知らないリュリュには、一平の戦闘態勢は看過できる物ではなかったのだ。
命が掛かっている緊迫した場面。
ここでふざけるなど、命を蔑ろにしているとしか思えない。
「コレが天乱八手の構えだ」
「嘘つけええええええええええええええ!!」
が、一平は至極真面目だった。
リュリュの怒りなど心外だと言わんばかりに、その美しい姿勢は微塵も揺るがない。
「そんなおかしな構えがあるわけないじゃろ!?」
「ふざけんな!! このカッコイイ構えのどこがおかしいんだよ!! ケンカ売ってんのか!!」
「そんな体勢でどうやって咄嗟に動くつもりじゃ!! あまりに不合理じゃろうが!!」
リュリュの言い分はごもっとも。
一平の構えは合理性と言う物が完全に欠如している。
しかし──
「はっ! 合理だあ? じゃあ今のリュリュの体勢は、合理を極めた最強の構えなんだな?」
「む?」
「最高で最強で理想の構えなのかって聞いてんだよ」
「……………………」
一平の反論に応と言う事が出来ない。いや、出来る筈がない。
いくらなんでも自身の構えが理想型であり完成型であるなど、それは自信ではなくただの自惚れでしかないのだから。
「自信を持って即答できないのか? ならリュリュ、そこがアンタの限界だ!」
「な……ッ!?」
つま先立ちで上体を反らすという、もはや空気椅子状態でプルプルしてくる足を無視し、一平は父の教えを思い出す。
幼い己に、厳しくも愛をもって説いた父。
”いいか一平。構えとは、動作前の体勢の事じゃない。効率化を極めた方が強いのなら、人は獣に勝てないという事になる”
”じゃあ構えってなに? なんのために構えるの?”
”構えとは儀式だ”
”ぎしき?”
”そうだ。己の内に眠る、強大で強靭な力を目覚めさせる為の儀式”
”きょうだいできょうじんな力……”
”闘いの前は誰でも震える。どんな強者でも戦闘は恐ろしい物だ”
”ぼくはだいじょうぶ! こわくないよ!”
”ハハハ、一平は強いな。だがな、一平。戦闘の前には必ず形作れ、無敵の自分を”
”むてき?”
”そうだ。かっこよくて、美しくて、天を乱す程に最強の己を形作るんだ”
”さいきょうのおのれ……”
”それこそが──”
「天乱八手の構え! 故に最強の構えだ!」
ズギャーン。という効果音は鳴らなかったが、リュリュの心には効果的に作用した。
スゲエ、なんかスゲエ。よく分からないけど、なんか超カッコよく見えてきた。え、うそ、ホントに最強の構えなの?
目を見開くリュリュの心はスゲエ一色。
重心もバラバラ、というか動ける体勢じゃない上に戦闘を馬鹿にしてるとしか思えない滑稽なポーズ。
でも、超カッコイイ。
「そ、それが最強の構えだとしても、構えだけで勝敗は決まらん……」
そう反論するも、リュリュの心臓はドッキンドッキン。
構えた一平の姿が、もう格好良く見えて仕方がないのだ。
恐ろしきは日本のサブカルチャー。
ファンタジー世界のファンタジーそのものである魔法使いは、徐々にサブカルチャーに汚染されていた。
「勘違いするなよ、リュリュ。俺は最強の形を見せたかっただけで、リュリュに天乱八手を撃つつもりはねえよ」
俺を心配してくれてるんだろ?
一平の言葉はとても穏やかだった。戦闘直前に出せる声音ではない。
「もし万が一ここで死んでも、俺に悔いは無いぜ?」
本心かどうかは分からない。
ただ雰囲気に酔って、カッコいいセリフを言ってみただけかもしれない。
しかし、その言葉は確実にリュリュの心をへし折りに掛かっていた。
「私が悔いる。そんな事は許さん」
「ここで逃げ出してどうすんだよ。イベントをクリアしてくから面白いんじゃん」
「逃げれば命が助かる。ここで古代龍に挑む事に何の意味があるんじゃ? 無駄に命を投げ捨てる行為など絶対に許さん」
リュリュは正しい。
冒険者としても人としても正しい、まったくの正論。
だからこそ、リュリュはその正論で耐える事を選択した。
ここで説得できねば一平が死ぬ。でも無理やり連れて帰ればきっと嫌われる。どちらも嫌だ。
決定的な決別を避ける為に、リュリュは正論の盾にしがみ付いて耐えきるしかなかったのだ。
「じゃあリュリュは幸せだったのか?」
「……なに?」
「命を守るために35年以上も一人きりだったから、きっとリュリュはたくさんイベント逃してきたんだぞ」
「ッ!?」
衝撃。
リュリュの全身を衝撃が貫いた。
己は過去を後悔して生きてきた。
しかしその後悔は、国を追われる原因となった失敗に対してだけだ。
目の前の少年はその後の事を言っている。
失敗した事にではなく、その後の生き方を非難しているのだ。
「魔法で姿を変えられなかったとしても、名前を変えて生きていけばよかった」
「……………………」
「そりゃバレる可能性は高いよ? 命の危険だって隠れて生きるより格段に高いだろうさ」
でも。
「楽しい事やりたい事、全部捨てたら大損じゃん。命がある事よりも遥かに損してるじゃん」
「……ぁ……ぅ……」
綺麗事を吐く少年を睨みつけながらも、老婆の胸には熱い物が止まらなかった。
リュリュには分かる。ボロボロと涙が止まらないリュリュには、一平の言っている事が分かってしまう。
実際に大損こいた老婆には、幸せも思い出も何も無かったのだから。
「ぞれでも!! い゛や゛なんじゃ!!」
それは悲鳴だ。
「イッベーがいなぐなる!! ぞんなのは耐えられん!!」
この自分の所為で人生を台無しにした自業自得ババアは、全力でわがままを叫んだ。
「なら一緒に死んでくれよ」
だから、一平は道を指し示す。
「……ぇ?」
この身は勇者にして主人公。
「あのレアモンに負けて死んだら、リュリュも一緒に死んで?」
泣いてる者に笑顔で手を差し伸べるなど、鼻くそほじるよりも簡単な作業だ。
「……うぁ……ぁ……ぁぁぁあああああああああああああああ!!」
リュリュは泣いた。
年甲斐もなく、幼子のように泣き喚いた。
こんな存在がいる。
目の前に、天才ですら理解出来ない存在が本当にいる。
出会ってたった一日しか経っていないのに、一緒に死んでくれなどと、頭がおかしいにも程があるだろう?
「ああああああああああああああああああああああああああああ!!」
「うるせえな!! レアモン逃げたらどうすんだ!!」
なのに、なぜか凄くうれしい。
これが、勇者。
「俺がカッコイイのは分かったから、いつまでもカバみたいに大口開けてねえでとっとと行くぞ」
「なんなんじゃよもおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
いいだろう。人生をやり直す為に命を捨ててやる。
チップはクソみたいな命一つ。
もし賭けに勝てたのなら、その後はやりたい放題して生きてやる。
リュリュの全身に活力が満ちていった。
枯渇した精力など、噴き出る魔力の前には意味を成さない。
まずはあの古代龍をブチ倒して魔石を奪う。
伝説の古代龍の魔石ともなれば、千回若返ってお釣りがくる筈。
若返ったらずっと勇者の傍にいればいい。死ぬ時は一緒だと言ってくれたのだから。
リュリュの止まった時間が動き出した。
動かしたのは異世界の少年。
最強のコンビが初めて挑むモンスターは、世界最強の古代龍。
激戦は必至だった。
ちなみに、命の危機の様な精神に多大な負荷が掛かっている状態でやさしい言葉を掛ける事を、洗脳という。
一平の行った事がただの悪質な洗脳だという事に気付かない二人。
それはきっと、とても幸せな事に違いなかった。