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【受賞しました】裏山で拾ったのは、宇宙船のコアでした  作者: オテテヤワラカカニ(旧KEINO)


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9-1 使徒K①

 潮の匂いがした。


 ねっとりと鼻腔にまとわりつく、生の海水と錆の混じった匂い。絶え間なく続く、ゆりかごのような、それでいてどこか不安を煽る揺れ。


 腹の底に響く低いエンジンの振動。


 近藤は、ゆっくりと瞼を開いた。

 視界に飛び込んできたのは、煤けた灰色の天井だった。

 等間隔に打たれたリベットが、規則正しく並んでいる。


 身体を起こそうとして、きしりと硬いベッドが軋む音を立てた。


 全身が鉛のように重く、特に首の後ろから背中にかけて、鈍い痛みが走っている。


「……どこだ、ここは」


 掠れた声が、自分の喉から出たものだと認識するのに数秒かかった。


 見回すと、そこは船室らしき、狭く殺風景な一室だった。


 壁も天井と同じ、冷たい鉄板が剥き出しになっている。小さな丸窓がひとつだけあり、そこからは、どこまでも続く暗い海原と、鈍色の空が見えた。


 何を着ているのかと自分の身体を見下ろせば、安っぽい灰色のつなぎのような服に着替えさせられていた。


 かつて部下たちの前で身につけていた、ヨレヨレのスーツの感触はどこにもない。

 路上生活で汚れたパーカーの、あの惨めな臭いすらない。


 ここは、これまでの人生のどの地点とも繋がっていない、断絶された空間だった。


 記憶を辿ろうとする。頭の中に、濃い霧がかかったようだ。

 そうだ、炊き出し。

 腹が減って、凍え死にそうだった。

 日村という、あの蛇のようにしなやかな男に声をかけられた。

「衣食住を提供する」という、悪魔の囁き。


 そして、あの集会。

 ヨハンナという女が見せた、人知を超えたまるで魔法のようなナイフの舞。


 ――もし、本当に力が手に入るのなら。


 わずかな希望と、失うものは何もないという自暴自棄な思いで、あの「儀式」の部屋へ足を踏み入れたはずだ。


 そこから先の記憶が、堰を切ったように濁流となって近藤の脳内を駆け巡った。


 冷たい実験室。

 並べられた無数の計器。

 有無を言わさず自分を押さえつけた、屈強な男たちの腕。

 リクライニングチェアに縛り付けられた、あの屈辱的な無力感。


 そして、爬虫類のような目をした白衣の男が、淡々と告げた言葉。


『これから、あなたの体内にナノマシンを注入し、その適合試験を行います』


『適合確率は限りなくゼロに近い。ほとんどの方は、拒絶反応で……そうですね、少々苦しまれるかもしれませんが、すぐに楽になりますよ』


「う、あ……っ!」


 近藤は、喉の奥から悲鳴にならない呻きを漏らした。

 そうだ、俺は騙されたのだ。


 ただの実験動物として、あの台の上に転がされていたのだ。


 銀色の注射器の先端が、冷たく光っていた。

 あれが、自分の見た最後の光景だったはずだ。


 では、なぜ、今、生きている?


 ここは、天国か? いや、この錆と潮の匂いは、あまりにも生々しい。


 パニックに突き動かされ、近藤はベッドから転がり落ちるように立ち上がった。


 肥満した身体が息苦しい。

 ふらつく足で丸窓に駆け寄り、外を覗く。


 見えるのは、水平線まで続く、荒涼とした海だけ。

 陸地の影はどこにも見えない。


 次に、部屋の唯一の出口である鉄製のドアに飛びついた。

 取っ手を掴み、力任せに捻る。


 だが、ドアはびくともしない。

 ガチャガチャと虚しい金属音を立てるだけだ。


「開けろ! 誰かいないのか! 開けやがれ!」


 剝げかかった頭に血が上り、拳でドアを何度も殴りつける。


 ガン、ガン、という鈍い音が、狭い船室に響き渡った。

 だが、拳がじんじんと痛み始めるだけで、重い鉄の扉は沈黙を守り続けている。


 その時だった。


 ふと、首筋に冷たい感触があることに気づいた。


 何だ、これは。


 汗ばんだ手で、恐る恐る首元に触れる。

 そこには、指一本分の幅を持つ、金属製のチョーカーのようなものが、ぴったりと肌に食い込んでいた。


 マットな質感の、冷たい金属。

 継ぎ目も、留め金も見当たらない。


 まるで、最初から自分の身体の一部であったかのように、首と完全に一体化している。


「な、なんだこれは……!」


 爪を立てて剥がそうとする。

 だが、皮膚に爪が食い込むだけで、チョーカーはびくともしない。


 指でなぞり、引っ張り、どうにか外そうと試みるが、その努力は全くの無駄だった。


 それは、まぎれもなく首輪だった。

 まるで家畜や、奴隷につけるための。


 全身から急速に血の気が引いていくのを感じた。

 ドアを叩く力も、叫ぶ気力も失せ、ずるずるとその場に座り込む。


 ロックされたドア。

 終わりのない海。

 そして、この不気味な首輪。


 俺は、あの実験で死ななかった代わりに、何か別の、もっと恐ろしいものに囚われてしまったのではないか。

 絶望が、冷たい泥のように近藤の心を侵食していく。



 ---



 どれほどの時間が経っただろうか。


 諦観と共にベッドに腰を下ろし、ただ無為に時間が過ぎるのを待っていた、その時だった。


 カシャリ、と。


 唐突に、ロックの外れる音がした。

 ゆっくりと、重い鉄の扉が外側に向かって開いていく。


 そこに立っていたのは、あの日村だった。

 肩まで伸びた黒髪を無造雑に揺らし、痩身の身体を少し傾けるようにして、彼はそこにいた。


 あの炊き出しの時と変わらない、柔和な、しかし心の奥底を見透かすような鋭い光を宿した瞳で、静かに近藤を見つめている。


「やあ、近藤さん。お目覚めでしたか」


 その声は、絶望的な状況に不釣り合いなほど穏やかだった。


 近藤の中で、恐怖と屈辱と、そしてわずかに残っていた子悪党としての虚勢が入り混じり、爆発した。


「日村……! てめえ、これはどういうことだ! 説明しろ!」


 唾を飛ばしながら怒鳴りつける。

 かつて部下を叱責していた時のように、相手を威圧する声色を意識して作った。


「儀式だの、隠された力だの、ふざけたことを言いやがって! 俺を実験台にしやがったな!」


 日村は、そんな近藤の剣幕を柳に風と受け流し、一歩、船室の中へと足を踏み入れた。

 そして、まるで素晴らしい芸術品でも見るかのように、近藤の全身をゆっくりと眺め回した。


「まあ、そう興奮なさらないでください。まずは、祝福を」


 彼は、にこりと微笑んだ。


「おめでとうございます、近藤さん。あなたは、限りなくゼロに近いナノマシンの適合確率を乗り越えられた。実に素晴らしい。あなたは、我々が待ち望んでいた、選ばれし『使徒』となられたのです」


「使徒だと? 寝言は寝て言え」


 近藤は吐き捨てるように言った。


「だったら、あのヨハンナとかいう女みたいに、俺にも力が使えるってのか? 残念ながら、身体がだるくて、クソみてえな首輪が邪魔なだけだ。力なんざ、これっぽっちも感じねえぞ」


「力はまだ、あなたの内側で眠っているだけです。水を与えられた種子が、芽吹くまでに時間が必要なようにね。ご安心ください。これから始まる訓練を受ければ、その力は必ずや、あなたのものになる」


 日村は、諭すように言う。

 その声には、聞く者を安心させる不思議な響きがあった。


 だが、近藤はもう騙されない。

 この男の言葉は、甘くコーティングされた毒だ。


「訓練? また俺をモルモットにする気か」


「いいえ。あなたはもうモルモットではない。我々の同志であり、この世界を『奴ら』の手から守るための、貴重な戦力です。その力を正しく引き出すための、手助けをさせていただくだけですよ」


 その時、近藤の脳裏に、あの実験室で見た、既に事切れていた他の被験者の姿が蘇った。

 魂が抜け落ちた、虚ろな目。

 あれが、適合できなかった者の末路。

 そして自分は、奇跡的に生き残った。


 もし、本当に力が手に入るのなら……。


 この屈辱的な状況を、全てひっくり返せるだけの力が。

 一瞬、ほんの一瞬だけ、近藤の心に醜い期待が芽生える。


 日村は、その微かな心の揺らぎを見逃さなかった。


 彼は満足そうに頷くと、踵を返し、部屋を出ていこうとした。


「では、私はこれで。また後ほど、改めて今後のご説明に上がります。ゆっくりお休みください、我らが新しい使徒殿」


 そして、ドアに手をかけた日村は、何かを思い出したかのように、ポンと手を打った。


 無邪気な、子供のような仕草だった。


「ああ、そうだ。大事なことをお伝えし忘れていました」


 彼は振り返り、慈愛に満ちたような、それでいて氷のように冷たい笑みを浮かべた。


「その首輪ですが、我々と貴方を繋ぐ、とても大切な絆の証です。ですから、無理に外そうとしたり、あるいは、我々の指示から逸脱した行動を取ったりは、決してなさらないでくださいね」


 日村は、人差し指を立てて、楽しそうに続ける。


「もし、万が一そんなことをなされば、まず耳障りな警告音が三度鳴ります。それでもお聞き入れいただけない場合は……まあ、」


 彼はそこで言葉を切り、自分の首筋を手で水平に切る仕草をした。


「貴方のその自慢の頭と、立派な胴体が、綺麗に分かれてしまうことになりますので。どうか、お気をつけください」


 近藤は、息を呑んだ。

 全身の血が、急速に凍りついていくのを感じた。


 日村は、満足そうにその表情を眺めると、今度こそ静かに部屋を出ていった。


 重い鉄の扉が、ゆっくりと閉まる。

 そして、カシャリ、という無慈悲なロック音が、近藤の耳の奥で、永遠に響き渡った。


 一人残された船室で、近藤はただ、呆然と立ち尽くしていた。


 使徒? 選ばれし者?

 違う。

 俺は、力を手に入れたのではない。


 ただ、以前よりも巧妙で、そして決して逃れることのできない、死と隣り合わせの「檻」に入れられただけなのだ。


 窓の外では、変わらず、暗く冷たい海が広がっていた。


 それはまるで、これから始まる彼の、新たな地獄の広さを象徴しているかのようだった。


~あとがき~

フォロワーが減っても、私は近藤を書きます笑

三話ほどで、崎島社長や翔太たちの視点に戻ります。


なんか近藤ってやつおもろいやん、ってなった方はフォロー外さないでね笑

数話で読まなくなるなんて勿体ないぜ。

ストレス耐性のない方は次の章がまとまった話数がたまってから読むのもおすすめ。


以上。

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― 新着の感想 ―
登場人物のキャラ設定も大事な要素ですもんね、ただそれでフォロワー減ったら「野望」の実現に悪影響を及ぼす可能性がありますw 一般受けかニッチ受けどちらかを選ぶか難しいかもしれませんが、お心はすでに決して…
近藤さん死んでも生きてそうで怖い……
近藤は宿命のライバルになる可能性があります。 簡単には殺さないでほしいです。 負けても生き残って、いつも決断を間違え、また主人公の前に立ち塞がり、また負けてそれでも生き残り、みたいな、そんな印象的な…
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