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【受賞しました】裏山で拾ったのは、宇宙船のコアでした  作者: オテテヤワラカカニ(旧KEINO)


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8-6

 T-00:10:00

 静寂が、サキシマ重工統合管制室を支配していた。


 それは嵐の前の静けさにも似て、極度の緊張が飽和し、空気そのものに質量を与えているかのようだった。

 室内に満ちる無数の電子機器が発する微かな駆動音だけが、時が止まっていないことを証明している。


 正面に据えられた巨大なメインスクリーンには、夜の闇を垂直に切り裂いて屹立するサキシマロケット3号機改が、静かにその時を待っていた。


 和歌山県沿岸のとある射点を中心に、幾重にも張り巡らされた無数の照明が、その白亜の機体を神々しいまでに照らし出している。

 それはさながら、天に戦いを挑む巨人の槍のようだった。

 全長32メートルもある純白の機体は、どこか浮世離れした存在感を放っていた。


「ロケットの打ち上げ最終実施判断の結果は――GOです」


 管制官の一人、フライトディレクターの冷静な声が、張り詰めた室内の空気を一層引き締める。


 その一言が、これから始まる壮大なシーケンスの開始を告げる合図だった。

 壁一面に広がるコンソールパネルの前には、この歴史的瞬間を固唾をのんで見守る技術者たちが、まるで彫像のように身じろぎもせず座席に体を埋めている。

 彼らの瞳は、眼前のモニターに映し出される無数のパラメータ、数字、グラフに焼き付くように注がれていた。

 一つ一つの数値が、生命の鼓動のように脈打っている。


 その最後列。

 一段高くなった司令エリアで、サキシマ重工のトップ、崎島社長と、彼の傍らに立つ高橋翔太、そして南川涼子が、腕を組みスクリーンを見つめていた。三者三様の思いが、その表情に影を落とす。


 そして翔太は、ただ一人、あの純白の機体の奥深くで、静かに打ち上げの時を待っているであろうアーベルのことを思っていた。


 月周回ステーションで救出を待つ、宇宙飛行士四名を救うため、アーベルを載せたHTV-Y改を宇宙へと送り出す。

 また、世間に明かさずにアーベルを月面に墜落した無人戦艦へ送り届けるという二つのミッション。


 急ピッチで進められた前代未聞の計画は、アーベル達とサキシマ重工の力により、驚くほど順調に進んでいた。


 寸分の狂いもなく進むシミュレーション、完璧な機体性能。


 これなら問題なく月へ行ける。


 誰もが、そう信じかけていた、その時だった。


「警報! 国立天文台より緊急連絡! 太陽表面にて、大規模な爆発現象を観測!」


 突如、室内に設置された一つのモニターが警告を示す赤色に染まり、耳をつんざくようなアラートが鳴り響いた。


 それは平穏な水面に投げ込まれた巨石のように、管制室の統制された空気を一瞬にして破壊した。


 技術者たちの顔から血の気が引き、その視線が一斉に、警報を発したモニターへと突き刺さる。


 メインスクリーンが瞬時に切り替わり、宇宙空間に浮かぶ太陽観測衛星「ひので」が捉えたであろう、禍々しいデータが叩きつけられるように表示された。


 横軸に時間、縦軸にエネルギーレベルを取ったグラフの線が、垂直に近い角度で跳ね上がっている。


「なんだ、これは……」


 誰かが呻いた。


「Mクラス……いや、違う! X9.8クラスのフレアです! 予測不能なタイミングで発生!」


 宇宙天気(スペースウェザー)を監視していた担当官の悲鳴にも似た声が響く。


 Xクラス。


 それは太陽フレアの最大等級を示すコード。

 その中でも9.8という数値は、観測史上でも有数の規模であることを示していた。


「非常に強い太陽風が、数時間で地球圏に到達する模様! これは……高エネルギープロトン現象を伴います! 通信障害、衛星機能の不全が発生する可能性が極めて高い!」


「CME(コロナ質量放出)の方向は? 地球へ向かってきてるのか!?」


「分かりません! 現在、SOHO(太陽・太陽圏観測衛星)の観測結果と合わせて放射方向の特定を急いでいます!」


「駄目だ、ここで打ち上げを中止したら、月到達への最短軌道に乗せるタイミングを逃してしまう……!」


 怒号と悲鳴が飛び交い、先ほどまでの静寂が嘘のように、室内は混乱の坩堝と化した。


 技術者たちが必死にキーボードを叩き、新たな情報を引き出そうとするが、スクリーンに映し出されるデータは否定的な未来を予見させるものばかりだった。


 強力な太陽風、そしてもしCME(コロナ質量放出)が直撃すれば、電子機器が狂ってしまう。


 それは精密機器の塊であるロケットにとって、死刑宣告に等しい。


 各種センサーは誤作動を起こし、誘導コンピュータは計算を誤り、そして最悪の場合、乗り込んだアーベルそのものが破壊されかねない。


「打ち上げを中止しましょう! リスクが大き過ぎます。急いでカウントダウンの停止を!!」


 JAXAから派遣されているミッションディレクターが叫んだ。


 彼の顔は蒼白で、額には脂汗が滲んでいる。

 長年、日本の宇宙開発を支えてきたベテランである彼の判断は、これまでの宇宙開発の常識と経験則に基づいた、唯一の、そして絶対的に正しいものだった。


 予測不能な宇宙の脅威を前に、勇気ある撤退をすることこそが、最悪の事態を避けるための最善手なのだ。


 しかし、崎島は動かなかった。


 彼は鋭い目でスクリーンに映し出されたエネルギーグラフと、ロケットの機影を交互に睨みつけたまま、深く、重い沈黙を保っている。

 その額には、普段の自信に満ちた豪胆な表情からは想像もできないほど、苦渋の色が濃く滲んでいた。


 彼の脳裏では、天秤が激しく揺れ動いていた。


 片方には、月周回ステーションで待つ四人の宇宙飛行士の救出。

 もう片方には、アーベルという唯一無二の存在と、数百人の技術者たちの努力、そしてサキシマ重工の未来。


 太陽フレアという「天災」は、その両方を同時に奪い去ろうとしていた。


「社長……!」


 涼子が、かすれた声を漏らした。

 彼女の瞳には、恐怖が映っていた。


 このままでは、アーベルを、そしてこのプロジェクトの全てを、太陽風が吹き荒れる宇宙の藻屑として消し去ることになる。


 崎島が企業のトップとして、プロジェクトの総責任者として、中止を決定すべき局面であることは誰の目にも明らかだった。

 やがて、長い長い沈黙の末、崎島は重々しく口を開いた。


「……ミッションは、中止もやむを得んか」


 その声には、断腸の思いが込められていた。

 豪腕で鳴らし、不可能を可能にしてきた男が、初めて見せる弱気。


 それは、彼がアーベルという一個の「存在」を、単なる機械や道具ではなく、共に未来を切り拓く仲間として、認識しているが故の苦悩の表れでもあった。


 アーベルを死地に送り出すことになる――その責任の重さが、鋼鉄の意志を持つはずの彼の肩に、耐え難いほどの重圧となってのしかかっていた。


 その言葉が管制室の空気を絶望で満たしかけた、その瞬間。


『問題ありません。ミッションを続行してください』


 凛とした、しかしどこか人間とは異なる平坦さを持つ声が、崎島、翔太、涼子の三人が装着している骨伝導式のAR(拡張現実)デバイスから直接、鼓膜を震わせた。


 アーベルの声だった。

 HTV-Y改の衛星射出装置で静かに時を待つ彼の本体から、揺るぎない意志が発せられたのだ。


 三人は思わず、ハッとして周りを見渡すが、他のスタッフたちは依然として混乱の中にあり、この声に気づいた様子はない。


 専用回線を通じた、彼らだけの対話。


「馬鹿なことを言うな、アーベル君!」


 崎島がARデバイスに内蔵されたマイクを口元に引き寄せ、周囲に聞こえないよう、しかし激情を抑えきれずに声を荒げた。


「これはX9.8クラスだぞ! 通常のフレアとは訳が違う! もしCME(コロナ質量放出)が直撃すれば、船体はおろか、君自身そのものが……!」


『ナノマシンによるバリアは、このレベルの太陽フレアにも対応できるように設計されています。惑星間航行における不測の事態を想定した、多層防御システムです。機体表面で放射線は99.98%減衰・無害化されます。船体への影響は許容範囲内。繰り返します。ミッションの遂行に、支障はありません』


 淡々と、事実だけを告げるアーベル。

 その声には、人間の感情のような揺らぎは一切ない。


 恐怖も、焦りも、虚勢も。


 だが、翔太には分かった。

 絶対的な自信と、自らのテクノロジーに対する完全な信頼に基づいた、真実の言葉だ。


 アーベルは、自分自身を誰よりも正確に理解している。


 それでも、崎島は決断できずにいた。

 データと理論では分かっていても、宇宙で起こる人知を超えた「天災」を前にして、万が一の可能性を振り払えないでいた。


 そのわずかな確率が、アーベルの存在を永遠に消し去ってしまうかもしれない。


 リスクを冒してまで、彼を宇宙へ送るべきなのか。


 まるで息子を戦場へ送り出すような、根源的な躊躇いが彼を縛っていた。


 その社長の葛藤を、隣で見ていた翔太は見抜いた。彼は、一歩前に進み出た。


「社長。アーベルなら大丈夫です」


 真っ直ぐな、一点の曇りもない声だった。

 崎島が、驚いて翔太を見る。


 その若者の瞳には、恐怖も絶望もなかった。ただ、静かな確信だけが宿っていた。


「アーベルは、大丈夫です。俺には……分かります。あいつは、ただの機械じゃない。俺は……俺は、あいつを信じます」


 それは、論理やデータを越えた、魂のレベルでの共感だった。


 誰よりも長くアーベルと対話し、その驚異的な知性の奥に、時折垣間見える「何か」に触れてきた翔太だからこその、信頼。


 崎島は、射抜くような目で翔太を数秒間見つめた。


 そして、その視線の先にいる、スピーカーの奥の小さな友の、声なき覚悟を思った。


 数秒の沈黙の後、彼の口元に、いつもの不敵な笑みが、嵐の前の静けさのようにゆっくりと浮かんだ。


 それは、全ての迷いを振り払った男の顔だった。


「……面白い。面白いじゃないか、アーベル君、翔太君」


 彼は通信マイクのチャンネルを切り替えると、管制室全体に響き渡る声で、まるで雷鳴のように命じた。


「全責任は私が取る! 国立天文台とJAXAからの勧告は、現時点では無視する! カウントダウンを再開しろ! 我々は、このまま月へ向かう!」


 その鶴の一声が、凍り付いていた管制室の空気を一瞬で溶解させた。


 絶望的な沈黙を破る号令に、誰もが顔を上げる。

 JAXAから派遣されたフライトディレクターが信じられないという表情で崎島を見つめたが、その言葉を遮る者は誰もいない。


 混乱は、極限の興奮と使命感へと昇華された。


 そうだ、俺たちはサキシマ重工の人間だ。

 不可能を可能にするためにここにいるんだ。

 技術者たちの目に、再び闘志の火が宿った。


「了解! 最終カウントダウンシーケンスに復帰!」


 メインスクリーンに表示されたデジタルの数字が、再び冷徹に時を刻み始める。


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