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四章 publicな捜査

     1


 猪狩と奈美香は猪狩の部屋にいた。

 警察がもうすぐ来る、それでいくらか安心できるだろう。教授を発見した後、すぐに柏田が警察に電話をかけた。幸い、電話が繋がらないといったミステリーの定番のような出来事は起こらなかった。 

 電話を掛け終えたところで、結衣が部屋から出てきて、あの光景を目の当たりにしてしまった。何とか柏田や木村が落ち着かせたが、問題はこの後である。

 静江は体調が悪かったらしくパーティーの途中からずっと休んでいた。薬を飲んで寝ていたのでまったくこの惨事には気づかなかったらしいのだが、いつまでも黙っているわけには行かないので事情を話しに行ったところ、あまりのショックに卒倒してしまった。今は瀬戸が看病しているそうだ。

 殺人鬼がうろついているかもしれないということで一ヶ所に集まろうという提案があったが、奈美香がそれを丁重に断り今に至る。

「ねえ、どう思う?」

 部屋にあった一人掛けのソファに座りながら奈美香が話を切り出した。

「何が?」

 ソファを奪われた猪狩はベッドの端に腰かけている。

「何がって、この事件よ! まさか、あんたも外から殺人鬼がやって来て死体消失トリックをお披露目した後、逃げていったとでも思ってるの!?」奈美香は語気を強めて言った。

「まさか、そんなわけないだろ。明らかに、いや、明らかである根拠はないけど内部の犯行だろ」

「でしょ? わざわざこんな山奥まで来て人を刺してあんな奇天烈な事やらかす人間がいるもんですか!」

 奈美香はまくし立てるように言った。

 猪狩は奇天烈という言葉に違和感を覚えた。そんな言葉は今時使わない。それが彼女の口から出てきたことが可笑しかった。だが、猪狩は突っ込まない事にした。

 そもそも、内部の者の犯行だとしても、あんな奇天烈(あえて使う)な事をする理由はないだろう。

「落ち着け。人ひとり死んでるんだ」猪狩はため息をついて言った。

「そ、そうね……」

 自覚はなかったが、その言葉は猪狩にしては語気が強かったようだ。彼女は猪狩の言葉で幾分落ち着きを取り戻したようだ。

「それにみんなわかってるだろ。ただ、自分たちの中に犯人がいるなんて思いたくないだけだ」

「そうだけど……」

「わかってるならいい。俺としては、あとは警察に任せたいんだが……」

「嫌よ、そんなの」奈美香はきっぱりと言った。

「やっぱりそうなるの?」

「どうやったのかしら? どうやって、あたしたちが現場に着くまでの一、二分で死体を本館の二階に移したのか……」

 奈美香はすでに冷静な時の、そして好奇心で思慮に耽る時の彼女に戻っている。この切り替えの速さは他人には真似できないだろうと猪狩は思う。

「窓と窓を縄で繋いでロープウェイみたいにするか……。ああ、窓を調べておくんだった。いや、でもそんなことできるかしら? あ、良兄が途中でカーテンが閉まったって言ってたわね。それじゃあ、その後でじゃなきゃいけないから、もっと時間は短くなるわけだ……」

 奈美香はああでもない、こうでもないと独り言のように意見を出していく。

「でも、二階の窓は現場とは端と端で静江さんや結衣さんの部屋を通るから、三階から降ろしたのかも……。でも、その方が難しい。仮に死体を動かしても、そのあとがどうしようもない……」

「錯視って知ってる?」猪狩は言った。

「え? あの「=」に「ハ」を書くと長さが違って見えるとか?」

「そう、それはポンゾ錯視だ。他にミュラー・リヤー錯視やツェルナー錯視が有名どころだ。矢印の向きで長さが違って見えるやつとか、平行線に向きの違う斜線を入れると斜めに見えるやつとか」

「……で?」

「いや、それだけ。俺が言いたいのは人間の感覚器官はそれだけ曖昧だっていうこと。その例が錯視だっていうだけ」

「はあ、それが事件と関係あるの?」

「さあ? 関係あるかもしれないし、関係ないかもしれない。仮に関係あったとしても、今のところ事件を説明する事はできない」

「……あんた、何かわかったでしょ」奈美香は猪狩をジト目で睨んできた。

「いや」

「嘘つきなさいよ!」

「わかった。嘘つく」

「本気で怒るわよ?」

「何か、違うんだよ」

「は?」奈美香は目を丸くした。

「間違ってるのか、足りないのか、勘違いなのか、錯覚なのか……」猪狩は自分の思考を言葉にすることができなかった。

 あるのは正解の端っこと、大きな違和感だけだった。

「また始まった。じゃあ、別館に行きましょうよ。何かわかるかもしれないし。警察が来る前にやっちゃわないと」

「いや、恐いから嫌だ」猪狩は言った。それだけは避けたかった。

「はあ?」奈美香は首を捻った。「警察に後で怒られるのが恐いの?」子どもじみた意見だと馬鹿にしているようである。

「馬鹿にすんな、そうじゃない。もし、もしだけど、俺の考えがあっていれば、そろそろ犯人は別館を」

 強烈な爆音が響き渡り、そのあとは声にならなかった。何かが爆発したかのような音だった。

「キャッ!? 何よ!!」

「ああ……。たぶん別館だ」

 猪狩は自身の想像通りに事が進んだことに失望の念を覚えた。

 二人は急いで外に出る。他の者も爆音に驚いて出てきている。外に出ると猪狩の予想通り、音源は別館だった。そしてその別館は今、燃えている。音を聞いた限り、ただの火災というよりも爆発に近い感じがした。一階が火元らしく今にも根元から倒れそうである。


 そう、今にも。


「あ、危ない!!」

 誰かが叫んだ。いや誰もが叫んでいた。その場にいた全員が慌てて別館から離れる。

 そして、ついに別館は音をたてて崩れ落ちた。

 ベルリンの壁が崩れた時のような驚きと、ジェンガを崩してしまった時のような失望感が辺りを包み込む。

「何なのよ、もう!」理不尽とも呼べる状況に、苛立ったように奈美香が叫んだ。

「消防車、呼んだ方がいいかな?」その横で猪狩は言った。

 自分でも不思議なくらい、いたって冷静に言うことができた。

 上階はまだ火が移っていなかったので、その残骸が火の勢いを殺し、あまり火は広がっていない。本館は壁が黒焦げに、瓦礫で一階の窓が割れただけで、奇跡とも呼べる状態だった。

 遠くから、サイレンの音が聞こえた。


     2


「火事なら消防車を呼んでくれよ」

 パトカーから出てきた男が言った。どこかで聞いた事のある声だ。顔を見ずとも誰なのかがわかった。彼の声を何度も聞く羽目になるとは猪狩は思っていなかった。少し、気が重くなった。

「また君か」男は言う。

 どこか茶化すような口調で、この場には全くふさわしくなかった。

「またあなたですか」

 猪狩はそう言って振り返った。スーツを無難に着こなした痩せ型の若い男が立っている。

 彼の名前は伊勢浩太郎。道警の刑事で猪狩は過去に二回会っている。

「殺人だって聞いたけど」

「ええ、ややこしいですよ」

「殺人は何だってややこしいよ。消防車は?」

「呼びました」

「そう。良かった」そう言うと彼は他の捜査官と共に館へ入っていった。

 阿久津や瀬戸は他の捜査官に促されすでに館へと戻っていた。

「また伊勢さんね。私たちも捜査・・がしやすいわ」

 不吉な発言を聞いて横を見ると、奈美香は好奇心で目を輝かせていた。

「……早く入ろう」

 猪狩はそう言うのが精一杯だった。

 捜査員の群れが館を侵食していく。中へと入っていく彼らの流れに沿うようにして猪狩たちは中へと入っていった。

 すでに忙しそうに動いている捜査員もいた。それでも大部分は死体のあった二階にいるのだろう。

 猪狩と奈美香は自室には戻れずに、そのまま左の応接間へ通された。

 そこには今日、館にいた者全員が集まっていた。阿久津と瀬戸が伊勢に向かって何かまくし立てている。

「まあ、お二人とも落ち着いてください」伊勢は二人をなだめている。

 特に、阿久津が激昂したようにして伊勢を追い詰めている。猪狩は伊勢と目が合った。彼はひとつ咳払いをした。

「全員そろったので改めましょう」ひとまず阿久津をななだめて彼は言った。「では……。改めまして今回の事件を担当する伊勢と申します。よろしくお願いします。残念ながら皆さんの証言は不可解な所が多いのでもう一度順を追ってご説明願えますか?」

「だから!」阿久津が怒ったように言った。「別館の三階で殺された昌弘が消えて本館の二階にいたんだよ!」

 立て続けに奇怪な出来事が起こったためだろう。阿久津はかなり取り乱しているようだ。

「そこをもう少し細かく説明してください。誰でもかまいません」

 関係者が取り乱すという事に伊勢は慣れているようですぐに言った。伊勢が説明を求めて辺りを見渡すが、それぞれが別の誰かに目配せをするばかりで誰も答えようとはしない。

 しばらく沈黙があり、猪狩が話そうかと思ったときに、先に木村が遠慮がちに口を開いた。「じゃあ、僕が……。今日は教授が年に一度開いているパーティーでした。そのパーティーが終わったのが八時半頃でしょうか、よく覚えていません。そのあとは各自、自由にしていました。それで九時頃だと思いますが、これも良く覚えていません。結衣さんの悲鳴が聞こえたんです」

 伊勢は木村の話を手帳にメモしながら聞いている。

 柏田が一歩前に出て話を引き継いだ。

「確かに九時頃でした。お嬢様の悲鳴が聞こえる少し前に時計を見ましたから。八時五十五分でした。時計を見たあと、悲鳴が聞こえるまでそれほど経っていませんでしたので、九時にはなっていなかったと思います」

「それで、僕は部屋にいたのですが、部屋からすぐに出ました。三階にいた皆さんも出てきたと思います。廊下で結衣さんがうずくまっていました」再び木村が言う。

「ちょっと待ってください。その時三階にいたのはどなたですか?」伊勢が木村の説明を遮って質問した。

 猪狩、奈美香、阿久津、瀬戸がそれぞれ応答した。伊勢はそれも手帳に書き込む。

「それで、結衣さんが別館の方を指差しました。窓から教授の姿が見えたんです。心臓を刃物で刺されていました。慌てて皆さんが別館へ向かいました。ただ、僕と結衣さんは残りました。ずっとうずくまっている結衣さんを一人残していくのは忍びないと思ったので」

「結衣さんはどうして別館に気がついたんですか?」

「はい……。私は矢式さんの部屋に行こうとしたんです。ただ、猪狩さんの部屋から声が聞こえたのでそちらに行きました。その時、窓は真っ暗でした。で、部屋から出たとき、廊下の奥の窓から別館の明かりがついているのが視界に入って、それで……」

 結衣は俯いてしまった。

 重い空気が停滞していた。

「……では」伊勢が咳払いする。「別館に向かった方、どなたか説明してください。」

「私はお嬢様の悲鳴が聞こえた後、三階に行こうとしたところで皆さんと合流しました。事情を聴いて別館へ向かいましたが、三階の部屋には鍵がかかっていました。普段はそんなことないのですが……。それで私が鍵を取りに戻りました。その時木村様とすれ違いました」

「ん? 木村さんはなぜ別館に向かったのですか」

 結衣を一人にしないように残ったのにも関わらず、別館へ向かった事に疑問を感じたらしい。

「ああ、忘れていました。みんなが出て行った後、カーテンが閉まったんです」

「カーテン?」

「ええ、それで中にまだ誰かいるんだと思って、知らせた方が良いとおもったんです」

「そのとき結衣さんはどうしましたか?」

「自分の部屋に行きました……」結衣は俯き加減で答えた。

「何か聞こえたとか、気になった点はありませんでしたか?」

「いえ……。気が気じゃなかったものですから、何も気づきませんでした。けど大きな音だったら気づいたと思うので、何もなかったと思います」

「そうですか。では、柏田さん。鍵はどこにあったのですか? そのとき、不思議な点は?」

「鍵は昌弘様の部屋にいつも置いております。取りに行ったときはまだ何もございませんでした」

 まだ(・・)何もなかったというのは、教授の死体がなかったという意味だろう。

「そのまま、別館へ行き鍵を開けましたが、誰もおりませんでした。そのとき、本館の方に奥様とお嬢様しかいないことに気づいてすぐに戻りました。そこで……」そこで柏田は言葉を詰まらせる。

「教授の遺体を発見しました」奈美香がその後を補った。

「……ずいぶんと不可思議な事件ですが、今はそれを鵜呑みにしましょう。では最後に被害者を見たのはどなたでしょうか?」

 誰も反応しなかった。最後に被害者と会ったのならば疑いを向けられるのは当然なのだから仕方ない。それとも誰も心当たりがないのか。

「私が最後に見たのはパーティーが終わるときです。その時は皆さん一緒でした」やがて奈美香が説明した。

「では、パーティー以降、つまり八時半以降に会った方は?」

 また誰も反応しない。お互い顔を見合わせたり首を振ったりしているが、教授を見た者はいないようだ。

「ではみなさん、八時半から九時までの間、どこにいましたか? 何も皆さんを疑っているわけではありません。形式的なものですので、よろしくお願いします」

 気を立てないようにするためにあらかじめ「形式的なもの」と説明したようだ。それでも阿久津は気に入らないようだったが、渋々応じた。

「俺は京子と一緒にいたよ。俺の部屋で昔話をしてたんだ」

「昔話なら被害者を誘わなかったんですか?」

「見つからなかったんだよ! それにあいつとは毎年顔合わせてるからな」

「私はパーティの後片付けをしていました」今度は柏田が話し始めた。「手伝いの者と二人でした。ある程度目処がついたので、残りを任せて二階へあがった所で悲鳴を聞きました」

「僕は自分の部屋にいました」と木村。

「私もです。自分の部屋にいました」結衣が続ける。

「私たちも部屋にいました。二人一緒です」奈美香も猪狩を示して説明した。

「私は……」静江が話し始めた。「体調が優れなかったもので、パーティーの途中から部屋で休んでいました……」

 今は自分の夫が亡くなったこともあってか、なおさら顔色が悪い。

「わかりました。ご協力ありがとうございます。これから個別にお話を聞きたいと思います。その他の人は、しばらくは自分の部屋でお休みになって結構です」


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