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第7話 男の正体


 神殿には牢獄に類した部屋はない。


 が、実際にはそういう需要が生じることもあり、その場合は、右副殿みぎふくでんの奥、物置を改装した部屋が使われることが多かった。

 いま、リリアとウィスタが向かうのも、そのひとつである。

 扉の左右に事務神官が立っている。武装しているわけではないが、それなりに体格がよい男が選ばれている。ただ、扉に鍵はかけていないようだ。客ではないが、罪人扱いをしているわけでもない、ということなのだろう。


 近づいてくるリリアに気がつくと、神官は礼をとった。リリアは軽く手をあげ、ウィスタに振り返り、抑えた声を出した。


 「ひとりで入れ。あの男がそういう条件をつけた。助けが必要なら声をあげろ」

 「……はい」

 「すべきことは、わかっているな」

 

 ウィスタは答えるかわりに小さく頷き、扉に向き合った。

 神官が鉄製の把手に手をかけ、引く。重い音をたてて分厚い扉が開いた。

 室内から風が吹いてきた。

 部屋に踏み入る。背後で、扉が閉まる。

 

 がらんとしているが、清潔な室内。

 正面の大きな窓は開け放たれており、月明かりに浮かぶ湾がみえた。

 木製の簡素なテーブルと椅子、それとベッドがしつらえられている。

 その椅子に、男は腰を下ろしていた。

 神官服、灰色の室内着を身につけている。貸与されたのだろう。

 卓上の蝋燭が揺れて、彫りの深い横顔に陰影を刻み出していた。

 わずかに翠を帯びた藍色の髪は、あの日の印象よりも少し長いのだなと、ウィスタは場に不似合いな感想を抱いた。


 男は立ちあがってウィスタを見つめた。彼女より頭ひとつ分、大きい。ふわっとした服装だが、それでも、細身でありながらよく鍛え込まれた上半身であることが、港の男を見慣れたウィスタには見て取れた。

 なにを言えばよいかわからず、彼女は手を前で組み、立ちすくんでいる。


 男は黙礼のような形で頷き、別の椅子を示して、自らも座った。

 ウィスタも首をこくんと動かして、椅子をひき、腰を下ろした。

 男は、椅子をずらした。ウィスタのすぐ横に座り直す。

 顔が近い。息がかかる距離だ。

 ウィスタはのけぞるようにしたが、男はさらにぐいと、顔を近づけてきた。


 「外に聞かれたくない。許してほしい」


 囁くようにいう声に、ウィスタは赤くなった顔を伏せ、こくこくと、小さく頷いた。

 間近で見る男の目は、髪より薄い藍色だった。少しつりあがった目尻。その目を伏せて、頭をさげた。


 「まず、先日の礼を言わせてほしい。命を救ってもらった」

 「あ、はい……いえ」

 「嵐には慣れているが、あの日の波は様子が違った。どう操船しても横から波が叩きつけられる。転覆して、しばらくは浮具に捕まっていたが、沈んでしまった。あとは……知ってのとおり」

 「……はい」

 「この神殿の者たちは、俺は海面ちかくに浮いていた、と言っていた。おそらくあなたがそう説明したのだろう。でも違う。あなたは海底から、俺を救い上げた。もしかするとすでに、息をしていなかった俺を」

 「……」

 「命をなくした俺を救い、そして、俺に、あの光景を見させた」


 光景、ということばにウィスタは反応した。

 顔を男のほうへ動かすと、鼻が触れるような距離となった。

 慌ててもとの位置に戻る。


 「……あの……光景……とは」


 男は、ふ、と笑ったようだった。

 

 「星の海の伝説。あの神話、あなたが俺にみせてくれたのだろう。どういう狙いか知らないが。そして、我が艦隊が迎えるべき未来の姿も」


 星の、海。ウィスタは水の中で経験した、ながい時間の旅を思い出していた。この男がいうのは、そのことだろう。だが、神話とは? それにあの映像、おなじものを、この男も見ていた、と。

 ふいに、大砲と炎、灼かれる命の印象が彼女に戻り、思わずくちを抑えた。


 「……星の巫女よ。あなたは、我々の計画を知っている」


 男は、より小さな声で、挑むような視線をウィスタに向け、つぶやいた。

 星の、巫女……?


 「なあ、星の巫女。あなたは、本当に連絡者ではないのか……?」

 「え……連絡、者……?」

 「この神殿のなかの、協力者。俺と、ずっとやり取りをして、今回の潜入の手引きをしてくれるはずだったひと。今日まで三日間、接触してくるのを待ったが、ついに現れなかった。だからやむを得ず、あなたを呼ばせたのだ」

 「……」

 「他の者たちがいる前では言えない本音が、主教にもあるだろう。だから二人きり……いや、あなたと三人で会いたい。話を通してほしい」

 「そ、そんなこと、わたしにできるわけが……」


 男はわずかに笑って、すぐに表情を引き締め、ウィスタの目を見た。


 「あなたのちから。そして、あの胸の紋章。星のしるし。間違いない、あなたは星の巫女だ」

 「……ほ、ほし……の?」

 「この国ではそう呼ばれてはいないのか。そうかもしれない。あれは、我々、海上国家で口伝されている伝説で、神話だ。本家である聖ルオ国のひとは知らぬのかもしれない。だが、俺は、確信した。あなたは、水霊の神殿でもっとも重要な巫女。星の巫女だ」

 「……は」


 ウィスタは、冗談をいわれているのだろうかと、笑顔とも泣き顔ともいえない、不可思議な表情をつくった。


 「あなたなら、星の巫女なら、主教イディ三世に俺を引き合わせることも可能なはずだ。協力者が現れない以上、あなたに頼るしかない。頼む」

 「え、ちょっと、まって」

 「それに、あの砲撃の映像をわざわざ俺に見せたということは……今回の計画を、海上国家連合の思惑を、あなたは知っているのだ。おそらく連絡者とやり取りをしたに違いない」

 「ち、が……」


 手を振るウィスタ。その手首を、男は、両の手のひらで掴んだ。

 ひ、と声をもらして、彼女はのけぞった。

 男の真剣な目が彼女をまっすぐ見据えている。


 「隠さないでくれ、星の巫女よ。もう時間がないんだ。明日の朝、俺の国、シア航国こうこくの艦隊がやってくる。そこで回答を返さなければ、この国は、攻められる。脅しじゃない。この神殿も国も、灼かれることになる」

 「……まさ、か……どうして」


 シア航国。

 その名は、政情にうとく、諸外国の名前などほとんど知らないウィスタも、なんども耳にしたことがあった。

 新興の海上軍事国家。特定の領土を持たず、巨大な軍船を何隻も擁し、他国への軍事力提供と物資の交易により生きる、海の民の国。

 近年は世界中から、かつて聖ルオ国が送り出した巫女たちの子孫、ちからを受け継いだ国外の巫女たちを集めているという噂も聞いたことがある。

 だが、どうしてそのシアが、この国を。


 男は眉を逆立て、苛立ったようにウィスタの手首を強く握る。痛みを感じてウィスタは手をひいたが、放さない。

 

 「わかっているだろう! あなたたち聖ルオ国がこの五年間、いちども、我々の呼びかけに答えなかったからだ。送った密使は、ひとりも戻らない。彼らをどうした。生きているのか」

 「……密使?」

 「一部でいい。いくつかの港を開くだけでいい。五年もかけて、ずっとそう、伝えてきたのに。世界の海は、五年前、あなたの国が巫女のちからを送り出すことを完全にやめてしまったから、わずかな巫女のとりあいになっている。戦争が頻発している。ひとがおおぜい、命を落としている。毎日だ」

 「……」

 「我々の願いを五年間、あなたの国は、無視し続けてきた。俺の国、シア航国は海上国家連合の筆頭だ。必死に、皆を抑えてきた。だがそれももう限界だ。力づくでも開国をさせる、水霊すいれいの巫女のちからを、開放させる。そう、評議で決まったんだ」


 ウィスタは目眩を覚え、視線を落とした。

 彼女は神殿の政務についてはまったく詳しくない。が、この国の者の常識として、いかに鎖国中といえども、一定の巫女のちからは諸外国に開放していると信じていた。所定の港を訪れれば、だれでも自由に、霊珠れいじゅへの祝福、つまり水霊の巫女のちからの頒布を受けることができる、神殿がそう、説明してきたからだ。

 が、この男の言うことは。


 男はウィスタの手を離し、姿勢をただして、改まった。


 「……身元を明かさずに言っても、信用してもらえぬだろうな。俺は、オリアス……オリアス・アールツェブルゲン・シアだ」

 「……シア……?」

 「シア航国、第七皇嗣(こうし)。航国の第七艦隊を任されている。皇嗣といっても、庶子だ。母はこの国の出身だ。巫女だった」

 「……」

 「俺は、この国を護りたい。ほんとうだ。母の故郷を滅ぼしたくない。だから、為政者、主教イディ三世を説き伏せにきた。わずかでいい。ほんのいくつかの港だけでいい。開放すると……開国すると、約束してほしいんだ。そうすれば俺が、シア航国を止めてみせる」

 「……」

 「だから、どうか。どうか協力してくれ。頼む、星の巫女。主教へ仲介してくれ。いますぐだ、もう時間がない」


 オリアスはそう言い、少し退がって、頭をおおきく下げた。

 そのまま動かない。

 動かないのは、ウィスタも同様だったが。


 「……その……あの、ひとつだけ……」

 「なんだ。条件か。あなたの不利益には決してしない。約束する」

 「……いえ、そうではなくて……」


 オリアスは顔をあげ、ウィスタの言葉を待った。

 ウィスタは逆に下を向き、しばらく迷ってから、告げた。


 「……わたし、星の巫女などというものでは、ありません……」

 「ん、この国ではそういう呼び名ではないのだろうな、すまない」

 「いえ、そうではなく……そもそも、神殿の巫女じゃ、ありません……」


 オリアスは動きをとめた。


 「……は?」

 「水霊のちからがなくて、神殿やめるはめになって、ちいさな漁船の船護ふなもりの巫女、してます……あのちからは、たぶんわたしのじゃ、ないです……」

 「……漁船の、船護り……?」

 

 ウィスタはすまなさそうに上目遣いでオリアスを見上げ、頭を下げた。


 「はい……ですから、主教さまへのお言葉添えなんて、できません。お役に立てなくて……ごめんなさい」


 オリアスはくちに手を当て、目を見張り、黙り込んだ。

 おそらくその表情は、深い失望、あるいは絶望と呼ばれる種類のものだ。


 窓からすこし冷たい海風が吹き込んできた。



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