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【受賞しました】裏山で拾ったのは、宇宙船のコアでした  作者: オテテヤワラカカニ(旧KEINO)


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9-4

 空調の微かな作動音だけが、巨大な空間に満ちる沈黙の密度をかえって際立たせていた。


 サキシマ重工の大会議室。

 その中でも最も格式高く、重要な意思決定や国際会議などの際に使われるこの部屋は、まるで深海のような静けさに包まれていた。


 部屋の中央に鎮座するのは、一枚板から削り出されたマホガニーの巨大なテーブル。


 鏡のように磨き上げられたその表面には、部屋の主である崎島社長をはじめ、サキシマ重工の幹部たちの緊張した面持ちが、歪んだ影として映り込んでいる。


 部屋の照明は、暗く落とされている。

 唯一の光源は、壁一面を占める超高精細の巨大スクリーン。 


 そこから放たれるデジタルな光だけが、居並ぶ男たちの顔に青白い陰影を刻みつけていた。


 部屋の末席。

 本来であれば、翔太や、涼子がいることなど到底許されない場所に、二人はいた。

 彼らはオブザーバーという名目でこの会議に参加していた。


 翔太は、硬質な椅子の背もたれに背中を押し付けていた。

 隣の涼子もまた、普段の快活な様子は影を潜め、黒いショートカットの髪を微動だにさせず、スクリーンを食い入るように見つめている。


 世界の宇宙開発の最前線が、この一点に凝縮されていた。


 ビリビリと肌を刺すような緊張感。


 それは、人類の叡智と、国家の威信と、そして今この瞬間も宇宙空間で救助を待つ四人の命の重さが、複雑に絡み合って生み出す、特殊な圧力だった。


 スクリーンには、グリッド状に分割されたウィンドウが整然と並んでいる。


 NASA、ESA、JAXA、CNSA、そして民間からはSpaceY。


 それぞれのロゴの下に、各機関のトップや責任者たちの真剣な顔が映し出されていた。


 ワシントンD.C.、パリ、筑波、モスクワ、ホーソーン。


 地球上のあらゆる場所から、人類の宇宙開発の未来を左右する者たちが、この日本の、サキシマ重工の一室に視線を集中させている。


 そして、そのグリッドの中には、ISS(国際宇宙ステーション)のコマンダーの姿もあった。


 そして、そのうちの一つは通信が回復したHTV-Y改のクルーたちのウィンドウだった。


 無重力でわずかに逆立った髪、ユニフォームの胸元で揺れる所属パッチ。


 何よりも、彼らの瞳の奥に宿る、極度の疲労と、それでもなお消え失せてはいない希望の光が、この会議の本当の意味を雄弁に物語っていた。


「……では、これより緊急国際会議を開始します」


 サキシマ重工の担当者が、厳粛な声で口火を切った。

 議題はただ一つ。


「デブリとの衝突により深刻なダメージを負った月周回有人拠点『ゲートウェイ』より、サキシマ重工製宇宙船『HTV-Y改』によって奇跡的に救出されたクルー四名の、地球への帰還方法について」


 誰もが固唾を飲んだ。

 ついに始まるかもしれない、と。


 人類が、国境や企業の垣根を越えて、一つの目的のために協力する瞬間が。


 しかし、その純粋な期待は、次の瞬間に無残にも裏切られることとなる。


 最初に発言したのは、ESA(欧州宇宙機関)の壮年の男性だった。

 彼は画面越しに、あくまで紳士的な、しかし探るような視線を崎島に向けた。


「ゲートウェイのクルーの皆様、まずはご無事であったことを、欧州を代表して心より祝福したい。そしてサキシマ重工殿、貴社が成し遂げた偉業には、我々も深い感銘を受けました。あの絶望的な状況からの救出劇は、まさに奇跡というほかない」


 丁寧な賛辞。

 だが、その本題はすぐに剥き出しの欲望となって現れた。


「つきましては、我々も今後の宇宙開発の参考にさせていただきたい。あの緊急回避のマニューバを可能にした推進システムは、一体何なのですか? 新型のイオンエンジンか、あるいは我々の知らない全く新しい概念の推進剤なのか。可能な範囲で結構ですので、その情報の開示を要求したい」


 その一言が、堰を切った。

 まるで、誰かが言い出すのを待っていたかのように、各国の担当者が次々と発言を始める。


「NASAのジョンソンだ」


 無精髭を生やした、いかにも現場叩き上げといった風貌の男が、高圧的な口調で割り込んできた。


「推進システムも重要だが、我々が注目しているのは、船体そのものを覆っていたという、あの不可思議な『膜』だ。デブリの衝突エネルギーを完全に拡散させたと聞く。その組成データと、展開システムの詳細を要求する」


「CNSAからもよろしいでしょうか」


 中国の担当者が、遠慮がちに、しかし必死な形相で続く。


「あの精密な救助作業を可能にした自律AIのソースコードは共有できないのでしょうか? 特に、リアルタイムでのデブリ回避アルゴリズムは、今後の宇宙開発にとって不可欠なものです」


「待っていただきたい。NASAとしては、まず我々の専門家をISSに送り、HTV-Y改の船体を直接調査させる権利を主張する。これは、ゲートウェイ計画における我が国の貢献度を考えれば、当然の権利のはずだ」


 議題は、完全に忘れ去られていた。

 地球から40万キロ離れた宇宙空間で、心細い思いで救助を待つ四人の命のことなど、彼らの頭からは消え失せているかのようだった。


 そこにあるのは、人命救助という美名の裏で繰り広げられる、剥き出しの国家間のエゴ。


 未知のテクノロジーを、他国に先んじて手に入れようとする、ハイエナのような貪欲さだけだった。


 翔太は、唇を噛み締めた。

 隣の涼子が「ひどい…」と、か細い声で呟くのが聞こえる。


 彼女の目は、スクリーンの隅に映るHTV-Y改のクルーたちに注がれていた。


 英雄と称えられながら、その実、自分たちの命が、技術を手に入れるための取引材料にされている。


 彼らの表情から、先ほどまで微かに見えていた希望の光が、みるみるうちに翳っていくのが、痛いほど分かった。


 まるで、自分たちが世界から見捨てられていく過程を、特等席で見せつけられているかのようだ。


 なんて醜いんだ。

 これが、人類の宇宙開発の最前線だというのか。


 翔太の心に、熱い怒りがこみ上げてきた。

 だが、自分はこの会議室の末席に座る、ただの傍観者に過ぎない。

 何もできない無力感が、彼を苛んだ。


 その時だった。


 それまで、まるで石像のように沈黙を守り、各国の醜悪なやり取りを聞いていた崎島社長が、動いた。


 ドンッ!!


 重く、乾いた音が、静まり返った会議室に響き渡った。

 崎島が、その分厚い掌で、マホガニーのテーブルを強く叩いた音だった。


 サキシマ重工の幹部たちが、びくりと肩を揺らす。

 翔太と涼子にも、緊張が走り抜けた。


 崎島は、ゆっくりと、しかし確固たる意志を漲らせて立ち上がった。


 その精悍な顔立ちは、怒りに燃え、短く刈り込まれた白髪混じりの頭髪が、照明を反射して鋭く光る。


「諸君!!」


 彼の声は、雷鳴のようだった。

 高性能な集音マイクを通して、地球上の、そして宇宙の、全てのウィンドウにいる者たちの鼓膜を叩いた。


 スクリーンの中の饒舌だった男たちが、一斉に口をつぐむ。

 その視線が、日本の老経営者に集中した。


「君たちの目は節穴か! スクリーンに映っている、英雄的なクルーたちの顔が見えないのか!」


 崎島は、震える指でスクリーンを指し示した。

 そこには、愕然とした表情のクルーたちがいる。


「彼らは、我々人類のために、己の命を危険に晒し遠い月で研究を行ってきた! そして、九死に一生を得て、今この瞬間も、家族の待つ地球へ帰ることだけを願っている! その彼らの命を救ったこの出来事を、君たちは、ハイテク技術の分捕り合戦に使う気か!」


 その声は、単なる怒声ではなかった。

 技術に人生を捧げ、その技術が人のためにあるべきだと信じる、一人の人間の魂の叫びだった。


「推進システムがどうだ? 膜の組成がどうだ? そんなものは、どうでもいい! 今、我々が議論すべきは、そんなことではないはずだ!」


 崎島は、テーブルに両手をつき、スクリーンの中の男たち一人一人を睨みつけるようにして言った。


「もし、宇宙で救助を待っているのが、君たちの息子や娘、あるいは妻や夫だったとしても、同じことが言えるのか!? 彼らの無事を祈る家族の前で、AIのソースコードを開示しろと、胸を張って言えるのか!」


 誰も、何も答えられない。

 各国の担当者たちは、バツが悪そうに視線を逸らしたり、咳払いをしたりしている。


 崎島は、深く息を吸い込んだ。

 そして、最後の一撃を放つように、静かに、しかし、部屋の隅々まで染み渡る声で言った。


「技術的な話は、彼ら四人が無事に地球の土を踏み、愛する家族と固く抱き合った後で、いくらでも付き合ってやろう。夜を徹してでも、君たちが満足するまでな」


「だが、今は違う」


「今の議題は、今、この瞬間も我々の助けを待っている仲間を、どうやってこの腕の中に迎え入れるか。ただ、それ一つだ!」


 言い終えると、崎島はゆっくりと椅子に腰を下ろした。


 会議室は、水を打ったように静まり返っていた。

 先ほどまで支配していた、貪欲で、計算高い空気は完全に消え失せ、代わりに、ある種の神聖さすら感じさせる、厳粛な沈黙が満ちていた。


 翔太は、全身が震えるほどの感動を覚えていた。

 これが、サキシマ重工のトップ。

 これが、崎島社長。


 金や名誉、国家の威信よりも、ただ一つの命の重さを優先する、本物のリーダーの姿だった。


 涼子が、隣でそっと涙を拭うのが見えた。


 スクリーンの中で、絶望に沈んでいたクルーの一人の頬を、一筋の光が伝っていくのが、翔太の目にもはっきりと見えた。

 それは、無重力空間を漂う、一粒の涙だった。

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