膝の上の謎
朝の六時半。
目覚ましより先に、ミーが鳴く。
布団の隙間から頭を出し、私の足に顔を押しつける。
「おはよう」とも言わない。ただ、体温だけで伝えてくる。
なぜ、そんなに早く起きるの?
私はまだ夢の途中なのに。
ミーは思う。
なぜ人間はいつまでも寝る?
夜は静かで狩りに最適なのに、なぜ昼に働く?
カーテン越しの光の粒が踊る。
私たち猫にとって、それが朝。完璧な時間。
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コーヒーを淹れながら、キャットフードを皿に注ぐ。
ミーは鳴きもせず、すぐに食べ始める。
カリカリという音が、朝のBGMになる。
どうして毎日、同じものを食べて満足できるんだろう?
昨日もおとといも同じ味なのに。
それとも、人間が思う「飽きる」という感情を、ミーは持たないのか。
ミーは思う。
なぜ同じ味を嫌がる?
味より、空腹を満たせることの方が大事なのに。
人間たちは、選ぶことに疲れているのではないか?
⸻
出勤前、私は鏡の前で化粧をする。
ミーは窓辺で外を眺めている。
黒猫のトムが庭を横切る。
ミーの耳がピクリと動き、背中の毛が立つ。
「喧嘩しないでよ」と声をかける。
ミーは振り向きもしない。
なぜ、そんなに縄張りを守るの?
外には広い世界があるのに。
ミーは思う。
なぜ人間は境界を気にしない?
私たちは自分の場所を知っている。
そこがどんなに狭くても、守る意味がある。
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夜。
仕事で疲れて帰ると、ミーが玄関にいる。
小さな影が、靴音を聞き分けて待っている。
なぜ、帰る時間がわかるの?
時計もないのに。
ミーは思う。
なぜ人間は同じ時間に帰る?
同じ道を、同じように歩く。
まるで巣に戻る鳥のようだ。
人間も、自由じゃないのかもしれない。
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夕飯を食べていると、ミーが足元に座る。
じっと見つめてくる。
「少しだけだよ」と魚を分ける。
なぜ猫はこんなに可愛い顔でおねだりするんだろう。
ずるい。
世界中の恋愛よりも、無防備で正直だ。
ミーは思う。
なぜくれる?
自分で食べればいいのに。
でもその目は優しい。
この人間は、与えることで安心しているのだ。
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食器を洗っているとき、ミーに水が跳ねた。
「ごめん!」と慌ててタオルを取る。
ミーは一瞬逃げたが、すぐ戻ってきた。
濡れた毛のまま、足にすり寄る。
なぜ許すの?
人間同士なら、根に持つことだってあるのに。
ミーは思う。
なぜ謝る?
水は冷たかったが、心は温かかった。
私たちは、怒るためではなく、生きるために生きている。
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テレビの音が響く夜。
ミーが膝に飛び乗る。
ゴロゴロという音が部屋に溶ける。
心臓の鼓動と混じり合って、静かな音楽になる。
なぜゴロゴロ鳴らすの?
嬉しいの? それとも苦しいの?
ミーは思う。
なぜ涙を流す?
私は泣かない。
でも、あなたの胸の音が速くなるとき、
私はただ寄り添いたくなる。
それだけで、何かが伝わる。
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春が来て、夏が過ぎ、冬の風が窓を叩く。
時間は、静かに重なっていく。
ミーの毛に、少しずつ白いものが混じり始めた。
それはまるで、季節の雪のようだった。
私は気づかないふりをした。
だって、老いを認めるのは、別れを予感することだから。
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ある日、小さな箱を抱えて帰る。
中には、子猫。
ミーと同じ模様。
「新しい家族だよ」と声をかけると、
ミーはシャーッと威嚇した。
なぜ怒るの?
寂しいの? 嫉妬してるの?
ミーは思う。
なぜもう一つの命を?
私がまだここにいるのに。
この家は私の縄張りだ。
それでも、あなたの目が優しいから、
私は少しずつ受け入れる。
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子猫が糸玉を転がす。
ミーは見つめ、やがて小さく手を伸ばした。
一緒に遊ぶ姿を見て、胸が温かくなる。
なぜこんなに心を動かされるんだろう。
ただ遊んでいるだけなのに。
ミーは思う。
なぜそんなに笑う?
私たちには笑うという行為がない。
でも、あなたの笑顔を見ると、
その理由を少しだけ理解できる気がした。
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年月が過ぎる。
私の髪にも白いものが混じる。
ミーは歩くのがゆっくりになった。
膝に乗るのも、一苦労になった。
それでも、夜になると必ず来る。
ゴロゴロと鳴きながら、目を閉じる。
なぜ、そんなに私の上が好きなの?
もう温かくないかもしれないのに。
ミーは思う。
なぜそんなに撫でる?
もう十分撫でられたのに。
でも、その手が止まると、不安になる。
この瞬間が、終わらなければいいのに。
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そして、ある夜。
ミーは動かなくなった。
小さな体が、静かに呼吸をやめた。
なぜこんなに悲しいの?
分かっていたはずなのに。
ただの猫、なのに。
ミーは思う。
なぜ泣く?
私は満たされていた。
狩りもした。眠った。撫でられた。
あなたと共に生きた。
それで十分だったのに。
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土に還す日。
土の匂いと涙の味が混ざる。
小さな墓の前で、私は手を合わせた。
「ありがとう、ミー。」
なぜありがとう?
与えてもらったのは私の方なのに。
ミーは空の向こうで思う。
なぜ生きる?
なぜ愛する?
なぜ泣く?
私たちはただ生きて、眠って、撫でられて、
それで満たされていた。
⸻
夜。
私はソファに座り、
もう誰もいない膝の上に手を置く。
そこにまだ、かすかな温もりが残っている気がする。
ミー、なぜ膝に乗ってきたの?
なぜ朝、私を起こしたの?
なぜあんなに、私のそばにいたの?
答えはわからない。
でも、温かかった。
たしかに、そこに愛があった。
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ミーは遠くで思う。
人間の世界は複雑だ。
でも悪くない。
涙も笑いも、どちらも生きている証。
そして、きっと、
またどこかで目を覚ます。
朝の六時半。
光の中で、あの声を聞く。
「おはよう、ミー。」
そのときまた、私は思うだろう。
——膝の上の謎。
でも、もう解かなくていい。
温かい、それだけでいい。




