7-2
無数の星々が煌めく漆黒の宇宙を、アーベルが送り込んだ工作機は静かに滑る。
その機体は、まるで古代の神々が遣わした使者のように、目的地に向かって揺るぎなく進んでいた。
やがて、漆黒の宇宙の帳面に、ぽつりと銀灰色の雫が見えてきた。
小惑星プシケだ。
工作機は、地球軌道からの長大な加速を終え、今は慣性の法則に従い、音もなくプシケへとその船体を進めていた。
やがて、工作機のメインカメラが捉える立体映像にはっきりとその全貌が映し出された。
その表面は、何億年もの間、太陽風に磨かれ、微小隕石に打たれ続け、鈍いながらも確かな金属光沢を放っていた。
それは、無骨で荒々しい金属の塊だった。
探査機のセンサー群は、接近するプシケの姿を多角的に捉え、そのデータを地球へと送信し続けてけている。
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アーベルから最終アプローチフェーズへの移行を指示する信号が発せられる。
各種数値を確認したのち、機体制御システムは最終確認モードへと移行。
減速プログラムのシミュレーションデータが、誤差許容範囲内であることを示す肯定応答を返した。
姿勢制御システムが起動し、探査機はゆっくりと、しかし確実にその機首を進行方向とは逆へと向け始めた。
船体が、プログラムされた通りに滑らかに回転する。
メインカメラの映像には、天の川の光帯が壮大なパノラマとなって後方へと流れ去り、やがて遠くで青く輝く地球が正面に捉えられる。
機体後部に格納されていたサブエンジンベイの偽装カバーが、まるで口を開くかのように左右へとスライドし、小型の噴射口が姿を現した。
その瞬間、探査機の船尾から、短く、しかし強烈な青白い閃光が迸った。
核融合パルスエンジンが、計算され尽くしたタイミングで数度、起動する。
船体に、設計通りの振動が計測され、記録される。
加速度センサーの数値がそのGを伝える。
噴射されたプラズマ粒子が宇宙空間に一瞬のオーロラを描き出し、そして霧散していく。
数回の断続的な噴射を経て、探査機の猛烈な勢いは、プシケの引力に捉えられるのに最適な速度へと、絶妙に削り取られていった。
プシケに対する対地速度の数値が、目まぐるしく、しかし確実に減少していく。
やがて、エンジンはその役目を終え、再び深宇宙の沈黙が工作機を包む。
その船内を満たすのは、各部で役割を果たしているナノマシンの微かな駆動音だけだった。
工作機は、プシケの重力場に導かれ、優雅な楕円軌道を描きながら、その極軌道へと滑り込んだ。
軌道安定を示す確認信号が、システム内で送受信された。
軌道は安定。
高度92キロメートル。
周期、約4時間。
プシケの全表面が、探査機の下でゆっくりと移り変わっていく。
機体に搭載された複合センサー群――広帯域電磁波スキャナー、地中レーダー、高解像度光学カメラ、質量分析計――が、休むことなく小惑星の肌を舐めるようにスキャンし、膨大なデータを地球上にいるアーベルへと送り続ける。
アーベルの瞳には、解析された地表データがリアルタイムで三次元マップとして構築されていく。
そこは、まさしく金属の世界だった。
鉄とニッケルを主成分とする高密度の地殻が、剥き出しのまま宇宙空間に晒されている。
太陽光を強く反射する平滑な尾根が連なり、その間を縫うように複雑な断層やクレバスが走る。
過去の巨大衝突の痕跡であるクレーターが、永遠の傷跡のように口を開けていた。
微弱ながらも、特定の亀裂帯からは異常な電磁波を示すシグナルが明滅し、プシケ内部の複雑な金属組成を示唆していた。
探査機のセンサーは、それら全てを淡々と記録していく。
スキャン開始から数時間が経過した頃、地中レーダーの解析アルゴリズムが、特異な反応を示すエリアを検出、自動的にハイライトした。
地表下約18メートル。
比較的安定した形状の空洞構造。
直径約80メートル、高さ20メートル。
自律判断システムは、周囲の地形、地質構造、空洞の安定性に関する収集データを多角的に評価する。
全ての情報が、そこが『高次元励起粒子結晶』を生成するための施設の候補地として有望であることを示していた。
該当エリアの座標がロックオンされ、追加のセンサー群が、その一点に集中照射を開始した。
数分後、環境データが収集され、危険要素を示す警告はトリガーされなかった。
アーベルはその情報を確認し、ゴーサインを出す。
降下準備シーケンスが、自動的に起動された。
工作機は、周回軌道上でわずかにその進行方向をずらし、降下シーケンスへと移行した。
機体は音もなく、ゆっくりとその腹部をプシケの金属地表へと向け始めた。
機体下面に複数配置された着陸用スラスターの噴射口が、音もなく静かに次々と開いていく。
その奥では、核融合エネルギーによって生み出された高密度プラズマが、青白い光を湛えていた。
周回軌道からの離脱。
エンジンはまだ沈黙を保ったまま、探査機はただ、プシケの重力に引かれるまま、ゆっくりと落下を開始する。
眼下には、鉄とニッケル、そして微量の貴金属が織りなす、荒涼とした金属の荒野がどこまでも広がっている。
太陽光が地表の起伏に複雑な影を作り出し、その景色は刻一刻と変化していく。
降下速度が、徐々に、しかし確実に増していく。
機体下部に装備された高精度レーザー測距センサーとレーダー高度計が、地表との距離をミリ秒単位で計測し、そのデータをリアルタイムで飛行制御コンピュータに送信する。
降下角は、計画通り13度を維持。
システムは、あらゆるパラメータを監視し続ける。
高度40キロメートル。
姿勢制御は、小型の副スラスターが断続的に短く噴射を繰り返すことで行われる。
その度に、機体に微かな振動が記録される。
サブカメラが捉える地表は、もはや抽象的な模様ではなく、具体的な地形として認識できるようになっていた。
金属光沢を放つプレート状の岩盤、斜めに無数に走る深いクレバス、そして大小様々なクレーター群。
高度20キロメートル。
地表のディテールが、さらに鮮明に浮かび上がる。
破砕された鉱石が海のように堆積したエリアや、数キロメートルに及ぶ巨大なクレーターの縁が、はっきりとカメラの視野に飛び込んできた。
高度10キロメートル。
アーベルからメインスラスターへ、逆噴射開始の指令が送られる。
探査機の下部に設けられたスラスターが一斉にプラズマの奔流を噴き上げた。
青白い光がプシケの地表を照らし出し、機体は計算された通りの激しい振動に包まれる。
これまでの静かな落下とは一変し、強大な力が機体を押し上げようとする。
降下速度が、急速に削ぎ落とされていく。
高度2キロメートル。
逆噴射の勢いをわずかに弱め、最終降下フェーズへと移行する。
着陸脚展開のコマンドが実行される。
機体下部から、三本の頑丈な着陸脚がゆっくりと伸びていく。
その先端には、衝撃吸収機構と接地センサーが組み込まれている。
全てのセンサーが一瞬だけ最大感度に切り替わり、眼下に迫る着陸予定地点の微細な凹凸、地表の粒度、傾斜角度を最終評価する。
データは瞬時に処理され、最適な接地ポイントへと誘導が続けられる。
高度500メートル。
地表の色調が、より複雑なニュアンスを帯びてカメラに映る。
自律システムは、収集される膨大なデータに基づき、リアルタイムで最終的な降下経路を微調整していく。
高度100メートル。
メインエンジンの推力が、プログラムに従い細かく振動し、機体の水平と垂直を精密に制御する。
スラスターから噴出されるプラズマが、地表の金属粒子をわずかに巻き上げ始めているのが、高感度カメラによって捉えられた。
高度3メートル。
巻き上げられた微細な金属粒子が、スラスターの噴射風によって陽炎のように揺らめき、ゆっくりと周囲に漂い始める。
0メートル。
重く、短い衝撃が機体を揺るがした。
衝撃吸収機構が効果的にエネルギーをいなし、三本の着陸脚がプシケの金属地表に数センチ沈み込んで、がっしりと大地を掴む。
探査機は完全に静止し、同時に全ての着陸スラスターは即座にシャットダウンされた。
先ほどまで猛烈なエネルギーの噴射と振動が嘘のように消え去り、訪れたのは深淵なる静寂。
ただ、内部機器の冷却システムが作動し、スラスターが徐々に色褪せていく。
全システムが自動的に待機モードへと移行し、各種インジケータが安定状態を示す。
窓のない探査機は、ただ搭載されたセンサーを通じてのみ、外界を認識する。
彼方の空には、小さな光点に過ぎない太陽が、しかしここでは強烈な輝きを放ち、金属質の大地を照らし、その光を複雑に反射させていた。
地平線は、搭載カメラの画角限界まで、鋭く湾曲して伸びている。
探査機は、まるで何世紀も前からそこに存在していたかのように、プシケの風景に溶け込み、沈黙していた。
そして偽装されたハッチが開き、中からヘルメットとツルハシを持ったモグラが顔を覗かせた。
七章が始まります。
6章にこういう閑話を挟めなかったのが悔しい。
どうやって戦闘の合間に挟めようか考えた末にあきらめました。
ここで供養。
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ぶっちゃけ、評価とフォロワーの数だけ、お話が書けると言っても過言ではない。




