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6-13

 大場は、恍惚とした表情を浮かべ、両腕を軽く広げた。まるで、見えざる祝福を全身で受け止めているかのようだ。

 その目は虚空を見つめ、唇には狂信者の歪んだ笑みが刻まれている。


「そうだ。この手柄で、俺は教団の最高幹部の一人に名を連ねることができる……! 永遠の救いに、また一歩近づけるのだ!」


 周囲に控える第九係の部下たちは、上官のあまりにも異様な変貌と、常軌を逸した言葉の数々に、ただ戸惑いと、そして得体の知れない恐怖を感じていた。


 彼らが知る冷静沈着で、時には冷酷なまでに任務を遂行する指揮官の姿は、そこにはなかった。


 その狂信的な独白の頂点で、大気が一瞬、凍りついたかのような静寂が訪れた。

 その静寂を破ったのは、翔太の静かで、しかし刃物のように鋭利な声だった。


「その独白、大変興味深いものでした。大場室長」


 大場は、恍惚の表情から我に返り、眉間に深い皺を刻んで翔太を睨みつけた。

 まるで神聖な儀式を邪魔されたかのような不快感が、その顔にはっきりと浮かんでいる。


「何をごちゃごちゃと、まだ何か言い訳でもするつもりか、異星人の手先め!」


 翔太は、その罵詈雑言にも全く動じることなく、淡々と言葉を続けた。

 その声は、大場の狂熱とは対照的に、どこまでも冷徹だった。


「いえ、言い訳などではないですよ。ただ、事実をお伝えしようと思ったまでです。あなたのその貴重な告白……『終末の光』への加担、110番通報記録の改竄。発言の全ては、一言一句違わず、こちらで記録させていただきました」


 翔太はそこで一度言葉を切り、大場の目を真っ直ぐに見据えた。


「そして、リアルタイムで重要な立場の方にも、全てお聞きいただいておりました」


「な……何を、馬鹿なことを……!」


 大場は嘲笑しようとしたが、その声は僅かに上ずっていた。

 翔太の揺るぎない態度と、その言葉の持つ不気味なまでの確信が、彼の心の奥底に微かな不安の種を蒔き始めていた。


 翔太は、言葉の代わりに、応接室の壁に掛けられた大型モニターへと視線を送った。


 次の瞬間、それまで南川除染技研のロゴが表示されていたモニターの画面が、ノイズもなく滑らかに切り替わった。


 そこに映し出されたのは、重厚なマホガニーのデスクが置かれた、広々とした執務室の光景。


 そして、そのデスクの向こう側で、苦渋に満ちた、しかし鋼のような意志を宿した目で、こちらを――正確にはモニターのカメラを通じて大場を――凝視している初老の男性の姿だった。


 その顔を、大場和馬は見間違えるはずもなかった。日本の警察組織の頂点に立つ男、警視総監・亀川正人その人であった。


 亀川は、何も語らない。


 だが、その沈黙と厳しい眼差しは、いかなる叱責よりも重く、大場の心臓を直接鷲掴みにするかのようだった。


「馬鹿な、ありえない! なぜ、総監が! この映像はトリックか!? CGか何かか!?」


 大場の顔から急速に血の気が引いていく。

 彼の狂信に満ちた自信は、まるで砂の城が崩れるように、ガラガラと音を立てて剥がれ落ちていった。


 額からは玉のような汗が噴き出し、その目は恐怖と混乱に見開かれている。


 まさか、自分の計画と、その奥底にある汚れた欲望が、天敵とも言える存在に、これほど完璧に露呈していたとは、夢にも思わなかった。


 彼の背後に控えていた第九係の部下から動揺と囁き声が漏れる。


 翔太は、そんな大場の無様な姿を冷ややかに見下ろしながら、追い打ちをかけるように言葉を紡いだ。


「トリックなどではありませんよ、大場さん。警視総監閣下は、あなたがこの部屋に入ってこられてからの一部始終を、そして、あなたのその輝かしい『信仰告白』の全てを、リアルタイムでご覧になり、お聞きになっていたのです。我々が、そうセッティングさせていただきましたから」


 その声には、微塵の感情も込められていなかった。それがかえって、大場の絶望を深く抉った。


「あ……」


 大場は、もはや言葉にならない呻き声を漏らし、よろめくように数歩後ずさった。

 彼の頭の中では、これまでの計画、築き上げてきた地位、その全てが音を立てて崩壊していくのを感じていた。


 翔太は、その崩れゆく男の姿から目を逸らさず、最後の止めを刺すかのように言った。


「あなたが夢見た『永遠の救い』も、そして、あなたが心酔する『教祖様』の威光も。残念ながら、現実の世界では、ただの唾棄すべき犯罪行為でしかないのですよ、大場さん」


 その言葉は、まるで死刑宣告のように、大場の心に深く突き刺さった。

 彼の顔は絶望の色に染まり、その瞳からは狂気の光が消え失せ、代わりに破滅への恐怖と、裏切られたという子供のような怒りが浮かび上がっていた。


 彼は、わなわなと震える手で、腰のホルスターに収められた拳銃のグリップを、無意識のうちに握りしめていた。


「……っ!」


 獣のような呻き声が、大場の喉から漏れた。

 理性という名の箍は完全に外れ、剥き出しの激情が彼を支配する。

 腰のホルスターから、黒光りする自動拳銃が抜き放たれる様は、まるで悪夢のスローモーションのようだった。


「異星人の手先め!! 貴様さえいなければ!!」


 怒号と同時に、大場の指が引き金にかかる。


 パンッ!


 乾いた、しかし鼓膜を劈くような銃声が、狭いプレハブ事務所内に轟いた。


 仁は、その音に反射的に反応し、床に身を投げ出すように伏せた。


 視界の端で、待機していた大場の部下たちが、上官の信じ難い暴挙に凍りついたように動きを止めているのが見えた。

 彼らの顔には、驚愕と恐怖、そして理解不能な事態への困惑が浮かんでいた。




 発射された9mmパラベラム弾は、紅蓮の閃光を曳きながら、一直線に翔太の胸部へと突き進む。


 まさに、その凶弾が翔太の身体を貫かんとする寸前。


 刹那、翔太の全身が、淡い燐光のようなものに包まれた。


 それはまるで、夜光虫が放つ幽玄な光のようであり、次の瞬間には、彼の身体の表面すれすれに、それまで不可視だったナノマシンの群れが瞬時に励起し、結合を始めた。


 無数の微細な機械が織りなすそれは、透明なガラス細工のようにも見え、しかし同時に、何者にも砕けぬ強靭さを秘めたエネルギーフィールド状の防護膜を形成した。


 キンッ!!

 甲高い金属音が響き渡る。


 弾丸は、その目には見えない強固な壁に激突し、まるで粘土のように歪に形を変えながら、その運動エネルギーのほぼ全てを吸収された。

 そして、まるで力尽きたかのように、ぽとり、と乾いた音を立てて床に落下した。


 翔太は、内心の恐怖を押し留め、眉一つ動かさず、そこに立っていた。

 その胸元には、跡一つない。


 目の前で繰り広げられた、常識では到底ありえない超常的な現象。


 それを目の当たりにした大場は、銃を構えたまま、まるで信じられないものを見たかのように唖然としていた。

 その顔からは血の気が失せ、初めて、純粋な恐怖の色が浮かび上がった。


「な……なんだ、それは……!? ば、化け物か、貴様……!?」


 震える声で、大場は絞り出すように言った。

 その緊迫したやり取りの一部始終を、現場から少し離れた車両の中で、松本管理官は固唾を飲んでモニターしていた。


 大場の発砲が、リアルタイムで警視総監の元へも送られている。


「総監! ご指示を!!」


 松本は、マイクに叫んだ。



 ---



 警視総監執務室。

 亀川正人は、デスクの大型モニターに映し出された発砲の光景と、それに先立つ大場の完全な自白、そして今まさに起きた殺人未遂の凶行を、厳しい表情で見つめていた。


 彼の額には深い皺が刻まれ、その瞳は怒りと共に、ある種の決意を宿していた。


 やがて、彼は受話器を取り上げると、オフィスに詰めている警視庁の最高幹部たちへ、厳しく、しかし揺るぎない声で告げた。


「最重要緊急通達!」


 亀川の声は、スピーカーを通して幹部たちの耳に叩きつけられる。


「警察庁刑事局捜査一課第九係担当管理官、大場和馬室長を、殺人未遂、職権乱用、国家公務員法違反、不正アクセス禁止法違反、及びテロ組織等幇助の容疑で、現行犯逮捕せよ! 現場にいる第九係の隊員は、直ちに大場の指揮系統から離脱し、警視総監たる私の直接命令に従え! 大場が抵抗する場合、もしくはこれに同調する者がいる場合は、躊躇なく拘束することを許可する! これは命令である!」


 警視総監からの、前代未聞とも言える逮捕命令の通達。

 それは、大場の部隊が持つ無線機にも流れ込んだ。


 現場の隊員たちの間に、激しい動揺が走る。

 しかし、警視総監直々の命令の重み、そして目の前で繰り広げられた上官の常軌を逸した行動。


 大半の隊員は、力なく武器を下ろし始めた。


 ある者は呆然と立ち尽くし、ある者は顔面蒼白で事態の推移を見守っている。


 大場は、翔太の理解不能な防御能力と、無線から流れ込んできた警視総監からの突然の逮捕命令に、完全に打ちのめされていた。


 その顔には、怒りも恐怖も消え失せ、ただただ深い絶望の色が浮かんでいた。


 彼は、まるで操り人形の糸が切れたかのように、その場に崩れ落ちそうになった。


 しかし、最後の悪あがきか、あるいは本能的な逃走欲求か、彼はふらりと身体の向きを変え、出口へと逃げ出そうとした。


 そこへプレハブ事務所のドアが勢いよく開かれ、二人の男が飛び込んできた。


 松本警部補と、矢沢巡査だった。


「大場和馬! 観念しろ!」


 松本の鋭い声が響き渡る。

 矢沢が、逃れようとする大場の腕を素早く掴み、体勢を崩させる。


 抵抗しようとする大場だったが、矢沢の動きは的確で、あっという間に床に組み伏せられた。

 カチャリ、と冷たい金属音が響き、大場の両手首に手錠がかけられた。


「……終わりだ」


 松本が、低く、しかし確信に満ちた声で呟いた。

 プレハブ事務所内には、しばしの沈黙が訪れた。


 床に転がる歪んだ弾丸と、力なく項垂れる大場。


 その異様な光景を、残された隊員たちは息を飲んで見つめていた。



 一つの事件は、今、ここに終止符を打とうとしていた。

 だが、それは同時に、より大きな、そして未知なる戦いの始まりを告げる序曲に過ぎないのかもしれなかった。

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