隅の暗闇
すぐそばに大学受験を控えた秋頃である。私は趣味であった夜の徘徊を止め、学業に専念する日々を送っていた。両親は、そんな私を見て、ようやく勉学に励むようになったと喜んでいたものだった。
しかし、真実は違う。私が徘徊を止めたのは、もう二度と恐怖に出会わない様にするためであるし、学業に専念したのも、闇に潜むものどもの記憶を、頭の中から追い出すためであったのだ。
そんな努力が功を奏したのか、一時的にだが、私の心は安定を取り戻して行った。闇には触れるべきでは無いのだろう。ましてや、自身から近づいていく事は愚かな行為である。私はこれまでの経験から、ようやくそれを学ぶ事が出来たのである。
だが、本人がどれほど賢明になったとしても、手遅れであるからこそ、後悔と言うのである。
私は既に二度の恐怖と対面している。まだ私が闇に魅入られていないと何故言えるのだろうか。
やつらは人間には無関心である。やつらは闇の住人であり、人間は闇を恐れているのだから。しかし、やつらがまったく人間に関心を持たない訳では無い。人間が目線の端に映る虫に意識を向ける様に、やつらも自分達の領域に侵入する者に接触を図るという事が有り得るのだ。
一切の闇に近づかない。現代社会の学生にとっては案外、それが簡単に出来てしまう。私自身、夜の徘徊という奇特な趣味を止めてしまえば、行動範囲は家と学校と、その間を繋ぐ道が殆どであり、日が暮れる前に学校から家に帰ってしまえば、夜闇からは逃げる事が出来たのである。
当然、その頃から眠る時も部屋の電気を点けたままにしていた。その事について、両親は当初、我が家の電気代についての事をくどくどと私に話していたが、どうにも最近は点けたままでなければ、眠る事が出来ない旨を話すと、私が受験生という立場であるからか、それ以上の追及は無かった。
しかし、その行為自体が私の闇に対する恐怖を過大化させる事になる。既に私は夜の部屋の片隅に出来る暗い影を見るだけで、恐怖を覚える様になっていたのだ。
すぐ傍にある闇が怖い。そんな事を感じる様になったのもその頃からだ。道端にある電柱の影、机の引き出しの奥、ベッド下の隙間。それまで何とも思っていなかった場所が、いつのまにか私の心に恐怖を生み出す源泉となっていたのである。
私自身の経験によって、そういった場所に対する恐怖症になってしまったのか、それとも、そこには本当にやつらが居るのか。もう私には判断の付けようが無かったし、確認しようとする無謀さも存在しなかった。
ただ、闇を見て震え、視線を向けぬ様にする。その生活のなんと苦しいことか。私は徐々に心までもが闇に侵食されている気分に襲われる。助けを求め様にも、あそこの暗闇が怖いと言ったところで、誰が真剣に受け止めてくれると言うのか。それは誰もが感じる事であり、ただお前はそれに敏感であるに過ぎないと何度も言われた。私自身をとんでもない臆病な人物であると陰口を囁く者さえ居たのである。
私は本当に追い詰められていたのだ。日々を過ごすうちに部屋の隅にある影が大きくなっている様な気すらしていた。実際に近づいて確かめてみれば、それが自分の妄想の産物である事が直ぐにわかるであろうに、私は恐怖から近づくことも出来ない。
終には夜、眠るときにはその影から囁き声が聞こえて来た。目を開け、ベッドから体を起こすと、聞こえなくなるそれを、幻聴である事は理解しているが、それでも声が聞こえる。本格的に頭の病を患ってしまったのかもしれない。
ただ、どこかで、その恐怖を冷静に観察する自分が私の中に存在していた。その私は、恐怖の大小を判断する能力に長けており、ここに近づけば、恐怖を感じる、あちらに行けば、恐怖も少なくなる。そんな思考で常に自身の行動の一部を決定しているのである。
その私の考えに自身を同調させて、物事を考えてみると、おかしなことに気づいた。
恐怖とは未知に対する物が大半を占める。闇が恐怖なのは、それ自体がすべてを覆い隠す未知そのものだからである。
であれば、私がもっとも恐怖を感じるのは、私が行った事も知る事も無い場所であるはずで、自身がこれまで住み、育ってきた家の、さらに自分の部屋においては、むしろ安心を感じるのが普通だ。
だが、恐怖の源泉がまるで私の部屋に潜む様に、私は自身の部屋で、もっとも大きな恐怖を感じ、そこから離れる事で、恐怖から逃げる様な感覚になるのである。
これは、どういう事だろうか。本当に私の部屋には、私以外の何かが潜んでいるとでも言うのだろうか。
ありえないと私は考える。恐怖に対して冷静な自分と言う物を夢想するくらい、私は追い詰められているのだ、ならばそれが狂っていない証拠など無いのである。
本来、自身が安心できる場所を、恐怖として感じる様になってしまった。これは深刻な事であった。ならば、私はどこで心の安らぎを求めれば良いのだ。
私は部屋で睡眠をする時には、耳を塞ぎながら眠る様になっていった。幻聴の囁き声がより大きく聞こえる様になっていったし、電気を点けたままなのに、それでも部屋が暗く感じる様にもなっていた。完全に病的なそれであったのだ。
日に日に憔悴して行く私を見て、両親は心配しているのか、勉強も程々にしておく様にとの話をしてくる。だが、原因がそちらでは無い以上、私にはどうしようもないのが現状であったのである。
そんな私自身が発した、部屋がどんどん暗くなっている様な気がするという言葉に父は、
自分が使っているというスタンドを渡してきた。
これを点ければ少しはマシになるだろうという安易な発言に対して、私が同意したのは何故なのだろうか。少しでも多くの光を近くに置いておきたいという考えからか、それとも、もしかしたら、父が自分に対して何かをしてくれたという事に、安心を覚えたのだろうか。
食事を終え、風呂に入り、部屋に戻ると、やはり部屋の片隅に恐怖を感じる自分が居る。部屋がやはり暗い。そう感じる私は父から貰ったスタンドを点ける。すると、当たり前の話だが、スタンドの光の範囲だけ部屋が明るくなる。部屋の電気は点けたままなので、それほど効果があると思わなかったが、期待した以上に部屋を照らしてくれている。
私はスタンドからの光が部屋を照らしてくれている分だけ恐怖が、心から遠のく気がしていた。
これはチャンスかもしれない。私はこれを気に、部屋の隅にある暗闇を、それが単なる部屋の構造が作り出した影である事を確認するつもりになった。
私は父から貰ったスタンドを片手に持ち、一歩一歩、隅に近づいていく。自身の恐怖からか、部屋の影は本来のそれよりも暗く存在している様な気がする。
私は隅に近づいて行く毎に増していく、己の恐れを打ち負かそうと、手に持ったスタンドを暗闇に向ける。あれは本来、単なる影であり、それに対する恐怖は私の妄想が生んだ産物である。ならば、このスタンドの光によって容易く消え去ってしまう無意味な物であるはずだ。
私はスタンドの光によって闇が消えたのをこの目で見た。こんな程度の事で消え去ってしまう物であったのだ。私は何時の間にか腰を落とし、安堵していた。片手には父に貰ったスタンドを持ったままであった。
その日からは、夜に眠る時に声が聞こえたり、部屋の影に対する恐怖も、大分小さくなった気がする。また、嬉しい誤算に部屋の電気を点けたままにしなくとも、スタンドの電気を点けていれば、そのまま眠る事が出来る様にもなっていた。
実際の電気代については、どの様に変化したのかはわからないが、両親はそんな私を見て、胸を撫で下ろす様な気持ちだっただろう。
ただ、あの時、光によって消え去った闇については、すこし疑問が残っている。本来、影とは光の方向によって出来る物であり、そこに光を当てたら、その速さで消え去ってしまう物であるはずだ。
だとすれば、光を当てた場所に影が残り、そのまま光を避ける様にゆっくりと部屋の外へ消えていくという状況は、実際に有り得るのだろうか。
あの隅の暗闇が消えてから、私は暗闇を必要以上に恐怖する事も、囁き声が聞こえる事も、今のところは無い。