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第二話「リュリュの過去」



「……ん?」


 肌寒い冷気を感じ、少年の微睡みは終わりを告げる。


「どこだここ……」


 一つ欠伸をし、むにむにと目を擦った後でそんなテンプレートを口にした。

 一発で高級だと分かるフカフカのベッドから身を起こした少年は、未だ覚醒してこない頭で周りを見渡す。

 広さは十畳ほどだろうか、そこそこ広い部屋に鏡台と小さなテーブル、そして自身を乗せる大きなベッドがあった。


「……寒い」


 一つしかない窓は開けられ、そこから日の光と共に早朝の澄んだ冷気が入り込んできていた。

 あまりに寝心地のいいベッドの魔力に抗えず、肌寒い冷気から身を守ろうと布団に包まったのだが、不意に香ばしい匂いが。

 鼻が焼き立てのパンの匂いを感じ取り、ぐぅ~と腹が鳴った瞬間、一平の意識は完全に覚醒した。


「そうだ! 召喚されたんだった!」


 ガバッと布団を剥ぎ取り、全力で飛び起きる一平。


「って、超寒いっ!?」

 

 しかし、あまりの寒さにその場で縮こまってしまった。

 そりゃそうだ。なぜなら、一平はパンツ一枚しか身につけていなかったのだから。

 なんで裸? と思うも、首を周囲に回して服を探す。

 呆気なく小さなテーブルの上に畳まれた自身の学生服やらパーカーやらを見つけ、寒さから身を守る為に素早く身に付けた。


「そういやお婆さんに召喚されたんだよな……」


 一段落ついた一平は、そう呟いて顔を伏せる。

 ヒロインに喚び出されるパターンじゃなかったのかと落胆したのだが、そんな落胆は一瞬だった。


「まさか召喚者が師匠のパターンとはね」


 そうきたかと頭を掻きながら、一平の未来予想は止まらない。


「となるとあのお婆さん死亡フラグ立ってんぞ」


 命の少ない師匠が弟子を鍛え上げ、奥義を託して死んでいく。

 そんなありがちな事を考えつつ、一平は匂いにつられて部屋を出る。


「すぐ死んじゃうかもしれないし、やさしく接してあげよう」


 少年の目には憐憫が浮かんでいた。

 無茶苦茶失礼な事を言っているのだが、その自覚は彼には無い。

 というか逆に、俺のこの甘さはいつか俺自身を殺すかもな……、と自分に酔う始末。

 基本的に良い子ではあるのだが、無神経な所が彼の欠点だった。

 どうやら二階にいたらしい一平は、匂いを頼りに階段を降りる。

 降りた先にはリビングが広がっていた。

 火の入った暖炉、壁一面の本棚、テーブルや椅子にソファまであり、そしてその全てが妙にアンティークだ。


「うはっ、ナイスファンタジー」


 一平は分かりやすい光景に感動である。


「む。お、起きたのか」


 その時、奥の方から昨日の老婆が顔を出した。

 その手にはいくつもの丸パンが入ったバスケットが。


「あ、師匠、おはようございます」

「は? し、師匠……? な、なんぞよく分からんがそこに座っておれ。詳しい話は朝食の後じゃ」


 シチューが冷めてしまう、とテーブルにバスケットを置いたリュリュ・シェンデルフェールは椅子を指さす。

 一平は素直に従い、テーブルに備え付けられた四つある椅子の一つに座った。

 腹が減っては戦は出来んのは事実。

 どもども、と言いながら手伝う素振りの無い少年は、間違いなくゆとり教育の犠牲者であろう。

 一平がキョロキョロと部屋を見回している間に、たいした時間もかからず食卓は完成した。


「へ~、異世界の朝飯って豪華なんだな」


 一平が目を丸くする通り、テーブルの上にはかなり豪勢な料理が乗せられていた。

 丸パン、シチュー、サラダ、魚と野菜のソテー、さらに肉のワイン煮。それが二人分。

 一品ずつの量はそれほどでもなく、テーブルには所狭しと皿が置かれている。

 少々重たすぎる気もするが、昨晩夕食を摂りそこなった若い肉体には好都合だった。


「異世界……? ま、まあ今日は特別じゃ。は、初めての食事じゃから……」


 一平の呟きを捉えたリュリュであるが、二人が出会って初めての食事。詳しい話は後でもよかろうとスルーした。

 最後のメニューである果物の盛り合わせをテーブルに置くと、自身もまた席に着く。

 一平の隣に。


「……………………」


 てっきり反対側の対面に座ると疑っていなかった一平は、意味が分からず無言で真横のリュリュを見た。


「……………………」


 リュリュもまた、一平の視線に気付き無言で見詰め返す。

 そして、老婆の頬が朱に染まった。


「なんで赤くなんだよおおおおおおおおお!!」


 叫んだ一平は全力で椅子から飛び退いた。


「な、なんの事じゃ? わ、私はこれっぽっちも赤くなってなどおらんが?」

「嘘つけ! だいたいどうして隣に座った!? 明らかにおかしいでしょおおお!?」

「ぐ、偶然じゃ! なにもかも偶然なんじゃ!」

「そんな偶然があってたまるか! このエロババ……ハッ!?」


 支離滅裂な言い訳をしようとする老婆に罵詈雑言をぶつけようとした瞬間、一平の全身に戦慄が走る。

 なぜ、自分は、パンツ一枚で、寝ていたのだ?


「うわあああああああああああああああああ!!」


 一平は悲痛な叫びを上げ、ズボンのホックを全速で外し、パンツの中に手を突っ込んだ。

 そしていたる所をまさぐりながら、己が清い体なのかを確かめる。


「い、いきなりどこに手を突っ込んどる、この変態小僧!」

「やかましい!! 俺の体に何したんだエロババア!!」


 半泣きだった。

 もしこれで股間がガビガビだったら、目の前のババア諸共己を火だるまにするしかない。

 一平は確実な消毒法を考えながら、しかし、自信はないが行為の痕跡は感じられなかった。


「だ、誰がエロババアじゃ! こ、こ、小僧に欲情するはずないじゃろ!」

「じゃあなんで俺パンツしか穿いてなかったんだよ! アンタが脱がしたんだろうが!」

「は、鼻血じゃ! お主の服が血だらけだったんじゃ!」

「血だあ?」

「う、うむ。そのままではベッドに寝かせられん。服も洗っておいた」

「……あ」


 そういえばと思いだす。

 召喚された時、顔面から落ちて流血した記憶があった。


「あのベッドは私のお気に入りなんじゃ。ふとんも最高級品じゃし、血で汚されてはかなわん」


 その言葉を聞いて、一平は漸く安堵した。

 

「あ~……その、ごめんなさい」


 安堵しただけでなく、罪悪感が湧いてきて素直に謝る。

 どうやら服の洗濯以外にも、目の前の年寄りの寝床まで奪ってしまっていたようだ。


「ベッドまで譲ってくれたのに、ババアとか言っちゃって……」

「き、気にするな。広いベッドじゃからな、ひ、一人くらい増えても、じゅ、じゅ、十分一緒に寝られる」

「……………………」

「ほ、ほれ、料理が冷めてしまうぞ」


 一平の素直な謝罪がくすぐったかったのか、リュリュは顔を染めた。そしてニッコリとハニカミながら食事を促す。


「……すみません、もう一度言ってくれます?」

「む? な、何がじゃ?」


 しかし、一平の声には一切の感情が無くなってしまったかのよう。


「一緒に寝たとか聞こえましたけど?」

「……う、うむ」

「ホンマモンじゃねえかああああああああああああああ!!」


 遂に一平は泣きだした。


「な、なんじゃ!?」

「なんだじゃねえよ!! この犯罪ババア!!」

「誰が犯罪ババアじゃ!」

「意識の無い相手を脱がして同衾すんのは犯罪だボケエエエエエエエ!!」

「ぐ、偶然じゃ! ベッドが一つしかなかったんじゃ! なにもかも偶然だったんじゃ!」

「俺の綺麗な体かえせえええええええええええ!!」


 収拾はつきそうにない。


 




 第二話「リュリュの過去」






「……本当に何もしてないんだろうな、ババア?」


 目を真っ赤に腫らしながら、モソモソとパンを頬張る一平。

 ガチで泣きだした一平は、何度も無罪を主張し続けるリュリュをとりあえずは信じる事にした。

 実際、腹がぐ~ぐ~鳴って仕方なかったのだ。

 このババアは師匠枠なのだと心の中でで唱え続け、無理やり己を納得させた。


「ババアはやめんか。リュ、リュリュと呼べ」


 背筋を伸ばし、綺麗な姿勢で食器を操るリュリュ。

 上流階級の出なのか、マナーは完璧なようである。


「そんなのどうでもいいから答えろよ! ちゃんと答えてくださいよ!」

「人の名前をどうでもいいとはなんじゃ! 言わねば答えん!」

「分かったから何度でも否定してください! リュリュさん!」


 一平は安心が欲しかった。

 夢の異世界ライフの初っ端からトラウマなんぞ欲しくない。

 己の初めては美少女でなければならないのだ。いや、もう少女であってくれれば美醜とかどうでもいい。

 そうでなければ精神が崩壊してしまう。


「リュ、リュリュと呼び捨てでかまわんぞ……」

「そんなんだから安心できねえんだろうがあああああああああああ!!」


 しかし、言動がいちいち怪しい老婆がまるで信用できない。


「なんでチョイチョイ恥ずかしがるんだよ!? 頼むから普通にしててくれよ!」

「は、恥ずかしがってなどおらん! そ、その、少し緊張しておるだけじゃ」

「どうして緊張すんの!? アンタからしてみたら俺なんて子供でしょうが!」

「お、乙女ならば異性と話す時は緊張するもんなんじゃ! そんな事も分からんのか!」

「どこが乙女だ! 本気でアウトだよこのバアさん!」


 泣きたい。とんでもないのに召喚されてしまった、と一平は己の運命を呪う。

 だが、己の運命を呪っていたのは、少年だけでは無かった。


「乙女じゃ……」


 俯いた老婆の口から絞り出る呟き。


「あ?」

「私は! 乙女じゃ!」


 リュリュはクワッっと目を見開き顔を上げた。しかも、その瞳からは涙が零れそうになっている。


「は、はあ? 何言ってんの?」

「じゃから! 私は、乙女なんじゃ!」


 鬼気迫る勢いでいきなり乙女を連呼し出したリュリュと、そんな老婆の様子に困惑するしかない一平。


「……ああ、女はいくつになっても乙女って事? 馬鹿言うなよ。ババアはどこまでいってもババアなんだぞ?」


 クソ失礼ではあったが、明らかな犯罪者思考になっている老婆の為に、心を鬼にして言う。

 このまま放っておいたらこの婆さんは間違いなくブタ箱行き。

 召喚してくれた恩もあるし、なんだかんだで世話してくれている。

 おそらくは魔法の師匠になる人物なのだ。犯罪者になる前に真人間にしなくては。


「歳を考えようぜ、リュリュさん……リュリュ」

「……………………」


 別に、どうしても呼び捨てて欲しいなら構わない。

 一平は嫌々ながらも、寛大な心でリュリュの名を口にした。

 そんな諭す様な声音に鎮火したのか、リュリュは俯きながらも食事を再開する。


「……………………」

「……………………」


 さっきまでの熱はどこに行ったのか、妙な沈黙が食卓を支配した。


「……………………」

「……………………」


 しばらく互いに黙々と食事を摂っていたのだが、なぜかまたも話を蒸し返す者が。


「乙女じゃもん……」


 リュリュだった。リュリュ・シェンデルフェール、65才。

 天才とは自身の論理を簡単に引っ込めたりはしない人種なのだ。


「もんってアンタ……、鳥肌が立つから止めてくれよ」


 一平は戦慄した。

 何がこの老婆を支えているというのか。

 キモイキモイと言われ続けてきた己だが、この目の前の老婆も十分キモイ。

 こんなのを師匠にして大丈夫なんだろうか、今すぐ逃げるべきでは? そんな考えが頭をよぎる。


「……乙女なんじゃ」

「も、もういいよ、分かったから。リュリュさん……リュリュは間違いなくおと──ッ!?」


 もういい加減うんざりしていた一平は、リュリュの言葉を肯定しようとした。

 それで話は終わりの筈だった。

 しかし、気付いた。一平は気付いてしまったのだ。


「あ、あの、リュ、リュリュ? 失礼ですが、そ、その、ご結婚はされて……」

「……そんなのした事なぞない」

「……………………」

「……………………」


 落ちる沈黙。

 聞けない。もう聞く事は出来ない。

 一平は理解した。

 この目の前の婆さんが、本物の乙女である可能性がある事に。

 自身の予想が正しければ、正真正銘、物理的に乙女なのだ。

 昨日意識が無くなる直前に、たしか65才だと言っていた。

 日本では30才を超えれば魔法使いと認定される。

 しかし、目の前の婆さんはレベル65。大魔道士どころか超魔道士クラス。


「……………………」

「……………………」


 やったあ、超魔道士の弟子になれるなんてラッキー。などとポジティブに思おうとしたのだが、無理だった。

 一平にはこの重苦しい空気を打破する術がない。

 美味しいのだが味の感じられない肉をモゴモゴと咀嚼し、息を殺して時が過ぎるのを待つしかなかった。


「……むかし、天才と呼ばれた女魔法使いがいたんじゃ」

「は、はひ?」


 そんな、やたらと気まずい空間で、唐突にリュリュが口を開く。

 なにやら昔語りが始まった。


「才能だけでなく、その女はとても美しくてな」

「え? あ、ああ。う、美しかったんスか?」

「うむ。美しいなんて言葉が霞むほどに美しかった。美しくて美しくて、その心すら美しかったんじゃ」


 えらい美しいを連呼しているが、どうやら自身の過去を語っているのだろう。


「どれくらい美しいかというと、それはもう滅茶苦茶美しくて──」

「あ、その部分飛ばしていいっス。先に進んで下さい」


 一平はちょっとイラッとした。

 語彙が少なすぎる事から、天才だというのも話半分に聞いておいた方がよさそうだ。


「そこは大事なとこなんじゃが……」

「ならもう聞くつもりないんだけど」

「16で冒険者になり、そしてわずか二年で大陸に名を馳せた女は宮廷に招かれ、そのまま宮廷魔法師になったんじゃ」


 それが運命を狂わす事になるとも知らずに。

 素早く話を再開し、人生に絶望した老魔法使いは後悔を口にする。

 それを黙って聞いていた少年は、うはっ冒険者とかワクテカが止まらん、と内心は希望に満ち溢れていた。


「その女は天才じゃった。宮廷魔法師になって7年、その短い時間で宮廷位階第五位にまで上り詰めるほどにの」


 フッと自虐を浮かべたリュリュの顔を、一平はじっと見詰め続ける。

 天才なのに一位じゃねえのかよ、上にまだ最低四人いるんだから上り詰めてないじゃん。等とはツッコまなかった。


「欲の無い美しい女は権力等には興味がなくてな、あったのは知識欲のみ」


 いい加減チョイチョイ入る自画自賛がウザイ。

 一平は話に飽き始めていたのだが、ジジババの話が長いのはどこでも一緒だと我慢する。


「そして嵌められた。28才の時じゃ。私の才能に嫉妬した者達に冤罪を着させられてな、あっというまに罪人よ」


 はたしてそれが本当に冤罪だったのかは一平には分からない。

 もしかしたら児童を裸に剥いてベッドに連れ込んだのではないのか? 

 目の前の老婆はギリギリ犯罪者だと確信している一平だったが、彼女の目に浮かぶ諦観はどうしても同情を呼んでしまう。


「……それで、捕まったと?」

「ふん。そこまでマヌケではない。馬鹿共が気付いた時には既に国境を超えておったわ」


 今までの後悔の表情は消え、勝気な笑みを見せるリュリュ。

 意外に魅力的なその笑みを目撃した一平は、つまりこのババア指名手配中って事か? と真実を看破する。


「ああ、だから顔の見えないフード被ってたんだな。外出した時ボロを出さない為に習慣化させてるってところ?」

「む。け、結構賢いの。そ、そういう所はポイント高いぞ」

「なんのポイントだよ!? そういうのホントいいから! はやく続き話せよ!」


 意外な洞察力を見せてリュリュの頬を染めさせたが、一平の背筋には怖気が走った。


「それ以来他人が、というより男が信じられなくなったんじゃ……」

「は? え、何それ? いきなり話飛んでない?」

「飛んどらん。それが女の人生の全てじゃよ」


 いや、飛んでる。間がごっそり端折られている。

 リュリュの才能に嫉妬した者に嵌められたと言っていたが、嵌めた者が男だったという事だろうか?

 一平は疑問を抱き、つい素直に聞いてしまった。


「どうやって嵌められたわけ? そんなにひどい事されたの?」

「……………………」


 聞いてから後悔する。

 男に不信感を持ち、老婆になるまで一人身でいたのだ。

 それはもう聞いたのを後悔する様な下衆な行為だったに違いない。

 現に、リュリュは顔を歪めて口籠ってしまったのだから。


「あ、す、スンマセン……、言いたくないなら別に……」

「いや、大丈夫じゃ。もう遠い過去の事じゃしな……」


 しかし、リュリュは遠くに視線を飛ばし、過去の記憶をポツリポツリと語りだした。


「恥ずかしい話じゃがな、若い時の私は増長しておった。己の才能に自信があり過ぎたのよ」


 それは老人の黒歴史に違いない。

 が、それを責めるのは酷というものだろう。

 誰にでもそうした時期はある。しかも他者よりも多くの才能を持っていたのならば、天狗になるなというのは無理な話だ。


「誰かを見下していたつもりは無かったんじゃが、それでも伴侶になる者には相応のモノを求めておった」


 それ自体が他者を見下していたのかもなと、自らの過ちを悔いる老婆。

 しかし、一平はそうは思わない。

 女子からキモイキモイ言われ続けてきた少年からしてみたら、女とは優良物件を探す生き物なのだと知っていた。

 より良い男を欲するのは、もはや女の生物的本能なのだろう。

 男としては非常に腹立たしいが、さすがに後悔している老人に鞭打つ程鬼畜ではない。


「身持ちの固い鋼鉄女と揶揄されておるのは知っとったんじゃが……28の時、陛下から見合いを勧められての」


 ついに確信に迫るかと、一平は不謹慎にもドキドキしてしまう。

 一体どんな裏切りがあったのか。


「3つ年下の伯爵家次期頭首でな。近衛騎士でもあったんじゃが、正直美形じゃった」


 イラッとする。

 誰がババアのノロケを聞きたいと言ったのか。

 気分悪い。モテ男がどれだけ屑だったのかを早く話せ。

 一平の中にドス黒い何かが生まれた。


「なんで伯爵家と冒険者上がりの婚姻なんかが成り立つんだよ?」

「宮廷魔法師はその時点で男爵位なんじゃ。もっとも、単に私の魔法使いとしての血が欲しかっただけじゃろう」

「そ、そうなんですか。なんか、ホントスミマセン……」


 恋愛ではなく政略だと気が付いて、一平の黒い何かは一瞬で小さくなった。

 過去に裏切られた女性が諦めを乗せて話しているのに、自身の野次馬根性はとても醜い。

 もう黙って聞いていよう。

 一平は、己を召喚した者の悲劇を心に刻もうと姿勢を正した。


「城の中庭で初めて会った時、そ奴にこう言われた。”子を孕んだらすぐ教育に専念してくれ”と」

「Oh……」


 それはヒドイ。たしかに愛よりも能力を必要とした言い方だ。

 だがこの世界だけでなく、現代日本でもまさしくテンプレートな発言でもある。

 働く女性にとっては決して許せない言葉なのかもしれない。


「こうも言った。”貴女の歳では一人産むのが精一杯だろうが、側室は二、三人用意する故心労はかけない”と」

「ん、ん~~……」


 これも難しい。

 しかし、どうやら貴族社会であるらしいこのファンタジー世界では、きっと当たり前の話なのだろう。

 たしかに女性を馬鹿にした話ではあるが、たくさんのサブカルチャーに触れた一平には理解できてしまう。


「頭に血が上った私は、その場で半殺しにしてしまったんじゃ」

「……ん?」


 なにやら聞き逃せない言葉が。


「しかも、怒りにまかせて放った火の上位魔法が玉座の間を吹き飛ばしてしまい……」


 過去が辛いリュリュは、もうボロボロと涙を流す。


「いつのまにか逆賊の汚名をぉぉぉぉぉ!!」

「自業自得だろババアアアアアアアアアアア!!」


 オイオイと泣く姿は、完全無欠に自分の所為だった。


「どこが冤罪だよ! 交じりっけなしの犯罪者じゃねえか!」

「冤罪じゃろ!? 貴族の爵位を笠にきて、年増扱いした女を食い物にしようとしたんじゃぞ!」

「城吹っ飛ばしといて何言ってんだ!」

「偶然じゃ! 偶然だったんじゃ! 何もかも偶然が悪いんじゃ!」

「そればっかじゃねえかあああああああああああ!!」


 駄目だこのババア。

 一平がリュリュを見限った瞬間である。

 もう魔法の師匠とかどうでもいい、勝手に憶えればいいだけの話だ。一平はこの家を出ていく決意を固めた。

 ヒッグヒッグと嗚咽を漏らす老婆に蔑んだ視線を向け、一平は落ち着く為に大きく深呼吸する。

 今日一日だけ話し相手になってやれば、この耄碌ババアへの恩返しには十分だろう。

 一平は相当酷い事を考えていた。


「死人は出なかったんじゃ……ちょうど玉座の間は使われていなかったし……クソを一匹半殺しにしただけ……」


 ブツブツと呟く老婆は果てしなく見苦しい。

 立派なテロ行為だろうが、という罵声を一平は飲みこんだ。反省しない犯罪者には何を言っても無意味だ。

 三十年以上前の事件とはいえ、王家に対するテロリズム。国家反逆罪は間違いない。

 時効なんてものがあるかどうかも疑わしいのに、いつまでもここにいたら自身にも災いが降りかかる可能性がある。

 明日には出て行こうと思いながら、一平は会話を続けた。

 情報収集は戦略の基本なのだ。


「それで男が信じられなくなって、その歳まで乙女を貫いたってわけか……」


 なんだかなぁ、という感想が正直なところだった。

 天才魔法使いを自称するなら、姿を変えるなりして人生をやり直せばよかったのに。

 頑張って他国へ逃亡したのにアホな婆さんだなと、一平は微妙な顔。


「そうぢゃないわい! たしかに男に不信感は持ったが、恋愛も結婚もしてみたいに決まっとるじゃろ!」


 涙でベチャベチャの顔なのに、その眼光と気迫はたいしたものだった。

 65才でまだ諦めてねえのかよと少し感心した一平だったが、間違いなく自分が狙われている事を確信してドン引いた。


「じゃあなんで結婚しなかったんだよ? 昔は美しかったんだろ?」

「い、今でもまだ美しい……」

「じゃあなんで結婚しなかったんだよ? 昔は美しかったんだろ?」

「……………………」

「じゃあなんで結婚しなかったんだよ? 昔は美しかったんだろ?」

「やかましい! 話すから黙れ!」


 今でも十分美しいわと吐き捨てつつ、リュリュは再び俯いてしまう。

 だが、その姿は悲しみの姿というよりも、ばつが悪くて言いだし難いといった感じだ。

 己の過去を話し少し打ち解けてきたのだろう、リュリュは大分遠慮が無くなっていた。一平はとっくに無くなっていたが。


「……実は、もう35年くらいこの家に住んでおる」

「……………………」


 また長い話が始まるのかと、一平の顔は歪んだ。


「……………………」

「……………………」


 が、始まらない。


「だからなんなんだよ?」

「じゃから、ずっとここにおったんじゃ」

「……はあ? なに言ってんの?」


 え? 話、終わり? と一平の頭は混乱したのだが、リュリュは三度同じ言葉を口にする。

 

「じゃから!! ここでなんとなく生きてたら35年経っとったんじゃ!!」

「ヒキコモリじゃねえか!!」


 駄目だった。

 本当に駄目な魔法使いだった。

 この自称天才魔法使いは、物語のヒーローヒロインからは対極に位置した存在だ。

 一平は、こんなに駄目な魔法使いが何故自分を召喚したのか疑問に思う。


「アンタ一体なんで俺を召喚したんだよ!」

「寂しかったんじゃ! 癒し系のペットが欲しかったんじゃぁぁぁ!」

「店に買いに行けええええええええ!!」

 

 町が恐いんじゃ、人ごみが恐いんじゃ、でも寂しいんじゃ、とワンワン泣く老婆。

 もうこのババア死んだ方がいいんじゃね? と、もう一平は面倒くさくてしょうがない。


「まだ若い小僧には私の気持ちなどわからん……ッ!」

「うぜえ……」

「そろそろ結婚しようかな、と思った矢先に裏切られた女の気持ちなど……ッ!」

「聞いた限りじゃ悪い人って感じじゃなかったぞ」

「35年以上も逃げ続け……ッ!」

「自業自得じゃねえか」

「結婚とかしてみたい……っ!」

「高望みすんな」

「恋愛すらした事ないのに……ッ!」

「心が痛えよ、もう休め」

「接吻どころか手すら握った事がない……ッ!」

「……………………」

「一緒に買い物に行った事もない……ッ!」

「……………………」

「騎士団一不細工と評判だったモリスで我慢しとくんじゃった……ッ!」


 痛え……。なんて痛々しいバアさんなんだ。

 ぶえっぶえっとえずきながら泣く婆さんが、痛々しくてしかたない。

 しかも、キモイキモイ言われて女子から相手にされなかった一平には、その気持ちがとてもよく分かってしまう。


「……………………」


 もしかしたら、目の前で泣く老婆は、召喚されなかった場合の未来の己の姿ではないのか?

 ならば、ファンタジー世界に召喚してくれた恩は、それこそ自身の人生に匹敵するのではないのか?

 己はこれから、とりあえずハーレムを目指す。

 たとえハーレムに到達出来なかったとしても、チョロくて可愛い嫁を死んでも手に入れてみせる。

 そして幸せな異世界ライフを送るのだ。

 これは決定事項。他の誰でもない、己自身が既に決定させた確定未来。

 もし……もしもだ、そんな幸せな野々宮一平が、もし少しだけ我慢する事で目の前の老婆が救えるというのなら……。


「リュリュ……」


 一平は、泣き崩れているリュリュの肩に、できるだけ優しく手を置いた。

 ハッとしたリュリュは、涙に濡れた瞳を真っ直ぐ一平に向ける。


「リュリュ」


 一平はもう一度名を呼んだ。


「ぁ……イ、イッペー……」


 決意の籠められた視線と声。

 それらに囚われたリュリュは、昨日胸に感じたのと同じ火を自覚する。


「俺さ……」


 目の前の少年の目にも、声にも、己への労わりが込められているのが分かった。

 ドクリと鼓動する心臓が、なぜかとても恥ずかしい。


「今度茶飲み友達になってくれそうな爺さん探してきてやるよ」


 一平の満面の笑みは、慈愛の微笑みだ。


「なんじゃそりゃああああああああああああああああ!!」


 しかし、リュリュの叫びは裏切られた者の悲鳴だった。


「落ち着けよ。俺頑張って世界回って、必ず独身の爺さん見つけてくるからさ」


 すぐにでもチョロインを探しに行きたいが、この婆さんの為に少しくらい寄り道しても構うまい。

 泣いている者がいれば、その涙を拭ってやる事こそが、勇者の真のお仕事なのだ。


「ジジイとお茶飲んで何が楽しいんじゃ! お主アホじゃろ!?」

「リュリュもババアなんだからしょうがねえじゃん」

「嫌じゃ! ジジイは嫌じゃ! 若いのがいい!」

「若いのだと、リュリュとは会話すらしてくれないぞ?」

「ひどっ! な、なら、イ、イ、イッペーが私の──」

「俺を狙うなら本気で殺す」

「……………………」

「これは脅しじゃないぞ。ババアに襲われるくらいなら相討ち覚悟で喉笛を喰いちぎる」

「恐い事を言うな!」

「俺の方が恐いんだよ!」

「き、昨日私だけの勇者だと言ったじゃろ!」

「捏造すんな! リュリュだけのなんて言ってねえ!」

「どういう事じゃ!? 最初から浮気するつもりじゃったんか!?」

「リュリュにはまったく関係ないけど、元々ハーレム志望です」

「なんじゃそれぇぇぇ!! 最低じゃよ!! とんでもないクソじゃよ!!」

「アンタに言われたくねえよ!!」


 やっぱり収拾はつきそうになかった。

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