夜の鳥居の向こうで
夜の神社に入るなんて、絶対にやめた方がいい。
それは怖いからじゃない。
帰れなくなるかもしれないからだ。
――そのことを、私はこの夜知った。
「ゆうり、ほんまに一人で上まで行くん?」
振り返ると、クラスメイトたちが鳥居の下で笑っていた。
転校してきて一週間。まだ名前も覚えきれていない友達。いや、友達になりたい人たち。
仲良くなるための肝試し。
断れなかった。
「うん、行ってくる。触ればいいんだよね、落書きの鳥居」
「せやせや。頂上近くに変なんあるらしいで〜」
笑い声。スマホのライト。夏の湿った夜。
私は一人、千本鳥居の中へ足を踏み入れた。
昼に来た時とは、まるで違う。
赤は夜に沈むと黒になる。
鳥居の影は、道じゃなくて“隙間”みたいに見える。
――でも私は知っている。
神様が見えることを。
小さい頃、事故に遭って三途の川を渡りかけた。
その日から、世界の端にいるものが見えるようになった。
鳥居の上に座る小さな影。
社の隅で居眠りする白い何か。
だから怖くはない。
少なくとも、いつもは。
どれくらい登っただろう。
息が上がり始めたころ、見つけた。
落書きだらけの鳥居。
「これだ」
柱に手を触れる。冷たい。ざらざらしている。
任務完了。
――帰ろう。
振り返る。
同じ鳥居。
同じ道。
もう一歩進む。
同じ鳥居。
同じ道。
もう一歩。
同じ鳥居。
「……あれ?」
足が止まった。
振り返る。
進む。
振り返る。
進む。
どこまで行っても、同じ景色。
「え、ちょっと待って」
スマホを取り出す。圏外。
笑えない。
そのときだった。
「……こんな時間に人間が迷い込むとは、珍しいことやね」
声。
頭の上から。
ゆっくりと視線を上げる。
鳥居の上。
月の逆光の中。
巨大な狐が、こちらを見下ろしていた。
金色の目。
揺れる尾。
人間よりずっと大きい影。
「あ」
思考が止まる。
狐が、笑った。
「神域に入った罰は知ってるか?」
一歩、降りる。
音がしない。
「食べられることや」
逃げなきゃ。
体が動かない。
――でも。
ふと、思い出す。
伏見稲荷。
商売の神様。
私は口を開いた。
「ま、待ってください! 儲け話があります!」
狐の動きが止まった。
沈黙。
金色の目が細くなる。
「……儲け話?」
「はい!私、神様が見えるんです!」
狐の耳がぴくりと動いた。
「神様って、今すごく困ってるんです。人間の生活変わって、信仰減って」
心臓がうるさい。
でも止まれない。
「だから一緒にお悩み解決して、報酬もらいませんか?伏見稲荷って商売の神様ですよね?」
長い沈黙。
狐が、笑った。
「……人間のくせに、ええ度胸してるやないの」
光が弾けた。
気付けば目の前に、男が立っていた。
金色の髪。学ラン。切れ長の目
人間の姿なのに、人間じゃない気配。
「面白いやん。乗ったろか、その商い」
彼は微笑んだ。
「これからよろしくな、君」
その瞬間、私は悟った。
人生、終わったかもしれない。
あるいは、始まったのかもしれない。




