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あの頃と同じ、欠けた月。  作者: じうかえで
第一章 君嶋友斗
3/6

3 あの頃




「オン・ユア・マークス」


 位置について、の合図だ。陸上競技では、日本でも号令には英語が使われる。

 僕の目の前で、友樹がしゃがんだ。

 通称『スタブロ』と呼ばれる、スターティングブロック。短距離のスタートの際、足を乗せる器具のことだ。

 友樹はそのスタブロに足を乗せ、スッと動きを止めた。

 次の合図を待つ。

 競技場全体が、静寂に包まれる。


「セット」


 用意。

 友樹が腰を上げた。

 誰もが、スタートラインに一直線に並んだ選手達を見つめていた。



 そしてひとりが飛び出した。一瞬遅れて、ピストルが二回続けて鳴らされる。



 フライングだった。

 通常、スタートの合図で鳴らされるピストルは一回。二回続けて鳴った時、それは不正スタート、つまりフライングを意味する。

 フライングは失格だ。一発アウト。即退場。


 目の前が真っ暗になった。

 飛び出したのは、僕の目の前の選手。


 ――友樹だった。


 友樹の目の前に立ち、レッドカードを掲げる審判。


 会場がざわめく。

 友樹は、他校の人も知っている、ちょっとした有名人だった。決勝常連選手。そんな彼が失格になったのだ。準決勝、決勝への進出を狙っていた他の選手にとっては朗報だった。


 友樹が、審判に誘導されてレーンから出る。

 僕は彼を見つめていた。その視線に精一杯、心配を込めたつもりだった。

 友樹が一瞬、こちらを見た。けれどすぐに視線をそらされた。


 ふたりで決勝で走ろうと約束した。

 僕が頑張ればいいはずだった。友樹はどうせ、いつものように決勝まで行けるだろうから。

 僕さえ頑張れば、僕さえベストを出せば、その約束は果たせていたはずだった。


 けれど、その約束はもう、果たされることはない。

 僕達の中学陸上は、今日で終わる。

 一緒に走れる機会など、もう無いかもしれない。



 僕が、友樹の分まで頑張る。彼を決勝に連れて行く。

 だって僕達は、ふたつでひとつなのだから。



 俯く彼の背中を見つめて、僕はそう決心した。





 その後の僕は、面白いほど好タイムをマークした。

 軽々と準決勝へ進み、全体順位八位で準決勝を終え、決勝に進んだ。そして、惜しくも県大会は逃したけれど、八位入賞を果たした。

 自己ベストを大幅に更新したことを、顧問の先生も、同級生も後輩も、とても喜んでくれた。たくさん褒めてくれた。

 僕はまだ、気が付いていなかった。だから、先生に言われて初めて知った。


「君嶋! お前、角野のベストを追い越したぞ。入部した時から、めちゃくちゃ頑張ってたもんな。実を結んで良かったじゃないか」

「ありがとうございます!」


 先生は、僕の頑張りを見ていてくれたらしい。それが嬉しくて、僕は普段よりもはしゃいでいた。

 友樹よりも速いタイム。やっと、友樹に追いついたんだ。やっと追いつけたんだ。


「友樹!」


 一緒に喜んでもらえると思っていた。

 だって、毎晩、あの公園でふたりで自主練したじゃないか。

 幼馴染として、友樹のニコイチとして、決勝に進んだ。

 だから友樹も、「よく頑張ったな」って褒めてくれると、根拠もなくそう思っていたんだ。


「ねえ友樹、僕、友樹のベストに追いついたよ! 初めて決勝にも出られた。友樹のおかげだよ! 友樹が、いつも自主練に付き合ってくれたから……友樹?」


 友樹は俯いたまま、何も言わない。


「ねえ、どうしたの友樹、何か言ってよ! 僕、ちゃんと決勝行けたよっ。ねえ友樹、ねえってば!」

「うるさいな!」


 それは、聞いたことのない声だった。

 友樹が怒っていた。誰に対して?


 ――僕に対してだ。


 喧嘩など、今までしたことがなかった。

 お互いの気持ちが手に取るようにわかっていた。なのに今は、何もわからない。

 友樹が何故怒ったのかも、友樹が何故泣いているのかも。


「友樹、友樹、ってお前、さっきからうるさいんだよ! 俺はお前のお母さんじゃねえ!」


 普段の、明朗快活で誰からも好かれる友樹からは想像できないほど、荒々しい声だった。

 顔が歪んでいた。まるで、自分で自分の首を絞めているかのように。


「だいたいお前、なんなんだよ。自分が決勝に行けたのは俺のおかげです、ってか? わざわざ、失格になった奴に向かってか? なら俺だって、お前に教えたりなんかせずに、自分の練習にだけ集中してればよかった!」


 きっと、僕は混乱していたのだと思う。

 そしてそれは友樹も同じ。


「お前なんか友達じゃねえよ、友斗!」


 泣き叫ぶ彼に、僕は何も言えなかった。謝罪の言葉すらも出てこなかった。

 ただただ、固まったように彼の前で立ち尽くしていた。


 頭上では、三日月と半月の間のかけた月が、夕焼け空に弱い光を放っていた。



***



 友樹の連絡先は知っている。

 中学生になって、二人ともスマホを持たせてもらえることになった。その時に交換した連絡先だ。


 公園の真ん中で立ち止まり、僕はポケットからスマホを取り出した。画面を操作してメッセージアプリを呼び出す。

 トークルーム一覧をずっと下にスクロールした先に、その名前はある。


 『 Yuuki 』


 あの試合の日から、僕達は連絡をとっていない。

 それどころか、会話すら交わしていない。


 僕達は気まずいまま卒業し、別々の高校に入学した。

 僕はテニス部に入った。友樹が何の部活を選んだのかは、未だ知らないままだ。



お読みいただきありがとうございます!


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