豆狸のままはどこ?(後編)
祇園の夜は、人であふれていた。
提灯の光と外国語のざわめきが、石畳に重なっている。
まめ狸が震える手で指さす。
「あれ……」
通りの向こう。
外国人観光客の女性が、嬉しそうに小さな狸のぬいぐるみを抱えていた。
「おかあちゃん……」
私は息をのむ。
「もう買われてる」
稲荷さんが小さく言った。
「帰国前やな」
女性がスマホを見ながら言う。
「Shinkansen… tomorrow morning」
私は固まった。
「明日帰るって言いました?」
「言うてたな」
沈黙。
私は走り出していた。
⸻
京都駅。新幹線ホーム。
息が切れる。
人の波。発車ベル。
「本当に乗るんですか」
「乗るで」
「切符は」
「神様やで」
納得できないまま、気づけば新幹線の中だった。
⸻
席の前。
狸のぬいぐるみを抱えた女性が驚いた顔でこちらを見る。
私は必死に言った。
「That… my doll… very important… please…」
通じない。
女性は困った顔で首を振る。
「Sorry… souvenir… Kyoto… memory…」
言葉が通じない。
当たり前だった。
胸がぎゅっと締め付けられる。
そのとき。
隣で稲荷さんが小さくため息をついた。
「しゃあないな」
指を軽く鳴らす。
空気が揺れる。
次の瞬間。
女性の腕の中のぬいぐるみと、私の手の中の“何もない空間”が入れ替わった。
稲荷さんが小さく笑う。
「式神や。数時間は保つ」
私は腕の中の狸を抱きしめた。
「ありがとうございます」
新幹線の窓の外で、京都の街が遠ざかっていった。
⸻
鴨川の夜。
光が弾ける。
現れたのは、大きな狸。
まめ狸が飛びついた。
「おかあちゃん!」
母狸は何度も頭を下げた。
「本当にありがとうございました」
差し出された封筒。
中には一万円札。
「やった」
思わず声が出た。
稲荷さんが満足そうに頷く。
「これが商いや」
⸻
帰り道。
封筒をもう一度開く。
ひらり。
葉っぱが落ちた。
沈黙。
稲荷さんの足が止まる。
「……葉っぱや」
「葉っぱですね」
「騙された」
声が低い。
本気で怒っている。
私は慌てて言う。
「でも親子再会できましたし!」
「気持ちでは腹膨れへん」
夜の鴨川に、稲荷さんのため息が静かに溶けた。




