2-1
薄暗い部屋の中、静寂を破るようにスマホが震え、画面に淡く青い光が灯った。
シーリングライトの白い光が机に反射し、どこからか入ってきた羽虫がその周りをクルクルと飛んでいる。
外では風が木々を揺らし、葉擦れの音が微かに聞こえ、時折遠くで犬の吠え声が響く。
翔太はダイニングテーブルの椅子に腰を下ろし、テーブルの上に転がる金属球――アーベルのコアをじっと見下ろした。
『通信機の作成を行うために、まずは私自身の機能回復、および精密作業を可能とするためのボディを得る為、ナノマシンの製造が必要です。』
無機質な電子音がスマホから響き、アーベルのメッセージが画面に浮かび上がる。
文字がまるでホログラムのように立体的に見える錯覚を覚えた。
翔太は目を細め、コアの表面を見つめた。
鏡のように滑らかで、光を鈍く反射するその球体は、一見するとただの金属の塊にしか見えない。
しかし、その内部には高度な知性が宿り、今、その知性は動ける体を得るためにナノマシンの製造を要求していた。
表面に刻まれた微細な紋様が、時折淡い光を放ち、まるで脈打つように強弱を繰り返している。
「ナノマシン……?」
翔太は顎に手を当てて考え込んだ。
言葉自体は知っていた。
医療や先端技術の分野で研究されている、目に見えないほどの微細な機械だったはずだ。
テレビの科学番組で、将来は体内で病気を治療するナノロボットが実現するかもしれない、なんて話を聞いた記憶がある。
「医療用のやつみたいなもんか。地球じゃまだ空想上の産物だと思ってたけど。」
アーベルが即座に反応した。
『それとは異なります。私の設計するナノマシンは、自己増殖機能を持ち、構造物の構築や修復が可能です』
さらりと告げられた説明に、翔太は思わず息をのんだ。
目が大きく見開かれる。
「自己増殖……?」
それはつまり、極小の機械が自律的に増え、まるで生き物のように成長しながら構造物を形成していくということだ。
頭の中で、金属の粒子が蠢き、みるみるうちに複雑な機械へと組み上がっていく映像が浮かんだ。
まるでSF映画のワンシーン、あるいはホラー映画で制御不能になった機械が世界を飲み込むようなイメージがちらつき、背筋に冷たいものが走った。
「なんか……とんでもない技術っぽいんだけど……」
声が少し震え、翔太は苦笑しながら首を振った。
アーベルの技術が地球の常識を超えていることは分かっていたが、自己増殖するナノマシンとなると、そのスケールと危険性が一気に現実味を帯びてくる。
『本来であれば、ナノマシンを制御する専用のユニットが必要ですが、現状では私がその代わりを担うしかありません』
スマホの画面が切り替わり、詳細な設計図やナノマシンの構造モデルが映し出された。
分子レベルで組み上げられた幾何学的なフォルムが表示され、無数の六角形が蜂の巣状に連なり、分子鎖が蛇のように絡み合っている。
拡大すると、微細な歯車や回路のような構造が動き、まるで微生物が蠢くような生命感があった。
金属的な光沢と有機的な動きが混在し、翔太はその異様な美しさに目を奪われた。
喉の奥で小さく唸りながら、設計図を指でなぞる。
「……でも、どうやって作るんだ? それに必要なものは?」
現実的な問題に思考を戻し、翔太は質問を投げかけた。
設計図がどれほど精巧でも、材料がなければ絵に描いた餅だ。
『ナノマシンの生成は本機が行います。必要な材料は金、ロジウム、イリジウム、ルテニウム、オスミウム、パラジウムなどの貴金属です』
列挙された素材の名前を聞いた瞬間、翔太は額を押さえ、深いため息をついた。
「……金はともかく、そんなレアメタル、簡単に手に入るわけないだろ。」
金ですら、まとまった量を手に入れるのは庶民には難しい。
ましてやイリジウムやロジウムとなると、工業用途や研究施設でしか扱われない超高価なレアメタルだ。
市場価格を考えるだけで頭が痛くなり、翔太は椅子の背もたれに凭れて天井を見上げた。
「お前、俺の財布事情わかってるか?」
苦笑混じりに言うと、スマホの画面に新たなメッセージが表示された。
『入手が困難な素材ですが、あなたの元職場に実験用の合金廃材が存在する可能性があります』
翔太は目を見開き、体を起こした。
「……元職場?」
確かに、かつて働いていた千葉の工業地帯の研究所では、特殊な合金を用いた電子部品の試作が頻繁に行われていた。
規格外になった試作品や不良品は廃棄処分され、その中には貴金属が微量ながら含まれていたはずだ。
廃材置き場には、パラジウムやロジウムを含む合金の破片が山積みになっていたのを思い出す。
しかし、翔太は首を振って眉をひそめた。
「ちょっと待て、俺が元職場のことなんか話した覚えはないぞ?」
怪訝な表情でアーベルを睨むと、スマホが再度震え、画面に文字が浮かんだ。
『失礼かと思いますが、この星のネットワークへ接続し、最優先で貴方のことを調べさせていただきました』
なんとも怖い事後報告に、翔太は目を丸くした。
地球を超えた技術を持つアーベルなら、ネットにアクセスして個人情報を調べるくらい朝飯前だろう。
戸籍情報、会社のデータベース、果てはSNSの履歴まで遡られたのかもしれない。
背筋に冷や汗が流れ、プライバシーが丸裸にされたような感覚に襲われた。
「できれば事前に言ってから調べて欲しいよ。君にはわからないかもしれないけど、あまり探られるってのは快いものじゃないんだ。」
ため息をつきながら、少し苛立ちを込めて言うと、アーベルのコアが一瞬だけ暗く点滅した。
まるで気まずさを感じたかのように見え、スマホに返答が表示された。
『それは申し訳ありませんでした。次回から気をつけます』
「心なしか申し訳なさそうに見えるな……」
呟きながら、翔太は苦笑した。
アーベルの無機質なメッセージに感情を読み取るのは難しいが、その点滅にはどこか人間らしいニュアンスがある気がした。
「あー、話を戻そう。確かに……使えそうな廃材があるかもしれない。でも、それをどうやって手に入れるかだな。」
『以前の職場の知人を頼るのが最善でしょう』
「知人、ねぇ……」
翔太の脳裏に、一人の女性の顔が浮かんだ。
鋭い眼差しと知的な雰囲気を漂わせた後輩――南川涼子だ。
ショートカットの黒髪に白衣を羽織り、実験ノートを手に持つ彼女の姿が鮮明に蘇る。
涼子なら、研究所の廃材事情に詳しいだろうし、頼めば何とかしてくれるかもしれない。
翔太はスマホの連絡先をスクロールし、指を止めた。
画面には『南川涼子』の名前が表示され、その横には以前やり取りしたメッセージの履歴が小さく残っている。
「……涼子か。」
彼女の名前を呟きながら、翔太は湯呑みを手に持つと、冷めたお茶を一口啜った。
アーベルの光がテーブルの上で揺らめき、部屋に静かな緊張感が漂う。
涼子にどう切り出すか、頭の中で言葉を組み立てながら、彼の胸には期待と不安が交錯していた。