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五章 invisibleな黎明

     1


「でさ」猪狩は言った。「なんで俺の部屋に来るの? 自分の部屋行けよ」

 個別の聴取を終えた後に、奈美香が猪狩の部屋に入ってきた。聴取は阿久津の次で、「何回も同じ事聞きやがって! さっきも答えたじゃねえか!」と愚痴をこぼしていたのを聞いた後で若干気が重かったが、おおむね伊勢に全体での聴取で話した事を確認されただけで終わった。

 これも一応「同じ事を聞かれている」事になるのだが、明らかに便宜が図られている。

 猪狩としては、伊勢がなぜここまで自分を贔屓するのかはわからなかったが、面倒事が一つ減ったので気にする必要はないという結論に達した。

「いいじゃない、別に」奈美香は当然とばかりに言った。「ところで、何かわかった?」

「静江さんと結衣さんにはアリバイがないね。けど、どっちにしろ不可能だろ」

「だから、何かトリックがあったのよ!!」奈美香は語気を強めて言った。

 どうやら、猪狩がやる気を出さないのが不満らしい。

「そもそも、現に起こってしまったのだから仕方がないけど、ああいった……と言ってもどういったのかは知らないけど。とにかく、何らかのトリックを実行するのはかなりハイリスクなんだ。手間もかかるし、成功するかもわからない。不測の事態に対応できないし、痕跡が残る。これ、毎回言ってることだよ」

「でも、現実に起こってるじゃない」

「そう、そこが解せない」

「解せないって、今時そんな言葉使わないわよ」

 かつて奇天烈という言葉を使った彼女に反論しようか迷ったが、止めた。

「わかんなくたって実際に起こってるんだから、どうやったかを考えなきゃ。そもそも、何か思いついてたんじゃないの?」

「いや、だから、わかんないんだって」

「でもわかってることはあるんでしょ?」

「それを言ったら先入観となってお前の思考を狭めるよ。実際、俺もそこで思考が止まってる」

「うーん」納得していないようだったが、奈美香はそれ以上追及してこなかった。

「けど、犯人が別館を壊したって事は、考えが合ってるのかなあ? けど、問題はそこからなんだよなあ。……まあ、警察に任せればいいや」

 猪狩の言葉に顔をしかめる奈美香だが、急に何か思いついたようで、ニヤニヤ猪狩の方を見ている。

 猪狩の背中に冷や汗が走った。

「やっぱり、伊勢さんに詳しい話を聞く必要があるわね」楽しそうに奈美香が言った。

「は?」背中の水流が二倍になった。

「はい、レッツゴー!」奈美香は満面の笑みでビシッとドアを指差す。

「嫌だよ!」

「はい、文句言わない。ゴーゴー!!」

 彼女は猪狩の背中を押して部屋から追い出そうとする。

「だからぁ、行きたきゃ勝手に行けって!」猪狩は抵抗した。

「あんたがいた方が、都合がいいのよ」

「だいたい、まだ聴取中だろ」

「大丈夫よ。私が最後だったから」

 五十音順だったから、彼女の言うことは正しい。

 結局負かされて、猪狩は二階へと降りた。

 鑑識などの捜査官が大勢いる。彼らは、最初二人を見てもそのまま一階に行くのだろうと思ったのか、皆そのまま作業に戻っていった。だが、その場に立ち止まる二人を見た一人が近寄ってくる。

 確か、伊勢の部下で池田という名前だったはずだ。

「あの、どうかしましたか?」池田が未だに新米の雰囲気から脱し切れていない、あどけない顔で聞いてきた。

「伊勢さんいらっしゃいますか?」奈美香が答える。

「ちょっと待ってください」彼はそう言うと奥の方へ向かった。

 猪狩はそのやり取りを見ていたが、どうしても納得がいかなかった。

「何、ふて腐れてるのよ?」

「……うるさいな」

 しばらくして、伊勢刑事がやってきた。

「どうしましたか? って。ああ、何だ、君たちか」

「何だとはご挨拶ですね」

「……機嫌悪い?」伊勢は猪狩の表情を見て奈美香に聞いた。

「いえ、お気になさらずに」

「お前が言うな」

「まあいいや。何か用かな?」

「はい、康平がどうしても事件の詳細を知りたいって」

「言ってない」

 そろそろ、堪忍袋の緒が切れそうだった。

「うーん」伊勢は考える仕草をする。「教えたいのは山々なんだけど、あくまで君たち一般人だからね。詳しいことは話せないけど、それでもいいならどうぞ。事情聴取のための状況説明って名目で」

「被害者の死亡推定時刻は?」奈美香が質問する。

「うーん、それくらいなら。八時半から九時半の間だよ。つまり、参考にならない」

「死体に不思議な点は?」

「微妙な質問だね。答えていいのかなあ」伊勢は首を傾げる。「って言っても検死待ちだけどね。教えれるかどうかは微妙」

「そうですか……」奈美香は次の質問を考えているようだった。「二階の窓の鍵はかかってましたか?」

「ああ、かかっていたよ。三階もね。けど、騒ぎに乗じて閉めることはできただろうしね。それと、窓近辺からはまだ何も見つかっていないよ」

「鍵はどこにあったんですか?」奈美香が質問を考えるのに時間を要しているようだったので猪狩は質問した。

「教授の部屋だよ。聞いてなかったっけ?」

「いや、そうじゃなくて。部屋のどこに?」

「ああ。机のすぐ上の壁に引っ掛けてあるんだよ。結構わかりやすい所だよ」

「そうですか。それと、教授は心臓を一突きにされていたんですよね?」どうせこの際だから、と猪狩は質問を続けることにした。

「ん? そうだけど」

「という事は正面から刺されたんですよね? 抵抗した様子はありませんでした?」

「ああ、いいところに気づいたね。君の想像通りだよ」伊勢は感心したように頷いた。

「ありがとうございます」猪狩は一礼すると踵を返して階段を上って行った。

「え!? あ、ちょっと待ってよ!!」

 奈美香が言うのを猪狩は無視した。このくらいでないと腹の虫が治まらない。


     2


「ねえ、どういうこと?」奈美香はたまらず聞いた。

 二人は再び猪狩の部屋にいた。猪狩は若干の抵抗を見せたが押し切った。

「心臓を刺すにはどうしたらいいと思う?」

「え?」質問の意味を掴み損ね、奈美香はキョトンとした。

「正面から刺すだろ?」

「当たり前じゃない。それがどうしたのよ? どう考えたって顔見知りの犯行なんだから別に抵抗の跡がなくてもいいんじゃない?」

「じゃあ、質問。顔見知りだとしても、どうやって刃物を相手に見せずに近づく?」

「ああ、そうか……」

「でも、何の抵抗もさせずに心臓を刺す方法はある」

「あ! 相手を眠らせるとか気絶させるとかね。事前に睡眠薬を飲ませたか、何かの薬品、たぶんクロロホルムとかかしら? それを嗅がせるとか。スタンガンを使うっていう手もあるわね。刃物と違ってポケットに隠したまま近づけるし」

「クロロホルムじゃ気絶しない。吐き気はするけど」

「嘘!?」

 驚愕の知識だった。まさに青天の霹靂。小説ではクロロホルムが常套手段のはずだ。

「本当。小説の読みすぎだ。とりあえず、今回はスタンガンを使ったとしよう。問題は、なぜそこまでして心臓を刺したのか? ということだ」

「うーん……。なんで?」

 どうにも頭が回らなかった。アルコールのせいもあるだろうし、例の悪戯でどうにも気分がすぐれない。

「さあ? けど、事件を解く糸口にはなる。いや、なるかもしれない、くらいだな」

「とりあえずそれは置いておきましょ。今のところの最大の問題は、鍵のかかった部屋からどうやって本館に運んだのか、ね」

「運んだ後、鍵をかけたかもしれない」

「でも、あたしたちが部屋に行くまで五分とかからなかったのよ?」

「あの部屋の鍵が来るまで、中から物音がした?」

「いや、しなかったけど」

「だったら同じ事だ。俺たちが着いた時にはもう死体は消えていた。その間の五分、いや二、三分で事をやってのけたことになる。順序が逆でも困難な事という意味では同じだ」

「うーん……」

 先ほど首を捻ってばかりである。だが、それで何か浮かぶわけでもなかった。

「とりあえず、寝たいんだけど」

「は?」

「だから、寝たいんだよ。今ある情報だけじゃどうしようもないだろ」猪狩は眠そうに目を細めた。 

「あっそ、じゃあ、オヤスミ」アルコールとワサビが混じりあって吐きそうになってきたので素直に引き下がることにした。


     3


「……ふう」

 猪狩は着替えを済ますとベッドに寝転んだ。

 思考を元に戻す、という表現がある。思考があらぬ方向に向かっていったときに使う言葉、つまり人間の思考は本人の意図とはかけ離れて動く事があるということである。

 例えば、考え事をしていて、ウェブページのリンクを辿るようにしていった結果、本筋とはずれたことを考えてしまったり。

 例えば、本来すべき事があるのに、逃避的に別の事を考えてしまったり。

 

 例えば、本当は警察に任せたいのに、事件の詳細について考えてしまったり。


 いや、どちらが本心なのだろう。人間は自分を完全に理解できるほど性能が良くない。

 けれどそれは自己を護るためなのかもしれない。

 心理学を学んだ人間は、自分の行動、心理を理解できるがゆえに自己嫌悪に陥る事があると聞いたことがある。

 自分を理解できないがゆえに自分を保つ事ができる。なんと皮肉なことではないか。人間は他人と接触し理解しようと試みる。しかし自分のことなど少しもわかっていないのだ。 

「ほら、また話が逸れた」

 これは例①だな。思考を元に戻そう。

 結局、どちらが本心なのか。考えているうちに猪狩は眠りについた。


     4


 翌朝、特に変わったことは起きなかった。朝食を食べた後、警察に連絡先を聞かれ、また連絡する事があると説明を受けただけだった。

 昼になる前に、木村一行は車で帰る事となった。車内では奈美香がいろいろと事件のことを話していたが、もちろん解決するはずもなかった。

「うーん、何かないかしら?」奈美香は首を捻って懸命に考えているようだ。

「さあ。それにしても、考えすぎじゃない?」

「いいのよ、これくらいで」

「奈美香も僕くらい大雑把に生きればいいのに」木村は欠伸をしながら言った。

 彼の様子を見る限りでは、たいして謎解きに興味はないようだ。

「良兄はいい加減すぎ!」助手席から奈美香が木村を睨む。

「O型だからね」開き直るように、はははと笑った。

「血液型と性格の関係は科学的に証明されてないわ」

「そりゃあね。けど、面白いでしょ。教授は何型だと思う?」

「……B型」自分で言っておいて容易く予想できたのが悔しいのだろう、憮然として答える。

「わかってるじゃん。ちなみに静江さんもわかりやすいよ」

「A型?」

「当たり。結衣さんはわかりにくいかな? O型だよ。だから、全部の血液型が生まれる家族だね。AOとBOってことになるね。あと、たしか柏田さんはA型で、牧田さんはAB型だったかな?」

「牧田さん?」

「ああ、もう一人の使用人だよ。柏田さんと後片付けをしていたっていう」

「ああ、そう。何でそんなに詳しいのよ?」

「一時期ハマってね。血液型性格診断。で、この家はバリエーションたっぷりだったから。奈美香はB型?」

「失礼ね! A型よ!」

「それってB型に失礼だ」猪狩は思わず後ろから口を挟んだ。

「あら、ごめんなさい。B型の猪狩くん」

「そうやってB型はいつも蔑まれるんだ」

 猪狩は舌打ちしてシートに深く腰掛け直した。

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