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「なあ、アーベル。一つ疑問なんだが」
多脚機――トランスポート・ユニットとリンクしたまま、翔太は思考を通じて問いかけた。
意識は鋼鉄の巨体と融合し、その感覚は未だに完全に馴染んだとは言えない。
脳裏には、先ほどまでの出来事がめまぐるしく去来する。
人質となった涼子、自らが受けた致命傷、ナノマシンによる蘇生、銀河連盟の市民権、そしてリンクしている異形の機械。
あまりにもSFすぎる状況の連続に、どこか現実感が希薄で、まるで自分が壮大な映画の登場人物にでもなったかのようだ。
それでも、揺るぎない事実は一つだけある。
涼子を救い出さなければならない。
そのためならば、どんな非現実的な手段であろうと受け入れる覚悟はできていた。
「俺がこうして操るんじゃなくて、いっそお前が直接、この機体で乗り込んで涼子を救助するってのはダメなのか? その方が確実で早いんじゃないか?」
『それは、残念ながら難しいのです』
アーベルの声が、脳内に直接、しかし冷静に響く。
『現在の銀河連盟法において、私は連盟市民ではない涼子さん個人に対して、直接的な救助活動を行う権限を持ちません。彼女の状況を監視し、情報を収集することは可能ですが、実力による介入は原則としてできず、“傍観”という立場に限定されます』
「……規則ってやつか。厄介だな」
翔太は思わず溜息をついた。
宇宙規模のテクノロジーを持ちながら、そんな制約があるとは。
『ええ。ですが、翔太さん、貴方が主体となって行動することで変わります。貴方が“銀河連盟市民である自身の判断に基づき、危機に瀕した親しい人物を救出する”という行動を取る場合、私は“その行動を支援し、市民である貴方の安全を確保する”という大義名分を得て、この機体の能力を含む、私の持つリソースを最大限に活用することが可能となるのです』
「そういうことか……なるほどな。建前が必要ってわけだ。なんだか、お前も難儀な規則に縛られてるんだな、アーベル」
『……困ったものです』
アーベルは、機体内にホログラムとして投影されている小さな黒猫の姿のまま、ふさふさとした尻尾をぱたり、と静かに揺らした。
そのエメラルドの瞳には、高性能AIである彼女らしからぬ、どこか人間的な、あるいは寂しさにも似た複雑な色が浮かんでいるように翔太には見えた。
会話が途切れた頃、地下施設のハッチが静かに開き、外の空気が流れ込んできた。
先ほどまで降り続いていた雨は止み、湿り気を帯びた夜の空気が、草と土の匂いを運んでくる。
空は厚い雲に覆われ、星は見えない。
夕闇が完全に支配する時間帯になっていた。
八本の脚を巧みに操り、翔太(というより、翔太とリンクした機体)は地上へと歩み出た。
その瞬間、頭上に待機していた存在に気づく。
音もなく中空に浮かぶ、大型のドローン。
三つの大きな回転翼を持つ無人機は、まるで巨大な円盤のように静止している。
三角形の頂点に配置された三つの巨大なローターは、まるで捕食者の複眼のように不気味な静粛さで回転している。
機体中央部はコンテナ化されたモジュールユニットになっており、人間一人がちょうど収容できそうなサイズの、流線型のポッドが懸架されていた。
『翔太さん。追跡情報によれば、対象車両は横浜方面へ向かった後、動きを止めています。これより、この輸送ドローンを用いて、トランスポート・ユニットごと現場付近まで直接移動します。地上を走行して移動するよりも、大幅な時間短縮と、発見リスクの低減が見込めます』
「なるほどな。確かにこの図体で高速道路を走るわけにもいかないしな」
翔太は納得しつつ、ドローンから吊り下げられているポッドへと視線を向けた。
どこか既視感のある質感と色。
トランスポート・ユニット本体と同じ、光を鈍く反射する青黒いマットな外装。
おそらく、これも熱光学迷彩が施されているのだろう。
『そのポッドは、涼子さんを安全に回収するための保護ユニットです。内部には簡易的な生命維持装置と医療モニター機能、そして外部からの衝撃や銃撃に耐える装甲、有毒ガス等を遮断する気密性も備えています』
「つまり、このポッドに無事に涼子を収容できるかどうかが、今回の作戦の成否を分ける、肝になるってわけか」
『その通りです。目標地点への侵入経路及び敵性存在の配置予測は現在も分析中ですが、基本プランは変わりません。目標地点までは完全ステルスで接近。突入後は可能な限り迅速に対象を制圧、もしくは無力化し、涼子さんをポッドへ回収。その後、即座に離脱します。全ては時間との勝負になります』
翔太の視界――正確には機体のメインセンサーとリンクした彼の意識に、AR(拡張現実)によるガイド表示がオーバーレイで浮かび上がった。
それによると、トランスポート・ユニットの上部、やや後方に位置する平坦なプラットフォームに、あの回収ポッドがぴったりと接続できる構造になっているらしい。
ガイド表示に従い、翔太は思考によって機体をゆっくりと後退させ、ドローンがポッドを降下させるのに合わせて位置を調整する。
まるで巨大なバックパックを背負うように、ポッドが機体のプラットフォームに収まった瞬間、「カチッ」という小気味良い金属音と共にロックが掛かった。
自動で固定されたようだ。
次に、翔太は意識を上空の輸送ドローンへと向ける。
ドローンから、機体を吊り上げるための接続アームが数本、ゆっくりと降りてくる。
指示に従い、トランスポート・ユニットの八本の脚のうち、バランスを取るために指定された四本を、まるで昆虫が脚を折り畳むかのように器用に動かし、アーム先端の接続部とドッキングさせる。
全ての接続が完了した瞬間、二つの巨大な機械が完全に一つとなり、システムが自動で連携を開始する。
『接続完了。機体固定を確認。自動安定モードに移行。制御補助システム起動……上昇を開始します』
アーベルの冷静なアナウンスと共に、ふわり、と翔太の意識が浮上した。
いや、物理的に機体ごと空へと持ち上げられているのだ。
地面が急速に遠ざかっていく。
眼下に広がる裏山の木々が、あっという間に小さくなる。
驚くほど静かだった。
大型ドローンの回転翼が発生させているであろう強大な揚力に反して、不快な騒音や振動はほとんど感じられない。
高度な制振技術とノイズキャンセリングが機能しているのだろう。
視界の先、墨絵のような山の稜線を越えると、その向こうには広大な関東平野の無数の灯りが、地上に散りばめられた星々のように微かに瞬いている。
『目標地点は、横浜市・港湾地区の倉庫街です。現在、対象車両が停止している座標を表示します』
視界の右上に表示された広域マップには、横浜港付近を示すエリアに、赤く点滅するマーカーが表示された。
そこが目的地だ。
『敵の潜伏拠点は、三階建ての古い倉庫ビルである可能性が高いと分析されています。熱源反応及び通信傍受の断片情報から、涼子さんはそのビル内部、おそらくは最上階で拘束されているものと推測されます』
翔太は、機体とリンクしたまま、深く息を吸い込んだ。思考を通じて、昂ぶる神経を落ち着かせようと試みる。
――涼子。
必ず、迎えに行く。
「アーベル、熱光学迷彩の展開を頼む。ここからは完全に隠れていこう」
『了解。熱光学迷彩、及び熱源ノイズ投影システムを展開します』
アーベルの応答と共に、ドローン、トランスポート・ユニット、そして背負ったポッドの表面が、水面が波紋を広げるように微かに揺らめいた。
古いテレビの砂嵐のような、ごく微細なノイズ音が響き、巨大な機体が周囲の夜景に溶け込むように、その姿を急速に希薄にしていく。
完全な不可視ではない。
だが夜の闇と、これから取るであろう高度がその効果を補完するには十分だった。
『各種ジャマー機能も有効化。レーダー探知、赤外線探知や追尾ミサイル等による捕捉も回避可能です』
「流石にミサイルまでは飛んでこないと思うけどな……まあ、備えあれば憂いなし、か。頼りにしてるぞ、相棒」
翔太は、苦笑しながら言った。
『光栄です、翔太さん』
アーベルは、どこまでも冷静に、しかしその声には確かな信頼感が込められているように感じられた。
深夜の闇の中を、一つの巨大な影が、音もなく西へと飛翔していく。
千葉の山間部から、東京湾を越え、目指すは横浜の港。
空を切り裂く轟音もなく、大地を踏み鳴らす振動もなく。
ただ静かに、ただ確実に、目標へと向かって。
彼らがこれから飛び込もうとしている場所には、人間の醜い欲望、短絡的な暴力、そして囚われた者の恐怖が渦巻いているだろう。
だが、彼らはその闇に飲まれることなく、ただ一つの目的のために進む。
かけがえのない、一人の命を取り戻すために。
翔太とアーベルの反撃の物語は、静かに、しかし確かに次の幕を開けようとしていた。




