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数日後、千葉湾岸を西へ向かうトラックが、朝の陽光を浴びながら走っていた。
その荷台には、小惑星探査機に偽装された工作機が慎重に固定されている。
運転席には、南川涼子が座っていた。
彼女のハンドル捌きは素晴らしく、まるでトラックと一体になったかのようだった。
交通量の多い首都圏の高速をスイスイと進んでいく。
都会の喧騒が窓の外を流れていく中、涼子の表情は落ち着いていた。
ショートカットの黒髪が靡き、鋭い眼差しで前方を見つめている。
助手席の翔太は、膝に置いたタブレットで目的地への案内を確認しながら呟いた。
「アクアライン、渋滞していないみたいだ。首都高も事故ってない。」
涼子がちらりと視線を寄越すと、口元に微かな笑みが浮かんだ。
「このままなら、海老名で昼飯いけるね。」
トラックは東京アクアラインを抜け、首都高速湾岸線を滑るように進んだ。
保土ヶ谷バイパスを過ぎ、やがて東名高速へと入る。
青空の下、風を切って走るトラックの振動が心地よく響いていた。
二人の間にちょこんと座る黒猫の姿のアーベルは、エメラルド色の瞳を窓の外に向け、通り過ぎる景色を静かに眺めていた。
その小さな身体が、時折揺れるたびに毛並みが微かに波打っていた。
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トラックが海老名サービスエリアに滑り込むと、翔太と涼子は同時にドアを開けて飛び出した。
長時間の運転で固まった身体をほぐすように軽く伸びをしながら、二人は駆け足でフードコートへと向かった。
空腹が二人を急がせていた。
注文したのはシンプルな牛丼。
プラスチックの丼から立ち上る温かい湯気と、甘辛いタレの香ばしさが鼻腔をくすぐる。
翔太は箸を手に取ると、一気に口へ運んだ。
「……うまっ。」
涼子も頷きながら、牛丼にセットで付けた豚汁を啜る。
「うん、やっぱり運転中のご飯といえばこれよね。」
二人の間に無駄な会話はなかった。
ただ、ひたすらに牛丼をかき込むその姿は、フードコートに屯する他の運送ドライバーたちと何ら変わらない。
喧騒の中で、丼を手に持つ者、味噌汁をすする者、仲間と笑い合う者——その中に溶け込んでいた。
早食い競争のように食べ終えた翔太が立ち上がり、ふと売店の横に目をやると、ある商品が視界に入った。
海老名メロンパンだ。
ふわふわの生地に、薄く甘いビスケット生地が被さった、あの人気商品。
手に取った瞬間、翔太の脳裏に以前の記憶が蘇った。
以前のドライブ途中で、アーベルにメロンパンを食べさせた時のこと。
あの黒猫姿の宇宙船のコアが、初めて甘いものを口にした子どものように目を丸くして驚いた顔が、今でも鮮明に残っている。
「買っとくか。」
翔太は呟き、メロンパンと小さな紙パックの牛乳を手にレジへ向かった。
車内に戻ると、アーベルが助手席でじっと待っていた。
翔太がメロンパンと牛乳を差し出すと、アーベルの瞳が一瞬輝いたように見えた。
小さな前足で慎重にそれを受け取り、まるで宝物でも扱うように包みを開ける。
「ありがとうございます。これは……高度に設計された味ですね。飽きが来ません。」
人工知能らしい分析的な感想だったが、その声にはどこか人間臭い温かみが混じっていた。
翔太は助手席の背もたれに凭れながら、アーベルが前脚で器用にメロンパンをちぎって口に運ぶ姿を眺めた。
小さな口がもぐもぐと動くたび、なぜか心が和むのを感じた。
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トラックは新東名、東名阪道を抜け、やがて紀伊自動車道へと進んでいた。
夕陽が地平線に沈み、空がオレンジと紫に染まる頃、彼らは岸和田サービスエリアに到着した。
長距離の運転で疲れた身体を休めるため、二人は再びトラックを降り、サービスエリア内の飲食店へと足を向けた。
夕食に選んだのは、ボール軒の「蔵出し和歌山中華そば」。
醤油の芳醇な香りと豚骨の深いコクが溶け合ったスープに、細麺が絡む一品だ。
丼がテーブルに置かれた瞬間、湯気が立ち上り、疲れた身体に染み渡るような温かさが広がった。
「……沁みる。」
翔太がスープを啜りながら呟くと、涼子が箸を止めて頷いた。
「この醤油……濃いけど、くどくないね。」
二人はまたしても言葉少なに食べ進めた。
スープを飲み干し、丼を空にした時、互いに顔を見合わせて小さく笑った。
疲れと空腹が満たされていく瞬間は、何よりも贅沢だった。
食後、翔太は売店をぶらつきながら何かアーベルへの土産になるものはないかと探した。
メロンパンは見当たらなかったが、代わりに「みかんパン」が目に留まった。
鮮やかなオレンジ色のパッケージが、紀州らしい風情を漂わせている。
翔太はそれを手に取り、車内に戻った。
アーベルにみかんパンを渡すと、またしてもその瞳が輝いた。
小さな前足で袋を破り、一口かじると、アーベルは静かに言った。
「これも……良いですね。果実の酸味とパン生地の甘みのバランスが絶妙です。」
的確なコメントながら、その口元には満足そうな空気が漂っていた。
翔太は助手席に座り直し、アーベルがみかんパンを食べる姿を見ながら、ふと考える。
この黒猫型の存在が、こんなにも自然に旅の仲間として馴染んでいることに、不思議な感慨を覚えた。
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夜が深まった頃、トラックはついに目的地へと辿り着いた。
和歌山沿岸にあるサキシマ重工の工場だ。
暗闇の中にそびえる巨大な施設の正門前で、トラックが停まると、ひとりの男が腕を組んで立っていた。
崎島健吾——サキシマ重工の社長であり、ロケット技術の責任者。
がっしりとした体格に、日に焼けた顔。眼光鋭く、それでいてどこか温かみのある笑みを浮かべていた。
「よく来たな、翔太君。」
崎島がそう言ってトラックの荷台に目をやると、翔太は助手席から降りて軽く頭を下げた。
「ロケットの準備はすでに整ってる。あとは、最後の組み立てを始めるだけだ。」
崎島の声は力強く、希望に満ちていた。
翔太は頷きながら、荷台に積まれた偽装小惑星探査機を一瞥した。
その中には、アーベルのナノマシンが作り上げたモグラ型?の工作機が収まっている。
宇宙へと旅立つその機械を思い浮かべると、少し不思議な気持ちになる。
涼子が運転席から降りてきて、崎島に軽く会釈した。
アーベルも助手席から飛び降り、三人の間にちょこんと座る。
夜の冷たい風が工場周辺を吹き抜け、遠くで波の音が聞こえた。
翔太は空を見上げた。
星々が瞬く夜空の下で、彼らは新たな段階へと進もうとしていた。
この先に何が待っているのかはわからない。
だが、アーベル、涼子と共に歩むこの道に、翔太は確かな手応えを感じていた。
「さて、ここからどうなるか……だな。」
翔太の呟きに、涼子が小さく笑い、アーベルが静かに頷いた。
崎島が翔太の肩を叩き、工場の中へと案内する。
そんな3人と1匹を月明かりが優しく照らしていた。




