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床に転がる歪んだ弾丸が鈍い光を放っていた。
大場は抵抗する気力も失せた様子で、応援の隊員たちに両脇を固められ連行されていった。
その目は虚ろで、もはや何も映してはいないかのようだった。
残された第九係の隊員たちは、上司の逮捕という前代未聞の事態に青ざめ、茫然自失としていた。
彼らも一人ひとり武器を回収され、本庁での事情聴取のため護送車へと誘導されていった。
現場には、翔太と仁、そして松本警部補と矢沢巡査だけが残された。
松本は床の弾丸を一瞥し、翔太へと視線を移した。
その目には、先ほどまでの鋭さに加え、戸惑いと信じられないものを見たかのような動揺が浮かんでいた。
翔太がどうやって銃弾を防いだのか、その瞬間を目撃したのは翔太自身と仁、そして大場の部下たちだけだった。
配信映像には発砲する大場の姿こそ鮮明に記録されていたものの、翔太の身体を包んだ燐光や不可視の防護膜が形成される様子は、まるで編集されたかのように一切映っていなかった。
(一体、何が起きたんだ……?)
常識ではありえない現象。
目の前には歪んだ弾丸と、涼しい顔で立つ青年。
刑事としての経験が既成概念を捨てろと警鐘を鳴らす一方で、理性はそれを容易に受け入れようとしない。
なぜ弾丸があんな形で床に落ちているのか、目の前の青年は本当に無傷なのか。
数多の疑問が脳裏を渦巻いたが、得体の知れない何かへの漠然とした躊躇が、それらを喉の奥へと押し戻した。
(これが「終末の光」とやらに連なる現象だというのか……?)
松本は何かを問い質そうと口を開きかけたが、言葉にならなかった。
代わりに乾いた喉をごくりと鳴らす。
隣の矢沢も言葉を失い、ただ翔太と床の弾丸を交互に見つめている。
やがて、松本の無線に亀川警視総監から直接指示が入った。
その声は常と変わらず落ち着いていたが、松本にはその奥に微かな緊張感が含まれているように感じられた。
短いやり取りの後、険しい表情で無線を切ると、翔太に向き直った。
総監の指示は驚くべき内容で、まるでこのような事態を予期し、既に対応プロトコルが存在しているかのような口ぶりだったのだ。
(まさか、上層部はこの種の未確認事象を既に把握していて、非公式な対応手順が存在するというのか?)
だとしたら、今回の指示もその一環かもしれない。
一警察官として組織の決定には従わなければならないが、目の前の青年たちの存在と起きた事象をどう処理すればいいのか。
松本は刑事としての正義感、組織人としての立場、そして未知への畏怖との間で激しく葛藤していた。
だが感傷に浸っている場合ではない。
これは個人の判断を超えた、警察組織としての、あるいはそれ以上の規模での対応なのだろう。
「高橋君、だったな」
松本は努めて冷静な声を作った。
わずかな声の震えに気づかれないように。
「今回の件、君の協力には感謝する。大場の暴挙については、警察組織として深く謝罪したい」
翔太は静かに頷いた。
その落ち着き払った態度が、松本にはかえって底知れぬものに感じられた。
「それで……今後のことだが」
松本は言葉を選びながら続けた。
彼の脳裏には、先ほどの総監の言葉が反芻されていた。
「彼らは『特異点』だ。我々の理解を超える存在かもしれん。だが、敵対するのではなく、慎重に観察し、場合によっては協力を得る道を探るべきだ」と。
「警視総監からの指示だ。今回の事件、君達に関する一切の事象は、公式記録には残さない方針だそうだ」
それは警察組織としての苦渋の決断であり、同時に翔太や仁という存在の「異常性」をこれ以上深追いしないという意思表示、あるいは深追いできない、別の形で関わろうとしているということか。
松本は、これが単なる隠蔽ではなく、より大きな何かへの布石ではないかと感じ始めていた。
「ただし、条件がある」
松本は翔太の目をまっすぐに見据えて言った。
その目には先ほどまでの困惑に加え、ある種の覚悟が宿っていた。
「君たちが、今回の事態――特に君たちの能力について、一切を公にしないこと。そして、今後、我々警察組織の活動を妨げるような行動を取らないこと。これが、我々が君たちを探らないという約束の条件だ」
暗に、翔太の持つ不可解な力と、その背後にあるかもしれない何かに対する「相互不可侵」の提案だった。
それは松本個人としても、組織としても、現状では最善に近い判断だと信じるしかなかった。
翔太はしばらく黙って松本の言葉を聞いていたが、やがて静かに口を開いた。
その瞳は松本の葛藤を見透かしているかのようだった。
「わかりました。その条件を飲みましょう。俺たちも、事を荒立てるつもりはありません」
仁も隣で深く頷いた。彼の表情にも安堵の色が浮かんでいる。
その言葉を聞き、松本は内心で小さく息をついた。
少なくとも彼らが無闇にその力を振るうような存在ではないと信じたい。
そしてその思いが、徐々にではあるが、目の前の青年たちへの警戒を解き、ある種の信頼へと変わり始めていた。
「それから、もう一つ」
松本は続けた。
ここからは総監の指示というよりも、彼自身の刑事としての判断だった。
「これは、個人的な……いや、公式な要請でもある。もし、今後、君が『終末の光』あるいはそれに関連すると思われる不可解な事件に関わった場合……我々に話を通し、協力してほしい。君の持つ情報や、あるいはその力に頼るかもしれない」
松本の口調には切実さが滲んでいた。
翔太とその背後の正体までは理解できなくとも、それが常軌を逸したものであり、今後起こりうる未知の脅威に対して有効な手立てとなり得る可能性を感じ取っていた。
それは警察組織の限界を悟った上での、苦渋の、しかし未来に向けた英断だった。
翔太は松本の目を見返した。
その瞳の奥にある葛藤と、それでもなお正義を追求しようとする刑事の意志を読み取ったのかもしれない。
組織の論理だけではない、目の前の人間としての誠実さを感じ取ったのだろう。
「分かりました。その約束も受け入れます。『終末の光』が再び現れるようなことがあれば、俺は力を貸します」
その言葉は松本の心に深く響いた。
「感謝する」
松本は短く、しかし心の底からそう言った。
彼の表情から少しだけ強張りが解けたように見えた。矢沢もまた安堵の表情で小さく頷いた。
互いに多くを語らずとも、この瞬間、確かに松本と翔太の間には細いながらも信頼の糸が結ばれたように思えた。
こうして、警察組織と翔太達との間で一つの密約が交わされた。
それは互いの存在を認めつつも一定の距離を保ち、そして来るべき脅威に対しては共闘するという、奇妙な共犯関係の始まりでもあった。
上層部がどこまでこの事態を把握し、どのような手を打とうとしているのか、松本にはまだ全容は見えなかった。
しかし、少なくとも現場レベルでは、未知の存在との最初のコンタクトが破綻ではなく協調への一歩として踏み出されたのだ。
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やがて松本と矢沢は引き上げていった。
彼らの背中を見送りながら、翔太はこれが終わりではなく、新たな始まりであることを予感していた。
プレハブ事務所には、再び翔太と仁だけが残された。窓の外はすっかり夜の帳が下り、遠くで街の灯りが瞬いていた。
「これで一先ず一件落着ってことかな」
仁が溜息混じりに言った。
「どうだか」
翔太は静かに首を振った。
「大場は捕まった。でも、『終末の光』の活動を止めれたわけじゃない」
その言葉には一抹の不安が滲んでいた。
「とりあえず、涼子と由美のところへ行こう。今日は色々ありすぎた」
仁は努めて明るい声で言った。
翔太は頷き、二人は静かにプレハブ事務所を後にした。




