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【受賞しました】裏山で拾ったのは、宇宙船のコアでした  作者: オテテヤワラカカニ(旧KEINO)


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5-7

 横浜の倉庫街を吹き抜ける風は、冬特有の鋭さで肌を刺した。

 海から運ばれてくる湿った冷気が、剥き出しの鉄骨を舐め、鼻腔の奥に錆と塩の混ざった独特の匂いを届けていた。


 近藤は、着古したパーカーのフードを目深に被り、悴んだ手でコンビニのビニール袋を握りしめていた。

 吐く息は白く濁り、すぐに闇に溶けて消える。


 左頬のあたりが、鈍く疼いた。


 昨日、チャンと共にアジトに誘拐してきた女――南川涼子に殴られた跡だ。


 薬から目覚めたばかりの状況にもかかわらず、あの女は恐怖よりも怒りを湛えた瞳で睨みつけ、渾身の力で殴りつけてきたのだ。


 あの女……いつか痛い目に合わせてやる。


 心の中で暗い闇が渦巻く。

 考えれば考えるほど、イライラした記憶が蘇る。


『近藤! さっさと飯を買ってこイ! 腹が減っタ!』


 幻聴のように、チャンの甲高い声が脳内で再生される。

 あの独特の、人を小馬鹿にしたようなイントネーションと、常に何かを探るようにギラついた爬虫類のような目。


 あの男は、近藤の生命線を物理的に握っていた。

 運転免許証、マイナンバーカード、いくつかの銀行のキャッシュカード、そして自身が逃亡するためのパスポート。

 それら全てが、チャンの手の中にあるはずだ。


 チャンがその気になってネットにでも晒そうものなら、社会的な命脈は完全に絶たれる。

 いや、もはや「社会的」などという体裁はとうに失われているのかもしれない。

 既に、人生そのものが終わっているのだ、たぶん。


 ほんの数ヶ月前まで、オーダーメイドではないにしろ、それなりに値の張るスーツに身を包み、部下に指示を飛ばす立場だった。

 課長の椅子に座り、安定した給料を得て、週末には気の進まない得意先とのゴルフに興じる。


 それが、ありふれた、しかし確かな日常だったはずだ。

 だが、たった一つの過ちが、脆い砂の城のように全てを崩壊させた。


 落ちぶれていく中で、翔太の家から盗みだせた除染技術に関する設計図。

 その設計図が致命的な誤情報――意図的に改竄されたデータだったことが露見し、関わった複数の企業から億単位の損害賠償請求を示唆された。

 なんなら後ろ暗い会社からは命を狙われている。


 恐怖に駆られて飛び出し、身分を偽って日雇いの仕事を転々とする日々。

 そんな逃亡生活の果てに、空港でチャンに捕獲された。


 弱みを握られ、文字通り生殺与奪の権を掌握されてしまった。


 今の近藤の「住まい」は、その倉庫ビルの3階にある一室だ。

 部屋とは名ばかりの、コンクリート打ちっぱなしの埃っぽい空間。

 窓にはひびが入り、壁には黒いカビが染みのように広がっている。

 そこに薄汚れたマットレスが一枚と、カビ臭い毛布が数枚。

 それが彼の生活空間の全てだった。


 チャンから与えられる「報酬」は、その日の空腹を満たすだけの最低限の食事と、チャンの機嫌が良い時に限り、施しのように与えられる安物の焼酎だけ。


 今日の「仕事」は、南川涼子の誘拐の手伝いだった。

 明日は、どこの港からか仕入れた怪しい薬物の運搬かもしれないし、あるいはもっと汚い、想像もしたくないような類の「仕事」かもしれない。


 断るという選択肢は、近藤にはなかった。


 コンビニからの帰り道、近藤はふと足を止めた。

 冷たいアスファルトを踏みしめ、自分が寝起きしている古びた倉庫ビルを見上げる。

 3階の窓から、頼りない、薄汚れた黄色い光が漏れていた。


 チャンは今頃、あの部屋で何を……。


 連れ込んだ南川涼子を、どう扱っているのだろうか。

 翔太を撃ち殺されたことを知り、絶望した女を前に、あの男は特有の粘つくような視線で嬲り、辱めているのかもしれない。


 想像すると、胃の腑が不快にざわついた。

 だが、その不快感の奥底に、どす黒い、歪んだ羨望が微かに蠢いているのを近藤は自覚していた。


 今の自分には何も無い。

 力も、金も、そして女さえも。

 全てを奪われた自分。


「…くそっ」


 小さく悪態をつき、再び歩き出そうとした、その瞬間だった。


 夜の静寂を切り裂いて、轟音が響き渡った。

 ビリビリと空気が震え、地面が微かに揺れる。

 それは単なる物音ではなかった。

 もっと破壊的な、構造物が軋み、砕け散るような衝撃音。

 音源は、見上げていた倉庫ビルの屋上付近らしかった。


 直後、屋根の一部から大量の粉塵が夜空に舞い上がった。

 間髪入れずに、閃光が走った。

 強烈な白い光が網膜を瞬き、天に向かって走る。


 次の瞬間、倉庫街を照らしていた街灯が一斉に消えた。

 ぷつり、と糸が切れるように暗闇が、急速に辺りを飲み込んでいく。


「うわっ!」


 近藤は驚きのあまり、手にしていたコンビニの袋を落とした。

 袋がアスファルトに叩きつけられ、中身の弁当やペットボトルが鈍い音を立てて転がり出る。


 しかし、それを拾う余裕はなかった。


 本能的な恐怖が、彼の身体を突き動かした。

 咄嗟に、一番近くにあった錆びた電柱の陰へと飛び込み、身を屈める。

 心臓が、肋骨を内側から激しく叩いていた。


「な、なんだ……? 何が起きたんだ……?」


 荒い息を整えながら、恐る恐る電柱の陰から倉庫ビルを見上げる。


 そして、近藤は自分の目を疑った。


 信じられない光景が、そこには広がっていた。

 闇に沈んだ倉庫の、破壊された屋根の残骸の中から、何かが浮かび上がってきた。


 それは、巨大な蜘蛛だった。

 だが、生物ではない。

 鈍い金属光沢を放つ、機械の蜘蛛だ。


 月光がわずかに雲間から差し込み、その異様な姿を照らし出す。

 しなやかに、しかし滑らかに動く8本の金属製の脚。

 全長は…3メートルは優にあるだろうか。

 いや、もっと大きいかもしれない。

 それは、まるで軍事用ドローンと多脚歩行ロボットが悪夢の中で融合したかのような、異形の機械だった。


 近藤は息を殺し、身じろぎもせずにその光景を見つめていた。


 恐怖で全身の血が凍りつくような感覚。現実感が希薄になっていく。


 次の瞬間、信じられないことが起こった。


 巨大な蜘蛛の輪郭がぐにゃりと歪んだ。

 まるで陽炎のように。

 そして、次の瞬間には、フッと掻き消えるように透明になり、夜空の闇に完全に溶け込んでしまったのだ。

 何の音も、痕跡も残さずに。

 光学迷彩、とでもいうのだろうか。


「……ぁ……」


 声にならない声が、近藤の喉から漏れた。

 腰が抜け、その場にへなへなと尻餅をつく。

 ガタガタと膝が震え、止めどなく冷や汗が背筋を伝っていくのが分かった。


 さっきまでの寒さなど、どこかに吹き飛んでしまっていた。


 ただ、圧倒的な理解不能な存在への恐怖だけが、全身を支配していた。


 遠くから、微かにサイレンの音が聞こえ始めた。

 徐々に、その音は大きくなってくる。

 警察か、あるいは消防か。


 どちらにせよ、チャンのアジトが、とんでもないトラブルに巻き込まれたことだけは確かだった。


 あの機械蜘蛛は、一体何だったのか?

 誰が、何のために? チャンは? あの女は?


 考える余裕はなかった。

 恐怖が、近藤の思考を麻痺させていた。


 ただ、ここから逃げなければならない。


 その一心だけが、彼を突き動かしていた。


 近藤は、震える脚でよろよろと立ち上がると、先ほど落としたコンビニの袋には目もくれず、倉庫ビルに背を向け、闇の中へと無我夢中で走り出した。


 コンビニ弁当とペットボトルが、電柱の影に転がっていた。


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