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六章 privateな調査

     1


 ちょうど一週間が過ぎた。藤井基樹、新川怜奈に事件の事を話し、例の如く推理大会のような事もあったが、特に何か思いつくでもなく平凡に過ぎていった。

 猪狩はこの日も平凡に過ごす予定だった。せっかくの週に一度の日曜日(当たり前だ。週に二度あったらおかしい)なのだ。少なくとも時間が一桁のうちは起きるつもりはなかった。

「……何だよ」猪狩は自分ができる精一杯の嫌な顔を奈美香に見せつけた。

 現在九時半。大学生活を送っていると、休日のこの時刻に他人の家を訪れるという行為が常識なのか非常識なのかの判断力が低下してしまっているが(つまり堕落の証拠である)、少なくとも猪狩にとっては十分不機嫌になるに足る時間だった。

「車出して」奈美香は猪狩の機嫌を気にも留めずににっこりと微笑んだ。

 時計の針がまだ一桁を指している休日に、なぜか猪狩の家の前には奈美香がいる。

 いや、なぜかはわかりきっている。

「うちはタクシーじゃないぞ」

「知ってるわよ。タクシーなんて高くて乗ってられないわ」

「俺はアッシーか。冗談じゃない」

「いいから、出しなさい」

 いつの間にか命令口調になっている。猪狩は頭の中で計算する。正論を訴えるか、泣く泣く応じるか。応戦可能だが、あとあと面倒になる、という結論に至った。

「……ちょっと待ってろ」猪狩は諦め、支度に取り掛かることにした。

 一度玄関の戸を閉める。母の涼子はとうに朝食も終え、リビングでテレビを見ていた。

「母さん、車貸して」

「なあに? デート?」

「まさか。奴隷だよ奴隷」

「そんなこと言わないの。奈美香ちゃんに失礼じゃない。はい、鍵。楽しんでらっしゃい」

「……行ってきます」

 楽しめるものか、と気落ちしながら再び戸を開けると、妙に上機嫌の奈美香が待っていた。「まったく、自分勝手だな……」彼女に聞こえないようにつぶやいた。

「さて、行きましょ」

 彼女は機嫌を損ねない。どうやら聞こえなかったようだ。猪狩は一安心した。

「最初は誰の家だ?」

 彼女がここに来た理由。それは先週の殺人事件についての調査に他ならない。おそらく、自由に動くための足の確保と、あとは……。

「そうねえ、まずはここ」そう言って住所が書かれたメモを手渡す。「瀬戸さんの家」

「へいへい」猪狩は母の軽自動車の鍵を開けた。

 なぜこんな目にあっているのだろうかと思うと気分は滝のように急激に落ちていく。もちろん朝早くに起きたこともそうだが、それ以上のものがある。

 たしかに、人生において多少の刺激は欲しい。しかし、それはハンバーガーに入っているピクルスのようなものでいい。なければないでいいと思っていたのに実際にないと物足りない。 

 その程度でいいのだ。

 何を好き好んで殺人事件に巻き込まれ、ましてや、なぜ捜査をしなければいけないのだ。子どもが裸足で逃げ出すピーマンの苦さなど要らないというのに。

「……ピーマンはちゃんと食えるぞ」

「は? 何言ってるの?」


     2


 瀬戸の家は猪狩の家から車で四、五十分ほどのところにあり、S市の南東側の住宅街にあった。

 存在を主張しすぎない草木が理路整然と道路脇の歩道に並ぶ。できて数年ほどと思われる、真新しい大きめの公園では、子どもたちが無邪気にはしゃいでいる。そのすぐそばに瀬戸の家があった。

 彼女はいきなりの訪問に驚いたようだったが、邪険にすることなく二人を受け入れてくれた。

「はい、どうぞ」

 瀬戸は二人のために紅茶を淹れてくれた。奈美香は普段は滅多に紅茶を飲むことはなく、久々に飲んだそれは美味しかった。

「で、どうかしたの?」瀬戸は優しい笑顔で聞いてきた。

「ちょっと、事件の事でお話が……」奈美香がそう言うと、瀬戸は表情を険しくした。

「何をする気なの? 素人が首を突っ込んじゃダメよ。そういう事は警察に任せなさい」悪戯をした子どもを諭すような、優しげではあるが厳しい口調で瀬戸が言う。

「すいません。康平がどうしてもっていうので。彼、何度か事件を解決しているんですよ。この事件って、普通じゃないじゃないですか。普通の事件だったら警察に任せればいいんですけど、密室から死体が移動したり。こういうのを解くのが得意なんです」

 隣で猪狩がため息をついた。どうやら反論は諦めたようだ。いっそのこと、もう少しやる気になってくれれば、と彼女は思う。もっと言ってやっても良いくらいだ。

「うーん……。まあ、考えるのは自由だしね」瀬戸は納得がいかないようだったが、渋々了承した。「何が聞きたいの?」

「夕食の後、瀬戸さんと阿久津さんは二人で部屋にいたんですよね?」

「ええ、彰と二人で昔話をしていたわ。言ってたっけ? 私たち三人は大学が一緒なのよ。昌弘も誘おうとしたんだけど、見つからなくって」

「夕食の後、すぐですか?」

「ええと、まあ、そうね。一度、部屋に戻ったけど、五分もせず彰の部屋に行ったわ」

「あれ? 教授はいつ誘ったんですか?」

「彼、パーティーの終わるちょっと前からいなかったじゃない。で、上に上がるときに部屋に寄ったんだけど、いなくて。ちょっとは探したんだけど、まあいいかって」

 奈美香は記憶を遡る。どうだっただろうか。ワサビデザート事件で記憶がおぼろげだが、たしかに、教授はパーティーの終わりにはすでにいなかった気がする。柏田がパーティーのお開きを宣言していたはずだ。そして、阿久津と瀬戸の二人が階段を上っていくのは見た。その後、教授の部屋に寄った後に自分の部屋に行ったかどうかまでは見ていないが。

「その時、教授の部屋の中に入りましたか?」今度は猪狩が質問する。

「ちょっとドアを開けて中を覗いたくらいで、中には入っていないわ」

「じゃあ、一度も教授の部屋には入らなかったんですか?」

「いえ。あそこに着いた時に挨拶しに入ったわよ。けど別にたいして変わった事はなかったわよ」

「そもそも、佐加田家ってどんな人たちなんですか?」奈美香は訪ねた。

「どんな、ってねえ……。昌弘は大学のときはいいとこの坊ちゃんって感じだったわ。坊ちゃんと言っても、おとなしい優等生っていうよりは、甘やかされたヤンチャっ子って感じで、その時からわりと悪戯好きだったんだけど。まあ、年を重ねるごとにタチが悪くなってるわね」そう言って苦笑する。「静江さんはよくわからないわ。なんであんなのと結婚したんだか……。別に、昌弘の事を悪く言ってるわけじゃないのよ。彼はとてもいい人よ。仲間内に一人はいて欲しいムードメーカーみたいな感じで。旦那には絶対にしたくないけどね」

「結衣さんはどうですか?」

「なんていうか……、母親似で良かったわ。でも彼女もあんまり知らないの。あの家族に会ったのは五年ぶりだから。彰に聞くといいんじゃないかしら、毎年パーティーに出ているらしいから」

「そうですか、わかりました。あ、紅茶ご馳走様でした」


     3


 瀬戸宅を後にした二人は次に阿久津に話を聞くことにした。猪狩はささやかな抵抗を見せたものの徒労に終わり、おとなしく運転する事にした。明らかに彼女に振り回されている。

 先程とは別の住宅街の一角、標準的な一軒家のうちの一つが阿久津宅だった。奈美香が呼び鈴を鳴らす。

「はい」どこか幼さのある声が応答した。

「矢式と言いますが、彰さんいらっしゃいますか?」

「ちょっと待ってください」声が遠ざかる。遠くから「お父さーん!」と呼ぶ声が聞こえた。

 しばらくすると扉の鍵が開き、阿久津が出てきた。

「どうしたの?」阿久津は不思議そうな顔で二人の方をを見ている。

 考えてみれば、一度会っただけで、特に親しくなったわけでもない。不思議に思うのも無理はないかもしれないそういう意味では瀬戸は順応性の高い人物だといえる。

「ちょっとお尋ねしたい事がありまして」

「ん? 先週の事?」

「まあ、そうですね」

「いいよ、入って」

 二人はリビングに通された。阿久津の奥さんが紅茶を淹れてくれた。実は猪狩は紅茶が苦手で、またしてもそれと対面する事となったのだが、眉を少し動かしただけで何も言わずに戴くことにした。親切な行為を無下にするほど常識知らずではない。

「で、聞きたいことって?」

「静江さんと優衣さんについて知っている事があったら教えていただきたいんですけど」

「ん? 先週の話じゃないの?」

「あ、いえ。大体は瀬戸さんに聞いたんで。でも一応教えてくれませんか?」

「なんか、警察みたいだな。まあいいか」瀬戸と違いあまり気にしていない様子である。

 阿久津の証言は瀬戸と一致した。新しい事は特にわからなかった。

「やっぱり、一緒ですね。じゃあ、二人について聞いてもいいですか?」

「いいけど、なんか話すことあったかなあ?」

「あ、その前に一ついいですか?」猪狩が口を挟んだ。

「何だい?」

「阿久津さんはあの日初めてあの別荘に行ったんですか?」

「そうだよ。あの別荘、新しく建てたらしいしね。それが?」

「じゃあ、教授の部屋に入りましたか?」

「うん。来た時に一回。あと夕食後に一回。あ、二回目は覗いただけだ」

「瀬戸さんと一緒にですか」

「ああ、二回目はそうだよ」

「ありがとうございます。あ、話し戻していいよ」猪狩は奈美香に先ほどの続きを促した。

「えーと、あの二人、静江さんと結衣さん。実は教授と仲が悪かったとかはありませんか?」

「ないと思うけどなあ。昌弘は変人だけど、割といい家族だと思うよ。静江さんはかなり献身的だし、結衣ちゃんだって大人しいいい娘だよ。まあ、外から見たら、だけどね」

「そうですか……」

「あ、でも静江さんってああ見えて昔は結構気が強かったんだよ」

「そうなんですか?」

「うん。昌弘に負けず劣らず我が強いっていうか。その頃は喧嘩もけっこうしてたし、仲が悪いって言ってもいいかもしれないね。でも二十代の頃の話だよ。そうそう、一回もの凄い喧嘩した事があったっけ。そのうち治まっていったけどね。いつからかな、ああいう大人しい性格になったの?」阿久津は思い出そうと頭をかいている。

 奈美香はといえば、仲が悪かった時期があるという情報は耳寄りだが、あまりにも昔の事なので若干どうでも良い、といった風で密かに顔をしかめている。

「あ、結衣ちゃんが生まれたあたりかな? そのちょっと前かも。とにかく、親としての自覚が出たんでないかな?」

「そうなんですか」奈美香は笑顔で答えていた。

 猪狩にはそれが作り笑顔だと分かった。


     4


「どうしたのよ? 教授の部屋がどうしたっていうの?」車に乗り込みながら奈美香が聞いた。

「教授の家には行く?」奈美香の質問を無視して猪狩が質問を返す。

「うーん。私たち一般人だから、さすがに遺族に話を聞くっていうのもね……」

「じゃあ、調べなきゃいいのに……」猪狩は奈美香に聞こえないように呟いた。

「仕方ないから、そっちの方は伊勢さんから聞きだしましょ!」

「じゃあ、全部そうすればいいのに……」今度も微かに呟いたが奈美香に聞こえてしまったようだ。

「うるさいわねっ!! こういうのは自分で調べるのが一番いいのよ! それより、教授の部屋がどうしたっていうのよ?」

「別に。ただ、瀬戸さんと阿久津さんにも犯行が可能な事がわかっただけ」

「……全然わかんない」

「たいした事じゃないよ。あの三階には鍵がかかっていた。その鍵は教授の部屋のわかり易い所にあった。あの二人は教授の部屋に入った。だから、あの鍵を見つけて鍵をかける事はできた。

 そもそも、俺たちがあの部屋の前に来たときには中で物音はしなかったから、その前に死体が移動した事になる。ということはあの部屋に鍵がかかっている必要はない。

 鍵がかかっていたのはあくまで、あの不可解な現象を修飾するためのものでしかない。たまたま鍵を見つけて利用しようとしただけかもしれない。そういう意味であの二人のどちらかが、教授の部屋で鍵を見つけて初めて、鍵をかけるという事を思いついたかもしれないという事。

 どうやったかわからない以上、あそこに行って初めて犯行を思いついた、という類のものかもしれない。だから、あの二人にも犯行が可能だったって事。以上」猪狩は箇条書きのような口調で一気に話した。

「で、どうやったかはわかったの?」

「さあ? それがわかってたら俺はこうして運転してないわけだし」

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