03.落ちたのはメルヘン(1)
「ちょっと待って」
私は少年に向かってストップをかけるように手のひらを突き付けた。
意味が分からない、本当に。オーケイ、ちょっと落ち着こう。まずは状況確認だ。
「誰が誰の夫だって?」
「私がお前の。一度で覚えられんのか」
失敬なことを言われた気もするが、そこは無視しよう。
「お断りします」
にこ、と擬音まで付きそうな程の令嬢スマイルを浮かべてやる。
「……何故」
そこで何故と言われてもこっちが困るんですけど。
ぶしつけで偉そうな少年は断られるとは思っていなかったらしい。たいがい傲慢な奴だな、こいつ。
あと少年はむっとしたように眉根を寄せているが、怖いから止めていただきたい。何ていうか眼力が違うんですよ。視線の力が鋭すぎてこっちに突き刺さりそうなくらい。い、痛い、痛いんだってば。
「私はあなたが誰だかも知らないし、いきなり言われても何それってかんじなんですが」
言外に顔洗って出直してこいという空気を滲ませて、私は笑顔のまま詰め寄る。少年は困惑したようだった。
ちなみに少年の名前は覚えられなかった。確かラウなんとかさんだ。ラウで良いか。いいや、決めた。勝手にそう決めた。
ラウは私の意志の固いことを悟ったのか、渋々と重い口を開く。やっと説明する気になったようだ。
「お前は神が使わした娘。あの時、あの場に現れたからこそ私の伴侶と決まった。覆すことは叶わん──たとえ、私であろうとも」
「……どういうこと? さっぱり掴めないんだけど」
神の使わした娘? というのは私のことだろうけど、本人にはまったく身に覚えのない話だ。って、ここはどこなんだ本気で。目の前の嫌に視線の鋭い少年──ラウは日本人じゃないが、言葉は通じる。
ラウは枕元あたりに椅子を引いて座り、私と話し込むことを決めたようだ。そう言えば、起き抜けにラウの存在に気づかなかったのは、私の枕側の壁に背を預けて立っていたからだ。視界に入らなかった。あんたは忍者か。
「お前は大聖堂の上から降ってきたことを覚えているか?」
まず大聖堂という場所が良く分からない。私の記憶では手すりから落ちて、気が付いたらこの部屋だった。その中間がぼやけている。
でも何かあったような気もするのも確かで。
「手すりから落ちて……あ、花が」
記憶の中で白い花弁が舞う。
そうだ、びっくりするほど沢山の花が目の前を舞っていた。今まで見たこともないような花だったから覚えている。あの道沿いにそんな花は咲いていなかったのに、なぜか落ちている最中、視界は花で埋まりかけていた。
「ああ、大聖堂にあった花だ。その後のことは?」
「──だめ、思い出せない」
唸りながら記憶を探るがぼんやりとしか思い出せなかった。私の大嫌いなジェットコースター感に記憶が飛んだとしか思えない。
ラウは深々と溜息をついて、私は何だか少しむっとする。そんな風にしなくても良いじゃないの。覚えてないものは仕方ないんだから。
「お前が降ってきた時、大聖堂では宣誓式をしていた。私は現在王の名代──代理人だが、正式な王となるための誓いを立てるのが宣誓式だ」
「おうのだいりにん……」
「頭の悪そうな発音だな」
「うるさい」
やはり失礼な奴だ。それよりも気になるのが、ラウの言った言葉の意味。もしかしたら落ちた衝撃で、耳がおかしくなったのかもしれない。最低だ。
だって王とかいう単語が聞こえたんですけど。
「分かってないようだから説明する。私は王の嗣子、つまり第一位の王位継承権を持つ人間だ。王は今、病で伏せてとても政務を執れる状態じゃない。だから私が代理人となっている」
ほお。それは凄いね――としか言いようがない。突飛な話で逆に頭が冷えたのか冷静になっている私がいた。
つまり、目の前の少年は王子。王子様だ。身近な王子は、星の王子様くらいの私の横に本物の王子が──ってそんな馬鹿な! いつから私の脳はメルヘン仕様になってしまったのか。これは明らかな夢だ。間違っても日本は王制じゃありませんて。百歩譲ってこの王子様が本物だとしても、だからここはどこなんだ。
「今まで仮の王、代理人としてやってきたが、私はもうすぐ成人する。今でも実質的な権限は私にあるのだから、成人の儀と共にいっそ即位してしまえということだ」
へーへー。抱き合わせ販売みたいなものだろうか。面倒は一度で済ませとは、なかなか斬新で効率主義な国だなあ。どこの国の話かは知らないが。
「で、その宣誓式にお前は普通ではない現れ方をして落ちてきた」
落ちてきたのか。あの腹の中を置いてきてしまったような気持ち悪い浮遊感は嘘じゃないようだ。落ちる途中までの記憶もあるということは、私は間違いなく手すりから落ちてる。信じたかった転んで頭を打った説は残念ながら消えた。私の顔がだんだん強ばっていくのが分かる。
これ夢じゃないのかも。
だって、さっきから密かに手の甲をつねり続けてるんだけど……非常に痛い。
「大聖堂の祭壇の前、宣誓をしている最中に降ってきた異装の娘。神が使わしたに違いないと大聖堂中の大騒ぎになった」
「私としても何でここにいるのか全く理解できないんだけど、神の使いではないことは確かよ? ちょっと良いとこ育ちの、ただの平凡な人間なんですけど」
いきなり神の使いは荷が重すぎる。
ラウは説明はしてくれるけど客観的で、彼自身がどう思っているのかは分からない。眉唾な噂を信じてるなら、神の使いに対してちょっと態度が不遜すぎるんじゃないの。
どうなのよ、と私が目で訴えるのが伝わったのか、ラウは首を軽く横に振った。
「私自身はまだ判断できない。確かにお前は絶妙すぎる間合いで現れたし、この国ではない所から来たのだろう。だが、神の使いかは判断しかねる。まあ他の連中が神の使いと信じて、浮かれきったお祭り騒ぎなのも真実だ」
私はかなり安心した。神の使いだなんて大層なものになれる自信は全くの皆無だ。でも、どうやら権力のあるラウが信じてないなら、その他大勢の誤解を解けるかも。というか、解いてもらわないと困る。
正直、誤解を解く云々よりもさっさと家に帰りたいのが本音だ。このまま帰らなかったら、お見合いが嫌で家出したみたいじゃない。……何だ、その多感な思春期みたいな行動は。私の美意識というかキャラに反するというか、とにかく鳥肌が立つようなものだ。そんな風に両親や周囲に思われることは断じて避けたい。
私は何で王子様だとか神の使いだとか、メルヘンな展開に落ちてしまったのか。転んだ自分を呪いたい。