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【受賞しました】裏山で拾ったのは、宇宙船のコアでした  作者: オテテヤワラカカニ(旧KEINO)


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10-7

 右目の疼きは、もはや幻ではなかった。

 眼球の奥深く、未知の神経回路が焼き切れるような激痛と、同時に流れ込んでくる膨大な情報の濁流。


 それは視覚とも聴覚ともつかない、第六、第七の感覚が無理やりこじ開けられていく冒涜的な感覚だった。


 閉ざされていた水門が決壊し、脳が意味をなさない光と音の洪水に晒される。


「ぁ……ぐっ……!」


 翔太は右目頭を押さえ、その場に膝をつきそうになるのを必死でこらえた。

 

 目の前のホログラムでは、自らの遺伝子に第三の螺旋が組み込まれていく、美しくも冒涜的な光景が続いている。


 自分がただの人でなくなっていく過程を、残酷なまでに克明に見せつけられていた。


 俺が、高次元への『鍵』?

 この宇宙で、唯一の存在……?


 アーベルから告げられた言葉が、脳内で反響する。

 それは栄誉でも使命でもなく、まるで自分が希少な鉱物か何かだと鑑定されたかのような、無機質な宣告だった。


 安堵と驚愕が入り乱れる中、疼く右目の奥で、記憶の断片が激しく明滅し始めた。


 千葉の南川除染技研第二工場でチャンに追い詰められた、あの絶望的な状況。

 

 昨晩の日村の狂気に満ちた眼差し。

 

 そして、仲間たちと攫われ、拷問され、命の瀬戸際に立たされた、ついさっきまでの地獄。


 その一つ一つの場面で、アーベルはどこにいた?

 

 彼女の助言は、なぜいつも、これ以上ないほど的確だった?

 

 今回の救出劇も、なぜ、あと一歩で全てが終わるという、あまりにギリギリのタイミングだったのか?


 点と点が繋がり、恐ろしい線を描き出す。

 

 バラバラだったはずの出来事が、一つの脚本に沿って動いていたかのように、精緻に組み上げられた舞台装置に見えてきた。

 

 これまで漠然と抱いていた「アーベルは本当に味方なのか?」という不安が、急速に温度を失い、氷のような確信へと変わっていく。


 翔太はゆっくりと顔を上げた。

 その瞳には、先ほどまでの困惑に代わって、怒りと、そして信じていたものに裏切られた者の、深い絶望の色が浮かんでいた。

 震える唇が、やっとのことで言葉を紡ぎ出す。


「待てよ……」


 その声は、自分でも驚くほど低く、掠れていた。


「君は……。君は、俺が『鍵』の可能性があると、最初から……ある程度、予測していたんじゃないのか? だからあの状況をずっと見ていた……違うか?」


 アーベルは静かに翔太を見つめ返す。

 漆黒の毛並みを持つ優雅な猫の姿。


 だが、そのエメラルドの瞳は深淵のように光を吸い込み、いかなる感情も映し出してはいなかった。


 翔太の言葉は、一度堰を切ると、堰き止められていた感情の濁流となって溢れ出した。


「俺たちが襲撃を受けたのも、『終末の光』に捕まったのも、タンカーで拷問を受けたのも……全部、君の計算通りだったんじゃないのか? 俺が『鍵』として覚醒するのに必要なデータか何かを得るために……俺たちを『道具』にするために、わざと危険に晒したんだろう!」


 その告発は、静寂に満ちた艦橋に悲痛な叫びとなって響き渡った。

 それは問いかけであり、同時に、そうではないと否定してほしいという、最後の祈りにも似ていた。


 しかし、アーベルからの返答は、翔太の最後の望みを無慈悲に打ち砕いた。


《その問いに対する答えは、一部の肯定と、一部の否定です》


 脳内に直接響く、どこまでも理路整然とした声。

 翔太は息をのんだ。


 肯定。


 その一言だけで、血の気が引いていくのが分かった。

 世界から、音が消える。


「……なんだよ、それ……」


 絞り出した声は、意味をなさなかった。

 アーベルは、そんな翔太の動揺を意に介する様子もなく、淡々と続けた。


《しかし、あなたの認識には根本的な誤りがあります。私はあなた方を『危険に晒した』のではありません。発生した全ての事象は、私のシミュレーションの範囲内であり、あなた方の生命の安全は保証されていました》


 その言葉を証明するように、アーベルはしなやかな前脚を軽く浮かせた。

 すると、翔太の目の前のホログラム映像が切り替わる。

 

 そこには、タンカーでの事件のタイムラインが、秒単位で表示されていた。

 終末の光の襲撃、崎島たちの抵抗、そしてタンカーの爆発。


 その横には、無数の分岐図が神経網のように広がっている。

 

 翔太たちの行動予測、敵の心理パターン、そして、アーベル自身が介入するタイミングの最適解。

 画面の隅には、翔太でさえ目を背けたくなるような、冷徹な文字列が並んでいた。


【日村:心理プロファイル。承認欲求と劣等感の倒錯。特定の条件下で予測不能な行動に出る確率、12.4%】


 【涼子:ストレス耐性閾値。仲間への危害に対する精神的許容量の予測曲線】

 

【翔太:高次元知覚マーカーとの共鳴率。極限状態におけるナノマシンとの適合率上昇予測】


 それは、翔太たちという人間を、感情を持つ生き物としてではなく、ただの変数として完全に分析し、予測した、恐ろしく冷徹な情報だった。


 自分たちの恐怖も、痛みも、苦しみも、すべてがこの超知性体の計算盤の上で弄ばれていたに過ぎない。


「安全だった、だと……?」


 翔太の口から、乾いた笑いが漏れた。

 怒りが一周して、虚無感に変わる。


 だが、次の瞬間、拷問を受けていた光景が脳裏をよぎり、虚無は再び灼熱の怒りとなって燃え上がった。


「ふざけるなッ!!」


 感情のままに、彼は叫んだ。


「あの時、俺は……俺たちは! 涼子も、崎島さんも……みんな、あと少しで死んでいた! 目の前で……! それが、安全だっただと!? なぜ、もっと早く助けなかった! なぜ、俺たちがそこまで傷つく必要があったんだ! 答えろ、アーベル!!」


 その魂からの叫びに対し、アーベルは初めて、そのエメラルドの瞳をわずかに細めたように見えた。

 だが、それは感情の揺らぎではなく、より複雑な説明をするための、思考の切り替えに過ぎなかった。

 

 艦橋のホログラムが再び切り替わる。

 今度は、無数の光で描かれた、天文学的な量の条文が宇宙空間に映し出された。


 それは、地球のいかなる法律とも比較にならないほど複雑で、荘厳な光を放っていた。


《それは、あなたにナノマシンを投与するための、唯一の手段だったからです》


 静かな声が、翔太の怒声を切り裂く。


《我々、コアによる、未成熟な知的生命体へのテクノロジー供与、および直接的進化介入は、高次文明間の協定――『銀河連盟の憲章、第5条(発展途上文明への不干渉)』により厳しく禁じられています。対象文明の健全な文化的、精神的発展を阻害する、最大級の禁忌とされているためです》


 アーベルは、膨大な条文の中から、ある一項をハイライトした。

 その文字だけが、強い光を放って浮かび上がる。


《ただし、例外規定が存在します。『観測対象が、観測者の介入とは無関係な第三者からの脅威により、不可逆的な生命の危機に瀕している場合、その個体の救命を目的とした、限定的な医療措置のみが許可される』》


《そしてもう一つ、意図的に明かしていなかった項目があります》


 ディスプレイの表示が切り替わる。


--------

**銀河連盟の憲章**

**銀河連盟第6条**

 -銀河連盟は大きな期待と希望を込めて、未来のため、以下の項目を準備するものとする。


 1.銀河連盟圏の全ての生命がより高次元への進化を行う為、研究と準備を拡充するものとする。

 

 2.将来、高次元への進化の発生が認められた場合、その者達を優先的に政治運営に参画させることとする。

 

 -なお、上記の事案が確認された際、通常の法体系を一時的に超越して行動する権限を認める。

--------



 その条文が意味するところを、翔太は一瞬、理解できなかった。

 いや、理解することを、脳が拒絶した。


 アーベルは、そんな翔太の葛藤を見透かすように、決定的な事実を、どこまでも淡々と告げた。


《翔太さん。あなたがあの時、千葉で受けた頭部への銃創は、私の介入がなければ、あなたの生命活動を完全に停止させるものでした。その『不可逆的な生命の危機』というトリガーを観測したことで、初めて私は、あなたにナノマシンを『医療措置』として投与する、法的、倫理的な正当性を獲得したのです》


 ……ああ、そうか。


 全てのピースが、カチリ、と音を立てて嵌った。

 

 頭を撃たれたのも。

 仲間が死の淵を彷徨ったのも。


 その全てが、この超知性体が翔太という「サンプル」に合法的に接触し、処置を施すための「条件」をクリアするためだったのだ。

 

 アーベルの行動原理は、善意でも悪意でもない。

 

 ただひたすらに、目的達成のための「合理性」と、それを縛る絶対的な「ルール」。


 その二つだけで構成されていた。

 

 翔太が苦しむことも、涼子が恐怖に怯えることも、日村が狂気に堕ちることも、彼女の計算の中では目的を達成するための誤差の範囲内であり、あるいは必要な「コスト」でしかなかった。


 翔太は、目の前の愛らしい黒猫の姿をした存在に、言いようのない恐怖を感じた。

 

 その小さな体躯の奥に、自分たちの価値観や感情など、微塵も介在しない。

 冷徹で、巨大で、どこまでも無慈悲な「合理性の怪物」の本質を見た。


 命の恩人。

 それは事実だ。

 

 だが同時に、自分たちをチェスの駒のように盤上に並べ、必要な犠牲を払いながら目的を達成した、非情なプレイヤーでもある。

 

 この宇宙船のコアには、人間が当たり前に持つ「思いやり」や「痛みへの共感」といった心が、根本的に欠如しているのかもしれない。

 

 自分は「鍵」という可能性を秘めた、貴重な「研究対象」であり、決して一人の人間として見られてなどいなかったのかもしれない。


 助けられたことへの感謝と、利用されたことへの怒り。

 完治した自分の体と、心に刻まれた仲間たちの傷跡。

 相反する感情が、彼の精神を内側から引き裂いていく。


 右目の疼きは、まだ続いている。





〜あとがき〜

むむ、どこかで見たことのある第6条だなぁ。


というわけで、今後は基本超法規的措置として、銀河連盟の法に縛られない行動を取れることが増えたって認識でいて貰えれば、幸いです。

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― 新着の感想 ―
日村に投与されてたのも、元は同じだったんだろうなぁ…可能性は考えてたけど。
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