好奇心猫を殺す
箱が、あった。
黒くて小さな箱だ。何の飾りっ気もない。ただの無地の紙の箱。大きさは・・・・・林檎が一個、ぴったり入るくらいじゃなかろうか。
早朝の学校。私以外には誰もいない教室。
教卓の上の箱。昨日、私が帰る時は無かったはずだ。
「なんだろう、これ・・・。」
私は無造作に無防備にそれに近寄って、手に取ってみた。思っていたよりは軽い。が、中に何かあると確信させる程度には重い。
まず私は迷った。
勝手に開けてもいいものなのだろうか。
誰かの個人的な落とし物だとしたら、開けずに放置するか或いは、教職員の誰かに預けるべきではないのか。
迷った末に私は、箱の上部に手をかけた。
落し物なら中のもので誰のか判別がつくかもしれない――――――――そう思ったからである。
もちろん、単なる好奇心が全く無かったと言えば嘘になる。
だって気になるじゃん。早朝の学校の教室の机上の真っ黒い小さい箱。別に状況がこうでなくとも、箱があったら開けたい、スイッチがあったら押したい、禁止されたらやりたい、って言うのが人の性なわけであって。仕方がないよ、うん。本能的なものだもの。仕方がない、仕方がない。なんかマズイものだったら、見なかったことにすればまったく無問題だ。幸い、私以外の人今ここにはいないわけだし。うん、大丈夫大丈夫。
私は精一杯自己弁護をして、箱を開けた。
この時の私は、まだ“好奇心は猫を殺す”という言葉を知らない。
もし知っていたら、或いは、何か違った結果が得られていたのかもしれないが、すべては後から思ったことだ。
覗きこんだ箱の中もまた、黒かった。
真っ暗闇。
ただの“空っぽ”ではなかった。
箱の辺が見えないほどの黒。箱の底がわからないほどの漆黒。
教室の空気が変質した。
早朝の、それも夏だというのに、ひやりと凍えるこの空気はいったい何だというのだろう。
さっきまで思い切り照りつけて、チャリ通の私の肌を焦がしてくれた太陽が、雲の向こう側に隠れた。
まるで、箱の中のものに怯えているかのようだ―――――――中の、もの?
途端に、闇がざわりと蠢いた気がして、私は思わず箱を放り出した。黒板の下に逆さまになって落ちた箱。それが、まるでゴキブリに被せた紙コップのように、かたかたと動いている。
何か出てくる・・・・・・っ!
私は大きく後ずさった。
気付くと、外は真っ暗だった。おかしい、さっきまで爽やかな朝だったのに。時計を見る。最近買ったばかりの、新品の腕時計。だというのに、三本の針はぐるぐると鬼ごっこをしていて、ひとところに定まる気配を見せない。彼らを追いかける鬼はいったい、何なのだろう?
ばんっ
「ひっ!」
ばんっ、ばんっ、ぱぁんっっ!
紙鉄砲を数十倍威力を高めて鳴らしたような音が、窓ガラスをびりびりと震わせた。
(何だっけ・・・・・・ええと、サランラップみたいなやつ・・・・・・そうだ、“ラップ音”だ。)
謎の破裂音は怪奇現象が起こる前触れだと、どこかで聞いた覚えがある。
(・・・・・・・・・怪奇現象?)
自身の記憶に眉をひそめた。
自慢じゃないが、その手の類のものは大っ嫌いだ。幽霊とか、妖怪とか、オカルトとか・・・・・・これっぽっちも信じていない。宗教も嫌いだ。神様も仏も、この世にはいないんだ!
そう、そうだった、妖怪なんていない! ――――――そう思い出した瞬間、私は自分を取り戻したような心持ちになった。呼吸が落ち着いて、震えが止まる。
恐れることなど何もない。
怖いものなんて何もない。
目に見えるものなら打ちのめせる!
窓の外が、より一層暗くなった。ラップ音が酷い。音の所為か、頭が痛くなってきた。目の奥がちかちかする。
箱が揺れる音がする。黒板の下の壇を叩いている。
そしてついに、
ばばばんっ!
ぽーーーーんっ
と、箱が跳ね上がった。蛍光灯をかすめ、私と教卓の間に落ちてきた箱は、床にぶつかる直前、雲散霧消した。えっ? と思ったが、今はそんなことより“出てきたもの”のほうが重要だと思い直す。
(さぁ、とうとうお出ましか! どっからでもかかってきやがれっ!!)
何事も強気であることが肝心だ。
私は鞄を構えて、教卓の方を睨んだ。
教卓の向こう側で、何かがもぞもぞと動いている。教卓の横から、長い尻尾のような、触手のような、つるっとした蔓(ダジャレじゃないよ。)のようなものが見えた。先っちょは、逆様にしたハートマークのような、トランプのスペードのような、尖った形をしている。
私は生唾を呑み込んだ。
(これは・・・・・・もしや・・・・・・まさかとは思うけど・・・・・・)
悪魔? ってやつ?
と思った私の目の前で、教卓から何本も同じものが生えてきた。その数――――――数多。
「え・・・・・・いや、いやいやいやいや、それぁ無いって。無いよ、ないない。ないないない、恋じゃない。ははっ。」
私は乾いた笑い声をあげた。
しかし、願いは叶わず、予想は見事に裏切られ、笑ったにも関わらず福は来ず、門にいないから当然なのだが、教卓の裏から見るもグロテスクな怪物が「ズルリ」と、立てる物音も気味悪く現れた。
(エンカウントとかエンゲージとか、そんな感じだよねー・・・。)
無駄な事を考えたのは無論、単なる現実逃避のためだ。
怪物の姿は至って単純。
一言で言うなら、『グロテスク』。
二言で言うなら、『物凄くグロテスク』だ。
詳しく例えると、『ぐちゃぐちゃになって腐ったおはぎに蔓がたくさん生えたみたいな』、もしくは『泥々のヘドロを纏めてそこに悪魔の尻尾を無理に何本も刺したような』ビジュアルだった。
ズルズルと教卓に上がったソイツの胴体(?)に、ぴっ、と一筋の線が入って、そこがパカッと開いた。
うわぁ、なんて良き歯並びかな! 真っ白だし、CMに出られるんじゃね?!
ぞっとした。鳥肌が出てくる。人間と同じ歯なのが余計に気持ち悪い。
次いで、切れ目がいくつにも入った。ぴっ、ぴっ、ぴっ、と何本も、開いた口を中心に小さめな線が走る。
それがぱかりと開くと、
「っ・・・・・・。」
ぎょろりとした目が私を射抜いた。
もう阿呆なことを考えている余裕も無い。鳥肌が一瞬で全身を覆った。
私の本能が危険を訴える。
今度こそ膝が震え出す。
(やばい。やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいっ! 逃げなきゃ・・・!)
思いとは裏腹に、足が動かない。目が離せない。
にぃぃ、と、怪物の口が弧を描いた。オリーブオイルのような半透明の涎が、口の端から滴って落ちた。
触手がざわりと蠢いて、私の方を向く。
私はふいに思い出して、手近な椅子を自分の前に放り投げてしゃがんだ。
―――――自慢じゃないが、私は生粋のゲーマーだ。
RPGやパズル、ギャルゲーもやるが、中でも一番得意なのが、格ゲーである。
もともとアクションものが大好きなのだ。巨大なモンスターをハントするゲームや、勇気ある青いビジュアル系格闘ゲームや、巨大な石像を破壊していくゲームとかが、最も好きだ。
ゲーマー歴10年。そんな私の経験上、触手のあるモンスターはたいてい、まず最初に遠距離から触手を伸ばしてこちらを捕まえようとしてくるのが定石だ。
そして、捕まったが最後、締め上げられ窒息し、口の中へダイビング――――――という映像が、およそ0,5秒で思い描けた。
ッピシィッ!
私が椅子を投げたと同時に、触手が素早く伸びてきて、私の代わりに椅子を絡めとった。
私は悲鳴を上げたくなるのを必死に抑えて、机の影から様子を窺った。
可哀想に、私の身代わりとなった椅子は、怪物の触手の中で、まるでアルミ缶を潰すような気軽さをもって潰されていく。
バキバキベキボキ・・・静かな教室に響く破壊音。まるで椅子の悲鳴のように聞こえた。
すっかり小さくなった椅子は、やはりこれも予想通り、オリーブオイル滴る口の中へと放り込まれた。
・・・・・・自分がそうなっていたかも、と思うと、心底ぞっとする。
(よし、撤退!)
折れそうになる心を奮い立たせ、立ち上がった。
一目散にドアに駆け寄る。ドアは知らぬ間に閉まっていた。夏だから閉めた覚えは無いんだけどなぁなんて考えてる暇は無かったのだけれど。
ドアに手をかけ思い切り―――――
ガッ
「あ、あれ?」
―――――開け放てなかった。
それは明確な拒絶と禁固の意志。
「嘘・・・・・・。」
思考停止した私の後ろに、ヘドロがべしゃりと床に落ちて、ゆっくりと嬲るように近づいてくる。
ドアを開ける。開けたい。開かない。
「な、なんで開かないのよっ!! 私を殺す気?!」
叫んでもドアは開かない。立て付けの悪い木戸が、がたがたと意地悪く鳴る。
背後のズルズルが楽しげな響きを持っているように聞こえる。 距離がだんだん縮まっていく。
――――――もしかしなくとも、これは絶体絶命というやつか。
私は泣きたくなってきて、しかし、ただ泣き崩れるような健気な女は嫌いなので、空元気にも程がある調子で叫ぶ。
「ふざけんな・・・っ! 夢ならとっとと覚めろぉっ!!」
魔の手が私に向かって放たれる――――――
その時だった。
「へぇ、元気なお嬢さんだな。」
涼しげな声が耳元に触れ、次の瞬間
ドゴンッッ!
声を掻き消すような轟音を鳴らして、引き戸の片方がぶっ飛んだ。
「いいねぇ、その強がり。強がれる女は好きだぜ。」
「あんまり変なこと言ってると、また怒られるぞ。」
ドアが無くなった四角の枠から、2人の男が入ってきた。
先頭は、黒っぽい着物を着た、長身の人。首筋を隠す黒髪はさらさらと細く艶やかで、こちらを一瞥した目は煌めく漆黒。ニヤリと笑った口の端に、鋭い犬歯が見えた。
後ろに続いて入ってきたのは、学生服を来た男子。黒い短髪はつんつんとしていて触ったら痛そうだ。ダークブラウンの瞳は半分閉じられ、面倒くさそうな仏頂面をしている。
私は後者の男子を知っていた。
同じクラスの奴だ。
「あ・・・えっと、アキアナ、アワヤ・・・。」
珍しい名前だから、物覚えが悪い私でもしっかり覚えていた。秋穴淡夜。淡い夜なんて格好いいじゃん、と思ったことを記憶している。
着物の男性が秋穴を振り返った。
「良かったなーアキ! 覚えててもらえたみたいだぞ。」
「どうせ名前が珍しくて――――だろ。」
ぎくっ
咄嗟に視線を逸らしたのだが、図星だと思われなかっただろうか。
溜め息が聞こえた。
「・・・まぁいいよ。とりあえず、とっととアレを片付けよう。結界は?」
「ぬかりねぇよ。」
「じゃあ――――」
「あとはお前の仕事だな。頑張れよ。」
「はぁっ?! ちょ、おい、待てよ。俺は嫌だぞ、アイツ背負うの!」
「俺だって嫌さ。」
「お前は神様だろうが! 迷える魂を救えよ!!」
「やだよんなもん、面倒くせぇ。っつーか、アレは“迷える魂”なんて大層なもんじゃねぇし。邪念の塊、妖怪もどきだ。救いようがねぇっての。」
「てめぇはそれでも神様か? そうだと言うなら全国の神様に土下座して謝れ。」
「神様なんて大体どいつもそんなもんだぜ。そもそも、あんな雑霊を背負って“ショウカ”しようと思う方がおかしいんだ。俺に任せるなら消滅させるぞ、あんなん一瞬でな。」
着物の男性が凶悪に笑んだ。
秋穴が黙る。
私は目を白黒させて、事態を傍観していた。意味がわからない。
ガシャン、ガララランッ、
フシューーー・・・
不気味な音がした。
ドアに巻き込まれて吹っ飛び下敷きになっていた怪物が、その木の板を押し退け、怒気を顕に息を吐いたのだ。
「ほれ、時間はねぇぞ。どうするんだ?」
秋穴は男性を睨んだ。
非難するようであり、迷っているようであり、しかし既に全てを諦め覚悟しているような顔が、ふいっと前を向いた。
怪物に向き合って、息を強く吐く。
「人間が生み出したもん、勝手に消滅させるわけにはいかねぇだろ。」
秋穴の言葉に、和装の男性は満足げに頷いた。
秋穴が一歩、前に出る。前に、前に――――――怪物に、どんどん近づいていく。その歩みに恐れは見られない。
(・・・え? え、え、えぇ? 何をやるの? 何をするつもりなの? はぁ?)
私はすっかり困惑して、秋穴の背中と男性の顔とを交互に見た。
男性が微笑んで、私の頭を軽く叩いた。
「だいじょぶ大丈~夫。アキはあれだ、ほら、馬鹿は風邪ひかないって言うだろ? あれとおんなじことだから、何も心配いらねぇって。」
正直よくわからない例えだと思ったが、私は何も言わなかった。
秋穴の背中に視線を戻す。
もう怪物との距離は、ほとんど空いていない。あと三歩も行けば、ぶつかる距離だ。
しかし、何故か秋穴は触手の餌食になっていなかった。
怪物は口を閉じ、何かに怯えるように――――――或いは、溢れる歓喜を抑えきれないように、ブルブルと震えている。
「・・・名も無き、黒いものよ」
秋穴の声が静かに流れ出た。
「俺のところに来い。抱え込んでやる。」
目の錯覚か―――――秋穴の背中が大きく見える。私は知らず知らずの内に、彼の背中に見惚れていた。
秋穴が両手を上げた。深く息を吐き、止める。
ぱんっ
手拍子、ひとつ。手を開き、もう1つ打つかと思ったのだが、そうはせず、思いきり息を吸った。
ヒュゥッ
教室中の空気が動いて渦を巻き―――――――――――怪物が、秋穴の中に吸い込まれた。
「・・・・・・ぅ、」
秋穴がふらりとよろめき、背を曲げた。
「ちょ・・・大丈夫?!」
私は思わず駆け寄って、背中に手を置いた。
――――――凄い汗だ。ワイシャツがびっしょり濡れている。顔にも大粒の汗がびっしり浮かんでいて、酷くツラそうだ。
秋穴は胸元を押さえ、唇を噛み締め、耐えるように虚空を睨んでいる。
「だ、大丈夫・・・?」
恐る恐る再度尋ねてみると、秋穴はこちらを見て、こくりと頷いた。
それから、くるりと振り返って私の肩を叩くと、着物の男性に向かって、
「・・・・・・あとは、任せた。」
と低く呟いた。
男性が、秋穴の頭を労うように優しく叩いた。秋穴は照れたように片手を振って、どこか覚束ない足取りで教室を出ていった。
「さて、と、お嬢さん?」
「ぅあ、はいっ!」
男性が私を見た。
(やばい・・・・・・!)
これは、いい意味の“やばい”である。
命の危険が去った今、改めて見てみると、その男性はかなりのイケメンだった。
端整で精悍、男らしく凛々しい顔立ち。和服だからか、貫禄さえも感じる。いや、洋服であっても、この貫禄はあるのだろう。
(やばい、やばいよ、まじイケメンだわー。ついでに私のタイプだし。)
真摯な瞳で真正面に見据えられ、赤面するのを抑えられない。
男性はにこりと微笑んだ。
「今のは、妖怪もどきです。」
「・・・はい?」
「人間の恨み辛み、妬み嫉み、痛み苦しみ悲しみ―――――人間の黒い思いが集まり、固まった結果、妖怪になりやす。アレは妖怪になりきれず、妖怪になるために貴方を狙いやした。捕まって取り込まれると、貴方は死に、アレは強力な妖怪になりやす。・・・・・・良かったっすね、生き残れて。」
そう言われてようやく、
今経験したことが現実のものだったのだと――――――
私は危うく死ぬところだったのだと――――――
理解して、涙がこぼれた。
嗚咽が漏れないように気をつけながら、私は泣いた。
男性の落ち着いた低い声が、私の鼓膜を優しく揺らす。私は目を瞑って、泣きながら、ぼんやりとその話を聞いていた。
「アキは、生まれつき妖怪や幽霊や、神や、悪魔や天使や、人外のもの全てを見ることができる。その上、どでかい器を持っていて――――――下手したら、最高神に匹敵するでかさの心を、持っているんでね。
さらに、おそらくは悪いことに、人が好い。好すぎる。迷えるものを見掛けると――――たとえそれが危険なものであったとしても、抱え込まずにはいられないんでさぁ。
お嬢さん。
俺が頼むのも筋違いだが、アキのこと、よろしくな。
何か・・・・・・何でも構わねぇ。ただ、味方であってやってくれ。」
頼んだぞ・・・――――――――――その言葉が、耳の裏に焼き付いた。
頼んだぞ、たのんだぞ、タノンダゾ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・リン、ジリリリリリン、ジリリリリリン! ジリリリリリン!!
「うるっさいっ!」
私は飛び起きて目覚まし時計をぶっ叩いた。
沈黙する時計。針が8時と5分を指している。
あー、それにしても、変な夢を見たなぁ。何か、怪物とか、着物の人とか、いろいろ出てきた気がするけど、朧気にしか覚えていない。目元が少し濡れている。泣いたのは本当みたいだ。
「・・・・・・え?」
私は目を拭って、その目を疑った。
もう一度時計を見る。凝視する。やっぱり、8時と5分。見間違いではない。8時5分。何度見ても、8時5分。あ、6分になった。
「ってうわあああああっ! やばいやばいやばいやばいやばいっ!!」
叫んで、慌てて鞄をひっつかみ、部屋を飛び出した。
階段を転がり落ちるようにして駆け降りる。
リビングでは、大学生の姉がテレビの前でのんびりしていた。私は非難の声を上げる。
「何で起こしてくれなかったの?!」
「あれ? あんたまだ居たの?」
「あぁ、もう、行ってきまぁすっ!」
朝飯を食べてる時間はない。
というか完全に遅刻だ。
ここから学校までは、全速力でも最低20分はかかる。ショートホームルームが8時20分から。到着予定時刻は8時25分・・・!
(うああああぁっ、初めての遅刻だ!! 最っ悪! あぁもう本っ当に最っっっ悪!)
ホームルーム後の休み時間に、バレないように滑り込むしかない。もしも先生に会ってしまったら『自転車がパンクしちゃって・・・。』と言えば、たぶん許されると思いたい。まぁ、私は普段まじめちゃんを演じてるから、大丈夫だろう・・・・・・たぶん。
学校に着いた。
周りに警戒しながら、昇降口に行く――――――そこに、同じクラスの男子生徒がいた。
向こうが先に私に気が付いて、目を二三度瞬かせて、言った。
「・・・はよう。」
「あ・・・うん、おはよう秋穴くん。」
そのまま固まってしまう。
そういえば秋穴は、いっつもショートホームルーム後に教室に来てたなぁ・・・と思い返す。
思い返していたら、秋穴が話しかけて来た。
「珍しいな、鷹島が遅刻するなんて。」
「あー、なんかねぇ、寝坊した。変な夢見てさぁ。」
「・・・・・・変な、夢? ・・・どんな?」
「んー・・・」
私は上靴に履き替えた。
夢の内容を思い出そうとする。が、ぼんやりとしか思い出せなかった。頑張って記憶を掘り返せば掘り返すほど、離れていく感覚。
私は仕方なしに、覚えている部分だけを簡潔に纏めた。
「なんか・・・着物の男の人がすげー格好良かった。」
「着物っ・・・・・・それだけ?」
「あー、あとは、よく覚えてないなぁ。」
「そっか。――――――」
「え? 何?」
それならいいや、と言ったように聞こえたのだが、小さすぎてよくわからなかった。だから聞き返したのだが、
「いや、何でもない。」
とあっさり流されてしまった。気の所為だったのだろうか?
何となく並んで歩き出す。
校内のざわつき加減を聞く限りでは、もうホームルームは終わったみたいだ。
よしよし・・・・・・と思いつつ靴箱の林を抜ける。
そこで、
「おい、お前ら! 今来たのか?!」
「「っ・・・!」」
背後から先生の声が私たちを刺した。
振り返る。
(げぇっ・・・・・・体育科の山内・・・!)
遅刻に厳しい、ゴリラを彷彿とさせる容姿の先生だ。
(ただし、女子には甘い・・・。私は大丈夫だ。)
が、
「あー、お前、知ってるぞ。なんだっけ、変な名前の・・・・・・穴あき? だっけ?」
「・・・秋穴ッス。」
「あーそうかそうか、あきあなか。で? なんで遅刻したんだ? ん?」
秋穴がやばい!
山内は完全に私を無視し、秋穴に絡んでいる。秋穴は物凄く面倒くさそうに、うつむいて適当な返事をしている。これでは、山内がキレるのも時間の問題だ。
(ど、どうしよう・・・・・・。)
戸惑う私の脳裏に、涼しげな声が蘇った。
『頼んだぞ。』
何を頼まれたんだっけ? ――――――と思う間も無かった。
私は山内と秋穴の間に割り込んだ。
「あ、あの! 実は、私の自転車がパンクしてしまって、それで、そのー、困っていたところを秋穴くんが手助けしてくれたんです! それで、遅刻してしまいました、すみませんでした!!」
ばっ、と腰を90度に折り、潔く謝る。頭の下でさりげなく手を振り、秋穴に合図をする。秋穴も嫌そうだったが、小さく、頭を下げた。
緊張の一瞬――――――頭の上で山内が顔をしかめているのが分かる。
やがて、
「あぁ~、そうかいそうかい。あっそ、じゃあいいよ。仕方ないなぁ~とっとと行け!」
お許しが出た! 嫌そうな言葉遣いだが、その中には『俺ってば生徒想いでやっさしいなぁ~』という響きがあって、苛っとしたがそれはさておき。
「はい! すいませんでした!」
私はもう一度頭を下げ、山内に背を向けた。
山内が見えなくなり、階段を2つ上がったところで、私は大きく安堵の息を吐いた。
「良かったぁ~、どうにかなった・・・。」
緊張で口の中がカラカラだ。
「あー、た、鷹島?」
「ん?」
「あ・・・ありがとな。その・・・・・・さっきの・・・。」
ちらりとこちらを一瞥し、照れくさそうに秋穴が言った。
私はなんだか嬉しくなってきて、満面の笑みを浮かべた。
「―――――良いってことよ! クラスメートじゃん、気にすんな!」
そう言うと、秋穴は苦笑ぎみに笑って、私を見―――――――――――その顔を引きつらせた。
(あれ? どうしたんだろう?)
私が疑問に思っていると、秋穴は明らかな棒読みで、「あー、虫だ、虫。動くなよ鷹島。はい、取れたー。」と言うと、何かを摘まんだ手を床に向けて振った。
私の中のささやかな悪戯心が鎌首をもたげた。
「妖怪でも憑いてた?」
「え?」
秋穴が固まった。
私は予想通りの反応に満足して、微笑みながら走り出した。
「じょーだんだよ! さ、早く行こう。一時間目はじまっちゃう!」
なんだかとっても、愉快な気分だった。
お読みくださいまして、ありがとうございました!
秋穴くんは、別の話の主人公として出す予定だったので、無駄にいろいろ作り込んであります。
感想アドバイス等ありましたら是非、お寄せください!よろしくお願いいたします。