八章 ambiguousな解決
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「……と言うわけ」
「いやいや、状況はわかったけど。さっぱりわかんないし。一体誰が犯人なの?」
猪狩康平、矢式奈美香、藤井基樹、新川怜奈、いつものように藤井の部屋に四人は集まっていた。彼はこの中で唯一、一人暮らしなので、しばしば彼の部屋は溜まり場として利用される。今も缶ビール数本と、簡単なつまみが用意されて、飲み会兼推理大会の会場となっていた。
猪狩が事件の概要について話したが、核心については触れておらず、怜奈は困惑しているようだ。藤井は考える事を半ば放棄している。
「で、結局誰が犯人で、どうやったの?」怜奈が続けて聞いた。
「奈美香、後頼む」
奈美香もわかったのだから、華を持たせようというのが半分と、単純に面倒くさいのが半分だった。そこまで考えて、華を持たせるだなんて、殺人事件にそぐわないなと自嘲した。
「えっとね」奈美香が得意満面のように話す。「どこから話そうかしら……。やっぱり結論から言おうかしら。いつもは順序立てていく方がいいんだけど。今回はインパクト重視でいこうかしら」
「早く言えよ」
「わかったわよ! ちょっと待ちなさいよ。あのね、別館のあれは三階じゃなかったのよ」
「え?」怜奈は眼を丸くしている。
「は? だって三階から見たんだろ?」藤井も納得できない様子。
「本館から別館へは緩い上り坂だったわ。玄関の段差も本館は三段で、別館は六段。三階までやたら長く感じたのは本当に長かったから」
「オイオイ。そんなんで……」
「上り坂で一メートルとしましょ。で、段差が一段二、三十センチとして三段で七、八十センチ。で、中の階段を一メートルくらいかしら。二メートル半あれば、一階分の高さが出来上がるわ。ということであの部屋は二階なの。つまり私たちは、現場を通り越してしまったというわけ」
「でも、どうやって別館から本館へ死体を移したの?」
「ああ、それはね。私も見落としていたっていうか、失念していたっていうか。「なぜ」を考えれば簡単だったんだけど」
「なぜって?」
「どうして、本館の三階と別館の二階が窓を通して繋がっていると思う? これは偶然の賜物?」
「偶然……じゃあねえよな。段数変えたり階段延ばしたりしてるもんな」
「そう、これは明らかに恣意的なものよ。ばれないように玄関側の面には窓がないしね。じゃあ、誰がこんな事をしたの?」
「それは、教授?」
「当たり。じゃあ、なぜ?」
「あ……」藤井が声を漏らした。
「……悪戯」怜奈が呟く。
「正解。では、何の悪戯?」
「もしかして……」二人が声を揃えて呟く。呟きで声が揃うのはかなりめずらしいのではないか。
「そう、死体の瞬間移動って所かしら? 結局生きてるんだけど。かなり馬鹿馬鹿しいわね。
要するに、みんなが様子を見に別館の三階に上がっていったところで二階にいた教授がこっそりと本館に戻るのよ。もちろん良兄も三階に上がってからね。そして何食わぬ顔でみんなを迎える。『おや? 君たちどうしたんだい?』ってね。鍵は必要なかったんじゃないかって推測もあったけど、みんなを足止めするために必要だったわね。
で、最初のあの胸の刃物は作り物よ。服に血糊と柄をくっつけたのね。カーテンが閉まった後に着替えたんだろうけど」
「あ! そうそう、そのカーテンって何なの?」
「実はこのトリックのためには不可欠なのよ。これは教授が生きている事を前提としたものだから」
「どういう事?」
「最終的に教授は何食わぬ顔でみんなの前に現われるはずだった。ということは、教授は生きていた、自由に動けたわけ。って事は、この建物のトリックはそれだけじゃ意味を成さない」
「意味がわからん」
「考えてみて。普通の建物で同じ事をしてみてもできるでしょ? みんなが自分を発見してこっちに向かってくる。みんなが来る前に二階に降りて身を隠し、通り過ぎた後で本館に戻る。ね、できるでしょ? けど何の面白みもないでしょ?
だから、カーテンを後から閉めることで移動可能時間を減らしたのよ。あなたたちが来るまで私は動きませんでしたよって。ちなみにあれはリモコン操作よ。あの部屋には教授しかいなかった。それともうひとつ、これは単純よ。カーテンが閉まってなかったら、別館の三階からは屋根しか見えないから、すぐにわかっちゃう。するとカーテンを閉めなきゃいけないから、二階と三階の条件を合わせるために、目撃された後に閉めなきゃいけない」
「ああ、なるほど。あ、でも何で悪戯のはずなのに本当に死んじゃったの?」
「途中で殺されたのよ。このトリックには二人の協力者が必要なの。一人は、後からカーテンが閉まってギリギリまで動きがなかった事を誰かに目撃させるために本館に客を引き止める役。もう一人は、別館三階のカーテンに近づかせない役。カーテンを覗かれたら、窓で繋がっていないのがばれちゃうからね。さて、その二人は誰だった?」
「結衣さんと柏田さん……」
「そう。結衣さんは良兄を引き止めたし、柏田さんは結衣さんと静江さんが危ないって言ってすぐに引き返させた。つまりこの二人が協力者で、このトリックを知っていた。これを利用して殺した犯人」
「共犯?」
「うん。実行犯は……。悪戯と同じように心臓に刺さなきゃいけないし、スタンガンで気絶……結局、殺害しちゃったんだけど。その後、あの短時間でそこまで運ぶには結衣さんじゃちょっときついと思うわ。けど柏田さんも鍵を取りに行くっていう事で動いてたから、遅いとあやしまれるし時間ギリギリなのよね……。だけど、武術をやってたって言うし、鍵もあらかじめ玄関とかに隠して用意しておけば時間短縮になるから、柏田さんが実行犯かな。スタンガンで殺すまでが柏田さん、ナイフで刺したのが結衣さん、って事も考えられるわね。血の処理とかが大変だし。犯行時に履いていただろう手袋とかも隠して後で処分する事はできたと思うわ。自分の屋敷なんだから」
「静江さんも、って事はないの?」
「教授の性格からして一人でも多く驚かせたいだろうし、静江さん本当に具合悪そうだったから。それに薬が余ってたっていうのは、睡眠薬とすり替えられたってことだと思うの」
「なるほどね」
「っていうのが私の見解なんだけど……」そう言って猪狩をチラリと見る。
「その通りなんじゃない? そう考えると、いろいろあった小さな違和感も納得できるしね」
「小さな違和感?」
「例えば、結衣さんが部屋に謝りに来たときの『付き合わされて迷惑してる』とか。普通は『振り回される』だろ。付き合わされてるってことは、悪戯を手伝わされてるってことになるし。あと、柏田さんが奈美香の『教授が刺された』って言った時もそうだ。俺たちは実際に見てたから行動できたけど、柏田さんは何も見てない。なのに行動が迅速で、非現実的なことなのに疑問をまったく挟まなかった。どちらも証拠とするには不十分だけど、犯人だとすると説明できる。あと、やっぱり、静江さんの薬をすり替えられるのもあの家の人以外にいないしね」
「たしかに。けど、結局どっちが?」
「まあ、実行犯がどっちなのかっていうのは、難しい問題だね」
「どうして結衣さんと柏田さんは協力したわけ? それに実の父親を殺すほどの動機って?」
「さあ? そんなのわかるわけないじゃん」
「そりゃ、そうだよな」
「例えばね、教授の血液型を調べてみるとか」
「B型でしょ?」
「そうじゃなくて。……いや、いいか」
「何なのよ、もう!」
「邪推だよ、邪推。けど、柏田さんの方の動機ははっきりしてるよね」
「むしろわかんないわよ。だって、あんなに従順に働いてたのに」
「彼が仕えていたのは教授じゃなくて佐加田家だって事だよ」
「……ああ。遺産を食い荒らす二代目に嫌気がさしたって事ね」
「そういう事。とにかく、結衣さんが実行犯でも、柏田さんが実行犯でも二人が共犯なのは間違いないし。結衣さんが犯人なら柏田さんも犯人、柏田さんが犯人なら結衣さんも犯人。逆も裏も対偶も全部、真だよ。ああ、疲れたなあ」そう言って缶ビールを飲み干した。