1 故郷の風景
【第一章 君嶋友斗】
肌寒いと感じるほどに冷房が効いている。お盆休みの夕方だというのに、車内に人はまばらだ。
定期的に、ガタン、ゴトン、と体が揺れる。
窓の外を流れるオレンジに染まった住宅街も、久々に見ると懐かしい。見慣れている風景が、遠い昔のもののように思える。けれど、色褪せてはいない。あの頃のキラキラした輝きを今も胸の奥で発している。
思えば、電車や教室のクーラーを肌寒いと感じ始めたのも、あの頃ではなかったか。真夏も外で走り回っていた、中学生の頃。
そう思うと同時に、苦い記憶が胸の奥から溢れ出そうとする。すんでのところで押し留め、蓋をしてため息をついた。
電車が止まった。プシューっと音がして、ドアが開く。
僕は立ち上がり、さほど重くないリュックサックを背負うと、ドアをくぐった。背後で、またプシューっと音がして、ドアが閉まる。
電車の去ったホームには、まだ湿気の残る風が吹いていた。
実家から最寄りの駅は、たいして大きくもない川の上にある。そして右手にはさびれた商店街。どの店もシャッターが閉まっていて、『来週の月曜日まで休みます』と張り紙がされている。学生の頃の行きつけだった文房具店。老舗の時計店や、居酒屋の跡地にできた小さなビールバー。
記憶の中の風景と、何も変わらない。そのことに少し安堵して、同時に何故か寂しくなった。
腕時計を見る。七時十分。両親に連絡した時間より少し早い。
今日は、社会人になってから初めて帰省というものをする。
料理好きな母親は、きっとたくさんのご馳走を作って待っているだろう。もしかしたら、まだ料理は終わっていないかもしれない。そして、「ゆうくん、お待たせ〜」と僕を呼んだ後で気づくのだ。作りすぎた、と。
慣れた道を歩きながら、そんな想像をしてくすりと笑う。我が家では、家族の誕生日や入学式、卒業式などの祝い事のある日には恒例の光景だった。
歩いている間に、実家に着いた。どこにでもある普通の戸建て。クリーム糸の軽自動車。郵便受けの横で、母が大切に育てている月桂樹が風に揺れている。
僕はドアを開けた。
「ただいまー」
「おお、友斗。お帰り。思ったより早かったな」
「うん。一本早い電車に乗れた」
出迎えてくれたのは父だった。少し白髪が増えた気もするが、三年前、大学を卒業して家を出た時とほとんど変わっていない。
リビングに入ると、奥のキッチンから母が顔を出した。
「お帰り、ゆうくん。ごめんね、まだご飯できてないの」
「やっぱり」
「だから、もう少しだけ待ってくれる? その代わり、今日のお料理は特別豪華だから」
そう言って、母はウィンクをした。もう五十代だというのに、可愛らしい仕草が似合う顔立ちのおかげで、痛く見えない。
「そうだ友斗。時間があるんだったら、久しぶりに、近所をお散歩でもしてきたらどうだ。お前、散歩が日課だったろう」
そうだ。僕は中学生の頃から、毎日、朝か夕方に散歩をしていた。時にはそれがジョギングになったり、部活の自主練に変わったりもしたが。
「うん。今でも続けてるよ。今日はまだしてなかったから、今から行ってこようかな。三十分以内には帰ってくるよ」
僕は父の提案に頷いた。散歩をしないと、寝る前、身体がどうもうずうずして寝つきが悪くなるのだ。そういう日は、こっそり家を抜け出して、暗い町を音楽を聴きながら歩く。
「ああ。行ってらっしゃい」
「もう薄暗いから、気をつけるのよ」
「大丈夫だよ。子供じゃないんだし」
そうだ、もう子供ではないのだ。無邪気に走り回っていた、あの頃とは違う。
今の僕は、一人暮らしをして、毎朝起きて会社に行って、夜遅くに帰ってきて、自炊もしている。金も稼いでいる。自立した立派な大人だ。あの頃とは、全然違う。
――それなのになぜ、この故郷の風景に、こんなにも心を乱されるのだろうか。
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