7-10
重苦しい沈黙が、地球を繋ぐネットワーク回線を通じて、各国の宇宙機関の会議室を満たしていた。
モニターに映し出されるのは、一様に俯き、あるいは天を仰ぎ、言葉を失った各国の代表者たちの姿。
ゲートウェイのクルーに残された時間は刻一刻と減り続け、しかし、彼らを救い出す有効な手立ては何一つ見つからない。
それは、人類の現在の宇宙技術の限界を冷酷に突きつけられた瞬間であり、4人の勇敢な宇宙飛行士に対する、事実上の「見捨て宣告」に等しい空気が支配していた。
万策尽きた――その絶望的な認識が、会議の参加者全員の胸に重くのしかかっていた。
その、誰もが諦めの言葉を飲み込もうとしていた、まさにその時だった。
画面の片隅、JAXAの参加者枠の一つに表示されていた小窓の中の男が、それまで閉じていた口をゆっくりと開いた。
サキシマ重工社長、崎島健吾。
がっしりとした、長年の現場仕事で鍛え上げられたような体躯。
南国の太陽を思わせる日に焼けた顔には、年齢を感じさせない精悍さが宿っている。
短く刈り込まれた白髪混じりの頭髪が、彼の不屈の意志を象徴しているかのようだった。
彼はこれまで、各国の専門家たちの議論を、厳しい表情で黙って聞き入っていた。
「――待っていただきたい」
静かだが、芯の通った、そして何よりも重い沈黙を切り裂くのに十分な力強さを持った声だった。
会議室にいた全員の視線が、一斉に崎島の小窓へと注がれる。
その声には、この絶望的な状況においてもなお、何かを諦めていない者の響きがあった。
「まだ……まだ手段はあるかもしれない」
崎島は、モニターの向こうにいるであろう世界の宇宙開発のトップたちを、一人一人見据えるように、ゆっくりと言葉を続けた。
彼の目は、百戦錬磨の勝負師のように、冷静な光を湛えている。
「我がサキシマ重工は、JAXA殿と共に、次世代宇宙往還機『HTV-Y』の開発を終えています。これをベースに、緊急救出用の特別仕様機へ改造して、ゲートウェイへ送り込むのです」
その提案は、あまりにも大胆で、そして現状を鑑みれば無謀とも思えるものだった。
即座に、NASAの技術部門の責任者から、鋭い疑問が投げかけられる。
「崎島社長、お気持ちは察しますが、HTV-Yを月軌道へ緊急投入できるロケットが、現在我が国にも、そして世界のどこにも即応できる状態ではありません。H3ロケットの次の打ち上げスケジュールは数ヶ月先です。間に合わない」
続いて、ESAの安全基準を担当する官僚的な口調の男が、冷ややかに付け加えた。
「それに、HTV-Yはあくまで物資補給機がベースです。あの凄まじいデブリ群の中を安全に航行し、損傷したゲートウェイに確実にドッキングできるような高度な回避能力や防御機構は、備わっていないはずですが?」
矢継ぎ早に浴びせられる懐疑的な声。
それらは正論であり、技術的な現実だった。
しかし、崎島は怯まなかった。
「ロケットについては、確かに既存のラインナップでは困難でしょう。ですが、私どもには先日打ち上げたサキシマロケット三号機があります」
その言葉に、各国の代表たちは眉をひそめた。
一度しか打ち上げに成功していないロケットにどうしてそこまで自信を持てるのか、分からなかったからだ。
だが、崎島はそれに構わず、さらに核心に迫る言葉を続けた。
「そして、デブリ回避とドッキングについてですが……確かに、HTV-Yの標準仕様では不可能です。しかし、我々サキシマ重工には、驚嘆するような設計を、常識外れの短期間で実現できる『頭脳』に当てがあるのです」
崎島の口調は、静かだった。
その言葉は、まるで予言のように会議室に響き渡る。
彼の視線は、手元の資料ではなく、さらに遠い何か――あるいは、特定の誰かの顔を思い浮かべているかのように、未来を見据えていた。
その「頭脳」という言葉の響きには、単なる優秀なエンジニアチーム以上の、何か規格外の存在を示唆するようなニュアンスが込められていた。
会議室の重苦しい空気は、依然として変わらない。
しかし、その中に、ほんの僅かな変化が生まれていた。
「リスク? 当然あります。成功確率は、現時点では算出することすら難しいかもしれない。神のみぞ知るところでしょう。しかし、それでも私たちは行く。0.001%でも可能性があるのなら、そこにサキシマの全技術、全資源、全魂を賭けてみせる! それが、人を助けるということではないのですか! 我々技術者とは、そういう時のためにこそ存在するのではないのですか!」
崎島の口調は、いつしか静かながらも有無を言わせぬ迫力を帯びていた。
彼の言葉は、金銭的リスクや技術的困難さを矮小化するのではなく、それらを全て飲み込んだ上で、なお救出を断行するという、狂気とも紙一重の強い意志を示していた。それは、単なる技術者の発言を超え、一人の人間としての、そして組織の長としての、魂の叫びだった。
「リスクの話は後です。規格も基準も、人命の前では二の次、三の次だ。まず、彼らを助ける。その一点に集中しましょう。必要なものは全て出す。万が一の責任も、全てこの私が取ります。ですから、どうか……どうか皆さんのお知恵を、お力を貸していただきたい!」
その真摯な訴えは、計算や論理だけでは動かせない何かを、各国の代表者たちの心に問いかけていた。
完全な絶望の中に投じられた、小さな、しかし確かな波紋。
崎島健吾という男の常識破りの提案と、その根拠の曖昧さにも関わらず、彼のもつ自信が、いくつかの国の代表者の表情に、諦めとは異なる微かな光――最後の藁にもすがるような、困惑と期待の入り混じった複雑な色を浮かばせたのだった。
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崎島の発言が巻き起こした衝撃と興奮が冷めやらぬ中、国際会議のスクリーンは各国の代表者たちの動揺を映し出していた。
ある者は隣のスタッフと何事か囁き合い、またある者は腕を組んで深く考え込んでいる。
そのあまりにも大胆かつ、常識外れな熱意に満ちた提案は、諦めかけていた彼らの心に、良くも悪くも激しい揺さぶりをかけていた。
その頃、北京にある中国国家航天局(CNSA)の本部の一室では、数名の幹部スタッフが自国内専用のセキュアラインで緊密な協議を行っていた。
彼らは国際会議のメインスクリーンから送られてくる映像と音声を注視しつつ、自国としての対応を慎重に検討していた。
「……あの日本の民間企業の社長、本気かね?」
口火を切ったのは、技術部門のトップであるリー主任だった。
彼の声には、驚きとわずかな懐疑の色が混じっていた。
「サキシマ重工……確かに近年、急速に技術力を高めているとは聞いている。独自のロケットまで開発したという話も。しかし、これは次元が違う。費用もそうだが、失敗した場合のリスクが天文学的だ」
国際会議の進行から一時的に視線を外し、ジャオ局長が腕を組んだまま重々しく応じた。
彼はCNSAの全体戦略を統括する立場にあり、常に冷静沈着な判断を下すことで知られている。
「彼、崎島とか言ったか。あの発言、単なる精神論やブラフではなさそうだ。そして、あの『頭脳』という言葉が気になる。何か我々の知らない、あるいは過小評価している技術を持っている可能性も捨てきれん」
「しかし局長、仮に彼らが本当に救出作戦を実行するとして、我々はどう動くべきでしょうか」
やや神経質そうな声で割って入ったのは、広報と国際関係を担当するワン報道官だった。
彼の最大の関心事は、この危機的状況において中国が国際社会からどう見られるか、そして国内の世論にどう影響するか、という点にあった。
「成功すれば、日本の、それも一民間企業の技術力が世界に示されることになる。それはそれで素晴らしいことだが、我々としては少々複雑な立場になる。我が国の今後の月開発計画、火星計画全体に暗い影を落としかねない。下手をすれば、宇宙開発そのものへの不信感にも繋がりかねん」
リー主任が頷く。
「その通りだ。だが、あのデブリ環境は我々のシミュレーションでも絶望的な数字しか出ていない。サキシマ重工がどんな『頭脳』を持っていようと、物理法則を覆すことはできん」
ジャオ局長は、指でテーブルを軽く叩きながら、思考を巡らせていた。
「だが、何もせず見過ごすわけにもいかんだろう。ゲートウェイにはメイファがいる。国際的な救出努力を、我々だけが静観しているというわけにもいくまい」
「では、我が国も独自の救出作戦を検討しますか? しかし、時間的制約、そしてあのデブリを突破できる確実な手段は……」
王報道官が懸念を示す。
「いや、今から我々が単独で何かを準備しても間に合わんことは明白だ」
ジャオ局長は静かに首を振った。
「問題は、この日本の提案にどう関わるか、あるいは関わらないかだ。資金援助か?技術協力か?それとも、静観し、結果を見守るか……」
リー主任が提案する。
「まずは、サキシマ重工が言う『頭脳』とやらの正体を見極める必要があるでしょう。彼らが本当に何か画期的な技術を持っているのなら……。しかし、単なる希望的観測や精神論で突っ走るのであれば、我々が巻き込まれるのは得策ではない。むしろ、失敗した際の国際的な非難の矢面に立たされるリスクすらある」
「うむ…」
ジャオ局長は深く息を吐いた。
「いずれにせよ、サキシマ重工の動きに注視しよう。コストとリスク……そして成功の確率。冷静に見極めねばならん。国際会議の場で、彼らが具体的な計画をどこまで提示できるか、それを見定めてから、我々の最終的なスタンスを決定しよう」
CNSAの会議室には、オンライン上の熱気とは対照的な、冷徹な計算と国家としてのプライド、そして人道的な配慮が入り混じった、重く張り詰めた空気が漂っていた。
彼らにとって、これは単なる救出劇ではなく、複雑な国際政治と技術覇権の駆け引きの舞台でもあったのだ。




