4-5
巨大な組立棟の天井から、朝の光が柔らかく差し込んでいた。
コンクリートと鉄の壁に囲まれた広大な空間には、冷たい空気が静かに漂う。
高所に設置されたクレーンのフックから微かに軋む音が響き、鋼鉄の梁がその重みにわずかに撓む。
巨大な機械たちがどこか荘厳な雰囲気を漂わせていた。
その組立棟の中央には、全長32メートルの白い筒が厳かにそびえ立っていた。
およそオフィスビルの7~8階分に匹敵するその大きさは、初めて見る者を圧倒する。
第一段主エンジンには、アーベルと翔太が提供したハイブリッドパルスロケット(HPR)が搭載され、その革新的な技術がこのロケットの心臓部を担っている。
そして第二段には、サキシマ重工がJAXA向けに開発してきたN-IIBロケット用のLE-5Cエンジンが組み込まれていた。
信頼性の向上と製造コストの削減を目的として開発され、最新のN-3ロケットにも搭載されている非常に優れたロケットエンジンだ。
翔太は思わず天を仰ぐようにロケットを見上げていた。
白灰色の外装に、検査用の赤や青のラインが走り、まるで生き物の静脈のように機体を彩っている。
その姿は、静かでありながらも内に秘めた強大な力を感じさせるものだった。
「こんな間近でロケットを見たのは初めてです……なんというか、ここまで大きく感じるんですね。」
声には驚きと感動が混じっていた。
子どもの頃、図鑑やテレビでしか見たことのなかったロケットが、今、目の前に立っている。
冷たい金属の感触が伝わってくるほどの距離に、翔太の胸は高鳴っていた。
その周囲では、ARグラスを装着した技術者たちが忙しなく動き回っていた。
彼らはアーベルが提供した可視化システムを活用し、リアルタイムで数値を照合している。
タブレットに映し出される仮想構造と実際の機体を見比べ、何度もズレがないかを確認するその姿は、まるで精密な手術を行う医師のようだった。
時折、技術者同士が短い言葉を交わし、緊張感と集中力が空間を満たしていた。
ロケットの隣には、衛星の搭載を待つフェアリングが置かれていた。
その表面には、なぜかキメ顔のキャラクターイラストが描かれている。
白い宇宙服を模したアイドル衣装に身を包んだ男性が、ウインクしながらピースサインを決めているその絵は、明らかにこの場にそぐわないほど軽い雰囲気だった。
「……崎島さん、このフェアリングの絵、もしかして……」
翔太が口を開くと、崎島健吾がにやりと笑って頷いた。
「ああ、いいだろう?私の推しだよ。サキシマ重工の広告塔にもなってもらってる。**宇推晴輝**っていうVtuberなんだが……君も知ってるのか?」
その名を聞いた瞬間、翔太の目が輝いた。
「そりゃもう!宇宙系Vtuberといえば彼しかいませんよ!ロケットおじさん!」
興奮を抑えきれず声を弾ませる翔太に、崎島も嬉しそうに笑った。
まるで長年の友と推しを語り合うような熱が、二人の間に生まれていた。
宇推晴輝——個人で活動するロケット解説系Vtuberだ。
実際の打ち上げ現場に関わる人脈を活かし、YourTubeやYで打ち上げ実況や科学解説を行う彼は、宇宙開発ファンから圧倒的な支持を受けていた。
少しハスキーな声で語るロケットの仕組みや、打ち上げの裏話を披露するそのスタイルは、オタク心をくすぐるものだった。
翔太は、彼のチャンネル登録者数がまだ数十人だった頃からの古参リスナーで、晴輝の成長をずっと見守ってきたのだ。
「最近、技術系オタクの中でも宇宙ファンは増えてきた。彼の存在はほんとデカいよな……」
翔太が感慨深げに言うと、崎島が深く頷いた。
「まったくだ。晴輝くんがいなかったら、うちの若い技術者はロケットなんか興味もなかったかもしれんよ。あの人の解説のおかげで、ロケットに関わる仕事がしたいって思う若者が増えたんだ。」
二人の会話は止まらない。
晴輝の名場面や、彼が過去に配信で語ったロケット雑学のエピソードが次々と飛び出し、組立棟の中で異様な盛り上がりを見せていた。
だが、そんな二人を少し離れた場所から、やや冷めた目で見つめる者がいた。
南川涼子だ。
彼女は腕を組んで立ったまま、フェアリングのイラストを一瞥した。
「また男共だけで盛り上がってる……。で、あのキメ顔が宇宙へ飛んでいくわけね……」
その声には呆れと、どこか諦めのような響きがあった。
フェアリングに描かれた晴輝のイラストは宇宙に旅立つロケットの一部としては異質で、少し「イタい」とさえ感じるデザインだ。
だが、翔太と崎島にとっては、それが最高のスパイスのようだった。
「涼子だって、晴輝の配信見たことあるでしょ?あの『打ち上げカウントダウン実況』のテンション、たまんないだろ?」
翔太が振り返って言うと、涼子は小さく鼻を鳴らした。
「見たわよ。あの『3、2、1、リフトオフ!』って叫ぶやつでしょ。確かにテンションは高いけど……それがこの絵に繋がる理由がわからない。」
「それはね、情熱だよ、涼子君。」
崎島が笑いながら割り込んだ。
「ロケットってのはただの機械じゃない。夢を乗せる乗り物なんだ。このフェアリングに晴輝くんの顔があることで、宇宙を目指す若者たちに『俺たちの推しが宇宙に行く』って夢を伝えられるだろ?」
その言葉に、翔太が深く頷いた。
涼子は一瞬黙り込んだが、やがて小さく笑った。
「……まあ、そういう熱がなきゃ、この仕事やってられないか。」
彼女の視線が、再びロケットへと戻る。
その白い機体は、朝の光を受けて静かに輝いていた。
アーベルが提供した技術、崎島の情熱、そして翔太の小さな夢——それらが一つになって、このロケットは宇宙へと飛び立とうとしている。
組立棟の中では、技術者たちの動きが一段と加速していた。
クレーンの音が響き、フェアリングの前に移動する。
「いよいよだな……。」
呟きが口から漏れた。
そんな翔太の呟きをARグラスのマイク越しにアーベルが聞いていた。
サキシマ重工の駐車場に停められたトラックの助手席にいたアーベルは静かに頷く。
「ようやく私の目的に一歩近づける……」
エメラルド色の瞳が、遠くに見えるロケット組立棟を見上げていた。
朝の光がその瞳に反射し、まるで星のように輝いた。




