12.時間切れまで(2)
耳元でダイレクトに聞こえた、その名前は。
「なん、で」
掠れた声が喉から出る。まさかここでコーラルさんの名前を聞くとは思わなかった。正直コーラルさんの正体が何なのかサッパリ分からないが、誰もが彼女と接触できるとは思っていなかった。訊いたところで満足する答えが返らないことが、何となく分かっていたから。だから今まで誰かにに訊いたことはなかったのに。
「全部じゃないけど、俺が教えてあげられることもある」
それだけ言って、シュロさんは私の身長に合わせて折っていた腰を伸ばす。
「近いうちにまたおいで。待っている、サクラ」
獣のような瞳を細めて笑うシュロさんに、脊髄反射で頷く。
──身辺が落ち着いたら、大聖堂に行ってみると良いわ。きっとあなたの助けになるから。
ねえ、コーラルさん、それってシュロさんのことだよね?
ぼやかさないで、はっきりそうだと言ってくれ……私は心の中で盛大に崩れ落ちた。一人で探さなきゃと思っていたやる気が空回りだ。これなら、もっと早くに来ても良かったのかもしれないな……。
少し離れた場所でラウが怖い顔をしていたけれど、今の私に気づく余裕などなかった。
本日の収穫。
こうして私は味方になりそうな人を一人見つけたのだった。
足音を忍ばせて私は小走りに廊下を進んでいた。
誰にも見つかりませんようにー!
ドレスの裾をたくし上げながら駆け、人の気配に身を潜め、再び走った。今の私の気分は忍者だ。今のところ成功である。
ささっと影から誰もいないことを確認し、頭に叩き込んだ大聖堂への道を辿った。誰かに見つかった途端、お部屋に強制送還の可能性がある。だって脱走して来ちゃったんだもん。まあ一応置き手紙はしたけどね、シュゼットさんが心配しちゃうから。
「着いたっ!」
よっしゃ迷わなかった、とガッツポーズを決めたいところだが、大聖堂の前でそんなことしてて見つかったらマヌケだ。私は素早く扉を開け、隙間からお邪魔した。
「お、サクラ」
「シュロさん!」
目当ての人物は片手を上げて「よー」と挨拶してくれた。何ていうか、気軽なお兄さんだ。
神の娘というポジションを頂いている私を大抵の人は敬う。でもそれは私じゃなくって、いきなり与えられた私の身分にだ。そんなのがあまり居心地が良くは思えない私にとって、気軽なお兄さんは貴重な人材なのである。コーラルさん関係を抜きにしても、ぜひ仲良くしたい。ちなみにラウとは遠ざかりたい。
「サクラは行動早いねえ。あれからまだ二日くらいだったか」
「私の国では善は急げと言うもので」
あれから脱走の機会を窺い、その好機が今日。この隙を見逃す私ではないのだよ!
「そうかそうか。じゃ、立ち話も何だしこっちにおいで」
ちょい、と招かれて私は大聖堂の赤絨毯を進んだ。祭壇の前の長椅子に並んで腰掛け、「さあて」とシュロさんが呟くのを横で聞いた。祭壇の周りの床には花が敷き詰められ、漂う芳醇な香りがはやる心を少しだけ落ち着かせる。
「どっから話したものかなー」
迷っているようだった。その視線は中空を漂い、言葉を探しているように見える。
何を話してくれるのか大期待の私は大人しく待とうとしたが気持ちが押さえきれず、取り敢えずの疑問をぶつけることを優先してみた。
「コーラルさんとはどういうお知り合いですか」
ずばっと直球。
どうかな。シュロさんの反応を見ると、獣っぽい瞳が細められてこちらを振り返った。金色に近い光彩が楽しげに、というより嬉しげ? に光ったのを私は見た。
「……コーラルさんとは古い知り合いだよ。もうどの位になるかな……うん、細かくは覚えきれないけどかなり古いよ」
「そんなに古い?」
私は純粋な驚きの声を上げた。
目の前の青年は20も半ばというくらいで、そんなに年を取って見えない。けど、覚えてないほど古いって、相当じゃないのか?
「まあなあ。俺がちっさい頃から世話になってたんだ。あの人は嘘を言わない。大丈夫、コーラルさんは良い方だよ」
今はちょっと透けてるけど、と言ってくつくつと笑う。透けてるのは問題じゃないと言うように、良い方だと強調した。私としては多少問題にしたいのですが。それよりも。
「嘘を言わないっていうのは、信じられる根拠がありますか」
「──用心深いのは良いことだ」
ラウがされていたように私の頭もわしわしと乱された。褒められているようだが、ぐちゃぐちゃである。
「コーラルさんは人よりも言葉に縛られる存在なんだ。元々人の言葉には力が、魔力がある。それを利用してるのが魔術師なんだけど……今は良いか。とにかく彼女の言葉には人よりも遙かに力があるってこと。常人が嘘を吐くのとはわけが違う。だからいつも言葉を選んでるんだよ」
それはつまり言霊ってことか。
納得して頷く。とりあえずは信じて良いだろう。もっとも今の私に信じられるものなんて限られていも、信頼性があるにこしたことはない。
何よりコーラルさんのことを話すシュロさんの顔が優しくて、それだけで信じられると思った。古い知り合いって言ってたけど、もっと深い関係がありそうだ。
(たとえば恋人とか家族とか、そういう)
考えかけて、やめる。
シュロさんにとって柔らかで大切だろうものに無神経に触れる気にはなれず、憶測しか浮かばないことよりも次の質問を私は探した。
「えーと、ちなみにシュロさんお幾つ?」
「見かけよりはわりと年長だよ。言ったらサクラ驚くから秘密な」
き、気になるー! 中途半端な情報開示ほど気になるじゃん!
でも大聖堂を管理してるんだもんね、偉いんだろう。偉いんならある程度年取っててもおかしくない、うん。見た目プラス十歳から二十歳は覚悟しておこう。
無理矢理自分を納得させて、私は次の質問に移ることにした。
「シュロさんは……私を助けてくれる人?」
目の前の人は曖昧に笑った。
「助ける、っていうのがどういうことかは分からない。でもサクラが望む形になるように協力はできる」
「……ラウ側じゃないって思って良いのね?」
「結婚を求めないのかって? ま、俺は坊ちゃんの甲斐性に期待してるよ。それでサクラがなびけば万々歳だ」
ぽんと頭に手を置かれる。
自分は強制しないと言外に教えてくれたことに安堵する。あくまで(仮)だが、この人は味方に加算して良いと確信できた。
コーラルさんに信用されてて、ラウとも親しい大聖堂の管理人。そして私の協力者だ。シュロさんについてはこれくらいで充分だろう。いや、実年齢は非常に気になるところなのですがね。
「サクラがどうして呼ばれたのか。説明するけどちょっとややこしいぞ」
「どんと来いですよ」
頼もしいな、とシュロさんは笑った。
「本来ならサクラはこっちの世界で……この国で生まれるはずだったんだ」
笑顔のまま言われた。
えっと、つまり。
私は
本当は
この国で、
「…………えええええええええ?」