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三台のバンが炎上し、その明かりで旧谷田部東パーキングエリアは照らされていた。
硝煙とオイルの匂いが混じり合った生々しい空気が、先刻までの激しい戦闘の余韻を色濃く残している。
その闇の中を、数人の男たちが息を切らし、互いの荒い呼吸だけを頼りに敗走を続けていた。
彼らは、先程のパーキングエリアでの作戦に投入された部隊の男たちだった。
先頭を歩く男は、ヘルメットに施された特殊なマーキングが、彼のリーダーとしての立場を示していた。
しかし、そのヘルメットも今は泥に汚れ、額からは血が滲んでいる。
電磁グレネードの直撃を受け、黒煙を上げて沈黙したバンに証拠隠滅のため、火を付けた彼らは、装備を失い、身一つでこの逃避行を強いられていた。
リーダーの強張った顔には、作戦失敗という現実がもたらした焦りと屈辱が、拭い難い疲労と共に深く刻まれていた。
「隊長、こちらです」
部下の一人が、かろうじて聞き取れるほどの声で囁いた。
闇に目が慣れてきたのか、彼らは細く続く獣道のような小径を見つけ出し、茂みに身を隠すように進んでいく。
折れた枝が頬を掠め、ぬかるんだ地面がブーツを絡め取る。
時折、遠くでサイレンのような音が響く気がして、彼らはその度に息を潜め、闇に溶け込もうとした。
どれほど歩いただろうか。
体感では数時間にも及ぶように感じられた逃避行の末、彼らは寂れたアスファルトの道に出た。
道沿いには、錆びつき、時代に取り残されたような公衆電話ボックスが、まるで墓標のようにポツンと佇んでいた。
リーダーは、周囲を鋭く見渡し、追手の気配がないことを確認すると、無言で電話ボックスに近づいた。
ギィ、と軋む音を立てて扉を開け、受話器を取り上げる。
その表面はひんやりと冷たく、湿気を帯びていた。リーダーは目を閉じ、記憶の底から特定の番号を呼び起こすと、震える指で、しかし正確にダイヤルボタンを押していく。
数回の無機質なコール音の後、ぷつりと音が途絶え、合成音声による定型的な応答メッセージが流れ始めた。
「我々に光あれ」
リーダーが低い声で合言葉を告げると、一瞬の間をおいて、回線が切り替わる独特のクリック音が受話器越しに響いた。
そして、その向こうから聞こえてきたのは、一切の感情を削ぎ落としたかのような、冷たく低い男の声だった。
その声には、温度というものが存在しないかのように感じられた。
「報告しろ」
短い命令。
リーダーはごくりと唾を飲み込み、背筋を伸ばした。
しかし、その声は隠しようのない悔しさと、わずかな震えを帯びていた。
「申し訳ありません。目標、南川仁および南川由美の確保に、失敗しました」
沈黙が受話器の向こうを支配する。
それは、嵐の前の静けさにも似て、聞いている者の神経をじりじりと焼き付けるような重圧感を伴っていた。
リーダーの額から、冷たい汗が一筋、頬を伝って流れ落ちる。
「……続けろ」
再び、短く冷たい声が響いた。
「はっ……目標は、我々の包囲網を突破。その際、詳細不明の大型多脚歩行兵器が出現。その圧倒的な火力と機動力により、我々の部隊は大きな損害を受けました。さらに、目標側が使用したと思われるEMP兵器により、車両および通信機器を含む電子装備の大半が無力化され……」
リーダーは、先程の戦闘の光景を思い出し、奥歯を噛み締めた。
あの得体の知れない兵器の動き、そして電子機器が沈黙した瞬間の衝撃は、今も鮮明に脳裏に焼き付いている。
「結果として、『聖遺物』の確保は……成りませんでした。部隊は壊滅に近い状態であり、これ以上の追跡は不可能です」
報告を終えたリーダーの肩は、わずかに震えていた。
電話の向こうでは、再び重い沈黙が支配した。
それは先程よりも長く、深く、そして冷たいものだった。
部下たちは、リーダーの背中を見つめながら、息を詰めていた。
電話の向こうの相手が、組織の中でも絶対的な権力を持つ存在であることを、彼らはその雰囲気から察していた。
やがて、氷を思わせる声が、厳しい詰問を始めた。作戦計画の不備、状況判断の甘さ、そして何よりも結果を出せなかったことへの責任。
リーダーは一言も弁解することなく、ただ「申し訳ありません」と繰り返しながら、神妙な面持ちでその言葉を受け止めていた。
額の汗は顎から滴り落ち、地面に小さな染みを作っていく。
どれほどの時間が経過しただろうか。
詰問はひとしきり続き、やがて電話の主は、淡々とした口調で撤退および再編成の指示を告げた。
その声には、もはや何の感情も込められていなかった。
「了解いたしました」
リーダーは脂汗を滲ませながら、そう答えるのが精一杯だった。
通信が切れ、ツー、ツー、という無機質な音が受話器から漏れる。
彼はゆっくりと受話器を置き、深いため息をついた。
部下たちに向き直り、低い声で撤退を指示する。
その双眸には、南川仁と由美、そしてあの謎の兵器に対する燃えるような憎悪と、電話の向こうの首領に対する絶対的な畏怖がないまぜになった、複雑で暗い光が宿っていた。
「行くぞ」
リーダーの言葉を合図に、彼らは再び闇の中へと歩き出す。
その背中には、敗北という名の重く冷たい空気が、亡霊のようにまとわりついていた。
彼らの姿が完全に闇に溶け込むと、そこにはただ、湿った夜風が通り過ぎる音と、遠くで鳴く虫の声だけが残された。
旧谷田部東パーキングエリア近郊の闇は、まだ明ける気配を見せなかった。
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東京の夜景を一望する、某超高層マンションの最上階。
そのペントハウスの一室は、静寂と緊張感に支配されていた。
広大なリビングは、一つ一つが最高級とわかる調度品で統一されていた。
床から天井まで続く巨大な窓ガラスの向こうには、まるで宝石箱をひっくり返したかのように、無数の都市の灯りが無限に広がっている。
その壮大な夜景を背に、部屋の主と思われる人物が、高級レザーソファに深く身を沈めていた。
シルエットは長身痩躯を思わせ、時折動く手元や、組まれた脚のラインから、ある種の威圧感と、神経質なまでの鋭敏さが感じ取れる。
顔立ちは意図的に影の中に隠されているのか、あるいは照明の加減か、はっきりとは見えない。
だが、その存在感だけで、部屋全体の空気を支配するには十分だった。
彼こそが、「終末の光」の首領なのであろう。
片手には、年代物のスコッチが注がれたクリスタルグラスが握られている。
その指は長く、爪は短く切り揃えられ、手入れが行き届いていることが窺える。
しかし、その指先は時折、微かに震えているようにも見え、内に秘めた激情を暗示していた。
部屋の隅に設置された通信機から、先程のリーダーとのやり取りを録音した音声が、抑揚のない機械的な声で再生されていた。
首領は、ソファに身を預けたまま、表情一つ変えずにその報告を聞いている。
その顔は、まるで精巧に作られた能面のように感情を読み取らせず、ただ、眼下に広がる夜景の光を鈍く反射しているだけだった。
しかし、報告が「詳細不明の大型多脚歩行兵器の出現」「『聖遺物』奪還失敗」といった核心部分に差し掛かるにつれて、首領がグラスを握る指に、かすかに力が込められていくのが見て取れた。
それはほんの僅かな変化だったが、部屋の温度が数度下がったかのような錯覚を覚えるほどの、凝縮された威圧感が周囲に放たれる。
ソファの傍らに控えていた、黒服に身を包んだ側近らしき男女の表情が、わずかに強張った。
やがて通信の再生が終わり、部屋に一瞬の静寂が訪れた。
それは、張り詰めた弦がいつ切れてもおかしくないような、危険な静寂だった。
首領はゆっくりとグラスを口元へ運んだ。
琥珀色の液体を一口、喉の奥へと流し込む。
そして、次の瞬間、手にしたクリスタルグラスを、眼前の大理石のテーブルに叩きつけた。
パリン!!
甲高い破壊音が、静寂を切り裂いた。
グラスは粉々に砕け散り、高価なスコッチと無数のガラス片が、磨き上げられたテーブルと床の上に無残に飛び散った。
側近たちは微動だにしない。
ただ、その視線は床に落ちた破片へと注がれていた。
「……使えぬ者どもめ」
低く、地を這うような声が、静寂を破った。
その声には、深い失望と、抑えようとしても抑えきれない、マグマのような憤怒の響きが混じり合っていた。
「切り札を切ってまで日本の警察組織の動きを抑えてやったというのに……この程度の成果も上げられんとは」
首領はゆっくりと立ち上がり、巨大な窓へと歩を進めた。
その背中は、怒りによってわずかに震えているように見えた。
眼下に広がるきらびやかな夜景を、まるで己の支配下にあるかのように見下ろすその姿は、絶対的な権力者のそれだった。
部屋の影から、いつの間にか現れた別の側近が、音もなく砕けたグラスの残骸を片付け始める。
その手際は機械的で、一切の感情を伴わない。
「しかし、正体不明の大型多脚歩行兵器にドローンが現れたか……やはりこの世は既に奴らの手に落ちているのだ……我らの教義は間違っていなかったという訳だ」
首領は、窓ガラスに映る自身の姿に語りかけるように、あるいは背後の側近たちに宣言するように呟いた。
その声には、奇妙な確信と、ある種の陶酔感が込められていた。
「我々、『終末の光』が、この腐りきった世界を救済しなければならんのだ」
狂信的な光が、その瞳の奥で揺らめいた。
「次のチームを編成しろ」
首領は、夜景から視線を外さぬまま、冷厳に命じた。
「今度のチームには、より優秀な者を選抜し、装備も最新鋭のものを与えろ。失敗は、二度と許されん」
「それから、この拠点は廃棄する。デジタル機器もすべて廃棄だ、一度海外へ拠点を移す」
その言葉は、絶対零度の冷たさを伴って部屋に響き渡った。
「『聖遺物』は、我ら終末の光が、愚かな異星人の支配から人類を解放するための唯一無二の至宝。必ずや、我々の手に入れるのだ」
首領の口元に、歪んだ、しかし確信に満ちた笑みが浮かんだ。
それは、冷酷非情な支配者の笑みであり、同時に、自らの正義を信じて疑わない狂信者の笑みでもあった。
その瞳は、眼下に広がる無数の光を反射し、底知れぬ野心と狂気を宿して、妖しく、そして不気味に輝いていた。




