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崎島社長の子供のような歓喜の時間は、しかし長くは続かなかった。
彼の表情はすぐに厳しいものへと戻り、目の前の小さな猫――いや、異星の知性が提示するであろう「協力」の具体的な内容へと意識を集中させた。
「前と変わらず、アーベル君と……呼ばせてもらうよ」
崎島社長が、どこか試すように、しかし敬意を込めて尋ねる。
「呼称はご随意に。ただ、今は一刻を争います。プランの説明に入ります」
アーベルは小さく頷き、その翡翠色の瞳を社長室の壁に埋め込まれた大型フラットモニターへと向けた。
次の瞬間、何の前触れもなく、その画面に複雑な三次元の設計図が鮮やかに映し出された。
涼子が操作したわけでも、社長が指示したわけでもない。
アーベルの意志が直接システムに作用したのだ。
「まず、月遷移軌道へHTV-Y改を投入するためのロケットについてです」
アーベルの声が、静かに、しかし明瞭に響き渡る。
画面には、サキシマ重工が誇る最新鋭ロケット、サキシマロケット3号機の精緻な姿が立体的に表示された。
以前、翔太達が供与したHPR――ハイブリッドパルスロケットエンジンを搭載した機体だ。
「ベースとなるのは、このサキシマロケット3号機のコアステージです。しかし、現状のままでは月へのペイロード輸送能力は不足しています」
画面上のロケットが回転し、コアステージの部分がハイライトされる。
「そこで、コアステージの周囲に、現在貴社が保有しているSRB-3――高性能固体燃料ブースターを4基装着します」
アーベルの言葉と共に、画面上のサキシマロケット3号機のコアステージ側面に、それ自体がロケットであると見紛うようなシルエットを持つ4本の巨大な固体燃料ブースターが結合されるイメージ映像が流れた。
ブースターのノズルからは、轟音と共に凄まじい噴射炎が立ち上るシミュレーションが描かれ、その圧倒的な推力が視覚的に示される。
「各SRB-3は、より高効率な燃焼パターンを採用します。これにより、私を乗せたHTV-Y改を投入するための、十分な推力を確保します」
崎島は思わずと息をのむ。
「4基クラスター化とは……確かに在庫はあるし可能か」
それは夢想だにしなかった、しかし理論上は最高のパフォーマンスを発揮するであろう大胆な構成だった。
次に、モニターの映像が切り替わり、JAXAが運用する宇宙ステーション補給機HTV、その次世代型であるHTV-Yの姿が映し出された。
「次に、月周回軌道、損傷したゲートウェイ周辺で救助を行うためのHTV-Yの改造案です」
アーベルの視線が、より鋭さを増す。
「最大の課題は、月周辺に無数に飛散している高エネルギーデブリからの船体防御です。現状のHTV-Yの装甲では、これらの微小デブリの衝突にすら耐えられません」
画面には、HTV-Yがデブリ群の中を飛行し、次々と微細な衝突を受けて損傷していく衝撃的なシミュレーションが映し出される。
「この問題に対し、船体全体を特殊なナノマシンでコーティングします」
アーベルがそう告げると、HTV-Yの船体表面が、まるで薄い光の膜のようなものに覆われる映像へと変化した。
「このナノマシンは、翔太さん達に提供している『パーソナル・プロテクティブ・ギア』に使用されているものと同じ技術を応用したものです。ナノマシン群が能動的にデブリの運動エネルギーを感知し、衝突瞬間に分子構造を変化させてエネルギーフィールドを生成、衝撃を分散・吸収。物理的な損傷を最小限に抑えます」
翔太と涼子は思わず自分の手首にある銀色のバングルに目をやった。
アーベルお手製の防護ギア。
その驚異的な防御力を、今度は宇宙船に応用するというのだ。
「さらに、このナノマシンコーティングは、もう一つの脅威である『チャフ効果』にも対応します」
アーベルは続ける。
「例の高純度アルミニウム片は、様々な周波数帯において極めて高い電磁波反射率を示す可能性があります。これが広範囲に散布されている場合、レーダーや各種センサーを撹乱してしまうでしょう」
画面では、アルミニウム片がレーダー波を乱反射させ、HTV-Yのセンサーが目標を見失うイメージが描かれる。
「しかし、このナノマシンは、表面の電磁特性をアクティブに制御する能力も有しています。飛来するアルミニウム片の物性を瞬時に分析し、それらが反射する電磁波を吸収、あるいは透過させることで、センサー機能の維持を図ります。いわば、ステルス技術の応用です」
「ナノマシンコーティング……だと?」
崎島社長が、かすかに目を見開いた。
彼は信じられないといった表情でモニターを凝視している。
現代地球の軍事技術ですら、まだ研究段階の高度な概念。
そして、アーベルは最後の、そして最も重要な課題に言及した。
「最後に、船体コントロールです。現在のHTV-Yに搭載されているAIでは、これほど複雑かつ危険なデブリ環境下での精密な誘導、そして損傷し、不規則な回転をしている可能性のあるゲートウェイへの安全なドッキングは不可能です」
その言葉は、サキシマ重工の技術者たちにとって、ある意味、最も受け入れやすい事実だったかもしれない。
彼ら自身、自律ドッキングの難しさを痛感しているからだ。
「この問題は、私がHTV-Yの制御システムに直接リンクし、船体そのもののコアとして機能することで解決します。私自身が、HTV-Yの『頭脳』となり、月までナビゲートし、ドッキング作業を完遂させるのです」
アーベルの説明が終わると、社長室は深い沈黙に包まれた。
モニターには、改造されたHTV-Y改が、ナノマシンの輝きをまといながら、複雑なデブリを避け、見事にゲートウェイへとドッキングするシミュレーション映像が繰り返し流されている。
「帰りはどうするんだ? HTV-Yには大気圏再突入能力はないはずだ」
崎島社長が問いかける。
「ISS(国際宇宙ステーション)へドッキングして人員を下ろします」
それは、地球の現行技術レベルを遥かに超越した、まさに異次元のプランだった。
HPRエンジン、SRB-3による推力強化、ナノマシンによる船体防御とステルス化、そして先進文明の宇宙船のコアによる直接制御。
アーベルのプランは、それらの超技術を、サキシマ重工が持つ既存のロケット技術、製造基盤、そしてHTV-Yというプラットフォームを最大限に活用する形で巧妙に組み込んでいた。
それはまるで、最初からサキシマ重工のリソースを完全に把握した上で設計されたかのようだった。
この極限状況下で、これ以上のプランは存在し得ないだろうという、奇妙な説得力を持っている。
崎島は、組んでいた腕を解き、深く息を吐き出した。
その顔には、先ほどの興奮とは異なる、技術者、そして経営者としての厳しい分析の光が宿っていた。
「アーベル君……君のプランの骨子は理解した。確かに、それしか方法はないのかもしれない……」
彼の視線は、モニターから、デスクの上の小さな黒猫へと、再び戻っていた。




