6-8
気がつくと時刻は昼過ぎ。
冬の日差しが、旧谷田部東パーキングエリアのアスファルトを照らしている。
現場検証は続いており、規制線の外にはいつの間にか集まった報道陣がカメラを構え、上空には数機の報道ヘリが旋回し、けたたましいローター音を響かせている。
その喧騒の中心で、松本警部補と矢沢巡査は、茨城県警が臨時に設置した現場指揮本部であるマイクロバスの中で、分厚い捜査資料の束と格闘していた。
「……以上が、現時点で判明している遺留品及び車両の状況です」
茨城県警の鑑識課長が、疲労の色を滲ませながら説明を終えた。
テーブルの上には、現場写真、鑑識結果の速報、そして車両の登録情報などが雑然と広げられている。
「やはり、横浜の倉庫ビルで見つかった圧痕、及び金属質の擦過痕と、今回の現場のものは完全に一致しますね」
矢沢が、二つの事件の比較写真が並んだ資料を指差しながら確認する。
その痕跡は、まるで巨大な昆虫か、あるいは映画に出てくるような化け物が残したとしか思えないほど異様なものだった。
「ああ、間違いない」
松本は腕を組み、険しい表情で頷いた。
「問題は、これが一体“何”の痕跡なのか、だ」
現場に残されたバン三台は、どれも巧妙にナンバープレートが偽装され、車体番号も削り取られた盗難車だった。
車内からは指紋一つまともに検出されず、搭乗者の特定に繋がるような遺留品も皆無に等しい。
用意周到なプロの犯行グループであることは明らかだった。
しかし、捜査線上に新たな、そして重要な一点が浮かび上がってきた。
三台のバンとは別に、激しい銃撃を受けて大破し、炎上していた赤いセダン。
その所有者が、南川除染技研という環境関連の研究開発企業の所長、南川仁という人物であることが判明したのだ。
「南川仁……南川除染技研……」
松本は、その名前を記憶の底から手繰り寄せるように呟いた。
数週間前、画期的な放射能除染技術を発表し、一時期メディアを賑わせた研究者の名前だったはずだ。
なぜ、そんな人物がこの惨劇の渦中に?
松本は矢沢に指示し、南川除染技研の公表されている連絡先、第一工場や仁の自宅マンションへ次々と電話をかけさせた。
しかし、何度コールしても応答がないか、あるいは事務的な口調で「所長は現在、連絡が取れない状況にございます」という返答が繰り返されるばかりだった。
「ダメですね、松本警部補。どこも繋がりません」
矢沢がお手上げといった様子で首を振る。
松本は顎の無精ひげを指で擦りながら、資料の隅に小さく記載されていた「第二工場」という記述に目を留めた。
「矢沢、ここにもかけてみろ。南川除染技研、第二工場だ。ダメ元だがな」
矢沢が半信半疑でその番号をダイヤルする。
数回の無機質なコール音の後、誰もが出ないだろうと諦めかけた瞬間、意外にも電話が繋がった。
「はい、こちら南川除染技研第二工場です」
応対に出たのは、落ち着いた、しかしどこか張り詰めたような若い男の声だった。
翔太だ。
松本は矢沢から受話器をひったくるように受け取ると、自ら名乗った。
「もしもし、わたくし、横浜港警察署刑事課の松本と申します。こちらの工場を管理されている、南川仁所長に、昨夜の常磐自動車道での事件についていくつかお話を伺いたいのですが、そちらにいらっしゃったりしないでしょうか?」
電話の向こうで、一瞬、息をのむような気配がした。
そして、短いやり取りの後、電話の主は仁に変わった。
仁の声は、極度の疲労と、隠しきれない警戒心で震えていた。
「……南川です。あなたが、警察の方ですか」
松本は、その声色から、彼がただならぬ事態に巻き込まれたことを瞬時に察した。
「南川さん、単刀直入に伺います。昨夜、旧谷田部東パーキングエリアで、あなたの所有するセダンが発見されました。一体何があったのか、お聞かせ願えませんか?」
仁は、電話の向こうで言葉を選んでいるようだった。
やがて、絞り出すような声で語り始めた。
「私たちは……昨夜、正体不明の武装した集団に襲撃されました。三台のバンに乗った連中です。友人の……先ほど電話に出た男、高橋に助けられ、九死に一生を得ましたが」
そして、次の瞬間、仁の声には抑えきれない怒りと不信感が迸った。
「襲撃された際、何度も、何度も! 警察に、110番に通報をしましたが、対応中ですって言葉ばかりで! あれだけのカーチェイスに銃撃戦があったんですよ!? それなのに、警察は一体何をしていたんですか! なぜ、現場に来なかったんですか!」
その叫びは、地下施設の冷たい壁に反響した。
「通報が繋がらなかった……ですと?」
松本はその言葉に眉をひそめ、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
通常の通信障害などではありえない事態だ。
何者かが意図的に妨害したか、あるいは警察内部のどこかで情報が握り潰されたか。
この事件の闇は、自分が考えているよりも遥かに深いのかもしれない。
「南川さん、それは聞き捨てならない話です。にわかには信じ難いことですが、もしそれが事実であれば、徹底的に調査する必要があります。詳しいお話を、直接お伺いしたい。もし、ご迷惑でなければ、今日この後、そちらの第二工場へお伺いしてもよろしいでしょうか? 」
仁は翔太に目配せする。
翔太は軽く頷いた。
「……ええ、構いません。来てください」
仁の声には、僅かな安堵と、しかし依然として消えない疑念が混じっていた。
「そして、一体全体、何が起こっているのか、私たちの身に何が迫っているのか、調べて頂きたい」
松本は、仁のその言葉に、どこか不信感と怒りを感じ取った。
「承知しました。必ず伺います」
松本は電話を切った。
「矢沢、行くぞ。千葉だ。どうやら、この事件の鍵は、千葉の第二工場にあるらしい」
松本は、矢沢に鋭く告げた。




