表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【受賞しました】裏山で拾ったのは、宇宙船のコアでした  作者: オテテヤワラカカニ(旧KEINO)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

124/160

9-13

 チリチリと焦げた木材と金属の匂いが、血の鉄錆びた香りと混じり合い、破壊された大会議室の空気を満たしていた。

 天井の照明は落ち、壁に穿たれた巨大な穴から吹き込む風が、書類の残骸をカサカサと虚しく舞わせる。


 唯一の光源は、壁際に設置された非常灯の、心許なく揺れる赤い光だけだった。

 その地獄のような赤に照らされ、床に転がるガラスの破片が、凝固した血溜まりのように鈍く煌めいている。


 静寂を支配していたのは、日村と名乗る男だった。

 中性の修道服を模したような戦闘服には一点の乱れもない。

 まるで舞台に降り立った観客のように、彼は瓦礫の中心に佇んでいた。


 彼の背後には、炎を玩具のように弄ぶ少年カイと、氷のような無表情で立つ女性、ヨハンナが控えている。


 やがて日村の薄い唇が開き、静かだが、その場の誰の鼓膜にも突き刺さるような明瞭さで、三つの名を告げた。

 その声は、最後の審判を告げる天使のように、冷たく、そして絶対的だった。


「高橋 翔太、南川 涼子、崎島 健吾」


 その三つの響きが、翔太の頭蓋内で何度も何度も乱打された。

 全身の血液が、真冬の湖の底に沈む鉛のように、急速に冷え、凍りついていく。


 やはり、自分のせいだ。

 全ての元凶は、この自分なのだ。


 異星の惑星開拓船『アーベル』と繋がってしまった、己という存在そのものが、全ての災厄の起点だった。

 この力に触れてしまったが故に、かけがえのない存在である涼子を、そして自分たちを信じ、受け入れてくれた崎島社長という恩人まで、この地獄の渦中に引きずり込んでしまった。


 もし、自分があの時、アーベルの声に応えなければ。


 もし、自分たちがこのサキシマ重工に協力しなければ。


 あり得べからざる仮定が、鋭い棘となって彼の心を容赦なく抉り、強烈な罪悪感が思考を麻痺させる。

 それは、もはや後悔という生易しい感情ではなかった。


 己の存在自体が、関わる人々にとっての呪いになってしまうという、寂しい絶望だった。


 誰もが声を発せないほどの絶望が場を支配する中、壁に身を預け、肩で荒い息を繰り返していた崎島が、最後の気力を振り絞るように身じろぎした。


 額から流れる血がスーツを黒く濡らしている。

 彼はゆっくりと顔を上げ、か細く、しかし決して折れない声で言った。


「……わかった。私が、そちらに行こう」


 声は血が混じり、酷くしゃがれていた。

 だが、その一言一句には、一代で巨大企業を築き上げた男の、鋼のような意志と誇りが宿っていた。


「この会社の全ての責任は、社長である私にある。全ての決定は、私が下した。だから、まだ未来のあるこの若い二人……高橋君と南川君は、見逃してもらえないだろうか?」


 それは、自らの命を最後の交渉カードとして差し出す、リーダーとしてのあまりにも気高い職務遂行だった。

 この極限状況にあってなお、彼は己の痛みより、社員の未来を案じている。


 その姿に、翔太は胸が張り裂けそうになった。


 だが、日村はその英雄的な申し出を、路傍の石でも見るかのように、心底つまらなそうに一瞥しただけだった。

 彼は小さく首を振り、その動作一つで崎島の覚悟を無価値なものへと貶めた。


「それは、実に無意味な提案ですね、崎島社長。我々の目的は、単なる責任追及ではないので」


 日村の冷たい瞳が、値踏みするように、翔太、涼子、そして崎島を順番に射抜く。

 まるで、実験室のサンプルを検分する研究者のように。


「我々が求めるのは、異星技術という新たな『火』を構成する、三つの重要な要素。すなわち、異星技術との接続点、高橋翔太。その協力者、南川涼子。そして、この『プロジェクト』を社会的に承認し、実行した責任者として、我々の組織の正当性を内外に示すための生きた証拠、崎島健吾。……我々にとって、あなた方三名は、誰一人欠けてはならない、一つのシステムなのです。ご理解いただけましたか?」


 その言葉は、交渉の余地など一切ない、冷酷な決定事項を突きつけた。

 悪魔は、取引すら持ちかけない。

 ただ、無慈悲に全てを奪い去るだけだった。

 彼らは初めから、三人をワンセットで捕獲する計画だったのだ。


「ふざけないで!」


 沈黙を破ったのは、涼子の震える声だった。

 恐怖に青ざめながらも、その瞳には強い怒りの光が宿っている。


「翔太さんも、社長も、あなたたちなんかに渡したりしない! あなたたちがやっていることは、ただの誘拐よ!」


「誘拐?」


 日村は心底おかしそうに眉をひそめた。


「これは回収です。人類の手に余る危険物を、然るべき管理下に置くだけの、至極当然の措置ですよ」


 日村が、その言葉を終えるか終えないかのうちに、顎でカイに合図を送った。

 カイは、おもちゃを与えられた子供のように嬉々とした笑みを浮かべると、その小さな掌に、再びゆらりとオレンジ色の火球を灯した。

 室内の温度が、不快なほどに上昇する。彼女はそれを、部屋の隅に残っていた強化ガラスのパーテーションに、まるでボールでも投げるかのように、無造作に投げつけた。


 ドンッ!


 鼓膜を突き破るような鋭い爆発音と共に、熱波が室内を駆け巡る。

 粉々になったガラスの破片が弾丸のように飛び散り、幹部の一人の頬を掠めて赤い線を引いた。

 恐怖に引き攣った短い悲鳴が、あちこちから上がる。


 それは、これ以上の抵抗は、死を招くだけだという、無言の最終通告だった。


 翔太は、その圧倒的な力の差を、そして爆発音に怯えて身を固くする涼子と、血を流しながらも悔しげに唇を噛む崎島の姿を見て、固く、固く目を閉じた。

 罪悪感と無力感の嵐が吹き荒れる。


 だが、その暗闇の中で、翔太の思考は猛烈な速度で回転を始めていた。


 ――殺さない。

 こいつらの目的は、殺すことじゃない。


 日村は言った。

『回収』だと。

『サンプル』だとも。


 俺たちを、生きたまま連れて行くつもりだ。

 そこに、活路があるのではないか?


 彼らは、自分たちを無力だと思い込んでいる。

 この圧倒的な暴力の前では、誰もが抵抗を諦めると信じきっている。

 だからこそ、油断が生まれる。


 翔太の意識が、左手首に嵌められた銀色のバングル――アーベルから与えられたパーソナル・プロテクティブ・ギア、そして上空にドローンによって懸架され待機しているトランスポート・ユニットへ集中する。


 今は沈黙しているが、これは単なるブレスレットではない。

 異星の個人防御システムだ。


 敵はおそらく、このギアの存在には気づいているだろう。

 だが、その本当の機能をどこまで把握している?

 ただの通信機か、あるいは防御フィールドを張るだけのガラクタだと思っている可能性はないか?


 ――賭けるしかない。


 自己犠牲は、最悪の選択だ。

 自分が捕まれば、涼子と崎島も結局は同じ運命を辿る。

 ならば、三人でこの場を切り抜ける道を探すしかない。


 今は従うフリをして、敵の懐に潜り込み、奴らが最も油断した瞬間に、このギア、そしてトランスポート・ユニットの力を解放する。


 それは、成功率の低い賭けだった。

 だが、何もせずに絶望に身を委ねるよりは、万倍マシだった。


 ゆっくりと目を開けた彼の瞳には、もはや迷いはなかった。

 そこにあったのは、絶望でも、諦めでもない。


 自らの意志で、この最悪の状況を逆転させるという、静かで燃えるような覚悟の光だった。

 彼は、左腕のバングルを、覚悟を刻み込むように親指で一度だけ、強く撫でた。


「……わかった。抵抗はしない」


 静かな、しかし、芯の通った声が、赤い闇に響いた。

 翔太は、決然とバリケードの残骸を乗り越え、一歩前に出た。


「翔太さん!」


「高橋君、待て!」


 涼子と崎島が、驚きと懸念の声を上げる。翔太は、振り返らずに二人を制した。


 その背中だけで「信じてくれ」と語りかけているようだった。


 今は、無用な刺激を敵に与え、警戒心を高めさせるべきではない。


 日村が、その様子に満足そうに頷き、インカムに短く、一言、二言、何かを告げる。

 それは、作戦の最終フェーズへの移行を告げる合図だった。


 すると、溶けた扉の穴の向こうから、黒い戦闘服に身を包んだ屈強な兵士たちが、まるで影から滲み出るように数人現れた。

 彼らは無反射塗装のヘルメットで顔を隠し、その動きには一切の無駄がない。

 銃口は冷静に床に向けられ、その存在自体が圧倒的な威圧感を放っていた。


 兵士たちは音もなく翔太、涼子、そして崎島を取り囲んだ。

 抵抗する間もなく、三人の腕が背後に捻り上げられる。


 カシャン、という冷たい金属音が響き、特殊な素材でできた枷が手首に嵌められた。

 ひやりとした感触と、自由を奪う重みが、現実を突きつけてくる。


 兵士の一人が、翔太の背中を銃床で乱暴に押した。

 その拍子に、彼の体はよろめき、隣で同じように拘束された涼子の肩に、一瞬だけ触れることができた。

 その刹那。翔太は敵の兵士に気づかれないよう、呼吸音に紛れ込ませるほどの極小の声で、しかし、はっきりと囁いた。


「涼子、崎島社長。まだ終わりじゃない。プランがある。絶対に諦めないで。俺の合図を待っててくれ」


 それは、絶望の闇に灯った、小さな、しかし力強い希望の炎だった。

 その言葉は、涼子の強張っていた肩を、わずかに震わせた。

 彼女の瞳に、一瞬だけ驚きと、信じられないという戸惑いが浮かぶ。

 だが、すぐにそれは、目の前の翔太の背中を信じようとする、強い意志の光に変わった。


 崎島もまた、血の気の失せた顔を上げ、その目に一瞬だけ驚きと、そして老練な経営者らしい鋭い洞察の色を宿した。

 彼はこの若者の声に、単なる虚勢ではない、確かな根拠と覚悟を感じ取っていた。


 次の瞬間、兵士たちは三人の頭に、ざらりとした感触の黒い麻袋を、一切の躊躇なく乱暴に被せた。

 視界が、完全に闇に閉ざされた。


 赤い非常灯の光も、仲間たちの顔も、全てが消え、ただ麻袋の荒い布地の感触と、埃っぽい匂いだけが生々しい。

 耳元で響く幹部たちの絶望的な叫びや嗚咽が、くぐもって聞こえてくる。


 日村は、その完璧に統制された光景を満足そうに眺めていたが、やがて興味を失ったように、くるりと踵を返した。

 目的のサンプルを採取し終えた研究者のように、その表情は無感動だった。


「それでは皆様、ご機嫌よう。我々の邪魔をしなかった、賢明なご判断に感謝します」


 その、どこまでも皮肉に満ちた言葉を最後に、日村、カイ、ヨハンナ、そして拘束された三人を連れた兵士たちは、来た時と同じように、音もなく闇の中へと消えていった。


 翔太たちは、兵士に両脇を固められ、瓦礫を踏みしめながら歩かされた。

 視界のないまま進むのは、平衡感覚を狂わせる。


 彼らはビルの廊下を進み、やがてゴウ、という激しい風の音と、空気を叩く重低音が近づいてくるのを感じた。屋

 上だ。

 屋上のヘリポートに押し出されると、巨大なヘリコプターのローターが巻き起こす猛烈なダウンウォッシュが体を叩いた。

 排気の熱とオイルの匂いが鼻をつく。


「乗れ!」


 短い命令と共に、三人はヘリのキャビンに半ば投げ込まれるように押し込まれた。

 機内は冷たく、金属と電子機器の匂いがした。

 乱暴にシートに座らされ、シートベルトで固く固定される。


 やがて機体がふわりと浮き上がる感覚が伝わり、地上が急速に遠ざかっていくのが音でわかった。

 自分たちが、文明社会から切り離され、未知の闇へと運ばれていく。


 その事実が、ずしりと重くのしかかった。

 だが翔太は、左手首の枷の中で、かすかにバングルの存在を感じながら、意識を研ぎ澄ませていた。合図は、いつだ。好機は、必ず来る。


 襲撃から、一時間近くが経過した頃だった。


 サイレンの音も途絶え、ビルを取り囲む喧騒も遠のいた大会議室に、突入してきたのは警察の特殊部隊だった。

 重装備に身を固めた隊員たちが、銃を構え、慎重に室内の安全を確認していく。


 彼らが見たのは、まるで局地的な戦争が起こったかのような光景だった。


 だが、奇妙なことに、あれだけの破壊活動にも関わらず、致命傷を負った者はいなかった。


 社内にいたスタッフたちは、程度の差こそあれ怪我は負っているものの、気絶させられたり、簡易的に拘束されたりした状態で複数の部屋に集められていた。

 犯人たちの目的が無差別な殺戮ではなかったことを、その奇妙に整然とした光景が物語っていた。


 そして、最も破壊の激しかった大会議室には、呆然自失のまま動けないサキシマ重工の幹部たちだけが、抜け殻のように座り込んでいた。

 ある者は頭を抱え、ある者は虚空を見つめ、またある者は静かに涙を流している。


 救護班によって応急処置を受けた者たちの包帯の白さが、非常灯の赤い光の中で不気味に浮かび上がっていた。


 彼らの瞳からは、光が消えていた。


 隊員の一人が、報告する。


「負傷者多数。だが、死者はゼロ。しかし……三名、行方不明」


 高橋 翔太、南川 涼子、そして、この会社の象徴であったはずの崎島 健吾。


 三人の姿だけが、どこにもなかった。


 まるで神隠しにでもあったかのように、彼らはこの惨劇の舞台から、忽然と姿を消していた。


 三つの希望は、敵の手に落ち、正体不明のヘリコプターによって深い夜の闇の中へと連れ去られていった。

 残されたのは、修復不可能なほどの破壊の痕跡と未来を奪われた者たちの、声にならない絶望だけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ