"运气不好"
書生として住ませて頂いて、四年
人生の何割かを過ごさせて頂いたし
先生には、どんな事をしてでも恩をお返しするつもりだった
だが、灯りの落ちた書斎の床で先生から力任せに伸し掛かられ
湿った熱い息を顔に浴びながら、先生よりも遥かに細くて微力な腕で、確かに僕は先生に対して確実に抵抗を行って居た
無論、大した事は出来ない
躰中を押し潰す重さを二つの手のひらで押し返そうとするが、びくともしない
むしろ僕の微力な抵抗が、先生の獰猛な悦びを奮い立たせて居る様にすら思えた
「先生」「どうして……」と絶え絶えに問うと、頬に何度も握った拳を打たれた
「お前も」
「───私を拒むのか」
先生は、表情の無い顔で泣いて居た
妻子が先生を捨てたのだと知ったのは、其れから数年後の事だ
師として、僕は先生を心の底から尊敬して居た
こうした先生からの昏い感情ですら、成り行きの有り様に依っては受け入れる事が出来た筈だ
しかし此の時、僕は自分が先生から何をされるのか解らず、ただひたすらに怖かった
恐怖に震える呼吸で、機械の様に先生を拒み続けて居ると
また顔を何度も殴られ、口に雑巾を捩じ込まれた
着ている物を、少しずつ破り剥がれていく
僕は、先生を優しい人間なのだと思って居た
或いは、それ自体が虚像だったのであろうか
瞬きもせずに僕は眼前を視続けて居たが、その実、瞳には何も映しては居なかった
唯一取り押さえられて居ない足首を、必死で暴れさせて抵抗を試みる
しかし窒息と、顔への殴打がよりひどいものになるだけだった
躰がぐったりとして、逆らおうと云う力そのものが失くなってしまったが、暴れた時に足が触れたらしく、壁際の本棚から分厚い本が幾つか落下する
事ここに至ってもなお、僕は落ちた本が先生の背中を幾つも打つのを心配に思って居た
先生は憎々しげに唸ると、僕の首を絞めながら躰を好きにし始めた
気持ち悪い
怖い
ずきずきと、躰の内や外の色んな所が痛い
一刻も早く終わって欲しかったが、反面で永遠にでも続くのではないかとさえ思えた
先生は譫言の様な言葉をぶつぶつと繰り返しながら、執拗に躰を重ねてくる
ほぼ無意識の行動として、僕は床に落ちた本を引ったくるように掴むとそれで先生の頭を殴った
暗闇に、ぱっ、と、花が咲くように血が閃いて
先生は打たれた場所を両手で押さえながら、僕に視線を向ける
「あっ」「殺されるな」と思った一瞬のち、僕は取り落としそうになった本をもう一度握り締めると、明確に意識して角の部分を使って、今度は先生の眼を狙って本を振るう
また先生が打たれた場所を押さえ、今度は馬乗りになった僕から転げ落ちさえして苦しみ始めた
なにか音がしたのかも知れないが、聞こえなかった
脳の中が熱くなっていって、視界が先生の姿を残して何も映さなくなっていく
同時に、この世から一切の音が聞こえなくなって居た
僕は、先生の顔を本で滅多打ちにした
何度か打つと本の角はひしゃげて使い物にならなくなったので、他の本を拾って殴った
気が付けば、いつの間にか僕が先生に馬乗りになる姿勢になって居て、僕が殴る度に先生の手や脚が、雷に打たれた様に跳ねた
そうして、先生は死んだ
厳密には僕が殴り始めた、ある程度最初の段階で既に死亡して居たらしかった
罪には問われなかった
でも、そんな事は関係なかった
僕は、師を永遠に失った
それからの人生は、何一つ良い事など起きなかった




