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七章 anonymousな秘密

     1


 三日が過ぎた、水曜日。

 猪狩、奈美香の二人は水曜日に授業を一つしか入れておらず、昼からは予定がなくなる。

 たまにはどこかで昼食を取ろうか、藤井と怜奈も誘おうか、という話になっているとき、見慣れたセダンを見つけた。

 見慣れたことが良いことなのか悪いことなのか、さすがに奈美香は少し真剣に悩んでしまった。

「これって?」

「ああ」

「やあ」後ろで声がする。

 振り返ると、案の定、伊勢だった。被害者はO大の教授だから、聞き込みに来るのは当然である。

「もう帰るの?」

「ええ、授業が終わったんで。伊勢さんは昼食もう食べました?」

「いや、まだだけど」

「良かったら、ご一緒しませんか?」

「いいけど、どこに?」

「近くに美味しいスープカレー屋さんがあるんです」

「いいよ、じゃ、乗って」

 二人は伊勢の車に乗り込んだ。助手席には荷物が大量に置いてあったので、二人とも後部座席に座った。

 伊勢の登場はありがたかった。なぜなら、O大は山の上にあるからだ。と言っても、もちろん山頂にあるなどということはなく、平地から山に向かって二キロほどの高台にある。こうなると、通学には不便で、行きの上りはもちろん、帰りの下りも労力を使うのだ。

 いつもの何倍も楽な下り道で、スープカレー屋には十五分ほどで着いた。

「何かわかりましたか?」注文を済ませたところで奈美香が単刀直入に聞いた。

「君のそういうところ好きだよ。僕の立場理解してあえて聞いて来るんだから」伊勢は苦笑した。「何というかね、報告書が書けない。死体が瞬間移動したなんて馬鹿げてるからね。何か仕掛けはあるんだろうけど。まあ、別館を壊したのはその証拠隠滅だろうね。本当、ふざけてるよ」そう言ってお手上げのポーズをした。「おまけにもう一つ。教授の死因はなんだと思う?」

「失血死とかじゃないんですか?」

「ショック死」そう言ってため息をついた。「火傷の痕があったからスタンガンによるものだと思うけど」

「気絶させようとして殺しちゃったって事ですか?」

「そうなのかな? まあ、市販のスタンガンじゃ気絶までは滅多にしないけどね。おそらく改造して電流を上げたんだろうね。本来は殺傷能力が低くて、体の弱い人が受けると死亡する事もあるけど、教授はいたって健康体だったし」

「クロロホルムも気絶しないんですよね?」

「へえ、良く知ってるね」

 隣で猪狩の咳払いが聞こえてきた。

「気絶させようとして殺しちゃったのか……」

「最初からスタンガンで殺すつもりだったのかもしれない」猪狩が言う。

「じゃあ、なんで心臓を刺したのかがわからないじゃない」

「気絶させたって一緒だ。わざわざ気絶させてから刺すんだから」

「……吸血鬼の心臓に杭を打つのと似たような感じ、かな?」奈美香はそう言ったが、明らかに苦し紛れだった。

「杭ならわかるけど、刃物を刺すなんて話あった?」伊勢が首を傾げる。

「そうなんですよね……」

「とりあえず、当面は動機の方から探っているけど、全然出てこない」

「全く、ですか?」

「今のところね。あの六人、君らを入れれば九人か、警察って無駄が多いもんで、その六人以外にも被害者の周りを調べなきゃいけないんだけど、全然だね」

「その六人は? えっと、静江さん、結衣さん、柏田さん、阿久津さん、瀬戸さん、あとは……」

「使用人の牧田洋子。君らは見てないだろうけど」

「で、どうなんですか?」

「まず、家族関係は良好。近所、もちろんあの別荘じゃなくて本宅の方ね。周りの話を聞いたけどいい話しか出てこなかったよ。夫婦関係、親子関係ともに良好、柏田も牧田も証言している」

「家政婦は見た! 的なのは?」

「ないない。静江さんは献身的な奥さんって感じだし。結衣さんも特に悪い話はないかな? まあ、ちょっと疎遠な感じはするけどあの年頃の親子ってそんなものだろ? それに、家庭の事情って話しにくいだろうから、実際はわからないけどね。で、柏田は佐加田家に驚くほど従順。もうびっくり。何せ、かれこれ三十年以上働いてるからね」

「て事は二十代から?」

「ああ、柏田は大学中退なんだ。家庭の事情で授業料が払えなくなってね。奨学金って手もあったはずなんだけど、その辺の判断はよくわからない。いろいろとアルバイトで食いつないでいたところ、何の縁か被害者の父親に拾われたらしい。彼は癌でもう亡くなってるけど」

「そう言えば、大学中退のフリーターから国会議員になった人がいましたね」猪狩は関係のないことを言い出した。

「瀬戸さんと阿久津さんは?」奈美香は猪狩を呆れ顔で見た後、話題を戻した。

「ここ数年は年に一度のあのパーティーくらいでしか会ってなかったらしい。特に瀬戸は五年ぶりだから、シロだろうね。何かあるとしたら阿久津かな? 高校からの付き合いで大学卒業後も結構付き合いがあったらしいから、家族以外では一番身近な人物だね。もうちょっとすれば何か出てくるかも」

「そうですか……」

 料理が運ばれてきた。

 スープカレーは地元特有のメニューだ。スープ状のカレーに大ぶりな野菜が入っているのが特徴的で、通常のカレーよりも辛い物が多い。

 三人は食べながらも会話を続ける。

「牧田さんはどうですか?」

「彼女はまだ調査中。まだ、あそこで働いて一年くらいだから、よく分かってない」

「あの……、報告書を見せてもらえませんか?」奈美香は遠慮がちに言った。

「まさか! さすがにそれはできないよ」伊勢はそう言ってコーヒーを飲む。

 伊勢はしばらく黙っていた。

 奈美香も冒険をしすぎたと反省し、黙り込んでしまった。

 隣の猪狩はただ、スープカレーの辛さに耐えているようだった。彼は辛い物が苦手なのだ。

「そうそう。最近、静江さんが変なことを言い出してさ」伊勢が沈黙を破った。

「変なこと?」奈美香は食いついた。

「変なことっていうかね、何でもいいから気づいたことを言ってくださいって言ったら、『薬が余ってる』って言うんだよ。最近になって気づいたらしい」

「余ってる? どういうことです?」

「薬は病院で処方されたらしいんだけど、五日分貰ったらしいんだ。一日食後三錠で、貰った日の昼から飲み始めて、五日後の朝に飲み終わる計算だよね? けど、最後に薬を飲んだのが昼だったっていうのを思い出したらしいんだ」

「飲み忘れたんじゃないですか?」

「だと思うよ。調子が良くなったから飲まなかった日もあったとかさ。事件に絡んでいるケースはちょっと想像できない。それだけだよ。……さて、ちょっとトイレ。ああ、そこの鞄、絶対に見ないでね」伊勢は立ち上がると、トイレの方に歩いて行った。

「この鞄の中に報告書が入ってるから俺の見てないところで見なさい、って事?」

「さあ? 絶対に見るなと言ったのは空耳かな?」彼は呆れながらも否定はしなかった。

 奈美香は伊勢の鞄の中から分厚いファイルを取り出した。しかし、伊勢が報告書を書けないと言ったとおり、事件の概要についてはぼかしているようだった。

 死亡推定時刻は八時半から九時半の間。死因はスタンガンの電流によるショック死。スタンガンは見つかっていない。さらに包丁で心臓を正面から刺されている。包丁は量販店にある一般的なもので、佐加田家にあったものではない。指紋はなし。現場からはB型の血液のみが検出されたため、被害者の血液のみと思われるが、現在検査中。

「どうして殺した後包丁で刺したのかしら……」

 別館から被害者が移動した事は一応書かれてはいるが、やはり非現実的な事は書きづらいのだろう、信憑性の薄いものとして書かれていた。

 残りの情報はすでにわかっていた事がほとんどだった。

 佐加田昌弘はパーティーの途中、八時二十分頃を最後に目撃されていない。柏田も牧田も見ていないという。

 佐加田静江は体調不良を訴え、八時頃に自室に戻り、病院から処方された風邪薬を服用して就寝した。数日前から体調が悪かったらしく、その時に処方されたものである。

 柏田智宏と牧田洋子は八時半にパーティーを終えた後、後片付けをしていた。その後、牧田一人に任せて、柏田が二階に上がろうとしたところで、三階で悲鳴を聞いた。

 牧田はずっと後片付けをしていたが、証拠はなし。ただし、作業の進行度から見てほとんど間違いはないと思われる。

 残りの者は自室にいたと証言している。ただ、佐加田結衣は、九時前に猪狩の部屋を訪れている。

 その他、当日の各人の行動などが調べられていたが事件発生時のものはこのくらいである。

「どう思う?」奈美香は猪狩に尋ねた。

「昔、ポケモンってあったじゃん」

「今もあるわよ」

「今って何種類くらいいるの?」

「さあ? 百五十一種類までしか知らない」

「俺でも二百五十一までは知ってるぞ」

「うるさいわね。それがどうしたのよ」

「ピカチュウの十万ボルトってあったじゃん。子供の頃はそんな電圧を受けたら絶対死ぬだろって思ってたんだけどさ。人間が十万ボルトの電圧を受けても死ぬとは限らないんだよな。電流さえ低ければ、だけど。電流さえ低ければ百万ボルトだって耐えられるらしいよ」

「……もしかして、事件には」

「関係ないんじゃない?」

「もう!」奈美香は報告書を鞄にしまった。

 ちょうど伊勢が戻ってきた。

「見てないよね?」伊勢が笑みを浮かべて聞いてきた。

「はい、もちろん」奈美香は急いで笑顔を繕った。

 猪狩は一人コーヒーを啜っていた。


     2


 翌日の木曜日、奈美香は一講目の授業を終え、次の授業に向かう所だった。一番新しく建てられた(と言っても奈美香が入学するはるか前の話だ)五号館は一階のみ四号館と繋がっていて、他の棟とはそこでしか繋がっていない。

 奈美香は五号館から、四号館へと入り、さらに三号館へと入り、そのまま二三〇教室に入った。

 二三〇教室はO大の中でも大きい教室で「ニーサン」と呼ばれている。くだらない駄洒落ではあるが、呼びやすいのでほとんどの学生がそう呼んでいる。他に四号館の一五〇教室が「イチゴ」ないし「イチゴー」と呼ばれている。「イチゴー」だと単語として意味を成さないが、呼びやすければどうでも良いらしい。

 次の授業は従兄の木村の授業である。見た目の通りラフなので授業は非常に楽で、いわゆる「安パイ」と呼ばれる教員である。授業を大して聞いていなくても最後には何とかなると言われている。O大は他学科の授業も問題なく履修できるため、奈美香はこの授業を受けていた。もちろん楽だから、である。

 楽な授業の上、何かの映像をスクリーンに映すためカーテンが閉められていて、その暗がりが余計に睡魔を襲って耐え難い。上の空で授業を終えた後、木村の元へと向かう。

「良兄」

「ん? ああ、奈美香か。何? あ、ちょっと待って」

 木村は壁のパネルのボタンを押した。照明が付き明るくなる。さらに、別のボタンを押すと、カーテンが自動で引かれていった。光が差し込むが、照明があらかじめ点いていたので、それほど感じはしなかった。

「あれからどう?」後片付けが済んだ木村に奈美香は尋ねる。

「どうって何が? それと、あれからっていつから?」

「事件の事よ!」

「ああ……。警察にいろいろ聞かれたけど、別に」木村はパソコンをスリープ状態にして、コンセントを抜いた。

「ああそう。ねえ、やっぱり何も気づいた事ないの?」

「気づいた事って言ってもねえ……」

「じゃあ、教授を恨んでた人っていない?」

「えっと、僕かな?」

「冗談止してよ」

「知らないよ。僕みたいに教授に振り回されてた人ならいたろうけど」

「うーん……」

「何かいろいろ考えてたみたいだけど何かわかったの?」

「全然。状況的に結衣さんか静江さんなのよね……。他の皆は私たちと動いていたし、牧田さんも片付けの進度からして、不可能っぽいし。けど、誰にしたってどうやったかがさっぱり」

「窓から橋渡ししたってのは?」

「一番妥当っぽいけど、どうやったって死体に手が届かないわよ。部屋の中に誰かいないと無理ね。そんな人いなかったのは私たちが見てるでしょ?」

「どこかに隠れてたかもしれないよ?」

「あのねえ……」奈美香はため息をついた。「覚えてないの? あの部屋に隠れる場所なんてなかったわよ。押し入れもクロゼットもなかったんだから」

「別館の教授は映像だったとか」

「見間違えるわけないでしょ」

「でも、最近の映像技術は凄いからね。それよりさ、もういいかな? このパソコン、古すぎてバッテリーが持たないんだ」

「じゃあ、シャットダウンしなさいよ」

「立ち上げるのが面倒でしょ。あと、考えるのもいいけど、ちゃんと宿題出してね」

「えっ、宿題!? 何それ?」

 木村は深いため息をついた。「授業、聞いてなかったんだね」


     3


 奈美香は教室を出た。先程から胸につっかえている何かがあるのだが、それがまったくわからない。

 二三〇教室のすぐ隣の階段を下りながら考える。宿題……も気になるがそれじゃない。

 一階に下りて玄関を出た。少し前まで肌寒かったが、だいぶん暖かくなってきたようだ。柔らかな風が奈美香に降りかかる。

「あ!!」

 思わず奈美香は叫んだ。

 すぐハッとなって辺りを見渡す。幸い周りに人はいなかった。

「わかったわ!!」声を落として彼女は言い、携帯電話を取り出した。「康平に教えなきゃ」

『……もしもし?』三度のコール音の後、猪狩が出た。

「康平? わかったのよ!」

『ああ、そう』

 電話越しの彼の声はいつも通りだが素っ気ない。もっと驚いてくれてもいいのにと彼女は気落ちした。

「そうなのよ! あ、でも待って。じゃあ、あれは……」

 会話をしながら検算をしていると、すぐに壁にぶつかってしまった。完全に早とちりだった。恥ずかしい。

『リモコンでしょ?』

「ああ、そうか」助け舟が出る。「……って、え? じゃあ、わかってたの?」

『わかったっていうか、そうじゃないかなあって』

「一緒じゃない! でもこれではっきりしたわ!」彼が言うのなら間違いないのだろう。

『はっきりはしてないと思うけど』

「うるさいわねえ」

『で、どうするの?』

「どうしようかしら?」

『ま、もうそろそろ犯人が捕まってるだろうから、どうもしなくていいと思うよ』

「え!?」

『伊勢さんに言っておいたから』

「もう!! 何てことするのよ!!」

 せっかくの解決を猪狩に邪魔されてしまった。頭の中が急に沸騰してくる。

『だって、それが普通だろ?』

「う……」あまりの正論に、奈美香は何も言えなかった。

『ということで、この話はおしまい。じゃあね』

「あ! ……あいつ、切りやがった」奈美香は携帯電話を乱暴に仕舞った。

 彼女は次の授業に向けて歩き出す。自分が理不尽だとわかってはいるが、納得できない、そんなもやもやを抱えながら。

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