5-11
ポッドの内部で、翔太の意識がゆっくりと浮上した。
瞼の裏で明滅していた光が収束し、ポッド内部のガラス面に表示された計器の数値が目に入る。
自身と同化しつつあるナノマシンが外部からの信号に反応する独特の感覚。
それは心地良いものではなく、むしろ全身を細かい針で刺されるような、微かな不快感を伴っていた。
『生体機能、正常値に復帰。検査プロセス、フェーズ4完了。覚醒シーケンスを開始します』
アーベルに似た合成音声が頭の中に直接響く。
意識が完全に覚醒し、昨夜の出来事が鮮明に蘇る。
倉庫での戦闘、チャンへの怒り、そして、恐怖に震える涼子の姿――。
「涼子……!」
思わず声が出た。
彼女は無事に目覚めただろうか?
自分がポッドに入っている間に何か変わったことは?
内部を満たしていた淡緑色のバイオ・メディカル・リキッドが急速に排出されていく。
ポッド前面のハッチが音もなくスライドし、新鮮な、しかしどこか人工的な空気が流れ込んできた。
翔太はゆっくりと身を起こし、ポッドの縁に濡れた手をついた。
まだ少し頭が重く、身体の芯がふらつく感覚がある。
やはりただの検査とはいえ、身体への負担も決して小さくはない。
銃創という明確なダメージからの回復にはまだ時間が掛かるようだ。
「……っ」
ポッドから床へ降り立った瞬間、軽い眩暈を覚えたが、すぐに持ち直す。
全身に纏わりつく液体を払いながら顔を上げると、部屋の入り口付近に立つ涼子の姿が目に入った。
彼女は、ポッドが開く音に気づいたのだろう。
驚いたようにこちらを振り向き、そして――その場で固まった。
「しょ、翔太さん……!」
涼子の顔が、見る見るうちに真っ赤に染まっていく。
それもそのはずだ。
ポッドから出てきたばかりの翔太は、当然ながら衣服を一切身に着けていない。
生まれたままの姿、というやつだ。
涼子は、思わず駆け寄ろうとしたのか、一歩踏み出しかけたが、直前で硬直し、次の瞬間にはサッと顔を横に向けた。
黒髪がさらりと揺れる。
「め、目が覚めたんですね! よ、良かった……!」
顔はこちらに向けないまま、明らかに上ずった声で言う。
その慌てぶりが、逆に今の状況の気まずさを強調していた。
翔太も、涼子の存在と自分の格好にようやく気づき、全身の血が頭に上るのを感じた。
「うわっ!? りょ、涼子!? い、いつの間に……!」
こちらも動揺し、思わず一歩後ずさる。
安堵の表情は一瞬で消え去り、羞恥と焦りで頭が真っ白になりかけた。
「涼子……良かった、無事に起きてくれて……って、いや、そうじゃなくて! ご、ごめん! その、これは……!」
しどろもどろになりながら、何かで身体を隠そうと辺りを見回すが、この殺風景な医療室には、シーツ一枚すらない。
涼子に駆け寄って無事を確認したい気持ちと、この裸を見られたくない羞恥心がごちゃ混ぜになり、どう動けばいいのか分からなくなった、その時。
二人の間に、すっとアーベルが割って入った。
その可愛らしい姿の黒猫は、いつも通り冷静さを保っているように見える。
「服を着てください、翔太さん」
しかし、その合成音声には、僅かながら呆れの響きが含まれていた。
「女性の前で裸体を晒す行為は、社会規範において非推奨行動に分類されると思います。特に、心的ストレスからの回復過程にある涼子さんに対しては、不必要な動揺を与える可能性が高く、極めて不適切と判断します」
「わ、分かってるよ! いちいち説明するな!」
翔太は顔を真っ赤にして叫び返した。
アーベルが用意していたらしい、シンプルなグレーのスウェット上下が球体に補助アームをつけたアーベルのサブユニットたちによって運ばれてくる。
そしてその衣服が近くの台の上に置かれた。
翔太はそれをひったくるように手に取り、壁の方を向いて慌てて身に着けた。
布地が肌に触れる感触に、ようやく少し人心地がつく。
「まったく……」
着替え終わって振り返ると、アーベルは涼子に向き直っていた。
「こちらに休憩用の部屋を用意しています。ソファもありますので、ゆっくりお話しできるかと。涼子さん、先にお待ちください」
涼子はまだ少し頬を赤らめながらも、こくりと頷いた。
翔太の方をちらりと見たが、すぐに視線を逸らし、アーベルに案内されるまま、隣接する小部屋へと入っていった。
ドアが閉まる直前、少しだけ不安そうな表情が見えた気がした。
翔太は深くため息をつき、自分の額を押さえた。
微妙な再会だ。
いや、生きて再会できたのだから微妙ではないのだが、気まずさで言えば最高レベルかもしれない。
「……行くか」
気を取り直し、翔太も涼子が入っていった部屋へ向かった。
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部屋の中は、医療室とは打って変わって、少し落ち着いた雰囲気だった。
壁は暖色系の色で塗られ、柔らかな間接照明が灯っている。
部屋の中央には簡素なローテーブルと、向かい合わせに置かれた二人掛けのソファ。
先に部屋に入っていた涼子は、窓の外――と言っても、おそらくはモニターに映し出された擬似的な風景だろう――を興味深そうに眺めていたが、翔太が入ってきたのに気づくと、ソファからゆっくりと立ち上がった。
今度は、彼女は真っ直ぐに翔太を見つめていた。
その大きな瞳は潤んでいて、様々な感情が渦巻いているのが見て取れた。
「翔太さん……!」
彼女は翔太の前に歩み寄ると、感極まったように声を震わせた。
「助けてくれて、本当に……本当に、ありがとう……!」
言葉と共に、堪えていた涙が堰を切ったように溢れ出した。
綺麗な頬を、大粒の涙がいくつも伝っていく。
「私、もうダメだって……思ってたから……。怖くて、寒くて……。でも、翔太さんの声が聞こえて……」
必死に言葉を紡ごうとするが、嗚咽が混じり、うまく続かない。
その姿は痛々しく、そして、翔太の心を強く揺さぶった。
涼子は手の甲で乱暴に涙を拭うと、もう一度、翔太の顔を見上げた。
「翔太さんが来てくれなかったら、私、今頃どうなっていたか……。本当に、感謝してもしきれません……!」
その表情には、恐怖から解放された安堵と、命の恩人への深い感謝、そして――隠しきれない、明確な好意が滲んでいた。
潤んだ瞳が、熱っぽく翔太を捉えている。
翔太は、そんな彼女の姿を、ただ黙って見つめていた。
彼女が無事だったことへの安堵感、彼女を守れたという達成感、そして、彼女が向けてくれる真っ直ぐな好意。
そのすべてが、温かい奔流となって翔太の胸を満たす。
今すぐ、その震える肩を抱きしめてやりたい。
大丈夫だ、もう何も心配いらないと、強く抱きしめて伝えたい。
衝動が、身体の奥底から突き上げてくる。
だが、その衝動は、ふと自分の両手を見た瞬間に、冷水を浴びせられたかのように急速に萎んだ。
ナノマシンによって修復された右目。
銃創があった場所は、ほとんど元の肉体と同じと言えるほど綺麗になっている。
だが、その肉体に微かな違和感がある。
自分の身体でありながら、どこか自分のものではないような、奇妙な感覚。
アーベルは「順調な回復」と言っていたが、翔太自身は感じ取っていた。
自分の中で、何かが決定的に変わりつつあることを。
人間としての境界線が、少しずつ曖昧になっていくような、漠然とした、しかし拭い難い不安。
この手で、涼子に触れてもいいのだろうか?
人間から少しズレてしまったかもしれない自分が、彼女の純粋な気持ちを受け止めても、本当にいいのだろうか?
また、彼女を危険な世界に引きずり込んでしまうだけではないのか?
葛藤が、翔太の心を蝕む。
湧き上がる温かい感情を無理やり心の奥底に押し込める。
表情から感情を消し、努めて冷静さを装う。
「……別に。当然のことをしたまでだ」
口から出たのは、自分でも驚くほど、冷たい声だった。
照れ隠し、というにはあまりにも素っ気なく、どこか壁を作るようなよそよそしさが含まれている。
以前、彼女と話していた時のような、気さくで砕けた響きは、そこにはなかった。
涼子は、翔太の予想外の反応に、一瞬、戸惑ったように目を瞬かせた。
溢れていた涙がぴたりと止まり、潤んだ瞳で、不思議そうに翔太の顔をじっと見つめる。彼の声のトーン、その表情に、何か今までとは違う、説明のつかない違和感を覚えたようだった。部屋の空気が、少しだけ、ぎこちなく凍りついた。




